#6 Day5

「メルローズに16時ってタレコミだ!! マシューのやつが遂に吐いた!!!!」

「急げ、急げ、動け動け!!!!」

「そんなもん置いとけ、逃げられちまうぞ!!!!」

「テロド用の炸薬だけ積め!! 後は要らんッ!!!!」


 日常と非日常の境目。

 それは、ここLAPDにおいてはあまりにも無関係である。とりわけ、事件の当日となっては。


「……」


 廊下で窓を見つめる男女が居た。

 キーラとクリスである。その脇を、大慌てで別部署の刑事達が通り過ぎていく。それをあざ笑うかのように、雨は降り続いている。


 ――そう、大統領が来る来ない関係なしに、この街では毎日何かが起きる。福利厚生を求めるなら、LAPDには就職しないほうが良い。


「……いつ、止むのかね」


「さぁな」


 キーラは煙草を吸い、その煙をぼんやりと見つめている。

 そして、通り過ぎていく男たち。

 ……ふいに、そのうちの一人の肩がキーラにぶつかった。


「……痛ぇな。気をつけろ」


「「そんなところに突っ立ってる貴様らが悪い。嫌ならとっととシマに帰って、ホットウィールでシミュレーションでもしていろ」」


 首筋にもう一つ口がある男が、怒気をあらわにしてそう言った。

 キーラは肩をすくめて、ほんの少し笑うだけ。すると男は何かを吐き捨てた後、廊下を駆けていく。


 その後ろ姿に、クリスは気だるげに中指を突き立てた。

 ――街の厄介者であるLAPDの中でさえ疎まれる。それがSCCという存在である。



「いよいよ――明後日だな」


 クリスが呟いた。

 それに対し、キーラは黙っていた。

 窓の外、広がる雨のLAを見つめながら。


「……おい」


 問うと、そこでようやく彼女の返答がある。


「あぁ――そうだな」


 随分と気のない返事だった。それがクリスには気にかかった。


「どうした……?」


「いや、ちょっとな」


 彼女は煙草の先を見つめながら、物憂げに目を伏せた。

 ――こんな表情のこいつを見るのは、一体いつぶりだろうか。


「あのピンクのババアがムカつくってのなら、分かるぜ。俺だって――」


「馬鹿、そうじゃねぇよ。ただ……」


「ただ?」



「ただ、少しな……なぜだか、嫌な予感がするんだ。何か、とてつもなく嫌な予感が」


 雨の中、灰色の世界を覗きながら、キーラはそう言った。ひどくぼんやりした口調だった。

 ……クリスは、何も問い返す事が出来なかった。


 どこかで、雷鳴が響いている。



 『作戦』決行の前日。

 シャーリーは事務所で落ち着かない時間を過ごしていた。


 グロリアもミランダも、その場に居なかった。


 二人を引き合わせて腹を割って話をさせたかったが、前と同じような状況になるのは目に見えていた。結局あの二人は、自分にはわからない多くのものを抱えたまま、この数年を過ごしてきていたのだ。


「……まっず」


 シャーリーはコーヒーを淹れるのが絶望的に下手だった。一口だけ口をつけて、後は全部捨てようとソファから立った。


 ……その時。

 ――外が騒がしかった。

 いや、騒がしいのはいつものことだったが。

 随分と『近かった』。

 不審に思ったシャーリーは立ち上がり、窓の外を覗き込んだ。

 ……すると。



 雨の中、グロリアが居た。

 見たこともない女に、何事かを叫び散らされていた。


 ――それだけならシャーリーは動かないつもりだったが、その女の手がついにナイフへと変化した時には、流石に事務所を飛び出していた。


「うああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」


 女は――短髪の、マニッシュな装いの女は、叫びながら腕を振りかぶる。

 シャーリーはそこへ割って入った。


「このッ……」


 シャーリーの中で、急場しのぎの激情が沸騰し、力へと結実する。その腕が変化し、マフラーが波打ち、気づけば彼女は『発動』していた。


 ナイフが空をかすめると同時にグロリアは後方へと引っ張られた。


「おわッ!?」


 それがシャーリーの力だった。腕を飛ばしてつかみ、引き戻すことでグロリアを攻撃から回避させたのである。


「シャーリー!!??」


「わけがわからない!!!! とにかく事務所戻りますよッ!!!!」


 そのままグロリアを玄関の内側へと押し込むと、殺意をむき出しにしてこちらを追いかけてくる女を強引に締め出した。それからドタドタと上階へと登り、事務所へと二人で突撃――……女の侵入を完全にシャットアウトした。


 ……扉の向こうから、耳を覆いたくなるような罵詈雑言、それから激しい殴打が響いた。


「ああああああッ、なんなんですかこの人ッ!!!!」


「いやぁ~~~~~助かったわ、あっはっは」


「あっはっはじゃないですよっ!!!!」


 しかしそれも暫く続くと停止し、女は諦めて踵を返した。

 ――……最後の一言を捨て台詞にして。


「男のモノはしゃぶれても、私とキスは出来ないっての!!?? このアバズレがッ!!!!」



 それから女は、ひときわ激しくドアを蹴ると、わざとらしく大きな音を立てて階段を降り、去っていった。


 ――ナイフをドアに突き込まれないことが、幸いといえた。

 ……シャーリーは、大きくため息をついた。

 とうとう、自分もずぶ濡れになってしまった。



「ほんといい加減にしてくださいよ……ボクが割って入ってなかったらどうするつもりだったんですか」


 薄暗い部屋の中、グロリアの前にタオルとホットミルクを差し出す――サングリアを所望されたが、あえて渡さなかった。


「いやぁごめんごめん、あたしってほら、モテるからさぁ、あっはっは」


 彼女は命の危機に瀕していたとは思えぬほどの調子でからからと笑い、ため息をつかせた。


「こっちはどれだけ……」


 グロリアはそこでビシッと指をつきつけて言う。


「でも、さっきの見たからって誤解しないで頂戴。あたしの本命はフェイ一択だから」


「またそれですか」


 真顔で言われた。シャーリーは溜息を返す。

 ……それから、グロリアから目をそらす。幾分かの含みをもたせて。


「あ、信じてないな、このこのっ」


 グロリアはいつものようにシャーリーの頭をわしわしとかき乱そうとした。

 そこで……言葉が、口をついて出た。


「――……さんですか」


「ん?」


 もう一度。

 はっきりと、言った。

 間をおいて、顔をそらしたまま。


「――ミランダさんですか」


 グロリアの声が――すぐさま低くなる。


「は?」


 それは彼女が、茶化しを忘れて本当に苛立った時の声だ。

 シャーリーは臆せず続けた。


「ミランダさんとモメてイライラして。それで無茶したんですか」


 ……対するグロリアは、更に声を低める。


「……あんた、何いってんの。馬鹿じゃないの」


 追撃。


「そこでそうやって、誤魔化してはぐらかすんですよね。他のことになると馬鹿みたいに素直なのに。あの人のことになると、すぐそうやって……」


「このッ……」


 グロリアはそう吐き捨ててから、シャーリーの胸ぐらを掴んだ。それから、おそらくは殴ろうとしたのだろう。


 だが、その動きは途中で止まった。

 シャーリーの真っ直ぐな目が、彼女を見据えていたからだ。

 ……今ここで殴られても、構わない。


「……」


 シャーリーは、そんな顔をしていた。

 そこには、抗えない何かがあった。


「――……ファック」


 呟いて、シャーリーから手を離す。

 再びソファに腰掛けて、天を仰ぐ。


「ああああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~」


 そのまま、大声を出す。シャーリーは首をかしげながら向かい側に座る。

 グロリアは目の辺りをおさえながら、小さく言う。


「――恨むわよ、フェイ。あんたのせいだからね」


 ……電気を、まだつけていなかった。

 シャーリーは立ち上がろうとした。


「……そのままでいい」


 そう言われた。ソファに戻る。


「先輩……?」


 その顔を心配そうに覗き込むと、グロリアは言葉を継いだ。


「――あんたさぁ、あたしがただ嫌いだからってあいつをあんなふうに扱ってると思ってるの? それならまだまだよ。なんにも分かっちゃいない」


「……どういうことですか」


「あいつはね、私達にはどうしようもないものを抱えてるの。イビツな存在なの。――それはいつか、私達に、フェイに……影響を及ぼすかもしれない。だから捨て置けないのよ」


「……説明、してください」


 そこでグロリアは、観念したようだった。

 大きく溜息をついて、テーブルの上に置かれた煙草を手に取った。

 そして一言。


「…………分かったわ。じゃあ、話してやるわよ」


 ラッキーストライクを口に咥えて、そのままシャーリーの眼前にずいっと持ってくる。

 ……察したシャーリーは、机のライターを点火して、そこにかざした。

 間もなくグロリアは、たっぷりと煙を吸い始める。


「……あいつの、過去についてね」


 紫煙の漂う薄暗い空間、雨をBGMにして、グロリアはいつになく静かな声で語り始める。


 ……知らないうちに、シャーリーの喉はごくりと鳴っていた。


 背筋が伸びて、拳が膝の上で固まった。

 最初の一言が、そこで告げられた。



「あいつはね……数年前、旦那を殺したの。自分の銃で」



 雨の中を、ミランダは歩いていく。

 傘もささずに。


 口笛を吹いて彼女に卑猥な言葉を投げつける男たち。それらを無視する。車のクラクション。無視する。テロド。モロウ。エンゲリオ。様々な姿をした極彩色の者たちは、今はひとつの灰色に塗り込められながら道を行く。


 彼女は進んでいく――耳に聞こえるのは、もはや残響のような一つの音になった雨。


 浮島の存在で、常に薄っすらと影がさすダウンタウンのストリート……彼女が歩くのは、2018年のリアル。

 だが、その網膜上に焼き付けられているのは――数年前のロサンゼルス。

 彼女は、過去を歩き始めていた。

 夢遊病患者のように。


「あいつはね。昔からああだった。それこそ、小さい頃から。いつもまっすぐ前を見ていて、そのせいで抱えなくていいものまで抱え込んで。あいつが過去を背負うようになったのは、きっと今に始まったことじゃない」


 煙草を吸いながら、薄暗い部屋の中でグロリアは語る。一つの詩のような声だ。そこでシャーリーは、彼女の声が意外なほど心地良い響きを持っていることに気づく。


 むしろ、掠れて不格好な声なのは、ミランダのほうだったのだ。


「真っ直ぐすぎて、優秀過ぎて。そのせいで、周りの恨みを買い続けて。敵を作り続けて……ずっと孤独だった。それがあいつだった」


 煙が漂う。


「でも、そんなあいつにも良い男が見つかった。あいつにお似合いの、不器用でほんの少し間抜けな男……あいつの口から聞く限り、今のLAじゃ生きてけないような奴だったらしい」



 LAウィークリー横のドラッグストアを通り抜けると、見覚えのある建物が見えてくる。


 ――ああ、私はアレを知っている。彼女の視界が色を取り戻す。過去を遡る。その手に温かい感触が戻る……横を見る。そこに、彼が居た。


 少し太っていて、でも、どこまでも優しい瞳をした不格好な男。

 彼女が愛してやまなかった男だった。


 彼は緊張していた。柄にもなく正装していたのだ。そして、自分をそこへエスコートしたのだ。ナイトクラブへ。そのぎこちない足取りが、今まさに視界に浮かんでいる。


 ――だが。

 すぐに、まやかしは消える。

 色が抜け落ちて、セピア色の現在が戻ってくる。彼女は寒気を感じる。


 ――隣に、彼は居ない。

 そのかわりに通り過ぎていくのは、何も入っていないベビーカーを押す、小汚い身なりの老婆の群れ。破れた傘の群れ。排気ガス。彼女は一瞬立ち止まる。

 ――ここは、2018年。アンダーグラウンド。

 ……彼はもう、居ない。


「そいつと結ばれてから、ミランダは軍隊アーミーをやめた。自分のまっすぐな目は、誰かを殺さなくたって何かを生み出せるんじゃないかって。そんなことを考えてたのかもしれない」


「何かを……」


「そう、何かを。でも、それが簡単に見つかれば……誰もこの街には居ないわよね?」


 そう言ったグロリアの顔は――ひどく意地悪に見えた。



 彼女はストリートを歩いていく。

 そうしていると、色んなものが見えてくる。


 退役して初めて買った服。ああ、ここで買ったんだわ……たしかあの時彼は自分のサイズを一回り小さく申請しようとしていたっけ。私にはお見通しだったけど……懐かしい鮮やかなストリートのショッピング。だが今は……。


 視界が戻る。灰色の、スプレー落書きだらけのジャンクパーツショップ。変わり果てている。幸せそうに肩を組んでウィンドウの内側を見ていたカップルも、憧れのまなざしを向ける子供も、今はいない。居るのは、浮浪者同然の身なりをして、異形と化した体をダンボールの上に横たえる者達。


 何もかもが……ここ数年で変わっている。

 そのなかで、変わらないものを求めながら、ミランダは彷徨い続ける。


 どこかに、彼の痕跡を探している……。

 ――幸せだった頃など、ほんの僅かな期間しかなかったはずなのに。


「……あいつは確かに幸せだったはずよ。結婚して、子供を作って……それから、それから……そんな風に今を噛み締めて、未来を考える。それが出来たはず。だけど」


 そこでグロリアは、言葉を切る。

 不安が誘われる。


「……だけど?」


「――……あいつの目は、本当に色んなものが……見えすぎたんだわ」


 現在と過去がオーバーラップする中を、彼女は進んでいく。

 ……幸せだった時間。その中で、彼とかけがえのない時間を過ごしていた。それをトレースするように歩く。


 だが気付く……この先には行き止まりがあって、先に進むためには道を変えなければならない、ああ、あの頃からあそこはそうだったか? コンクリートの壁に覆われていたのはあの時からだったか?


 ざわ、ざわ、ざわ。

 心にひだが出来て、彼女を責め立てる。


 ……過去の時間が、進んでいく。進んでいく。

 駄目、それ以上進まないで。

 私はその先を知っている――何故なら私は。すべてを見渡せてしまうから。


 横を見ると、彼の顔がある。


 ――ねぇ、私は幸せよ。あなたは?


 問う。

 いつもなら、すぐに肯定が返ってくるはずだった。

 そこに影がさしたのはいつからだったか。

 返答に時間を要するようになったのは、いつからだったか。


 ……彼は。

 一見して笑みとわからないような表情を浮かべながら、言った。


 ――あぁ。俺は、幸せだよ。


「要するに――あいつは、あいつの『いい人』とは、何もかも違ったってことよ」


「どういう……ことですか」


 ――つまり。

 それは、埋めようのない格差。


 彼女の夫は、一介の工場労働者に過ぎなかった。

 代えの効かないほどの腕を身に着けた上で、なおもそれをかなぐり捨てて安住の地を見つけたミランダとは何もかもが違った。


 程よく優しくて、程よく不器用で、周囲に振り回されて……そして、人並みに劣等感を抱いてしまう、どこにでもいる普通の男。


 彼女の隣で優しい笑みを浮かべているその男の正体は、なんということはない、それだった。


 そう、彼はあまりにも普通だった。

 そして――それこそが、悲劇の始まりだった。

 ――彼女と彼では、見えているものがあまりにも違っていた。


「それでも、騙し騙しやってけたんでしょう――あの日までは」


 彼女の足が、止まる。

 雨が降っている。


 自分の体が濡れて、そこから恐ろしいほどの寒気がやってくることに、いまさら気付く。世界がとたんに色あせて、そこにたくさんの音が流れ込んでくる。喧騒、金属音、怒号、悲鳴。世界はシンプルでもなければ、優しくもない。


 ――変わった。何もかもが変わった。

 十年前に何もかも変わった。

 ……隣りにいたはずの、彼との関係も。


 ――また流れ出す、ジーン・ケリーの陽気な歌声。

 それを歌った時、彼は高熱を出していたらしい。

 ……ああ、そのまま死んでしまえばよかったのに。


 その日を境に、世界に訪れた変貌。

 それは二人の生活環境さえまるきり変えてしまった。


 街の周囲にはまるで黒壇のような巨大な壁が出来て、その中心を剣が刺し貫く。

 そして人びとは化け物と化し、たった一週間で街全体にはびこった。


 二人はその時、街へ出かけていた。何をしたかったのかは覚えていない、いや、覚えている――……そうだ。

 そうだ。


 私達は、子供が欲しかった。

 だから、そのための本を買おうと思っていた。


 その時剣が降り注いだ。

 激痛とともに、意識が遠のいた。


 ――気付いたときには、二人ともそれまでとは違っていた。

 夫も彼女も、人間ではなくなっていた。


 ミランダは鷹の目と、翼を得た。どこまでも遠くを見渡せる力。

 そして夫に与えられてしまった力は微々たるものだった。彼の同僚はもっと洒落にならないことになっていた。だからこそ……二人は喜んだ。


 ああ――なんだ、世界がこうなったとしても、二人は何も変わらないじゃないか。


 だが、実際はそうではなかった。


 ――アウトレイスとは、人間を人間から逸脱させてしまった存在。

 それと同時に、その人間を人間足らしめていた核が剥き出しになる。


 ……二人の生活の断絶は、その時点ではっきりと始まっていた。


 いや、あるいは最初から繋がってなどいなかったのかもしれない――。

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