ウェルカム・トゥ・アルカトピア #3

「貴方には期待しているんですよ、ポーラスターさん?」

「……その件なんですが、少しお話ししてもいいですか?」


 1ヶ月前、人材派遣会社〈ベルルム〉内のラウンジにて。

 ナイトクラブを改築した事務所に残るピンボール台を試遊しながら、ピエロ面の小男はポーラスターに向き直ることなく発言を促した。彼の所属先の上司である、人事部長のカワードである。


「そろそろ、草薙製作所ほんしゃに帰らせてもらうわけにはいきませんか? 出向とはいえ、こんなものを彫るとは思いませんでしたよ……」


 ポーラスターはカワードに手甲を向け、おずおずと尋ねる。彫ったばかりの刺青が痛々しく皮膚を這っていた。


「出向ではなく、ヘッドハンティングですゥ。有能な貴方に最適な仕事だったでしょう? 実際に、ディークも定着したんですし」


 ポーラスターは目を瞑る。要求を通すための最適なルートは、このまま会話を続けることらしい。〈失敗しない生き方〉を標榜する彼にとって、この能力は意思決定に重要な意味をもたらしていた。


「草薙に帰るよりも、ここではもっと良い稼ぎが眠っているんですよォ? 最近生まれたばかりのお子さんの育児にも、お金は何かと入り用でしょう。……この仕事は、貴方にとって天職だ。こっちに本腰を入れるように、転職をオススメしますゥ」


 遠回しの脅迫だ。ポーラスターを含めた全社員の個人情報を、カワードは握っている。本人の趣味嗜好から妻子の有無、実家の財産まで情報を得ているカワードに弱みを握られている社員は少なくない。ここは、従うべきか?

 カーナビめいた脳内のルート案内は、直進を指示している。ポーラスターはなるべくゆっくりと首を縦に傾け、相手の出方を疑う。


「……という訳で、次のプロジェクトについて話しましょうかァ。帝亜建設さんの再開発計画のお手伝いです!」


 表向きは人材派遣会社である〈ベルルム〉の業務内容は、メガコーポが率先してやりたがらない『専門的な』仕事の代行である。元傭兵である代表のフロント活動の影響か、専ら民間軍事会社や反社会組織の用心棒が行う仕事ばかり回されることに、ポーラスターは慣れてしまっていた。今回のプロジェクトも、恐らくそういった物だろう。


「社会的敗者……失礼、失業された方々や住所のない方々が暮らす公園に、再開発のメスが入るとのこと。残念ですが、治安維持のためには仕方ないですねェ。『根回しは済んでいるので、何をやってもいい』と、クライアントは仰られましたァ。つまり、人員補填のためのスカウトも可能なのですよ!」

「入社式で幹部含めた社員の半分が新薬飲んで仮死状態になったんでしたっけ。結果的に戦力が増えたからよかったものの……」


 カワードはクスクスと笑う。背中に虫が這いずるような不快感を覚えそうになり、ポーラスターは息を吐いてそれを抑えた。


「その薬で失業者をディークノアに変えるのですよォ。ウチのヤク中社員テンダーレインのような感じでドラッグと併用すれば、我々の命令に背くことのない兵が集まるでしょう?」

「それはまた、ずいぶん壮大な計画だ。……共犯になれと?」

「共犯どころか、当事者ですよォ。これは上には内密なんですから!」


 カワードが気に入った部下を揃えて独立を算段している、という噂は社内に広がっていた。恐らく、新会社の労働力を今からスカウトするつもりだろう。

 ポーラスターはそう思案し、瞬時に彼の真意をも理解する。この仕事を自分に持ちかけてきた、ということは、カワードが独立する際に自分を必要としていることではないか。これは、新たなヘッドハンティングなのだ。


 ふざけるな。ポーラスターは心中で吐き棄てる。このまま従うようでは、本社に帰ることなど不可能だ。危険な仕事に奉仕し、妻子の顔を見れるかどうかも怪しい状態のまま職務に埋没していくのか?

 しかしながら、断った際にカワードがどんな手段を取ってくるかが分からない。恐らく妻子を狙うのだろうが、その際に守り切れる保証はないのだ。ここは従い、リスクを減らすべきか?

 ポーラスターは目を瞑り、第三の選択肢を探る。行動の指針を示してくれるディークの能力は、この場における最も最適な答えを用意していた。


「わかりました、やりましょう。ただし、これがカワードさんとの最後の仕事です。仕事はやり遂げますので、終わった後に退職する許可をください」


 胸元の端末が録音状態になっていることを確認し、ポーラスターは虚勢を張った。約束を反故にしてきた時は、上に証拠を叩きつけると脅せばいい。彼はそう考え、最後の仕事を行なったのだ。


 カワードが任務中に死んだ、とポーラスターが聞いたのは数日前だ。独立を画策した痕跡と新薬の横流しの証拠が見つかり、スカウトされたメンバーに片っ端から聞き取り調査が行われたのである。草薙製作所に出戻っていたポーラスターもまた、その対象に選ばれたのだ。

 結論から言うと、ポーラスターは未だ〈ベルルム〉に所属したままである。彼の最後の仕事は、完遂の条件が変わったのだ。

 一度関わったプロジェクトは、最後まで遂行する。彼は不本意ながら、自らのルールに従って仕事をやり続けることを選んだ。


    *    *    *


「さっさと投降して、付いてきてくれよ……。尻拭いくらい、楽にやらせてくれねぇか?」

「何言ってんだァ……? 俺は、飛びたい。だから、クスリが欲しいんだよ。単純な理屈だ。わかるな?」

「あぁ、それね……。上司が死んだんだ。もう全部処分したよ」

「……持ってんだろ? なぁ、おい。有るよな? 俺は分かってんだ。知ってんだぜ?」

「……悪いな。俺たちのせいで、こんな」

「嘘を吐くなァァァ!!!」


 居合めいたハイキックがポーラスターの頭部を襲う! ポーラスターは首を傾げ、寸前で回避! 姿勢を低くし、ローキックで男のバランスを崩す!


「やめようぜ。お互い戦闘向きの能力じゃないだろ?」

「——能力?」


 男はアスファルトに伏した体勢からゾンビめいて起き上がり、付近に落ちているコンクリート片に目を向ける。ヒビの入ったそれを片手で軽々と持ち上げると、ポーラスターに向けて瞬時に投擲! 敵の視線を塞ぐと、同時にスーツの胸倉を掴む!


「意味わかんねェこと言うなよ。ラリってんのか、お前?」

「……見えてるだろ? 俺の背後にいるデカい熊が」


 破砕されたアスファルトの粉塵が舞う空間で、ポーラスターの背後に鎮座する白い熊が猛り吠えながら男を威圧している。四足歩行の片脚を上げ、鉄槌めいて獲物に振り下ろそうと立っているのだ。それが放つ闘気は、男の言う〈悪魔〉と同質の物である。


「悪魔め、お前も取り憑かれた側か!?」

「悪魔? あぁ、そう解釈したか。ずいぶんと俺たち人間に都合がいい存在なんだな、お前の言う悪魔は……」


 男のスネをイモリに似た生物が這い、体内に溶けていく。突き動かされるように、男はポーラスターの鳩尾に膝蹴りを放つ!


「…………ッ!?」


 数手遅れた。ポーラスターはバックステップで衝撃を逃がし、背中を丸めて咽せ返る。目が霞み、視界が不明瞭なせいで回避ができなかったのだ。


 男は気付いていないが、彼自身の能力は『相手の不調の閾値いきちを操作する』というものだ。相手が酔っていたならアルコールの許容量を下げて体調を悪化させ、疲労状態なら疲労への耐性を極限まで低くする。

 今回も、彼はそれを無意識的に行なっていた。アスファルト砂塵がポーラスターの角膜に付けた、小さな傷だ。男の能力によって、それは彼の視力を大きく削いでいる!


「持ってないなら用済みだッ! 俺の前に現れやがって……!! 期待させやがって!!」


 起き上がろうとするポーラスターに激情のままに暴力を振るいながら、男は自らの身体を通り抜ける違和感に自覚を持ちはじめていた。バッドトリップの影響だと考えていた闘争心の上昇は、悪魔が取り憑いたからなのか?


 一方のポーラスターは、徐々に不明瞭になっていく視界に対して冷静になろうと努めていた。既に視力のほとんどは失われ、辛うじて光を感じる程度だ。アスファルトに手を突いて起き上がることすら、今は怪しい。

 ポーラスターは、逆に目を瞑る。自身に備わっている能力を活用すれば、なんとかこの状況にも対応できる一手を打てる。彼はそう信じていた。


 北極星ポーラスターは旅人の道標みちしるべとなる星だ。それは地球上から見た星空でほとんど動かず、測定のための固定点となる。設定した目標は、何があっても揺るがない。それが、彼の能力の根底だ。


『背後に4回転し、腕を伸ばして遮る物が現れるまで振り続けろ』


 脳内を駆け巡る啓示めいた情報は、ポーラスターの次の行動を示していた。彼は男の暴力の気配を察知しながらアスファルトを転がると、闇雲に腕を振り続けた。摩擦でスーツが破れ、肩に火傷めいた痛みが走る!


「何のつもりだァ? 虫みたいに逃げ惑って、俺が見逃すと思ったかッ!?」


『腕が何かに触れたらそれを掴み、力の限り振り回せ』


 ポーラスターは意を決し、ざらついた表面の『何か』を掴んで力いっぱい振り回した。それが何であるかは分からなくても、現状の打開策となる事だけは信頼しているのだ。


 男はそれに気付かない。怒りのままに足を振り抜き、ナイフの刺突めいた蹴りをポーラスターに浴びせかける!


 衝突! 男の足が踏み抜いたのは、ブラウン管のガラス面だ!

 廃棄され積み上げられていたテレビの一つが宙に浮き、衝撃によりバチバチと明滅! そのために散った火花が、周囲に充満したアスファルトの砂塵に着火する! 小規模の粉塵爆発だ!


「なッ……馬鹿なァァァ!!」


 咄嗟の事故に対応できなかった男は、衝撃を受け流すことが出来ずに地面に転がる。煤けたコートはさらに焦げ、脳内麻薬が出続けて感じなかった痛みが後からやってくる!

 その隙がポーラスターにとっての好機だった。爆発音は敵の位置を明確に示す手掛かりになり、爆発の光は目指すべき目標を示す灯りになる。

 彼は発生した強い光に向けて拳を握り、腕を伸ばした。間違いなく、アスファルトを転がっている男の身体だ!


「……黙って俺に従ってくれれば、俺もお前も傷付くことはなかったんだけどな」


 男の発動した能力の効果が切れ、ポーラスターの視力は徐々に回復していく。彼はブリーフケースから結束バンドを取り出し、気絶している男の腕を縛った。


    *    *    *


『助かったよ、ポーラスターくん! カワちゃんが独断でやった仕事の尻拭いさせて申し訳ないから、特別ボーナス入れとくね!』

「社長、退職金に上乗せって出来ませんか?」


 ジャック・ベルルムは通話越しに笑う。元傭兵である経営者の男は、飄々とした態度の奥に底知れなさを感じさせる人だ。ポーラスターは何度か食事を共にしたが、彼の本質をつかむことが出来ないでいる。


『で、ホントに辞めるの? 正直、向いてる仕事だと思うよ。何も知らない可愛い後輩を仕事のために囮にするなんて発想、堅気カタギじゃ思いついてもやらないもん』

「こいつの事は、信頼してますから。わざわざその為に呑んで、良いスーツを着せるようにしたんですよ?」


 藤宮は眠ったままだ。急性アルコール中毒は能力の解除によって治ったとしても、元々深酒をしていた為に朝まで起きる事はないだろう。ポーラスターは藤宮に己の正体を明かすまいと決めていた。深淵を見てしまうと、今後の彼の仕事に差し支えると判断したからだ。


「社長、カワードさんって本当に殉職されたんですか?」

『昔から俺の忠告を聞かないやつだったんだけど、あそこまで敵を舐めてかかるとは思わなかったね。干からびて、ミイラになってた。その前に行った新人よりも深刻なダメージ食らってんの! 敵の暴走状態は、俺が鎮圧したけど』


 鎮圧の際にできたのが、オフィス街の崩落跡だという。表向きはガス爆発事故ということになっているが、社長が鎮圧する際に用いた手榴弾の爆発によるものだ。

 たった一つの爆弾でそこまでの被害が、と思いかけるが、これは憑依者ディークノアがぶつかった戦いだ。男やポーラスターのような組織の一般戦闘員の持つ人造のデミ・ディークに憑依された者ではなく、自我の存在する異生物である本物を身に宿した者同士の。

 不謹慎だが、ポーラスターはその敵に感謝していた。自らの弱みを握る直属の上司が居なくなり、ようやく自由になれるのだ。帰りを待つ妻子の顔が思い浮かび、彼は静かに破顔する。


『君のおかげで、草薙にもしっかりしたパイプができたんだ。バーチャル・アイドル……だっけ? あの新しいCMの宣伝キャラクター関連のプロジェクトにも、うちのITに強いメンバーが関わってるし。オンライン会議の管理もしてるんだぜ?』

「営業職に技術部門のアレコレはそこまで耳に入ってこないんですが……。子会社のサーバー保守担当の人が企業スパイを捕らえた話は聞きました。それも〈ベルルム〉の?」

「よく知ってるね。そいつ——インペリウムが今、本社の重役に付いててね。新しい兵器開発プロジェクトの実験場を、ガラクタ街に決めたんだよ」


 嫌な予感がする。ガラクタ街の端はここから数百メートル先にあるが、この路地裏よりもさらに危険な場所だ。薬物中毒者さえ寄り付かない地の果ての果て、法律が存在しないとまで言われるガラクタ街に、一体何の用事があるのか。彼は訝しんだ。


「いや、仕事はこれで終わりのはずでは……」

「“うちの仕事”はね。草薙製作所の営業社員としての仕事が、もうじき本社から通達されるはずなんだよ。ただ、この仕事は選ばれた少数精鋭しか行えないらしい。……単身赴任、請け負う?」


 一家団欒のビジョンが崩れていく。これは任意で、断れる仕事なのだ。単身赴任を断り、他の社員に任せる事だって出来る。

 それなのに、ポーラスターの“能力”は彼の意思と異なる選択を強く推奨する。


『仕事を受けろ』


『本社の選択に従え』


『ガラクタ街に潜入しろ』


 これは、何重にも重なった檻だ。小さな檻から抜け出して、より大きな檻に移動し続ける。彼は己に許された選択肢を慎重に選び、繋がれた首輪に気付かないふりをした。


「……わかりました。詳しく、仕事の内容を聞かせてください」

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