断章 アルカトピア異聞録

ウェルカム・トゥ・アルカトピア #1

 駅前の巨大モニタに映る3Dアニメーションの少女は、大きく手振りをしながらスクランブル交差点を渡る人々を見下ろしている。


『新たな技術イノベーションを提供する草薙製作所は、夢のコミュニケーションを皆さまにお届けします』


 ポップな電子音楽にアレンジされた草薙製作所の社歌が流れ、新発売の携帯端末が拡大表示される。背面には、七支刀を簡略化したエンブレムが煌びやかに輝いていた。


「はぁ〜、やっぱ都会は凄いっすね! 街並みが全然違いますもん!」

「お前、西の方出身だよな? そっちの方が今は発展してるだろ……」

「西の端の人工島なんで……ちょうど今盛り上がってきてるとこっすね!」


 新品のスーツの胸に同じエンブレムを模したバッジを付け、藤宮は先輩社員と交差点を歩く。新入社員である彼は、アルカトピアという街に初めて足を踏み入れたのだ。


 アルカトピアにおいて、企業群の持つ力は政府よりも大きい。自由経済の元に規制なく成長した大企業を筆頭に、吸収合併や子会社化、海外資本の流入などで絶大な権力を得ることに成功したのだ。

 草薙製作所は、この国の経済を動かす企業グループの中でも重要なポストを占める。その本社に勤務するサラリーマンともなれば、人生の勝ち組としてのコースは確約されているだろう。藤宮は希望に瞳を輝かせ、この街で暮らすことを決めたのだ。


 中央エリアのオフィス街、天を衝くモダンなガラス張りの高層ビルは、草薙製作所の本社ビルだ。グループ会社のビル群が密接する中、その建造物は社の威光を示すかのごとく抜きん出て大きい。


「ここがお前の席。これがお前の社用端末。如何わしいサイトとか見るなよ? うちのセキュリティ担当は優秀でな、下の階の課長がそれで謹慎処分食らったんだよ!」

「やりませんよ!」


 先輩社員は肩をすくめた。左手の薬指に嵌められた指輪が輝く。彼が既婚者であることを、藤宮は初めて知った。


「あと、社用SNSの3Dアバターはちゃんと作っとけよ。今のところ取締役会とか重要な会議くらいにしか使われてないけど、今後各部署のVR会議とかにも導入されるかもだから」

「それ、初期アバターじゃダメなんっすか?」

「……CEOが、いの一番に取ったよ。外見に頓着しない人だから……」


 藤宮は社用SNSを確認し、あらかじめ登録されていた先輩のアバターを確認する。絵本の世界から飛び出してきたような、ファンシーなシロクマだ。三頭身にデフォルメされたその姿に吹き出しそうになる藤宮を見て、先輩は憮然として答える。


「俺の趣味じゃないぞ。娘の落書きを再現してやったら、喜ばれたんだよ……」

「……俺も参考にしますね」

「やめとけ」


 〈POLESTAR〉というアカウントと同期されたシロクマが、挨拶のエモートを行なった。


 大きな窓から見える景色は、どれも藤宮にとって新鮮な物の集合体だ。密集するオフィスビルや高層住宅群は暗くなると夜景の一部に変わるだろうし、遠くに見える教会や寺、モスクなどの宗教施設はこの街の多様な文化観が垣間見える。


 だが、藤宮が最も目を惹いたのは別の物体である。オフィス街の中央に不自然に空いた区画。アスファルトを抉る大穴と、その上に浮かぶ巨大な赤黒の球体である。付近の二本のビルを支柱に、それは禍々しく輝く月めいてその場に鎮座していた。


「先輩……。あれ、何すか?」

「……アレなー。三ヶ月ほど前に、あの辺りにあった証券会社のビルが崩れたんだよ。地下に溜まってたガスが爆発したらしくて、結構な人が犠牲になった。だから、慰霊と鎮魂のオブジェじゃねぇの?」

「じゃあ、その下のデカい穴は……?」

「それは最近だな。先週くらいにまたガス爆発起きたらしくて、それで地盤沈下だと。まだ規制線は敷かれてるから、野次馬は無駄だぞ」


 どうやら、都会ではガス爆発が頻発するようだ。藤宮は借りた部屋がオール電化住宅であることを思い出し、静かに胸を撫で下ろした。


    *    *    *


 空の注射器に焦げた紙幣、吐瀉物が乾いたアスファルトには激安風俗店のビラ。猥雑なネオンさえ届かない路地裏で、煤けたコートを着た男は震える手で煙草に火を点ける。

 吐いた煙には、悪魔が住み着いている。バッド・トリップでボロボロの彼を嘲笑うような笑みを幻視し、男は舌打ちをする。


「た、たた——足りね、ぇ……!」


 寒さによる震えではない。身を灼くような焦燥に突き動かされ、男は深夜の繁華街を亡霊めいて歩く。

 彼は、人を探していた。


 手の甲のタトゥーが特徴的なスーツの男が彼の住処に現れたのは、一ヶ月ほど前の話だ。失業者が肩を寄せ合って暮らす公園内キャンプにて、新たなドラッグを配給めいて配り歩いていた男である。

 職を追われて家を失った者が楽しめる娯楽は、地下闘技場での殺し合いを眺めるか、現実を忘れさせてくれるドラッグを摂る程度だ。それ以外の物は浄化の波に流され、表では楽しめない。

 新型のドラッグは『5割死ぬ』という触れ込みで、生き残った残りの5割は多幸感に包まれているようなトリップ感を得ていた。カラフルな錠剤は危機感を抑える作用があり、死の危険を簡単に味わえるという新たな側面の流行も生まれてしまった。

 失業者や自殺志願者の間で〈チョウハン〉という変名で親しまれたそのドラッグを、男もカジュアルな心算で摂取してしまった。その瞬間、世界が変わったのだ。


 深夜とは言え、繁華街は人でごった返している。それでも周囲の人々は薬物中毒の失業者など見慣れているのか、特に彼の歩みを気に留める者はいない。

 目の前を横切るスーツに身を包んだ男に、彼は声を掛ける。サラリーマンらしき男だ。


「な、ななな——なぁ。あの新しいヤツ……くれよ……」


 サラリーマンは怪訝な顔で振り向いた。その目は不審げで、警戒心が大いにこもっている。


「……はぁ? なんだよ、オッサン」

「知ってるぞ。持ってるんだろ……新しいやつ……! か、金は集めてきた。だから、くれ、早く!」

「なんだよ……。初対面だよな、俺ら……ぁ!?」


 瞬間、男はサラリーマンの胸倉を掴み、引き摺っていた。サラリーマンが恐怖でまごついている間に、彼らはどんどん人通りを離れていく。


 路地裏。古びた自販機のライトに照らされたサラリーマンの顔は、恐怖に引き攣っている。スラックスは濡れていた。失禁しているのだ。


「か、金か? 財布なら出す、から……。命だけは……」

「持ってるよな? 飛びっきりのやつ……気軽にブットべるやつ……。あれが無いとトべなくなったんだよ……。責任取ってくれよ……」


 サラリーマンは恐怖に震えていた。眼前で淡々と何かを要求し続ける男への恐怖と、彼の雰囲気が徐々に変わっていく恐怖だ。

 サラリーマンには視認できないが、明確な変化は確かに起こっていた。男の身体から湧き出るように現れた彩度の低い生物が、男を補助するように傍らに立ったのだ。


「……俺の前に姿を見せるな、悪魔め」


 男は宙を舞う小さな生物に悪態を吐く。彼はその生物を悪魔に見立てているが、それはイモリの形をしていた。しかし、向かい合うサラリーマンには、悪魔の姿もイモリの姿も見えない。


「あれが有ればこんなモノ、視界から消えるんだよッ!!」

「ひ、ひィッ!?」


 瞬間、サラリーマンの意識は飛んだ。男の人間離れした膂力で持ち上げられ、コンクリート壁に叩きつけられたのである。


 手馴れた動作で上着を脱がせ、カバンやポケットを何度も確認する。そこにドラッグはないし、そもそもそのサラリーマンの手の甲に墨は入っていなかった。


「はァ……。無いなら最初からそう言えよ……。使えねぇな……」


 彼は抜き取った財布をコートに仕舞い、2本目の煙草に手を伸ばす。


 男は知らない。彼の言う悪魔は、〈チョウハン〉を摂取したことで彼の前に現れたことを。それが、契約によって人間に人外じみた能力を与える『ディーク』という生物の模造体であることを。

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