デッドエンド・ザ・ロンリーウルフ #2

 大きな満月が見下ろすビルの屋上。ミイラ化したカワードの腕を囲むライターのが、静かに風に揺れる。

 エンラージは磨り減った煙草を拡大させ、紫煙を吐いた。これ見よがしに置かれた禁煙の張り紙を無視し、吸い殻をコンクリート床に押し付ける。その行為を、チームのメンバーは誰も咎めなかった。咎める余裕がないのだ。


「……なぁ、どうすんだよ?」

「……どう、って」

「俺らの独立計画だよ!! センセイは俺らに将来のポストを約束した。それが……それが、このザマだッ!!」

「そんなこと言われたって、カワードさんがこうなった以上、どうする事も……」

「ふざけんな、このままじゃ俺ら組織の裏切り者だぞ!?」


 バルクキューブの作業服の襟を掴んだエンラージは、そのまま彼の大柄な体を無理やり立たせる。怒りのやり場が見つからないのだ。

 エンラージはバルクキューブに殴り掛かろうとするが、その拳は空を切った。ハンドレッドアイがエンラージを羽交い締めにしたのだ。


「止まれ。今は離別の時ではない。今後を思考する時だ……」

「……お前が検死を間違えたんじゃないのか? 本当は死んでない、とか……」


 ハンドレッドアイは無言で首を横に振る。実を言えば、エンラージ自身もカワードが死んでいることはわかっていた。


「あらら、間に合わなかったか……」


 階下から屋上に繋がるエレベーターを降りた男は、エンラージたちにつかつかと歩み寄った。義眼が特徴的な、ダスターコートの男だ。


「ボ、ボス……!? なんでこんな現場に……?」


 当惑した表情のバルクキューブの肩を叩き、ジャック・ベルルムはカワードの様子を観察する。


「だから無茶するな……って言ったのにねェ。次のスカウト担当、誰にしよう?」


 干からびたカワードの腕を担ぎ、ベルルムは無感情に息を吐いた。バルクキューブはその様子を呆然と眺めながら、自らの身の振り方を考え続ける。


「ボス、あの……俺たちはどうしたら……」

「んー、とりあえず帰還を命じる! 次の任務に備えてくれないか?」


 平然と言い放つベルルムに、バルクキューブはゆっくりと頭を下げた。そのまま彼は平伏し、コンクリートに頭を押しつけるように謝罪を繰り返す。


「ボス、申し訳ありませんでした! カワードさんに誘われたとは言え、俺たちは勝手に独立しようと……」

「いいよ。首謀者がこうなったんだから、下まで責任を取る必要はない。この件は査定には影響しないから、安心して帰ってくれ」


 ベルルムの穏やかな表情の裏にある思惑を想像し、バルクキューブは打ち震える。今は退役したとはいえ、ボスは数多の戦場を渡り歩いた元傭兵だ。殺されなかったのは僥倖だが、管轄下に置かれて飼い殺しにされるかもしれない。それでも、ここは従うしかないのだ。

 バルクキューブは事態が飲み込めていないエンラージに耳打ちをすると、ベルルムに会釈をして早々と出口へ向かう。残りのメンバーもそれに従い、エレベーターに駆け込んだ。


「……なぁ、バルク。俺らは許されたんだよ、な?」

「……だといいんだが。スカルプチャーもゲイザードッグも、なんの咎もなく生きてるんだから……」

「否、今回は独立だ。任務の失敗とは異なる」

「じゃ、今後何かあるかもしれないって事かよ!?」

「わかんねぇよ……とりあえず、今日は生き残れたことを感謝しないと……」


 狭いエレベーターに充満する重い空気は、自動ドアが開くと共に外に漏れだした。エンラージは付近に転がるキューブ状の鉄塊を煩わしそうに放り投げ、割れたガラスの散乱したエントランスに降り立つ。

 救急車両が通り終わり、静寂に包まれたビル街はもう夜だ。焦げ跡が生々しい通りには規制線が敷かれ、封鎖された街角に通行人の姿は無い。


 ビルを出た彼ら三人の眼前には、アシタバ製薬の社章がプリントされたトレーラーが存在する。その荷台にカワードの腕を入れるスーツの男たちは、皆同じ顔だった。


「ああ、こいつらが例の……」


 合点がいったようにバルクキューブは頷いた。単純な命令なら遂行できるクローン警備兵が開発され、各企業で導入のテストが行われていることは知っていた。概ね、ベルルムでもそれを導入するのだろう。

 荷台を兼ねた窓付きのコンテナには、クローン兵がすし詰めになっている。何らかの作戦に利用するのだろうか? 急発進するトレーラーを見送り、三人は帰路につこうとした。


「そういや、ボスはどこ行ったんだ?」


 エンラージが何気なく発した問いに、ハンドレッドアイは能力を行使しながら答える。


「上だ。先刻の車を先導している」


 彼らの頭上、ビルの屋上を跳ねるように駆けるダスターコートの人影が、彼らと逆方向に歩を進めていた。久しぶりの狩りに歓びを隠しきれない猟犬のように現場に向かうその姿を、彼らは知る由もない。


    *    *    *


 ——消耗戦である。

 空を切る少年の拳を跳ね上げ、フィリップは白刃の切先で彼の胸を貫こうとした。瞬時に跳躍し回避する少年の首を狙い、シュウの大鎌が凪を生み出す!

 無数の切り傷が刻まれた少年のスニーカーは、長期化した戦闘を示す証拠だ。鎌の刃を蹴撃で弾き、少年はアスファルトに着地した。

 後衛で待機していたライは、少年の上空に向けて弾丸を連射した。空中で収束する弾丸は血液に変わり、刺々しい鉄条網を成形する。それは即席の拘束具となり、少年の自由を奪った!


『砂海さん、今だ!!』

「……わかってる」


 鉄条網は突如として爆風に包まれる。砂海の右腕と一体化したグレネードランチャーが輝き、排煙と共に鉄条網を撃ち抜いたのだ。


『やったか!?』

「いや、まだだ……」


 爆炎と煙を切り裂くように立ち上がり、少年は獣めいた前傾姿勢を取った。まだスタミナは残っているようだ。フィリップは溜め息を吐く。


「……やっぱり、この前より戦い方が乱雑になってる。あんな大振りな動きだと、体力の消耗も激しいのに……」

『エネルギーの出力が違うんだよ。あんなの立ってるだけでぶっ倒れるレベルだぞ? この異常なスタミナは、悪い予感がするんだよ』


 悪い予感の正体は、組合のメンバーにはある程度察しが付いている。三ヶ月前にこの場で交戦した少女は、常人を超えたスタミナで戦闘を継続し続けていた。例の赤い月に閉じ込めた少女だ。


『コイツ、最初にあの月に近づいてた。何らかの加護を得たか……?』

「考えにくいが、あながち嘘とは言いきれない。ここのヤツは、あの暴走時のエネルギーに吸い寄せられたのかもしれないしな……」


 例の少女も、最終的に自我を失って暴走した。今回の少年とよく似ているのだ。


 少年は唸り、背を丸める。理性を感じない動きだが、それ故に本能的な合理的戦闘を行っているように思えた。

 少年は疾走し、前方で武器を構えていたシュウに目がけて破砕アスファルトの礫を投げる! シュウは鎌を振るって迎撃! 目の前に少年の姿はない!


「……!?」


 背後から少年の痛烈なハイキックを浴び、シュウは上空へ吹き飛ばされる!


「しまった……!!」


 無防備になった隙を付き、少年は拳を振るった! 咄嗟に投げられた血の鎖が、シュウの身体を地面に引き寄せる!


「ライ、助かったよ! 死ぬかと思った!」

『……ダメだな、千日手だよ! このままやったら、間違いなくこっちがスタミナ切れで殺られる。一旦撤退も検討すべきかも……』

「馬鹿、ここで撤退なんて選んでみろ! 三ヶ月前の努力が無に帰すんだぞ!?」


 ローテーションで応戦を繰り返しながら、四人は少年に対する対応を決めあぐねていた。戦うべきか、引くべきか。膠着状態を打ち破ったのは、武装トレーラーの巨大な影だ!!

 クラクションと共に発射される機銃の雨を寸前で回避し、四人はトレーラーの射線から逃れる。彼らにとっては、運転手の顔に見覚えがある。南雲ヨウを追っていた、スーツ姿のクローン男だ!


「……随分強引な茶々入れだな」


 砂海が呟き、牽引されたコンテナ上に立つ男に照準を合わせる。ダスターコートに身を包んだ、超然とした男だ。その腕には、ルーン文字めいたタトゥー。


『なるほど、例の集団の一員ってことね……』


 彼らには男の正体の目星が付いていた。最近交戦したディークノアには、概ねそのタトゥーが腕に入っているからだ。

 赤い月を襲撃する少年も対処すべき事態だが、タトゥーの軍団も目下の課題だ。四人は二手に分かれ、少年に近接戦闘をするチームと男を狙撃するチームを作る。


 電灯に追突して停止したトレーラーから飛び降り、男は悠然と歩き始める。その身体には傷一つ付いておらず、彫りの深い顔立ちから伸びる眼光は巫山戯ふざけているようにも、獲物を狙っているようにも感じられた。


「……あぁ、組合の人たちか。悪いね、ここまで持ちこたえてくれたのに!」

 義眼をくるくると回転させ、男は笑う。

「一応、自己紹介しとこうか。俺はジャック・ベルルム。君らの商売敵のトップだよ」


 銃を握るライの腕が、緊張で揺れる。ジャック・ベルルムと名乗る男の立ち居振る舞いには、そうさせる何かがあるのだ。

 今まで対峙した敵の中でも、ベルルムの持つ威圧感は特異すぎる。ライは武器を携帯している様子のない彼を警戒しながら、砂海に耳打ちをする。


『ディークノア反応は間違いなくある。あのタトゥーも奴らの所属を表すもので間違いない。嘘はついてないっぽい』

「……なるほどな」


 ライと砂海は同時に銃口を合わせ、ベルルムを狙い澄ました。それに気づいたのか、ベルルムは手をゆらゆらと振ってコミュニケーションを図る。


「……やる? 今なら負けないけど」

「言ってろ……ッ!!」


 煙を噴き上げてランチャーが唸り、徐々にグレネード射出の準備が整っている。ライと砂海は意を決し、攻撃を開始しようとした、その瞬間である。


「砂海、ライくん……すぐにその場から離れろ!! 撃つな!!」


 聞き慣れたシグナルと、拡声器越しの声。シルバーのセダンに搭載されたパトライトが明滅し、静かな市街地は瞬間的な騒音に包まれる。

 運転手は慌ててパトカーから降り、半ば流れ作業めいて警察手帳を提示する。


『須藤刑事……なんで……!?』

「久し振りに顔見せたと思ったら、仕事の邪魔かよ。ウゼェな……」


 悪態を吐く砂海を遮るように、須藤は彼らとベルルムの間に立ち塞がる。


「悪いことは言わない。ここは撤退すべきなんだ、これ以上の交戦は無駄なんだよ……」

『……それは善意? それとも策謀?』


 ライは須藤が三ヶ月前に自分たちを利用したことを知っている。なぜあの時裏で手を引いていたのか、聞き出す狙いもあった。


「これは公権力の仕事だ。民間が介入していい問題じゃない」

『今さらだよ、そんなこと。俺たちはこの街にいるディークノアの横暴を防がなきゃいけないし、赤い月を壊させないようにしなきゃいけない。だから、ここで退くワケにはいかない……』


 毅然とした態度で須藤に詰め寄るライに、須藤は少し眉根を寄せた。彼らに無為な犠牲をさせないための忠言でもあったのに、片方のニュアンスばかりが伝わっている。信頼を失ったのも当然の話なのだが、僅かに心が痛む。


「内輪揉め? いいよいいよ、そっちで存分にやってて!」


 言うが早いか、ベルルムは瞬時に交戦中の少年へ間合いを詰めた。武器を持っているシュウとフィリップに割り込むように最前列を死守し、うざったいとばかりに二人を後方へ押し出す。


「さて、稼ぎますかァ!!」


 獣めいた咆哮を上げ、少年は崖上から獲物を狙うジャガーのように跳躍! そのまま新たな襲撃者を狙い、上空からのジャンプパンチを見舞った!


「本能的な攻撃だ……悪くないよ!」


 ベルルムは少年の股下へ潜り込み、無防備な腹に変則的な蹴りを入れた。踵を打点にして空中に打ち上げるサマーソルトキックだ!

 付近の交通標識に衝突しそうになった少年は、三角跳びめいた蹴りの反動で再びベルルムを強襲する。国道を示す青い長方形の標識が落下し、アスファルトにヒビを入れた。

 二度目の攻撃も、ベルルムには届かない。交差させた腕で突進を防ぎ、胴体を掴む。そのまま、持ち前の膂力で渾身のパワーボムを放った! 少年の身体はアスファルトに沈み、舗装道路が浮き上がる!


「……肉弾戦は専門外なんだけど?」


 シュウとフィリップは砂海たちに促されるまま、戦闘の様子を遠巻きに眺めていた。


「……なかなかやるじゃん」

「一応僕らもディークノアの戦い方は熟知してたんだけどなぁ……。自信なくすよね」


 あの男の戦闘経験は、一朝一夕のものではない。彼ら四人も数多くの修羅場をくぐってきた自負はあるが、それでもベルルムの持つ猛者の余裕めいた雰囲気まで達せてはいない。

 それ以上に、ベルルムの身体に一切の損傷がないことが驚きだった。

 少年の能力は、手で触れた物に不可逆的な害を与えかねない危険な能力だ。彼らはそれを理解し、それに触れないように戦闘を行っていた。

 だが、ベルルムは既に何発か攻撃を食らっている。拳を自らの腕で防ぎ、掌で掴んでも尚、その身体に変化はないのだ。


「敵の能力を無効化しているのか……?」

『いや、その割に周辺のアスファルトはどんどん腐食してる。あのタトゥー野郎だけ、能力の影響を受けてないのか?』


 ライは周辺のディークノアの気配を探索した。最も異質な反応を示すのは、トレーラーが牽引してきたコンテナの内部だ。既存のディークより微弱な残滓めいた気配が、無数に集合しているのだ。

 その正体にはある程度予想がついている。クローン警備兵だ。


 少年の掌がアイアンクローのようにベルルムの肩を掴み、地に伏せさせようとぐいぐい力を加える。本来なら先刻の血の鎖のように、能力によってベルルムが瞬時に消失してもおかしくない。暴走状態にある少年の能力は出力が異常向上しており、触れた物を瞬時に経年劣化させるまでになっていたからだ。


「なるほど、俺の能力と君のは相性がバツグンみたいだ。不運だったね」


 ベルルムの言葉と共に、ライが感知しているディークノア反応の数値が異常な反応を記録する。コンテナ内でその数が延々と増減を繰り返しているのだ。

 ライは翼を展開して戦闘から離れた位置にあるトレーラーに接近、窓からコンテナ内を確認した。


『…………!!』


 地獄絵図である。コンテナの無機質な床は緑の血に染まり、すし詰めになったクローン兵が負傷と回復を繰り返していた。

 遠くで響く打撃音に反応し、クローン兵が脳漿を撒き散らして倒れる。しかし、数秒もしないうちに、割れた頭蓋を回復させて再び立ち上がった。

 打撃音と倒れるクローン兵はリンクしている。恐らく、ベルルムへの攻撃を全て肩代わりしているのだろう。そう考察するライは、コンテナ内の不合理な違和感にも気づいてしまう。ぎっしりと詰まっているはずのクローン兵の列に、所々隙間ができているのだ。


『長く触れたら消える……?』


 彼の思考は徐々に加速していく。クローン兵の不死能力は、組合メンバー四人では完全に対処できない。にも関わらず、少年なら他愛なく消すことができるのだ。確かに戦いたくない、凶悪な能力だ。


『……呑むしかないのか?』


 運が良ければ、ベルルムと少年は相討ちだ。この場を乗り切るには、それに賭けるしかない。消極的な決断だが、犠牲を生まない為にはそれが賢明だろう。

 ライは仲間と情報交換をするため、翼を再び展開させた。背後のコンテナで何体かのクローン兵が消滅したことに、確かな焦燥を感じながら。

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