デッドエンド・ザ・ロンリーウルフ #3

 背後の覆面パトカーは、どこかに消えた。邪魔者はいなくなったが、いざという時の盾がないのは残念だ。ベルルムはそう考え、喉元に圧を掛け続けている標的の少年を振り払った。


「ずいぶんな力だねェ。そりゃ、ルーキー達は勝てないわ……」


 怯む少年の腹に膝蹴りを浴びせ、そのまま後ろ回し蹴りに移行する。流れるような、スムーズな動きだ。


 赤い月を背に、少年は踏み止まる。既に肉体的ダメージは深刻であり、眼前の敵への戦闘衝動だけで身体を動かしていた。彼はアスファルトに血を吐くと、唸りを上げて再びベルルムに喰らい付かんとする!


「……我慢比べ?」


 ベルルムは笑いながら、少年のボディプレスめいた飛びつきを受けて仰向けに倒れた。そのまま彼のクリンチを受けながら、ベルルムは尚も不敵に笑っている。


「30秒、ってとこか。カワードが死んだ時点で覚悟はできてたが、それでも保たないもんだな……」


 少年の力が徐々に弱まっていることは、少年自身も理解していた。このままクリンチを外されたら終わりだ。その前に一矢報いなければならない。少年は自らクリンチを外し、ベルルムのがら空きの胴体に砲撃めいたボディーブローを放つ!


「……待ってたぜ。これで本領発揮だ!」


 少年の拳が命中したのは、ベルルムが隠し持っていた手榴弾だ。ノーガードで爆風に巻き込まれ、少年はマウントポジションを強制的に解除される! そのまま流されるままに、彼はアスファルトを転がった。

 至近距離で爆撃を受けたはずのベルルムは無傷だ。仰向けになった彼が下敷きにしていた舗装道路は衝撃で大穴が開き、付近の交通標識のポールを沈下させる。

 爆風で空中に浮いたベルルムは、なんとか立ち上がった少年の肩を掴んで倒し、身動きを封じた。形成逆転だ。空いた大穴の淵に肩を沿わせ、少年の頭は支えを失って宙ぶらりんだ!


「クライアントからの依頼が変わったんだよ、悪いね……」


 ベルルムはネックハングで少年の身体を穴の上空へ吊り、下を覗き見る。アルカトピアの交通網を代表する地下鉄のトンネルは外側が露出し、彼の能力と爆撃によって晒された都市の地肌を剥き出しにする。地下数十メートルに迫る大穴は深く、落ちたらひとたまりもないだろう。


「じゃあな。楽しかったぜ?」


 ベルルムが手を離すと同時に、少年の身体は静かに落下していく。断末魔は無かった。彼は一仕事終えた、とばかりに加熱式たばこをポケットから取り出し、クライアントに連絡をしようと端末を起動した。


「お電話ですかー? お疲れ様ですー」

「ん、あぁ……? そうだけど」


 ベルルムの知らぬうちに接近していた黒衣の青年は、軍服じみた堅苦しい衣装に爬虫類めいた表情が特徴的な男だ。ベルルムは名前を覚えていないが、何度か面識はある。


「アシタバさんになら、僕が伝えておきますよー? ついでに上にも報告しておきますね!」


 “上”。彼がクライアントのスポンサーから派遣された存在であることは、既に知っている。いまいち胡散臭い男だが、問題ないだろう。


 黒衣の青年は赤い月の様子を確認しながら、クライアント向けの文書を作成している。傷はつけられたが、破壊するまでは至らなかったようだ。ベルルムは例の組合メンバー達に邪魔されたからだと予想したが、青年は別の記述を行う。


〈被験体に赤い月を破壊することは不可能と判断。暴走が目立ったため、ジャック・ベルルムの手により討伐〉


「いいのか、虚偽の報告なんかして?」

「こうしないとクライアントと揉めるじゃないですかー」


 やはり今回の任務が生け捕りから討伐に変わったのは、クライアントの独断なのだろう。ベルルムは納得がいく。


〈討伐の際に出来た陥没地形は、ディークノア情報の秘匿のため、ガス爆発による地盤沈下と発表すべきと考える〉


 文書作成を終えた青年は端末をポケットにしまい、満足そうに背伸びをした。もうじき夜は明け、仄明るい空には薄雲がかかり始めている。


「ねぇ、夕澄ライってどんな人でした?」

「あー、組合のディークノアだっけ? 剣構えてた奴かな?」

「じゃなくて、二丁拳銃の! あの黒髪赤メッシュですよ!」


 ベルルムは記憶を辿るように数度頭を捻った。交戦はしていないが、何度かトレーラーに接近していたらしい様子はあった。


「……気づかれたか。意外と冴えてるんだね、あのディークノア」

「警戒するに越したことはないですよ。実力者ですし、何より妙なカリスマ性がある。あの中では一番強い、かもしれませんね」

「……随分そいつの肩を持つんだな」

「あはは、上にとっては障壁ですから」


 今回の依頼は、おそらくこの赤い月に纏わる争いだろう。クライアントもスポンサーもそれに重きを置いているし、組合の連中も妙にこだわっていた。例の少年は、まさしく月を暴く鍵なのではないか。

 ベルルムはそう考察しながら、頭上の巨大なモニュメントを観察する。ビルに吊り下げられているからか、振り子のようにゆらゆらと揺れていた。接地面に近いアスファルトに大穴が開いたせいだろう。なおさら宙に浮く月を想像させる。

 下を覗き見ようとして、やめた。まるで虚空か地獄へ誘う門だ。ここから落ちれば、命はないだろう。


「じゃあ、そろそろ失礼しますね……」

「待って。一つだけ聞いていいかい?」


 ベルルムは帰還しようとする青年を呼び止めた。青年は黒目がちな瞳を大きく開き、ゆっくりと振り返る。


「名前、なんだっけ?」

「メレオです、赤間メレオ。名刺って渡しましたっけ?」

「いや、そこまではいいよ。俺も持ってきてないし!」


 再び小走りで駆けていく青年を見据え、ベルルムはぼそりと呟く。


「カメレオン、ねぇ……」


    *    *    *


 湯呑みに映る満月は徐々に薄く、小さくなっていく。斑鳩は畳敷きの庵から一歩踏み出し、縁側で息を吐いた。

 風流さえ思わせる庭は伝統建築であり、現代的なビル街の中にあるとは到底思えないだろう。鬱蒼と生える木々が結界のように周囲の空間を隔絶し、その区域だけ別世界かのような風格を醸し出していた。


「新星が落ちたか。勿体ないわぁ……」


 斑鳩は持っていた短冊に墨を入れ、端に火を灯して玉砂利敷きの地面に落とす。延びる煙は時間をかけて空を満たし、彼は満足そうに頬を緩めた。


「……まだ死んでないのは、僥倖やね」


 “人間”と全面的に事を構えるには、その戦力が不可欠だと、斑鳩は考えていた。


「……たしたぁん、おる?」


 便宜上とは言え、あまりこの名を使いたくはないものだ。だが、“彼”はこの名前の通りの良さを気に入ってしまっている。


『ここに居ますよ、旦那。何の用ですか?』


 畳の上に胡座をかいている偉丈夫は、斑鳩が出していた茶菓子を摘みながら返事をする。斑鳩は手を叩き、現れた黒服から四枚のポラロイド写真を受け取った。


「ここに写ってるディーク四体、探して連れてきて。説得してもいいし、誘拐してもいい。とにかく生きたまま、こっちに引き抜きたいんよ」

『……報酬は?』

「金か自由か、どっちがいい?」

『そりゃ、ねぇ。オレ達ディークは強欲ですし?』

「えぇよ。その代わり、あんじょう働いてや?」


 一枚のポラロイド写真に写るディークは、獰猛な狼のシルエットだ。裏の白紙部分に書かれた人間としての名前は、〈南雲ヨウ〉。斑鳩は、静かに動き出した。

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