ウィー・アー・ストレンジャー・ライク・エイリアンズ #1

 遠くの喧騒を置き去りにしてきたかのように、コオロギがコロコロと鳴いた。開け放したカーテンからは緩やかな夜風が吹き、大きな月を鮮明にさせる。五階建ての公営住宅のメリットは、見晴らしがいいところだ。


 月明かりに照らされて眠るスバルの額を撫で、ルーヴィンは油絵の具に手を伸ばす。キャンバスに写ったスバルの身体は、本物と見紛うほどの引き締まった裸体だ。一見して性別のわからない、奇妙な風格がある。

 ルーヴィンは几帳面に剃った髭を弄りながら、繊細な手つきでキャンバスの絵を完成させていく。そのひと時が、彼にとっては無二の幸せだった。


 満月の空に飛行機が被さり、小さな影を残した。翼端灯が赤いラインを空に描き、ゆっくりと月に向かっていく。ルーヴィンはその風景を眺めながら、スバルが先刻言った言葉を脳内で反芻させていた。


 郊外の公営住宅にアトリエを建てたのは、ルーヴィンが中央での生活に親しみきれなかったからだ。せかせかと時計を気にしながら、稼いだ金を大企業の宣伝する商品につぎ込む。それを繰り返す人々を、ルーヴィンは冷めた目で見ていた。所詮自分は異邦人ストレンジャーである、という自己認識は、移民国家であるアルカトピアでさえ強力な枷になっている。

 あえて友人との関わりを断ち、狭いアトリエで創作に耽っていた満月の夜、ルーヴィンはスバルと出会ったのだ。


 スバルは寡黙だ。駐車場で倒れていたあの日から、自らの素性をほとんど語ろうとしない。

 スバルは無欲だ。何か欲しいものがあるか尋ねても、黙って首を横に降る。

 スバルは、何より美しい。姿も、声も、中性的な存在である。その均衡のとれた身体は男女問わず様々な人を魅了させ、アーティストには創作意欲を掻き立たせる。ルーヴィンはスバルと何度となく愛を確かめながら、自らの最高傑作を完成させようとしていた。


『スバルは人間じゃないから、キミと一緒にいられなくなるかもしれないんだ』


 ベランダで林檎をかじりながら、スバルはぶっきらぼうに呟く。ルーヴィンはその様子をキャンバス越しに見つめ、胃が収縮するような感覚に襲われた。脳内に浮かぶたくさんの疑問も、心の奥底で奇妙な納得に変わる。スバルが人間でないなら、人間離れした魅力さえも納得できるのだ。


「構わないよ、君が何者でも。天使でも悪魔でも、宇宙人だったとしても構わない。どうせ、俺もここに馴染めない異邦人なんだ……」


 ルーヴィンは黄昏れるスバルの肩をそっと抱き寄せ、背中越しの心音を感じる。鼓動が静かに同調していき、混ざり合うような感覚を覚える。こうして肌を重ねている間は、スバルが何者であっても構わないと強く思えるのだ。


    *    *    *


『今回の作品もとても良い物だった。幻想的で、耽美で、モデルの蠱惑的な質感がよく描けている。相変わらずのクオリティだ!』

「感謝します。で、報酬ですが……」

『君と私で3:7だ。これ以上は私の生活も危ういのでね……』

「逆です……。7:3。それが呑めないなら出品は無かったことに……」

『……交渉決裂だなッ!!』


 画商が憎々しげに電話を切ったのを確認し、ルーヴィンはメモ帳の連絡先リストに線を引く。六件目も失敗だ。顧客に直接販売できれば良いのだが、知名度も何もない絵描き風情が行動を起こすのは、やはり不可能に近い。

 一応開いているネット販売用のメールボックスを開き、彼はコーヒーを淹れるためにキッチンに向かった。ソファで退屈そうにあくびをしているスバルの分までマグカップを用意し、インスタントコーヒーを淹れ終わった直後、通知音が響く。


「スバル、誰から?」

『はん、はと? 斑鳩って人!』

「ハン・ハト……?」


 怪訝に思いながら、ルーヴィンはメールを開く。斑鳩いかるがという名の差出人だ。


「なるほど、都内のお偉方か。……言い値で買う!?」


 机に突っ伏して笑うルーヴィンの様子を見て、スバルは楽しそうに微笑んだ。彼はスバルとハイタッチをすると、即座に価格交渉の準備を始める。


 かつてのルーヴィンなら、小手先の金稼ぎを嫌っていただろう。しかしながら、今の彼には強い目標があった。そのために必要な資金を調達するために、彼は慣れない強かさを発揮しているのだ。


 斑鳩と名乗る顧客は、直接の受け渡しを望んでいるという。事前に指定した代金を携えてやってくる部下に作品を渡すために、ルーヴィンは希望額とアトリエの住所を書いたメールを送信した。あとは円滑な取引を祈るだけだ。


 外は澄んだ空気と冷たい風が広がっている。冬の足音が徐々に聞こえていた。年が開けるまでに、目標を達成したい。彼は常々そう考えていた。


『スバルは人間じゃないから、キミと一緒にいられなくなるかもしれないんだ』


 あの言葉を聞いてから、既に二ヶ月が経っていた。ルーヴィンは未だにあの言葉の真意を図りかねている。


 火を吐くような排気音が階下に響いた。駐車場の方を眺めれば、見慣れないチョッパーバイクが視界に映る。

 運転手であろう大柄の男は、数分後にアトリエのドアを叩いた。ルーヴィンはドアチェーン越しにその姿を確認し、わずかに驚嘆する。

 囚人服のようなボーダーのシャツにジャケットを羽織った大柄な男だ。その風体に似合わない黒いビジネスバッグには、社章めいた金の刺繍が施されている。


「やけに到着が早いな……即日だぞ?」


 そう言ってスバルの方を何気なく振り向くルーヴィンは、同居人の奇特な表情を目の当たりにする。


『ついに来たんだ、迎え……』

「スバル……!?」


 足下でマグカップが割れている。スバルは零れたコーヒーなど意に介さず、ソファの上でガタガタと震えていた。ルーヴィンにとっては知らない表情だ。いつもは美しい顔が、恐怖に歪んでいる。


『ルーヴィン、ダメだ……。開けちゃダメだ……!!』

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