レックレス・マーダー #3
「で、自由は奪えたのに何故そんなに手こずっているんですかァ?」
「申し訳ないです、カワードさん……。俺らの実力不足でした……!」
クローン警備兵を携えて屋上に到着したカワードは、疲労困憊の様相を呈す部下を叱責した。コンクリート床に落ちた拷問器具と動かない捕獲対象は、彼らの努力を如実に表していた。
「我等は対象を輸送する為、心を折ることを検討しました。これは直接的手段に訴えた場合の抵抗を考慮して……」
「なるほど、こちら側も麻酔弾を準備しなかった不手際はありますゥ。それなら仕方ないですね……」
カワードは前線に出ることに内心舌打ちしながら、ネットに包まれた捕獲対象の様子を確認する。所々に傷が見えるが、闘志までは折れていないようだ。睨みつけるような視線がカワードと交錯した瞬間、彼の嗜虐心は加速する。
カワードは3体の警備兵に周囲を守らせると、ピエロ面の奥に残忍な笑みを称えながら姿勢を低くし、対象に視線を合わせた。
「初めまして。会いたかったですよォ……」
「……アンタが僕を狙ってた奴?」
「あー、半分正解ですねェ。当方はこれから貴方を拿捕し、クライアントに譲渡します。それでミッション成立、わかりますね?」
対象は目を伏せ、唇を噛む。カワードはその様子をニヤニヤと見つめながら、側に立つ警備兵に投網を掴ませた。
「トレーラーに一旦格納し、クライアントに直接輸送します。掛かれッ!」
2体の警備兵が対象を担ぎ上げ、輸送しようとした瞬間、警備兵は圧し潰されるような衝撃とともに膝から崩れ落ちる! 目の荒い網越しに殴られたのだ。質量に負けて足を折られながら、警備兵は任務を遂行しようともがく!
「野郎、衰弱してたんじゃ……」
「そんなことより、対象の能力は触れたものを経年劣化させることです! すぐに捕獲網を確認しなさいッ!」
三人の刺客達は網の様子を確認した。バルクキューブが金属を加工して作った刺々しい鉄条網は、軽率には壊せないほど強固なはずだ。
しかしながら、鉄条網は引き裂かれていた。劣化して削れた鉄線は圧し折られ、大きな穴を作っている。対象はそこに血を流しながら立ち、無言で拳を握っていた。
「カワードさん、ヤツは逃げる気だ!」
「まったく、世話の焼ける……!!」
カワードは傷が回復した警備兵とともに対象ににじり寄ると、背を向けようとしたそれに語りかける。
「貴方が求めているモノ、わかってますよォ……! 失った記憶を取り戻し、自由を手に入れる。違いますかァ?」
対象は足を止め、カワードの方を向く。血に染まった前髪が顔に張り付き、その表情は窺い知れない。カワードはそれを乗ってきたサインだと思考した。
「当方は、貴方が求めているものを提供できる。貴方の宛てのない旅は、それで目的にたどり着くはずですゥ。協力、して頂けますね?」
信じるな、という声が静かな屋上に響く。カワードはそれを怪訝に思ったが、対象の独り言だと判断した。
「疑っているなら、先に貴方の記憶を取り戻して差し上げましょうかァ? 例えば、このようにッ!」
カワードは指を鳴らし、対象の視界を遮るように視線を交錯させた。対象の瞳孔が開き、虹彩が淀む。
「何……する気、だ……?」
「ファルファル、じきに解りますよォ……」
対象がゆっくりと瞼を閉じる様子を確認し、カワードはほくそ笑んだ。
* * *
「……調整はほとんど成功。すでに起動は済んでいます。あとは動き出すのを待つだけ、ですね」
「仕事が早くて助かるよ。私にも時間がない……」
少年の肌は濡れていた。暖かく、何の不快感も感じない培養液の中で、彼は光を避けるように目を瞑っている。
「最適な能力を持つディークをリストアップしました。被験体423はオリジナルで、能力も申し分ありません。唯一の弊害ですが……」
「〈時折コントロール不能になり、命令を無視する傾向がある〉……? なんだ、その程度か」
「ですが、人格が統合された場合……意のままに動かない可能性が……」
「どうせ使い捨てだ、構わないさ」
「はい、承知しました……」
生まれたばかりの彼の意識に、するりと〈同居人〉が侵入する。それは安穏としていた少年に衝動を与え、自由を渇望させた。
暴れてやりたい。彼の意思が収束しはじめ、突き動かされるように拳を突き出した!
厚いガラスを突き破り、水面から顔を出すと、冷たい大気が肌に触れる。外に出たのだ。
瞼を開く。目が眩むほどの光と、窮屈なほどに白い部屋。培養液で濡れたタイルは冷たく、少年は不快さから僅かに唸った。
全てが窮屈で、憎い。壊したい、壊す、壊さねばならない。少年が唸りながらコツコツと壁を叩くたび、白い壁は瞬時に破砕してしまう。少年は、初めて玩具を見つけた赤子のように哄笑した。
天井が崩落した。彼の様子を観察していた監視カメラが火花を上げ、床に叩き落とされる。少年はその都度、愉快そうに笑う。
入り込んだ夜風が肌寒い。彼は部屋内に落ちていたボロ布を纏うと、自らの衝動と欲求を満たすために外界に躍り出る!
その瞬間、少年は頭上で赤い月が輝く様子を視認した。彼は、それを破壊したい衝動に駆られる!
四足歩行めいて背を丸め、少年は深夜のビル屋上を疾走する。理性のない獣のようにアスファルトの荒野を闊歩し、パルクールの要領で鉄柵を飛び越えた。
彼の姿を常人が視認したとして、それは神がかりめいた速度で動く影にしか見えないだろう。たとえ姿を捕捉できたとしても、直線ルートを矢のように駆ける射線に巻き込まれ、命を犠牲にするだけだ。それほどまでに、少年を突き動かす衝動のエンジンは激しく焚かれていた。
赤い月は数十メートル先だ。少年は長距離の跳躍を繰り返し、ビルの谷間を命綱なしで駆け抜けながら、自らの身体への違和感を覚えはじめていた。激しい動きで身体が傷ついていることはわかっていたが、これほどまでという自覚はなかった。
太腿の筋肉が震え、血管が切れている。急激に血液が循環し、喉の奥から鉄の香りが広がる。少年は喀血した。
血が止まらない。足が止まっていく。駆け抜けたいのに、何かが阻害する。少年は嗚咽混じりに吼えた。冷たい摩天楼では、慟哭は反響してこない。
脚を
「……確かに、過重負荷による肉体の損壊は由々しき事態です。ですが、身体を別のものに変えればいいだけでは?」
「いや、新しい身体を生み出す時間が勿体無い。記憶を消し、暴走しない状態で接触させる……」
「要するに、擬似的に別の人格を与えるってことですかー?」
「いや、記憶を抜いたとしても……。ディークと混ざり合った人格を修正することは不可能です。それこそ別のディークと擬似的に再契約させるしか……」
「それだよ。よく似たディークはリストにあったな? 再契約によって上書きされるかはわからないが、君にとっても貴重なデータが取れてWIN-WINの筈だ。悪い話ではないだろう?………」
少年の意識は朦朧としたまま、冷たいフローリングに転がされている。断続的に耳に届くハードロックの歪んだギターリフが、彼の脳裏にこれから起こることへの不安を過ぎらせた。
少年の身体が動くことはない。動きたいという意思に反し、その肉体への負荷は尋常なものではないからだ。彼は唸ることさえできず、ただ目を瞑っていた。
「完全に再契約を済ますまではここに監禁する。脱出した場合は、すぐに連絡してくれ」
「承知しました。ですが、私にも他の研究があり、付きっ切りというのは……」
「ここは何処だと思う? うちの腹心の部下の家だ。監視は任せよう」
「了解でーす。僕に任せてくださいー……」
人影が少年に接近する。少年は瞼を開き、最後にその正体を暴いてやろうと目を凝らした。
「眠ってくれ、もう一度……」
ぼやける視界の中、少年が見つめたのは、注射跡が目立つ細い腕だった。
「や、めろ……! やめろ……!!」
意識が歪んでいく。思考が鈍っていく。電源を消したブラウン管テレビのように、彼の自我はじわじわと虚無に還っていく。
「違う、違う……やめろ……赤い、赤い月に行くんだ……」
少年は必死に両手足を動かし、もがいた。何かが腕に当たり、軋む音が響く。彼はそれを掴み、手元に引き寄せた。
そして、少年の意識は戻ってきた。
* * *
それは一瞬のことだ。ハンドレッドアイは呆然とその様子を眺め、夢幻であればいいと願った。
彼の能力は、その眼に宿っていた。卓越した動体視力と、飛び道具を自動追尾させる索敵能力。それとソナーめいた生体探知レーダーを組み合わせ、彼の存在はあらゆる隠密行動を許さない。まさしく百の眼が備わった能力である。
そのような能力を持つ彼が、自らの見たものを疑っている。由々しき事態だ。
対象が突如暴れ出した。熱に浮かされたように、狂気に囚われたように。暴走するそれは接近していたカワードの頭部をアイアンクローのように掴み、カワードは消滅した。並の動体視力ではそう見えるだろう。
だが、ハンドレッドアイの能力はその一部始終を捉えていた。カワードは消滅したのではなく、急激に老化したのだ。恐らくなんの制約もない無意識下の最大出力攻撃により、カワードは一瞬で塵と化した。信じられないが、彼の持つレーダーも生体反応の消失を示している。つまり、カワードは死んだのだ。
「おい、おい……どういうことだよ……説明してくれ、バルク!」
「わかんねぇよ……俺らはどうすりゃいいんだよ……」
恐慌状態に陥る仲間を前に、対象はくるりと背を向けた。
『……邪魔だった』
「邪魔、って……!?」
『さっさと失せろ、こうなりたくないなら』
対象はミイラのような状態で残ったカワードの腕を放り投げると、残忍な笑みを浮かべる。理性のない、獣めいた笑顔だ。
『月……月……月ッ!!』
その本質はもはや人ではなく、人によく似た人狼であった。
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