アット・インタートゥワイン・アレイ #3

「要するに、要するにだ。君自身も何故狙われているか心当たりはない、って事でいいんだよな?」

「あいにく記憶喪失なんで!」


 ほとんど空になった鉄板プレートから焦げたコーンを丁寧につまみながら、ヨウは飄々と答える。取材報酬代わりのハンバーグプレートは、彼の胃を適度に満たしていた。


「記憶喪失……そうか……」


 灰江はボールペンをテーブルに置き、項垂れる。思考をまとめるための乱雑なメモ書きをくしゃくしゃに丸め、溜め息を吐いた。


「で、俺の目の前にいる——ディーク? はどういう生き物なの?」

『それ聞く? アレだよ、身の丈数メートルの獰猛な大狼! 牙が馬鹿デカい!』

「ホントは子犬サイズね。こっちの肩近くで浮いてる」

『言うなよ……。黙ってたら騙せたのに……』


「……とにかく、意思の疎通は可能なわけだな?」


 尋ねる灰江に、ミカオは小声で鳴いた。周囲の客が怪訝そうに振り向き、灰江は慌てて咳払いをする。


『あっ、申し訳ねぇ……。そこなんだが、俺は怪しいと思ってる。普通はできるんだが、襲ってきた奴らが連れてたディークから意思を感じることはなかった。一応俺らは人間と対等な契約をしているんだが、奴らはまるで意思のないディークを使役してるみたいなんだ……』

「別物ってことか? 秘密裏に養殖されてるとか……」

『そう言えば、最初に追ってきたスーツのエージェントみたいな奴ら、纏ってる気配までそっくりだったな……。あの時はトレーラーから出てきてたんだが、なんかロゴマークが付いてた気がするんだよ……。ヨウ!』


 ミカオの声を頼りにヨウが書いた覚束ないロゴマークを眺め、灰江は興奮が抑えられないでいた。薬葉くすりはを簡略化した意匠には見覚えがある。近頃頭角を現しはじめた新興の製薬会社、アシタバ製薬の物だ。


「あの会社のせいと断ずるには証拠が足りないんだが、あそこはあまり良い噂を聞かないんだよな……。違法ギリギリのラインで投薬実験してる、なんて話も聞くし!」


『バイオテクノロジーも研究してるのかよ……! ディークを養殖して、組織に横流ししてる、とか?』


 侃侃諤諤かんかんがくがくの議論を交わす灰江とミカオを尻目に、ヨウはグラスに注がれた冷水を一息で飲み干した。力強く握ったグラス越しに氷が瞬時に溶け、わずかに残った水滴がテーブルを濡らす。


「誰が関わってるかとか、どうでもよくない?」

『いや、でも……お前の記憶が戻るキーになるかもしれないんだぞ?』

「どちらにせよ、赤い月に行ったら記憶が戻るんだよ! それなら、余計な詮索なんかよりまっすぐ向かうのが最短でしょ?」

『お前のその根拠のない自信はどこから来るんだよ!? そこに行っても記憶戻るとは限らないだろ!?』


 ヨウとミカオの口論めいた議論は、灰江の咳払いによって遮られた。周囲の奇異な視線が刺さり、ミカオは徐々に声を小さくしていく。


「わかった、わかったよ……! 会社の関わりについては俺が調べる。君ら二人は、その〈赤い月〉にとりあえず向かう。これでどうだ?」

『有り難いけど……オッサン忙しくねぇの?』

「俺、事件記者だったんだよ! こういう調査には慣れてる。どうせ今の仕事もくだらないものだしな……!」


 会計用に財布を取り出しながら、灰江は少年の名前をぼそりと暗唱する。

 南雲ヨウ。漢字で書くなら、〈南雲陽〉と言っていたか。この名前を、彼は知っていた。先日拾ったダミーUSBのデータ内部、『ヤオビクニ計画出資者リスト』だ。

 この年端もいかない少年が出資者? いくらアルカトピア社会が実力主義的でも、有り得ない話だ。だとすれば、彼の得た記憶のキーは誰を指すものなのだろう? 灰江は思考を加速させながら、記憶を忘れることができる彼を少し羨んだ。


    *    *    *


「ゲイザードッグは? 繋がった?」

「ダメですねェ。交戦の形跡はあるようですし、警備兵に回収させますかァ?」

「GPSの探知はインペリウムがやった。クロムの能力で交戦時の記憶をデータ化して、本腰入れて対策する。いいね、カワちゃん?」


 ダスターコートを翻し、ジャック・ベルルムはカウンター席に座るカワードの肩を叩いた。


「お言葉ですが、私たち幹部クラスが総力を挙げて叩き潰すほどの相手でしょうかァ? いくら人智を超える力を手に入れたとしても、人員不足は否めません。他の仕事をしている連中を動員しなければならないほど切羽詰まっているわけではないでしょォ?」

「戦力の逐次投入は悪手中の悪手。それに、この程度の仕事に手こずってるとかこっちの沽券に関わるでしょ? だから、やるなら徹底的にやらなきゃ!」


 カワードは憮然とした表情で酒を呷る。バーを併設したオフィス内で、カワードが飲酒することは稀だ。


「もう一度、チャンスをください。エースや中堅ばかりに働かせて、新人が得る仕事が少ない現状は大きな問題がありますゥ。もししくじった場合は私が責任持って追い詰めますので、どうか……!!」


 カワードは仮面越しに顔をしかめた。テンダーレインの能力で傷は癒えたとはいえ、撃たれた痛みはまだ忘れられない。自分が、今後前線に出ることは恐らくないだろう。

 しかし、不快感の理由は痛みだけではない。熟練者による早急な捕獲を行ってしまっては、捕獲対象を用いた部下のコントロールが不可能になるのだ。彼の胸中は穏やかではなかった。


「今度こそ捕まえてやります。だからそれまでェ……」

「わかったよ、頑張ってくれ。カワちゃんには期待してるんだからさ……」


 部下を激励し去っていくベルルムの背を見送りながら、カワードはグラスをカウンターに叩きつけた。


「ここらが潮時ですかねェ……?」


 端末に表示された部下のコードネームを確認しながら、彼は溜め息を吐いた。組織内のスカウト担当である彼が目を付けていた部下は二十数名。そこから彼の計画に従った八名ほどには、今後のポストを約束している。その人員を中心とした戦力があったとして、クーデターが成功するかは五分五分だ。


「やるしかない、とすれば。人質しかないですかねェ……」


 端末を何度かタップし、カワードは次に発つ人員を編成する。エンラージ、バルクキューブ、ハンドレッドアイ。彼らが揃えば捕獲は容易いだろう。


「確保さえしてしまえばァ、クライアントとの交渉材料になる……!」


 カワードは内心ほくそ笑みながら、強かに椅子から立ち上がった。

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