フラグメンツ(外伝集)

キング・オブ・コメディ

 ――よう、そこの兄さん。手酌をするのに飽きたのなら、俺の話を聞いていかねぇか。

 ……俺の顔? そうだな。このイカれた奴らが集まる酒場でも目立ってしょうがない、我が愛しの『テレビ頭』について、気にならねぇ奴は居ない。あんたもそのうちの一人ってわけだ。

 肩が凝って仕方ない事やら、寝るときはコードを挿さなきゃならねぇ事やらを語ってもいいところだが、そんな瑣末事を聞くのもつまらんだろう。

 ……どうせなら、聞いていってくれや。なぁに、ものの五分で済む。

 こいつは、些細なほら話トールテールに過ぎないんだからな。



 今から十年前まで、俺は売れないコメディアンをやっていた。

 この稼業に乗り出した当初の志は立派なもんだった。笑いの少ないこの街に天使を降り立たせようって気持ちで、必死になってやってたもんだ。

 俺はコメディ界のセシル・B・デミルになるんだって、よく息巻いてたよ。毎晩、冷房もろくに機能しないあばら家で、女房に腕枕をしながらな。


 ところが、どうやら俺にはろくな才能ってやつがなかったらしい。

 俺はマルクス兄弟にも、バスター・キートンにもなれない。そんな現実が少しずつ足元から登ってきて、とうとう喉元にまで食いついてきやがった。

 はじめは甲斐甲斐しく俺を応援してくれていた女房も、いつしか俺に冷め始め――呆れという名のセルライトで身体を武装し始めたんだ。


 俺は苛立った。酒の量も増えたし、仕事をほっぽりだして街のロクでなし共に喧嘩を吹っかけることもあった。ここはロサンゼルスだ、心の寂しい奴はいくらでも居た。


 俺は自分を呪ったし、俺の笑いを理解しようとしないこの街を呪った。テレビではくだらないショーを毎晩のように垂れ流していて――そのたびに俺はバーテンダーにこう毒づいたもんだ。「おい、頼むからそのくだらねぇよもやま話を消してくれ。俺のほうが、いくらか上等な喋りを聞かせてやれる」ってな。

 だが連中はまるで理解しない。あのくだらない、四角くて人間味のない、赤い液体を一滴も流さない箱に夢中で、俺の身振りにも、足捌きにも全く関心を示さなかった。挙句の果てには、バーの客の一人に言われたよ。「兄さん、目を回すのに飽きたなら、とっとと店の外に行ってヘドをぶちまけたらどうだい」ってね。


 ひどいもんだった。世界はクソッタレだった。だがそれ以上に、俺自身がクソッタレだった。そいつを分かっていたからこそ――俺は荒れた。荒れ果てた。


 この街にやってきた当初の輝きなんてものを一切なくしちまった俺にとって、残されたのは女房だけだった。だから俺はある日、いつものようにあらくれどもと喧嘩し、深酒をたっぷり食らい込んだ後、ヴォードヴィリアンぶった脚さばきで家に帰った。そして嘆くつもりだった。おい、どうやら俺は本当に馬鹿らしい。それでもお前は、俺を許してくれるか、おい、お前――ってな。


 ……ところが、だ。

 俺は見ちまったのさ。

 女房が、他の男と寝ちまってるところを。


 そこからのことを、俺はよく覚えちゃいねぇな。

 手にガラスの瓶を持っていたから、そいつの切れ端でどこぞの下らねぇ男……みすぼらしい身なりの、入れ墨をした若い男を殺そうとしたこと。そして、そいつが銃を構えていたから、すっかり及び腰になっちまったこと。

 なにより、記憶に焼き付いていたのは。

 女房が欠片も動揺せず――俺を冷めた目で見ていたことだ。

 ……『こうなったのも当然でしょう。あんたはちっとも笑えないんだから』とでも言うように。

 なるほど、反論なんか出来るわけがねぇよな。

 でも俺はとにかく、何もかもが情けなくなって、惨めになって――その場で暴れてやろうとした。結果なんざ知ったこっちゃなかった。コメディなんてくだらねぇ、笑えるのは俺の現状だ。そんな現実、何もかもぶっ壊してやる――そう思った。


 ……そんな時に、『あの出来事』が起きたのさ。

 天と地が分け隔てられて、電波塔のキリスト様が空から大量のナイフを降り注ぎあそばれたあの事件が。


 ……本当に、あっという間だった。


 俺の脳天にナイフが刺さった。間男は地震の衝撃で家具の一部に突き刺さって死んだ。そして女房は――それに巻き込まれて、血を流しながらぐったりと倒れていた。息をしていた……だが、今にも死にそうだった。

 俺は目もくらむような激動の中で、ただ必死に女房に手を伸ばしていた。

 お前が居なくなれば、俺は何をしていけば良いんだ。頼む、死なないでくれ、お願いだ――。

 おそらくその頃には既に、俺の頭はおなじみの『テレビ頭』に変わりつつあったんだろうが。そんなことを考える余裕はなかった。

 俺の中には、女房だけが居たんだ。だから、手を伸ばした。伸ばし続けた。

 だが、電波塔のキリスト様は俺をお救いになる気はなかったらしい。

 倒れた女房に手を伸ばしたまま、俺は意識を失った。


 そしてしばらくして、全てが明らかになった。

 世界は、変わり果てちまった。


 カートゥーン顔負けのバケモノ共が街を跋扈して、世界の変化を呪って何もかもを破壊する。太陽の光に溢れていたロサンゼルスは、常にどこか薄暗い、そんな街になっちまった。アンダーグラウンド? そんな名前は知らねぇな。俺にとっちゃ、ロサンゼルスはいつまでたってもロサンゼルスだ。


 俺が、俺の愛嬌たっぷりの顔面が、あの忌むべきテレビそのものに成り果てちまったという現実に対して、何度かの嘔吐と何度かの自殺未遂を経て、ようやく受け入れ始めた後で……女房の存在に行き当たった。

 そうだ、あいつはどうしてるんだ。あいつは、あいつは生きてるのか。


 俺は混乱の続く街で、病院を駆け巡った。なるたけ丁寧に、ときに言葉を荒げて、使えないインターンの若造をなじりながら。女房を探し回った。最悪の場合、死体に対面することも頭に入れていた。それでもよかった。とにかく、女房の姿を見たかったんだ。


 ……それで俺は、女房を見つけた。

 彼女は、生きていた。

 ただし、かつての自分をほとんど見失った状態で。


「……体組成が変容することはなく、人間のままです。それはこの街では幸運かもしれませんが……」

 奇妙な動物の頭部を持った医者が、歯切れ悪く言う。

 俺の目の前、ベッドの真ん中には、よだれを垂らして、焦点の合わない目で窓の外を見つめながらうーうーと唸る女房の姿がある。

 医者の説明はそれ以上は要らなかった。現実ってやつが、何もかもを物語ってたからだ。

 だから俺は医者の胸ぐらを掴んで殴りつけることもなかったし、傍らの看護婦に卑語を投げつけることもしなかった。

 そのかわり、ひどくバツの悪そうな態度をとっている彼らを病室から追い出した。俺にしちゃ、至極丁寧に。


 ……そして俺は、女房と向き合った。

 俺の身体から力が抜けて、彼女に五体を投げ出すような姿勢になった。

 ――なぁ。なんとか言ってくれ。愛なんて囁かなくたっていい。俺の現状を詰る言葉でもいい。

 とにかく、お前の言葉が、目が、欲しい。

 俺の全ては、お前のために始まったんだから。

 ――だが、目の前の女房だったモノはただ口の端にあぶくを浮かべながらあぶあぶと唸るだけ。その目には何も映っちゃいなかった。窓の外の景色すらも。


 情けなかった。たまらない気持ちになって、泣きたかった。

 だが俺の顔はテレビだったから――そんな機能なんてないし、もし仮に涙なんか流れちまったら最後、頭の中が全部ショートしてイカれちまってたかもしれない。

 

 だから俺は……身体を脱力させて、後方へ倒れ込みそうになった。


 その時だった、俺の頭のスイッチが偶然入って、顔の正面が忌々しいテレビ・ショーを映し出したのは。


 俺はパニックになって、その画面を消そうとした。くそったれ、女房の前だぞ。女房の前で、俺の嫌いなものを出すな。ふざけた役者共、ふざけたナレーション、ふざけた脚本、何もかもが胸糞悪い、畜生、消えやがれ、ああ、腕が回せねぇ――。

 俺は苛立って苛立って、顔面を破壊しようかとさえ考えた。だが、そいつは取りやめになった。


 女房に変化が起きていた。

 いつの間にか彼女の顔が、窓から正面に向いていたからだ。

 そして――紛れもなく、俺の方を注視していたからだ。


 ぼんやりと、しかし確実に……その目は、テレビ画面に注がれてた。


 俺は何がなんだか分からなかった。

 でも次の瞬間に何もかもが変わって、何もかもを悟った。


「あは、は」

 女房は――笑った。

 笑ったんだ。俺の顔のテレビ画面が映し出す、低俗なバラエティ番組を見て。

 子供のように口を開けて、表情筋をほころばせて。

 たしかに、笑顔になったんだ。


 はじめは、それが何を意味しているのか分からなかった。

 だが――医者が病室に駆け込んできて、俺に対して何故か感謝の言葉を述べながら、女房にニコニコと振る舞っているのを見ているうちに、俺の中にこみ上げてくる実感があった。


 ……女房が、笑った。


 俺の映し出している、俺のものではない笑いで、笑ったんだ。


 その現実を受け入れた時、俺の中の何もかもが変わった。

 そして、過去のすべてが、徐々に燃えてなくなっていった。

 次々と、灰になっていったんだ。



「あははー、あは、あはは」


 そこから先はシンプルな話だ。


 俺は毎朝女房の病室に行って、テレビの画面をつける。

 すると子供に戻った女房が、涎を振り回しながら狂喜する。


 彼女は俺のコメディで笑ってくれたことはなかった。

 だが、今、俺の映し出すモノで笑ってくれている。


 そう、その時から俺は彼女にとっての――笑いの王様キング・オブ・コメディになったのさ。


 どうだい? 実によく出来た話だろ?


 なーに、だから言ったろう、くだらないほら話だって。お前さんはこいつから何かを教訓として得ようとする必要もねぇし、俺のことを明日になって忘れちまっても構わない。


 だけどな、こいつだけはそう悪くねぇ教えなんじゃないかって思う。

 だから、言わせてくれや。



 ――この街のカミサマは、皆から希望と背伸びを奪うかわりに、妥協と諦め、それから身の丈に合った夢ってやつを与えてくれたんだってことを。


 そう考えると、俺達に起きたことも、案外悪くねぇって思うだろ?


 ま、それだけの話さ。

 

 おっと、酔いに任せて、俺の電源をオンになんてしてくれるなよ。

 この店の連中が皆俺の方を向いちまって、俺はいよいよスターになっちまうからな。

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