インサイド・アイドラトリー #1
『みんな〜! 今日紹介する商品は〜? マニア感涙の新たなテック! どんな悪路や水の上だってへっちゃらの最強移動手段! 反重力ホバーバイクH60-492だ!』
極彩色のテロップと共に現れる流線的なホバーバイクのオブジェクトを背に、3Dモデルの美少女が合成音声を振り撒きながらぴょんぴょんと跳ねる。胸元に輝く七支刀のエンブレムに、赤青ツートンのツインテール。電子的な意匠が施されたホットパンツに身を包み、無機質な空間を縦横無尽に動き回る彼女は、アルカトピア屈指のメガコーポ『草薙製作所』所属のバーチャル・アイドル、天野イワトである。
中央エリアの広告ビジョンから街を行き交う人々が眺めるスマートフォンまで、或いは大手メディアのコマーシャルからインターネットの片隅まで。大規模な広告戦略によって誰の目にも届くようになったその存在は、徐々に人気を獲得し市民権を得つつあるのだ。メガコーポの企業イメージを維持し、対外的な技術力のアピールを行う。家電の製造から兵器の開発まで手掛ける(株)草薙製作所の新たな試みだ。
「……いや、マジで可愛くないですか?」
「お前、まだ見てんのかよ……。いいから手動かせ、な?」
明滅するLEDの光は極彩色で、モニタから放たれるブルーライトが暗い壁を照らす。この部屋に窓はなく、床を這うように張り巡らされたケーブルが狭い部屋をより狭くしていた。ここは雑居ビルの地下二階、経営破綻したバーを居抜きで買い取った“彼ら”の溜まり場である。
ロットは革張りのソファから起き上がり、買ったばかりの薄いジャケットを羽織る。スマートフォンから漏れ聞こえる合成音声めいたイワトの声を耳に、彼は薄笑いを浮かべて立ち上がった。眼前でキーボードを叩いている“師匠”の仕事を手伝うためだ。
「どうっスか、首尾は?」
「デカい企業はセキュリティも厳しいが、雑魚みたいな企業は実入りが少ねぇな。小遣い稼ぎにもならねぇし、ここらで大きいトコ狙うか……?」
師匠はドーナツを片手に、猫背でモニタを睨み付ける。極度の肥満体で背を丸める姿はアルマジロを連想させ、細身のロットと対象的なフォルムである。頭脳労働と言い張って運動を拒むとこのようになるのだ、とロットは常々思っていた。
「最近はどこもコンプライアンス意識高いっスもんね。社外秘のリークをやる奴なんて減ったし、セキュリティの脆弱性を突いて直抜きするのもなぁ……」
「メガコーポ様は取引もイントラネットだ。企業スパイとして堂々とオフィスに乗り込んで物理ハックでもしなきゃ、重要な情報なんて抜けねぇよ」
モニタにはプログラム・コードの羅列と01信号で構成された金鉱が眠っている。師匠は掘り出すためのピッケルを手に、その岩盤の厚さに溜め息を吐いているのだ。彼らはクラッキングを生業にする、無軌道なハッカーだった。
「で、なんだっけ。天野イワト? お前、いつも見てるよな。どこが良いの?」
「世界初の“人工知能搭載バーチャルアイドル”っスよ!? キャラデザも宇宙一可愛いし、所作なんか天真爛漫な女の子〜って感じで! この前の地上波出演なんて……」
「あー、もういい。俺が悪かった! にしても、お前は相変わらず
師匠は脂ぎった髪を束ね、アブストラクトな模様の服を着ていた。流行のファッションに気を使うロットと異なり、身なりに頓着しないのだ。
「いいか、ロット。外見はな、いくらでも変えられるんだよ。ヒトは美容整形だってできるし、機械は外部の装いを剥がせばただの基盤とコードの集合体だ。お前の大事にしてる外見ってのは、代替可能なマクガフィンで……」
「全てのものは本質に皮を被せた人形だ……でしたっけ。もう聞き飽きましたよ、そのくだり!」
「だから俺はな? お前に中身のないドーナツみたいな人間になってほしくなくてな……」
「それとイワトちゃんに何の関係があるんスか!?」
師匠の啓蒙を遮り、ロットは箱のドーナツに手を伸ばそうとするが、その手を叩いて師匠は言葉を継いだ。
「よく見ろよ。こんなもん、ただのフレーバーだ。世界初の人工知能アイドル? フルCGのモーション? まったく、メガコーポって感じの欺瞞だよな〜ッ!」
「いや、何言って……」
「声もライブラリからの合成音に聞こえるが、それにしては流暢すぎる。言葉の継ぎ目が滑らかすぎるんだよ。それっぽい加工をしてるだけだから、俺にかかれば剥がして正体を暴くことだってできる」
「何言ってんスか、師匠……?」
「待てよ。この声って……」
ロットの静止を無視し、師匠は過集中状態に自らを追い込んでいた。一心不乱にキーボードを叩き、時折何かを思い起こすように呻き声をあげる。数分の作業の末、彼は達成感に満ちた表情でロットに耳打ちをする。
「なぁ。天野イワトの正体、知りたくないか?」
「正体、って! イワトちゃんはイワトちゃんっスよ!!」
「世間のバカどもは騙せても、俺は騙せないぞ……? とんだセキュリティ・ホールだな……草薙製作所!」
こうなった師匠は止められない。ロットは経験則でそれを理解していた。それでもなお、口を挟む気にはなれない。おそらくこの仕事を手伝わされるのだろうが、なるべく情報は耳に入れないでおくべきだ。ファンとしての本能が、そう告げていた。
* * *
「ということで、ご視聴ありがとうございましたー!」
「……カット、OKです!」
複数のカメラが周囲を取り囲む撮影スタジオの中で、少女は大きく手を振った。モーションキャプチャ用のトラッキングスーツを装着し、シンプルな白磁の背景はスタジオの広さを強調する。カメラとマイクを除けば、この空間に彼女以外は存在しない。ある種の密室である。
「あっ、撮影終わり? お疲れ様〜」
それまでの大きな動きと異なり、彼女はスイッチを切り替えるように気怠げな笑いを浮かべる。小型のイヤホンから聞こえるスタッフの声を確認し、大きく背伸びをした。
彼女のコードネームはレミニセンス、或いはクロム。数ヶ月前まで引きこもりだった少女だ。ほとんど社会経験のなかった彼女は今、紆余曲折の果てに大企業のバーチャルアイドルに魂を吹き込んでいる。モーションアクターとボイスアクターを担当する、プロジェクトの要だ。
彼女は支給された社用スマートフォン端末を操作し、画面に表示されたデジタル入社証をかざしてスタジオのドアを開ける。彼女は草薙製作所の正式な社員ではない。人材派遣会社〈ベルルム〉から派遣された、このプロジェクトのために招集された人材である。
入社証に表記されている名は『田丸シノ』。本名とはいえ、未だに慣れない。その名を最近まで呼んでいたのは家族か脳内に潜むピンク色のウミウシくらいで、自分の意志で名乗ったクロムという名への思い入れは消えずにいるのだ。そのためか、彼女はこの仕事に対してあまり乗り気ではなかった。
「終わったよ、インペリウム〜」
『……ここではチャールズ・ビットと呼べ、田丸シノ』
「クロムな! ク・ロ・ム! 美少女の本名を気軽に呼ぶな機械頭!」
体に張り付くようなトラッキングスーツから私服のパーカーに着替え、口元を隠すように黒いウレタンマスクを着ける。複数の名を持つ彼女をただの美少女に留めるための服装だ。更衣室からエントランスを抜け、無数の社員で溢れ返る本社ビルから退社する彼女は、イヤホンから聞こえるプロジェクト責任者の声に強い口調で言い返した。
『そろそろ慣れろ、田丸シノ。それに、クロムの名は今は使わないという契約だろう。どこで聞かれているか……』
「はいはい、わかってますよ〜。確かに“クロム”は配信者名義だもんね。プロジェクトが軌道に乗るまで配信者としての私は活動休止。天野イワトという着ぐるみに入って、私の美少女性が世に出ることはない! これ、別に私である必要なくない!?」
『プロモーションの為のリスクヘッジだ。天野イワトという偶像の神秘性を高め、君も余計なしがらみに縛られることはない。ベルルムの業務の中では危険性の少ない、君に最も適した仕事だ。……他に言いたいことは?』
「うっさいバーカ! こっちでは上司でもベルルムでは同じ立場だからね!? まったく、冷血機械頭は人の心の機微とかわからなさそうだもんなー!」
『解る必要があるか?』
「……もういいよ!」
シノは小さく吠えた。納得がいかないことをぶつけても、通話相手に通るとは思えない。ベルルムきっての堅物であり、四角四面なワーカホリック男であるインペリウムを言い負かすのは今の彼女では不可能だと考えたのだ。
彼女は通話を切り、排気ガスの混じった夜風で自らをクールダウンしようと静かに息を吐いた。地下鉄の駅に向かうまでの数百メートルを歩きながら、自らの渇望の正体を探り続ける。彼女が見上げた視界には、青白く輝く月を遮るように巨大なハイウェイの高架が横切っていた。
一方のインペリウムは、草薙製作所本社の薄暗いサーバールームで黙々と保守作業を行っていた。サーバーの保守は彼が数週間前まで子会社で行っていた作業であり、本社でも『サーバールームの番人』の面目躍如であった。彼は誰とも対面でコミュニケーションを行うことなく、ただ一人で黙々と社内ネットワークを管理しているのだ。そして、彼の仕事はもう一つある。
デスクに置かれたエナジードリンク缶の飲み口を自らの頭部に押し当て、缶の中身が消失したことを確認する。精密機械めいた立方体の頭部に青色のLEDが縦に三個付いた異形の頭部は、人間と同じように食物を分解可能だ。インペリウムは空の缶をデスクに積み上げ、即席のタワーを作った。
「……24連勤目。田丸シノの声は、やけに響く」
インペリウムは側頭部の集音マイクから伝わる信号をモニタに書き出し、少しづつ波形を整えていく。音節を切り取り、ライブラリに並べた音声素材に特殊なフィルタを通す。貴重な天野イワトの音声素材の完成である。
「喜べ、君の役目はじきに終わるさ。僕も、コンテンツの属人化は望んでいないのだよ」
本社のPRプロジェクトを管轄する業務を引き受けた時、インペリウムは完全な
ぎこちない動きをする初期モデルは人気が出なかった。自動生成した声帯もどこか違和感があり、その状態でアイドルに人工知能を搭載するなど以ての外だったのだ。苦慮の末、彼は同僚であるクロムに初期テスターとしてのフィードバックを期待した。
これが人気を博してしまったのである。クロムは元配信者であり、人を惹きつける才能があった。知名度不足で彼女の元のファンは数えられるほどしか居ないのが功を奏し、インペリウムはすぐに彼女の配信を休止させた。余計なトラブルの原因を絶ったのだ。
音声を複雑に加工し、ライブラリと化した波形の集団に並べる。あとは人工知能の調整を追えれば、天野イワトは完璧に人の手を離れるのだ。セキュリティ的な問題が何もない、人の手から離れた完璧な偶像。
インペリウムがそのような理想に浸っていた最中、手元の社用端末が震えた。上層部からの緊急通達だ。
「……どうされました、轟木部長?」
『ビット君! き、緊急事態なのだよ! 幹部会用のルームに来てくれ!』
性急な声色とともに送られたファイルは、草薙製作所のカスタマーサービスに送付されたメールの転送データだ。製品へのクレームから悪戯目的の怪文書まで届く雑多な集積の中に、一際目立つ文字列があった。
【御社の秘密を握っている。タイムリミットは24時間。見合う額を用意し、指定の場所に置かれたし】
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