#5 Day4
「――……じゃあ何? あたしらはあいつの後ろでドリトス食ってりゃいいわけ? はいはい冗談よ。ちゃんとやるっての! 以上、通信終わり!!」
グロリアはガムを噛みながら乱暴に通話を切った。
ところはダウンタウンのストリート。雨の中ではいつも以上に車が多い。移動手段が限られているから、皆同じ事を考えるものだ……鳴り響くエンジン音とビープ音。雨の音。その中で皆が渋滞に対して抱えている感情も、きっと同一のものに違いない。隣の車線に強引に割り込んだ強面のモロウと、エンゲリオらしき御婦人が車窓越しに麗しい喧嘩をなさっているが、とりあえずグロリアは無視する。
シトロエンDSの高性能とは言えないワイパーがフロントガラスに轍をつくり、雨を撥ね付ける。全ての音がこもって聞こえる中、彼女は苛立たしげにハンドルとトントンと叩く。その音は――助手席に座っているシャーリーをも、あまり愉快ではない気分にさせる。
二人はホームセンターにダクトテープを買いに行った帰りだった。なぜなら、事務所が一箇所酷い雨漏りに襲われたのである。早急に対処せねば、ロサンゼルスの中にフィジー島が出来てしまうというわけだ。
……無論それは、その手のことにいち早く気付くはずのメンツがことごとく出払っているうえに、『残りの一人』も『絶好調』だからである。
そしてその帰り。一刻も早く戻りたいというのに渋滞に捕まった。更にはグッドマンからの生真面目な電話。内容は『今回の作戦は“彼女”が中心となる』ということ。その理由を聞くと、彼はいつものように真面目な調子で彼女が作戦上重要であるということを伝えてきた……だが、あまり嘘や誤魔化しが得意な男ではない。なんらかの意図が、その裏にあるようだった。
――……グッドマンより更に上層に位置する、第八機関を統べる存在。グロリアは会ったことがない。それだけに、怪しさ満点。疑えばキリがない。
……まぁ、グロリアはフェイを信じるだけだから、無問題なのだが。
「あのおっさんも大変よね」
「そうですね……」
「あー、渋滞クソ長いわ。ゴジラでも来ないかしら……シャーリー、ラジオつけて」
「分かりました」
……ラジオ、オン。
――すると。
『国民の皆様。いかがお過ごしでしょうか――私は合衆国大統領の……――』
異様なまでに丁寧でなめらかな、しかしそれでいてどこか神経質な女性の声が(大音声で)流れ始めた。
「――ファック……」
グロリアが顔をしかめる。
――声の主は、そう。言った通り。
我らが合衆国の、大統領である。
『私は皆様に、お伝えしたいことがあります、私はこのたび――……』
そう、女性の声である。
歴史上はじめての、女性大統領。
その彼女による、今月に入って十何回目になろうかと思われる『国民への談話』。
「……――ああ、あのオバハンのピンクのスーツが目に浮かぶわ……」
「チャンネル、変えますか?」
「いや、良いわよ。悪態つきたいし、最後まで聞いてやりましょう。まぁ、どうせ……」
――どうせ、いつもどおりの内容でしょうけど。
グロリアはそう言った。
それは、そのとおりだった。
『子供の権利問題』や『女性の権利問題』でセンセーショナルな議論を展開した末、若年層からの支持で急激にのし上がってきた女性である。政治家になる以前は保育士だったとの噂もあった。
「なーんか気に入らないのよね」
「……――まぁ。分かる気も、します」
異様なまでに輝く金髪と、赤いリップ。そしてあの、目に焼き付くようなピンクのスーツルック。キャラ立ちは十分だが、万人受けするにはあまりにもその存在は尖りすぎていたのである。それは、この街においても例外ではない。
「ほーんとに大丈夫なのかしら。どうせなら、あたしが大統領になったほうが良いんじゃないの?」
――グロリアの放言。
シャーリーはさして気にもとめず、適当がすぎる相槌を入れる。
近頃彼女は、この先輩の相手をする方法がわかってきた気がしていた。
「なったらどうするんですか?」
「んー? パイ投げを合法化する」
「そうですか」
……こんな風に。
外は相変わらず酷い雨である……どこかで、この異常なまでに長続きしている悪天候の原因を、フェイ達別働隊が調査しているとのことだ。早く解決することを願う。でなければ、こちらの気まで滅入ってしまう。
「……早く戻りたいですね。雷まで混じり始めてます」
「そーねー」
グロリアは……思案中の顔を作った。
……彼女らしからぬ。
――そこに不安を覚えた時点で、シャーリーは止めておくべきだったのかもしれない。
「……後輩、舌噛むなよ」
「え“ッ……????」
間もなくシトロエンDSは、クラクションを最大音量で流しながら反対車線へと
割り込み、怒号を目いっぱいに浴びながら熾烈なカーアクションを演じつつ、家路へとついたのだった。無論、その愚行に巻き込まれた他者は数知れない。
――シャーリーは後悔した。だが、それが遅いことも知っていた。
◇
「…………」
「いや~~~~、ホーム・スイート・ホームだわ」
……そして。
事務所にたどり着く。
すっかり頭を垂れて沈黙を続けるシャーリー(荷物持ち)をよそに、脳天気に階段を上がっていくグロリア。
そして、事務所の扉を開ける。
「オラオラ、帰ったわよ根暗女ぁ!! 部屋の隅でジョイントでもキメてんじゃないでしょうね!!!!」
……その瞬間。
流石のグロリアも、異常に気づいた。
事務所に明かりがついていなかった。
薄暗い室内に、水滴の垂れる気の抜けた音だけが響いている。
……そして、静寂。
返事を返す者も、喧しいテレビの声もない。
「ちょっと……――ミランダ…………?」
グロリアは声をひそめて、ゆっくりと進む。
シャーリーもおそるおそる、その後ろをついてくる。
電話台のパーテーションを抜け、いよいよリヴィングへ歩みを進める……水滴の音とともに。その全てが明らかになる――。
……そこでは。
天井からぶら下がったミランダが居て、うめきながら両足をバタつかせていた。
ロープは、しっかりと彼女の首に食い込んでいた。
◇
「バッ――……何やってんのよこのクソアホッ!!」
買い物袋を投げ捨てて、グロリアとシャーリーは室内に殴り込む。
ミランダの顔は青ざめて血管を浮き立たせている。舌と目が苦痛のままに飛び出て、目も当てられない有様になっている。
グロリアは叫びながら彼女の足を掴んでいた。そのスキにシャーリーは部屋の奥へと駆け込む。床に散らばったゴミにつんのめりそうになりながら。
「シャーリーとっととしなさいったらッ!!!!」
「分かってますッ!!!!!」
シャーリーは部屋の奥のジャンクをかき分けながら脚立を取り出し、慌てて持ってくる。そのまま駆け上がり、ミランダの首につながっているロープを梁から外す。かなり強引に結びつけていたらしい、解くのに難儀する。
「早くしなさいッ!!!!!! あほ、ボケッ!!!!!!!!」
「うるさいッ!!!!!! だったらあんたが代われッ!!!!!!!!」
ミランダはなおも首を掴みながら悶えている。打ち上げられたばかりの魚のようにバタバタと苦しんでいる。
その中で遂にロープをほどく。体の力が不意に抜けて、グロリアは姿勢を崩した。ミランダが地上へと解放される。シャーリーは着地に失敗して盛大に尻もちをつく。
「ミランダッ!!!! この――、アホがッ、」
なおも首につながったロープを必死にほどきにかかる。ミランダの顔は相変わらず死にかけの魚だ。青いまま。シャーリーはシャーリーで、なんとか呼吸が楽になるように彼女の服をはだけさせる。彼女はばたつき続ける。
「なんでこんなことになってんの!!?? なんで――」
「知りませんよッ!! ボクが知ってるわけないでしょうッ!!!!」
そのままミランダの首からロープが取れる、そして彼女は解放される。と、同時に。彼女は咳き込み――……。
「ゲエエレエエレレレレレレエエエエエーーーーーーーッ!!!!!!!」
前方に向けて、トマホークのように嘔吐する。饐えた匂いが空間中に広がる。ミランダの身体は弓なりに何度も痙攣し、どどめ色の粘ついた液体を吐き出し続ける。
「ジイイイイザスッ、汚いッ……この、」
「ミランダさんッ、ミランダさんッ……」
「げえええええっ、ゲホッ……ゲホッ!! オエッ…………」
彼女のゲロは横の二人にもかかっていた。ミランダは黒く長い髪を振り乱しながら何度も痙攣し、荒い呼吸をする。し続ける。それからしばらく彼女は咳き込み続ける。。
……数分後。
彼女は嘔吐をやめ、黙り込んだ。ひゅーひゅーと掠れた呼吸が、彼女の奥から漏れる。
「ミランダさん……」
「ほんっと……――何やってんのよ、アホ……!!」
シャーリーが安堵し、グロリアが爆発する直前の怒りを貯め込むような口調で吐き捨てる。
三人共、床の上で無様な姿勢をとっていた。
「…………」
ミランダは床に四肢をついて、髪をだらりと垂れ下げたまま黙り込んでいた。
「ミランダ、さん…………?」
シャーリーは心配そうに彼女の顔を覗き込む。
彼女はゆっくりと顔を上げる……。
――次の瞬間。
「ッこの売女がぁぁぁぁーーーーーーッ!!!!!」
ミランダは絶叫して、バネのように立ち上がるとそのままグロリアに襲いかかった。シャーリーは無視して。
「どあッ!!?? 汚ッ――……はぁ!? あんた何言って――」
「最悪よ、最悪よ最悪ッ!!!! 最悪に『良いタイミング』で来やがったわねこのアマッ……このッ、」
「わけわかんねぇこと言ってんじゃないわよ!! とっととそのクソ重い身体をどかしなさいよッ!!!!」
「やかましいッ!!!! もうすぐッ……もうすぐだったのにッ!!!!」
ミランダはグロリアに馬乗りになったまま激しく罵倒する。グロリアも負けじと罵倒を返す。ゲロまみれで。
「あぁ!!??」
「もうすぐで逝けたのにッ――それをあんたがッ!! あんたらが邪魔したのよッ!!!!」
「な……――――ッ」
グロリアは目を見開いた。
シャーリーも一瞬動きを停止した。
何か――聞くべきではないようなことを、彼女は口走った……。
「……あんた達がッ、あんた達がッ……」
「わけのわかんねぇことを……言ってんじゃないわよォッ!!!!」
そして、あろうことかグロリアはそれに反応してしまった、盛大に。
彼女が体制を変えた。ミランダを逆に床に押し付けて、乗りかかる。そのまま、ギャングスタラップもまっさおな罵詈雑言の嵐。
「だいたい常に死んでるようなあんたがッ!!!! なんで今さら自殺なんかやろうってわけよ???? ちゃんちゃらおかしいんじゃないの!? つまんなさすぎて笑えるけどねッ!!!!」
「あんったに受けを狙おうとしたわけじゃないからに決まっているでしょう……頭の中にも精子と臓物が詰まってると見て良いわけね?? このアバズレが――」
「あぁなんだとコラ!? もっぺん言ってみろやぁッ!!!!」
「何度でも言ってやるわ――精子、臓物、あばずれ――」
「ちょ、ちょっとふたりとも……」
「だったらあんたは万年生理不順のカビ生え女よ!!!! そこらじゅうカサついてるせいでロープもろくにひっかからなかったんじゃないの!!?? 生理不順!!!! カビ女ッ!!!!」
「この――いつもいつも言わせておけば……――」
「……」
冷静さを失い、その獣性が漏れ出したミランダの身体から猛禽の羽毛が撒き散らされ、ただでさえゴミとゲロだらけの部屋に散らばっていく。腕前が最悪な強盗が押し入ったところで、こうはならないだろう。
シャーリーは耐えて聞いていた。だが、それも。これまでだ。
「……――」
「アホ!!!! ボケ!!!!」
「カス!!!! クズ!!!!」
「――いい加減に…………しろぉーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!」
叫んだシャーリーは、ミランダとグロリアの頭上から、バケツにくんだ冷水を全力でぶちまけた。
「がっ…………デミッド!!!!! クソ冷たい、くそッ!!!! ああああああああ!!!!!!!!」
「ッ――……」
二人は突然のことに互いの腕を解き、悶絶する。床が水浸しになる。余計にひどくなるが……それを気にしていられる余裕は、今のシャーリーにはない。
「はーっ……はーっ……――このっ…………いい年してふたりとも何やってるんですかっ……自分の振る舞いを……考えてくださいッ……――」
「シャーリー……」
「クソ冷たい……」
二人は一瞬恨めしげにシャーリーを見たが、何も言い返さなかった。
そして、ある種の冷静さが二人に訪れる。服を絞って、水気を取る。
――しばらくして。
「……」
「……」
より胡乱さを増した部屋の中で、二人の女が床に座っている。
「いいっかげんにしてくださいよ全く――というかいきなりぶっかけてすいません、タオル要りますか!? なんなら水も……――」
「あーシャーリー、あんたこういう時張り切るタイプだったのね……」
グロリアがけだるげに肩をすくめる。それでもシャーリーの溜飲は下がらない。でも、と言いかける――……そこへ。
「……――あんたに……分かるはずが、ないわ」
水底から聞こえてくるような、ミランダの声。低く、淀んでいる。
……彼女は顔を上げた。
シャーリーは、その表情に少しだけゾッとした。
……ごっそりとやつれ、青ざめて見える彼女の顔。まるで、出会った当時のように。
……少し前は、いつもより元気だったじゃないか。
一体何があったんだ――その疑問に答えるように、ミランダが言葉を継ぐ。
「やっと自分を傷つけずに済みそうな居場所を見つけたと思ったのに……そこが結局、ただの煉獄に過ぎなかった時の気持ちが……あんたに、分かるはずがない」
そう、分かるはずがないのよ。
ミランダはそう付け加えた。それはシャーリーには向けられていなかった。
向かい側で、眉をひそめたままのグロリアに向けられていたのだ。
「ミランダさん――」
「はっ」
グロリアが。
答える。
「わっかるはず、ないでしょ? 馬鹿じゃないの。あたしはあんたじゃないし、あんたはあたしじゃない」
そう言った。いつもの軽い調子で――いや、いつもより、茶化しは少ない。
そこで、シャーリーは気付く。
……グロリアは。怒っている。
目が、笑っていない。
――そうか。彼女は、ミランダの行為には、怒りを見せるのか。哀れみや、心配ではなく。
「でしょうね、期待していないわ……」
「ああそう、だったら何――」
そこでミランダは言った。
「なんにも背負っていないあなたに、私が誰を得て、誰を失ったかなんて。分かるはずないものね……――
――ちょっと、そんなこと言ったら、せっかくの先輩の怒りが――。
シャーリーは背筋に寒気を感じて、そして案の定。
「……――どういう意味? 言ってみなさいよ、オフィーリアさん」
グロリアの視線が、一気に冷めたものになる。
そして、空気が張り詰める。
そうなればもう、シャーリーに入る余地はなかった。何故なら、それは喧嘩ではなかったから。
――……自分よりはるか前から知り合っていた二人だけの、時間だったから。
ミランダの表情は奇妙だった。笑っているようにも泣いているようにも見えた。
だが、何よりも彼女の感情をあらわしているのは……前にだらりと垂れた長い黒髪だった。
彼女は、滔々と言った――というより、言葉をぶつけた。
「セックスと酒、後は何かしら。並べるのもおこがましい物に囲まれて、あなたは今を生きているだけ。私は違う。私は過去の過ちを忘れられない……今も、あの人の血を忘れられない。いや、忘れてもいいと思った。そう思える筈だったのに……過去が、また私を追いかけてきた。そして追いつかれた。この気持ちが分かる?」
毒を含んだ雨粒のように。単語の一つ一つが、棘に満ちている。
それに対し、グロリアが何も思わないはずは、なかったのだが。
「分かるわけが、ないでしょう」
ただ、そう答えた。
「――そう、あんたは確かに『過去』に生きてる。だけど、そいつにしがみついてる。そうして、腐っていくんだわ」
ミランダが歯ぎしりする。音が響く。雨漏りはまだ出来ていない。ぽとん、ぽとん。
「――……そういうあなたは、過去の重みというものを知らないまま、薄っぺらい
『今』を芥みたいに消化していくだけ」
「そうやって昔の綺麗なおとぎ話で、自分をかわいがっていればいいのよ」
「――なんですって」
ミランダが体を動かした。彼女が何をしても不思議ではなかった。しかし、グロリアは一切動揺しない。
「――あんたは自分を憐れみたいらしいけど、本当はもっとくだらない。あんたはあんたに都合のいいものを、そのどこか知らない奴に投射してただけでしょう?」
そこには、この会話を終結させようとする強固な意志さえ見られた。
――ああ今、彼女は。ミランダを完全に打ち負かすつもりなのだ。
「あんたにとっての過去を。ああ、あんたはなんでそんなに自分が好きなのかしら……気持ち悪いったらありゃしない。たまには体を洗えばどうかしら? それで、そう――たまには、『恋でもしてみれば』????」
その言い方はないだろう。
その内容はないだろう。
だが――こんな内容は、シャーリーには言えない。他の誰かに言えるとも思えない。
グロリアとミランダ――この二人は、あまりにも互いのことを知っている。だからこうも簡単に、傷つけ合える。
シャーリーは、介入できるスキを探した。いざとなれば、また割り込んで強引に話を終わらせるべきかもしれない。
だが……それが出来るとは、なぜだか思えない。
「――ッ……!!!! この……」
「悔しいなら言い返してみなさいよ。――……過去にばかりとらわれて、今を見ていないあんたが、この世界を、救えるわけなんかないんだわ――……フェイと共に、歩いていけるわけなんか――……」
そこでミランダは――表情を一変させた。
暗く、淀んだ……『笑み』を、はっきりと浮かべて。
ぼそりと、しかし確実に届くようなウエットな声で、言った。
「ああ、結局それが理由なのねぇ、淫売婦」
グロリアがミランダを睨みつける。
一触即発。
――まずい。これ以上は、まずい、しかし――……。
だが。
ミランダは。言った。
「振り向いてくれるはずもない相手を見続けて、自分ののぞみが叶わないから、ばかみたいな連中に愛想を振りまいて。あてつけにもなりはしない。私は知ってるのよ。あんたがいくらあの女を見続けても、あの女があなたに振り向かない理由を。あなただって分かってるでしょう? あの女ははじめから、何も――……」
「やめろッ!!!!」
グロリアは立ち上がった。
そして、ミランダの頬を――強烈に打ち据えた。
乾いた音がして、ミランダはそっぽを向いた。肌を赤く腫らしながら。
「……――」
「せんぱ、」
「……」
グロリアは震える手をしまいこんで、どすんとソファに腰を下ろす。そのまま、ぼそりと言った。
「出ていきな、ミランダ」
「ちょっ――……」
「黙ってて、シャーリー。あたしは、こいつに言ってる」
ミランダは顔を背けたまま。
「今の腑抜けたあんたじゃ、何も撃てない」
その断定的口調には怒りは意外なほど滲んでいなかった。それは何もかもに別れを告げるかのような、宣告だった。
……ミランダは、ふいに立ち上がる。
「……言われなくたって」
震える声のまま、身を翻す。
そこへ、グロリアはまた言葉を投げる。
「あんたが居なくなっても、やれるわよ。あたしとシャーリーで」
ミランダが返す。
「そう、ならやってみなさいよ。もう、どうでもいいわ」
「……とっとと出ていきな。それからまた雨に濡れて、自分を憐れめばいい」
ナイフのような、言葉の応酬。
その果てに。
「――……売女が」
「賞味期限切れが」
――ミランダは一度二人を振り向こうとしたが、結局それをすることなく……。
ドアを大袈裟に叩きつけて、事務所を出た。
……一瞬、雨と風が、室内に流れ込んだ。
その、青い光も。
それからミランダは、居なくなった。
ヒステリックに、階段を降りる音が響いた。
こーん、こーん、こーん。
シャーリーの手はドアに伸ばされたまま固まっている。
グロリアは、ソファに座り込んだまま頭を抱えて貧乏ゆすりを始める。
「……」
シャーリーはふらふらとグロリアの向かい側に行き。
――……しばらくして、沈黙を破った。
「っっっっっっっっなぁ~~~~~~~~~~~~~にしてるんですか!!!! ミランダさんがあんなことするなんて、いつにもましてあの人が追い詰められてる状態なんですよ!!?? 普通じゃない!!!! それなのに追い打ちかけてどうするんですか――本当に……本当に、死ぬところだったんですよ、それなのに、なんで――……」
「あーあー、わかってる、わかってるってば」
「ほんとに分かってるんですか!!?? そりゃ、ミランダさんも意固地になりすぎてましたけど、それでもあんなの――……どうしてあなた達はそんなに、そんなにも衝突してばっかりなんですか!!?? 一体何があったんです――……」
「ごめん、ごめんって。あんたの言う通りだからさ」
グロリアが気だるげに声を出す。その様子がシャーリーには納得行かない。さらなる説教をぶちまけようとさえ考える。
「本当にもう、いい加減にしてください、だいたいミランダさんが言いかけたあの女って――」
「……良いの? 追いかけなくって」
遮るようにグロリアが言う。
そのまま彼女は、親指でドアを示す。
「……」
シャーリーはそちらを向いた。
ミランダが出ていってから、まだ少ししか経過していない。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっっっっ……!!!!!!!」
シャーリーは一通りの激情をグロリアにぶつけようとしたが、やめる。拳を握って、顔を真赤にして唇を噛みしめる。
それから。
「ッあああああああああああああああああああああ~~~~~~~~っ!!!!!!!」
シャーリーは真上を向いて髪の毛をかきむしりながら吠えた。そのままドタバタとドアのほうに駆ける。
「……先輩っ!!!! ボクは行きますからね!!!!」
「好きにしなよ」
「――雨漏り!!!! せっかくダクトテープ買ったんですから!!!! ちゃんとしておいてくださいっ!!!! 分かりましたね!!??」
「はいはい」
「……~~~~~~~~~~~~~~っ」
シャーリーは気のないグロリアの返事にひとしきり文句をぶつけたくなったが、やめる。
間もなく彼女はドアを盛大に叩きつけながら外に出た。
それから、どたばたと階段を駆け下りる音が聞こえる。
――どこまでも若く、青く、純粋。
「……」
ぽた、ぽた。
雨漏りの済んでいない部屋。天井から雫が垂れる音が続く。
外は青い。真っ青。そのうち、ここすべてが水没してしまってもおかしくない。
――そんなことを考えてしまうほどに、グロリアの気分もまた、深く沈んでいるようなものだった。
まだ少し濡れている指先でシケモクを掴んで、火をつける。
「……」
それから、盛大にむせる。
苦い味が胸いっぱいに広がって、灰が周囲に撒き散らされる。
……片付ける気にも、ならない。彼女は座っている。
――シャーリーの言葉が、リフレインする。どこまでもまっすぐで。どこまでも『正しく』って。容赦なく忌憚なく、リピート再生…………。
「ああそうよ。全部その通りだっての――……くそったれが」
薄暗い部屋の中、彼女は一人毒づいた。
◇
土砂降りのストリートを歩く後ろ姿。路地に座り込んだ汚い身なりのモロウ達が、卑猥な言葉を彼女に投げつける――だが無視する。一人歩いていく。歩いていく。それ以降、彼女をかまう存在は居なくなる。
……一人を除いて。
「ミランダさんっ!!」
ばしゃりと地面を跳ねる足の音、それから声。
……ミランダは振り返る。
そこには、シャーリーが居る。息も絶え絶えに、膝に手をついた姿。彼女も傘をさしていなかった。ミランダの姿を一瞥すると、安堵したような顔をする。
「良かった……追いついた」
ストリートのど真ん中である。彼女らを鬱陶しげに避けながら、群衆が進んでいく。レインコート、それから傘の群れ。二人だけがフルカラーで、それ以外がすべて灰色になったような。
「あなた……傘は」
「いや、その……二人が濡れてるのに、ボクが濡れてないのも変かなと思って」
「何よ、それ……」
ミランダが眉をひそめる。それからまた、背を向けて歩き出そうとする。
「――待ってッ!!」
シャーリーが呼び止める。
「……そうやって、わざわざ私を呼び止める。以前のあなたなら、やらなかったことかもしれないわね」
ミランダは……笑った。泣く一歩前のような顔で。
「っ……!!」
「安心して。……作戦には出るわ。――あなたのためにもね」
彼女はそう言った。
その言葉尻が、どうしようもなく柔らかくて。それは、グロリアと衝突していた時からは想像もできないほどに優しくて。
……もしかしたら、それがミランダの本質なのかもしれなくて。
シャーリーの中で、何かが込み上げてくる。
それは一筋の涙となって、頬を流れる。
……ああ、また泣くのか。これではまた馬鹿にされる。
――いや、そんなことはどうだっていい。この人が戻ってきてくれるなら、泣こうが喚こうが、犬に小便を引っ掛けられようが、どうなったっていい。そう思わせるような……それだけのものを、ミランダは持っている筈なのに。
また、彼女は行ってしまう、行ってしまう。
黒髪をなびかせて、灰色の群衆の中へ、消えていこうとしてしまう……。
まるで、過去の中に埋もれてしまうように。
「あのッ!!!!」
もう一度、声を掛ける。
ミランダの動きが止まる――確信する。これで最後だ。
「その……過ごした時間、まだまだ短いのに、こんなこと言うのもおこがましいですけど……」
思い返す。
シャーリーのことを最初に気にかけ、その過去の断片に触れようとしたのはミランダだ。その動機に懐疑を向けたのもミランダだが、そこに気遣いが滲んでいたのも事実だった。
彼女と関わった過去が、流れていく。
シャーリーは、意を決して叫んだ。
他の誰かに聞かれても構わなかった。
「ボクはッ……ミランダさんのことッ――本当に、好きですからッ!!!!」
ミランダは、動きを止める。
だが、再び歩き出す。もう止められない。
シャーリーは、濡れ鼠になったまま叫ぶ。
「だから戻ってきてくださいッ……『仲間』としてッ!!!!」
しかし、ミランダは止まらなかった。
再び動き出す。遠くへ、遠くへ。
シャーリーの声は、届かなかった。
……それから彼女は、去っていくミランダの後ろ姿を見続けていた。涙に濡れながら。
その姿が、完全に灰色に塗り込められて見えなくなっても、そこにいた痕跡を、見つめ続けていた……。
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