ウィー・アー・ストレンジャー・ライク・エイリアンズ #3

 コンクリート床は輝く菌糸に埋め尽くされ、足を踏み入れれば沼めいてぬるりと纏わりつく。ルーヴィンは靴が汚れるのも気にせず、中心部へ駆け出した。

 巨大な繭には薄くヒビが入っている。羽化を前にした蚕のようだ、とルーヴィンは思った。だが、羽化を待つことはできない。それまでのスバルが別のモノになってしまう危機感を感じたのだ。


「スバル、帰ろう。落ち着くんだ……」

『近付かないで……ッ!』


 繭の中から響く声は、悲痛な色を秘めていた。彼はそれに拒絶の意を感じ、硬直したように立ち止まる。スバルが発したことのない感情なのだ。


『スバルは、怪物なんだ。力が制御できずにこんな事をやってしまうし、今の姿だって人間じゃない。こんな姿、ルーヴィンに見せられないよ。こうなる前に離れようとしたんだよ……ッ!』

「……あの時言っただろ? 君が何者でも構わない、って」

『ルーヴィンは、綺麗なスバルが好きなんだよね? 絵のモデル、楽しかったよ』


 ルーヴィンは沈黙した。自身でさえ、答えが出せないのだ。見ていたのはスバルの虚像で、中身からは目を逸らしてきたのではないのか? そんな不誠実な態度が、スバルを追い詰めたのではないのか? 綺麗事の言葉が、咄嗟に浮かばない。彼はどうしようもなく悔やんだ。


『……それ、自分で止められない感じか?』


 バイクを降りたタシターンは、鉄パイプを所在なげに弄びながら足元の菌糸を踏み潰す。その瞬間、スバルの声色に敵意がこもった。


『近付くな。元はと言えば、お前が来なければこんな事にはならなかったんだ……』

『大方、同族の気配を感知して暴走のスイッチが入った感じだろ。ここがアルカトピアなら毎日暴走してたんじゃないか?』

『黙れ……ッ!!』


 繭が破れ、菌糸が外殻へ吸収されていく。地鳴りのような鳴動と共に現れるのは、巨大なはねを持つ人型の昆虫である。翅の内側は銀河めいた暗い藍色で、滑らかな肢体は妖精めいて白く輝いていた。

 鱗粉が巻き上がり、日光を遮る。仮初の夜に、巨体が晒された。

 飛翔による風圧か、引力の変動か。タシターンは空中に投げ出され、マンションの屋上から自由落下した!


「タシターンくんッ!?」

『…………ッッ!!』


 タシターンは落下と同時に能力を行使! 衛星のように周囲を旋回する廃棄家具を引き寄せ、着地の衝撃を吸収するクッションを創り出す! キャビネット破砕! ガラステーブル破砕! キングサイズベッドに着地!

 家具の破片が宙を舞う。タシターンはそれを引き寄せ、背後のベッドも引き寄せた。推進力が反発を生み、彼は跳躍した!


『分かった、根性叩き直してやるよォ!!』


 鉄パイプを着地地点に突き刺し、タシターンは跳躍の衝撃をコンクリートに逃がす。そのまま階下を一瞥し、破砕した倒壊した部屋の跡地からキャンバスと筆を引き寄せた!


『ルーヴィンさん、今できる事を全うしてください。描きたいんですよね?』

「……良いのか? それで、解決するんだな?」

『少なくとも、答えは出るはずです。時間稼ぎは俺に任せて、創作意欲を爆発させてください!』


 鉄パイプは歪み、今にも折れそうだ。タシターンはそれを構え、スバルに向けた。


『どうする? 選択肢を選ばせてやるよ。お前は暴走したままここで野垂れ死ぬか、暴走を解除する方法を俺に尋ねる……』

『信用できるわけないだろ? スバルだって暴走を止めたいんだ。できるなら、姿を変えてもう一度ルーヴィンと過ごしたい。でも、この正体を晒したら……まるで意味がないじゃないか!』

『止めてやるよ。俺と、ルーヴィンさんが。愛の力なんて信じた覚えはないが、ラブストーリーは映画の王道だ。異種族同士の愛、上々! そのために、まず叩いて大人しくさせるんだよ!』


 剣道の打ち合いめいた交錯を鏑矢に、カイコガめいた翅に業物が打ち込まれる。鉄パイプは容易く折れ曲がり、L字に変形した!


『他のディークに会えば、身の振り方もわかるかもな。俺もそうだったし……』

『どうだっていいッ! もう、擬態に意味なんかないんだ。スバルは人間になれなかった。それだけなんだよ!』

『……勿体無い。せっかくのヒトの身体なのに、自分から捨てるとはな』


 舞い散る鱗粉に身を屈め、タシターンは跳躍する! この状態で引力が反転したとしても、その中心であるスバルが影響を受けることはない。即ち、最接近こそが最大の護身なのだ!

 武器を放り投げ、タシターンは宙に浮かぶディークノアに蹴撃を見舞う。ミサイルめいた速度で繰り出される、スクリュー式ドロップキックだ!

 スバルはその身体に力を込め、ドロップキックを防御した。しかし、集中したのは前方だけだ! 後方からブーメランめいて飛来する鉄パイプは、タシターンの能力によって直線軌道のまま背面に襲いかかる!


『武器を持ち、頭を使う。人間らしい戦い方って、こういうのだろ?』


 絵筆を握り、ルーヴィンは黙々とキャンバスに叩きつける。目で見える景色を頭で描くのではなく、脊髄反射めいた速度で腕を動かすのだ。脳細胞が急速に働き、分泌される脳内麻薬が疲労を一時的に忘れさせる。動機は、『これを描かなければ』という使命感だ。

 油彩点描画のテーマは、巨大なカイコガである。マンションに繭を創り、羽化して飛び立つ瞬間だ。その神話的光景は、つい先ほど目にしたものなのだ。


 丁寧でなくてもいい。とにかく、溢れる情熱を発散しなければ。ルーヴィンは泥めいて減速する時間の中で、自らの価値観と対話を図る。

 この美は、ヒトの姿のスバルと同質なのだ。姿形は大きく変わっても、銀河のような翅の色は、男とも女ともつかない蠱惑的な表情は、同じ源泉から湧き出した物なのである。


 最後の一点を叩きつけ、ルーヴィンは肩で息をした。時間の流れが元に戻り、視界には交戦中の二者の姿が映る。

 止めさせなければ。ルーヴィンはキャンバスを掲げ、力の限り叫んだ。


「スバル! お前が何者でも、こうして綺麗なことは変わらないじゃないか! どんな姿だって、どんな種族だって、お前はお前だ。私は、そんな異邦人スバルを愛してるんだよ」


 戦闘が止まった。タシターンは吹き出し、スバルは硬直している。


『ずいぶんストレートな愛の告白だな……』


 ルーヴィンに、恥じらいはなかった。心から浮かんだ言葉はストレートで、言い訳のしようが無いほどだ。それでも、この興奮を形にするにはもっとも適した形なのだ。

 疲労がピークに達し、ルーヴィンは膝から崩れ落ちた。手から離れるキャンバスを掴んだのは、スバルだ。暴走を止め、人間の姿で涙を流しながら笑っている。


『いつもより雑だけど、一番好きな絵だ……!』


 気を失ったルーヴィンを安全な場所へ運び、スバルは屋上から階下を見下ろす。能力の解除によって制御を失った家具たちが、砕け散って広がっている。じきに住人たちも目を覚ますだろう。


『これ、地震として揉み消されんのかな……。局地的にも程があるぞ?』


 呟くタシターンに重ねるように、スバルは声を発する。


『着いていけば、もうこんな風にはならないんだよね?』

『いいのか? ルーヴィンさんだって受け入れてくれたのに、自分から離れて……』

『ルーヴィンが良くても、スバルは納得できない。もっと、ちゃんとしたやり方があるはずなんだ』

『そうかい。まぁ、所詮これも短期の仕事だよ。帰ってきたら、また会えればいいな』


 タシターンがバイクの発進準備をしている間、スバルはタシターンの顔を覗き込んだ。しばらくは見納めなのだ。思いついたように絵筆を握ると、キャンバスの裏地になんらかの言葉を書き添えた。

 咆哮めいたエンジン音が響く。スバルはタンデム走行の準備をすると、タシターンに声を掛ける。


『ちなみに、スバルはどこに連れていかれて、何をすればいいの?』

『……アルカトピア中央だ。戦争、だとよ』


    *    *    *


 高層タワーマンションの最上階、大理石を基調としたペントハウスで、ルーヴィンは創作に耽っていた。

 本来なら、二人で住むはずだった部屋だ。そのために慣れない金銭交渉をし、金を貯めできたのだ。彼の人生の目標は大方達成できたはずである。

 それでも、彼は筆を動かす。これは、約束なのだ。


 壁に掛けた二つの絵は、彼が唯一非売品としたシリーズだ。一つは蠱惑的なモデルが微細なタッチで描かれ、もう一つは巨大な翅の昆虫めいた生物が荒々しく描かれている。

 キャンバスの裏に書かれた「いつか帰る」の文字は、恋人が彼と課した約束だ。そのために、ルーヴィンは自身が嫌う消費社会の只中へ舞い戻ったのだ。


 大きな窓から外を眺めれば、この国の経済の中心たる街の夜景が広がっている。企業群の所有するオフィスビルは深夜だというのに灯りが消えず、その周囲を囲むハイウェイはいつも渋滞中だ。その下の歓楽街には、猥雑な極彩色のネオンがぎらぎらと輝いている。

 この新築されたばかりのタワーマンションは、それら全てを見下ろすほど大きい。宣伝文句は『天にもっとも近い』。買った当初は、宙に手を伸ばすための足掛かりだった。

 だが、今は違う。ここは目印なのだ。この街のどこにいても、この街に何が起こっても、全てを目撃することができる。


 空には、あの日と同じ満月が燦然と輝いている。月明かりを背に、彼は作品を完成させた。

 彼が恋人を見つけるように、恋人も彼を見つけやすいように。欲望が渦巻く街で、有名になる必要があるのだ。

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