ストレイシープ・イン・メトロポリス #3

 背負っている荷物の重みにヨウが気付いたのは、質屋に五度目の門前払いを食らったあとだ。先ほど休憩を取った時から、リュックの質量が全く減っていないのである。肉体的な疲れはほとんどないが、徒労感は止め処なく押し寄せてくる。


「……もう無理。今日はどっか泊まらない? 次の店は明日探しに行こうよ」

『また安宿泊まりかよ……。なるべく綺麗なところな』

「身分証無しで泊まれるところなんて少ないんだよ。文句言わないでもらえる?」

『換金できてたらな〜〜! 今頃スイートなんだけどなぁ〜〜!!』


 愚痴を吐くミカオを引きずりながら、ヨウは周囲を見渡す。

 周囲を囲む無機質な雑居ビルに、壁面を這うパイプ。アルカトピアの路地を象徴するような代わり映えのしない景色の奥に、工事中のタワーマンションがそびえる。ベールに包まれた巨大な外観の上には、黄金色の月が輝いていた。

 ヨウは疲労感をどうにかごまかし、裏路地を抜けるために右へ曲がった。安宿街の目星はある程度付いている。あとはそこに向かうだけだ。


 冷たい風が頬を撫で、擦り切れて打ち捨てられたコートが視界を横切った。風雨に晒された安物にもう価値はないだろう。穴の空いた生地を一瞥し、ヨウは溜め息をつく。

 今まで歩いてきた街の喧騒など意に介さないと言いたげに静まり返った路地は、先刻と変わらない風景だ。いつまで経っても、目的地にたどり着かないのである。


『お前、さっきもそこ右に曲がらなかった?』

「そうだっけ……。もう覚えてないんだけど」

『大丈夫かよ!? 今日は野宿コースか……?』


 ミカオは周囲を見回す。この寒空で野宿をするなら、無事ではいられないだろう。霧も深くなってきた。ここで立ち止まれば、本当に迷ってしまいそうだ。


「行かなきゃ。まだ夜は明けそうにないし」

『そう、だよな……』


 霧の奥にうごめく気配を、ミカオは敏感に感じ取る。薄められた微弱な気配ではあるが、確かに接近していた。

 それが何であるかをミカオは理解した。つい最近、感じたことがあるのだ。


『避けろ、ヨウ!!』


 フードを目深に被った人影は、ヨウの背後から駆けるように剣を振り抜き、ヨウに袈裟斬りを浴びせる! ヨウは瞬時にナックルダスターを装着し、振り向きざまに手甲で弾いた!


「何者……!?」


 答えは返ってこない。二撃目の剣閃が揺らめき、踏み込みと同時に襲いかかる剣撃が霧を裂いた!


 ヨウは細い路地に逃げ込み、呼吸を整える。抱えている荷物が重く、迎撃するのもやっとだ。歩き続けた疲れも無視できない。文字通りの逆境である。


『行けるか、ヨウ?』

「正直、かなりキツい! 今までとは実力も段違いなんだ。実戦慣れしてる……」

『当然だろ……。今までの相手とは気配から違う。それに、多分あいつは……』


「悪いな、理由は聞かないでくれ……」


 フードの男がヨウの背後に立っている。彼は羽織っていたコートを脱ぎ、素顔を夜風に晒した。ライムグリーンの髪が風になびく。


「……なるほど。あの時はどうも!」


 その場に立つフィリップは、思い詰めた表情で剣を握る。ヨウも只ならぬ事情を察したのか、静かにインファイトスタイルを取った。


 鍔迫り合いめいた交錯は一瞬の静けさを生み、ヨウは己の限界を理解しながらただ拳を打つ。対抗するフィリップは一撃一撃を回避しながら、好機を伺うかのように剣を煌めかせる。二者の間には霧が立ち込め、視界の端に映る路地というノイズを取り去った。

 打ち、引き、かわす。ループめいた瞬間的な反復動作の後に打った渾身の拳がフィリップの身体に届きそうになった瞬間、ミカオの声がトランス状態のヨウに伝わる。


『ヨウ、ひとつ謝っていいか?』

「何……?」

『霧のせいか、気配が遮断されてて気づかなかった。もう一人いるんだよ、真上に!!』


 銃声が響いた。


    *    *    *


「えェ、新人は対象に狙いを定めています。麻酔弾が着弾次第、警備兵を派遣する方針ですねェ!」

『それをカワちゃんは高みの見物? 相変わらずのゲスっぷりだ!』

「御冗談を! ボスは見たくないのですかァ、清廉な聖女が殺人に手を染める瞬間!」

『悪いけど、俺はそんなひん曲がった性癖じゃないから……』


 建設中のタワーマンションの屋上、敷かれたブルーシートの上に高級なソファを運び、カワードは双眼鏡を覗いたまま通話を続ける。周囲を取り囲む四体のクローン警備兵がSPのように張り付き、身辺を警護していた。

 背後で気絶している現場作業員がぴくりと動いた。その動きに反応した警備兵が麻酔弾を撃ち込み、再び眠らせる。ここが特等席なのだ。カワードにとって不法侵入は些事であり、自らの欲を満たすため法を犯すことに躊躇いはない。


『わかってるだろうけど、クライアントが望んでるのは死体じゃないからな?』

「承知しております。あのシスターにはすべて実弾と伝えているのですがァ……」

『幸運を祈ってる。大口のクライアントの仕事は早めに済ませたいからな……』


 カワードは嘘を吐いた。確かに麻酔弾を提供したのだが、弾倉のいくつかは実弾である。その方が彼にとって楽しいことが起こるのだ。もしあのシスターが神に愛されて実弾を選んでしまったなら、カワードはその光景を一生忘れないだろうと想像する。


 双眼鏡のレンズ越しに映るのは、悲壮な決意に身を固めたシスターの姿だ。彼女は確かに金を求め、自らの倫理観との矛盾に怯えている。弱い人間だ、とカワードは満足した笑みを浮かべた。


「もうじき壊れますねェ、楽しみだ……」


 引き金に指が掛かる。彼女が選ぶのは、生か死か。青くなっていくシスターの顔色とは対照的に、カワードのマスクの下は静かに興奮していた。


 銃口のブレが止まった。おそらく決意が定まったのだろう。カワードは双眼鏡を強く握り、せせら笑いは哄笑に変わる。


「フフフフッ、ハハハハッ!! 最ッ高ですねェ!!」


 引き金は引かれた。しかし、銃声はカワードの至近距離で聞こえる。背後で警備兵が崩れ落ちたのだ。

 シスターの銃から弾丸は発射されていない。唖然とするカワードは銃声の方向へ振り向き、小さく声を漏らした。


「無粋なマネを……ッ!!」


 非常口付近に座り込むフードの男は続けて残りの警備兵に順番に照準を定め、小さな身体に不釣り合いな狙撃銃を連続で発射した。不慣れなのか急所を外してはいるが、全て命中している。

 倒れた四体の警備兵に起き上がる気配はない。被弾していたなら、この程度の傷はすぐに回復するはずだ。カワードは訝しむ。


「……麻酔弾か!?」


 超人的な身体能力を持つディークノアさえ昏倒させる威力の麻酔弾なら、警備兵を鎮静化させることも容易い。だとすれば、カワードは男が持つ銃の出所を推察できる。


「貴方が、計画の邪魔をしたんですかァ……?」

「警告する、シスターに近づくな……」


 カワードはピエロ面を撫で、昂ぶる感情をクールダウンさせる。彼自身、戦闘に関しては不得手である。しかし、相手もライフルの扱いは素人のようだ。カワードはいつものように敵のトラウマを抉り出し、逃走までの時間を稼ぐ算段だ。


「どうもあのシスターにご執心のようで……。貴方の大切な人なんですかァ?」

「……答える必要はない」

「貴方の正体は分かりかねますが、あのシスターについては調べがついています。ラルフリーズからの移民で、家族を捨てて単身この国に来たとかァ? だとすれば、貴方は……」


 フード男の表情は読めない。カワードはそれを痩せ我慢だと感じとった。


「わかりました。貴方が恐れているのは、実の家族に捨てられるという……ッ!?」


 相手にじわじわとにじり寄っていたカワードは、完成したばかりのコンクリート床に勢いよく倒れる。肩に被弾していた。実弾だ。


「……答える必要はない 」

「畜生……!!」


 痛みに悶え、のたうち回るカワードは、恨みのこもった視線をフード男に向けた。相手は残弾を全て撃ち尽くしたようで、重そうにライフルを放り投げた。コンクリート床に衝突したライフルは、煙のように霧散し、消失する。


「能力者、ですかァ……?」


 フード男は応えない。仕事を終えた、とでも言いたげに息を吐くだけだ。やがて、世界からフェードアウトするように、フード男すら霧散してしまった。

 カワードは地面を這いながら、敵の痕跡を探る。フード男が立っていた場所に落ちていたのは、電源の入ったICレコーダーだ。


『……る必要はない……答える必要はない……答える必』


 電源を切り、カワードは歯噛みする。やられた。所詮これはメッセンジャーであり、本体は別の場所にいるのだ。他者を操作することを至上の喜びとするカワードにとって、出し抜かれることはとてつもない屈辱である。


「あの男、タダで済むと思うな……」


 カワードは念のためレコーダーを回収すると、端末に入れた救援信号を本部に飛ばした。肩の出血は未だ続き、意識は朦朧としている。


    *    *    *


 群体化した自身のうち1人が霧散し、フィリップの希薄化した意識の濃度が上がる。分割された視界の一つが任務を成し、展開して付近の屋上に配置していた分身は徐々に数を減らしていった。

 他に意識を集中させながら戦闘するフェーズは終わった。しらみ潰し的に分身を展開しながらの戦闘はフィリップにとって慣れないものであったが、なんとか対応することはできる。


 フィリップは大きく息を吸うと、ヨウを観察する。背負っている荷物のせいか、繰り出す攻撃の動作は鈍い。疲弊の色が見えた。


「その荷物、置いたら?」

「ミカオ、置いていい?」

『ダメに決まってんだろ! 少なくともあと1人刺客が居るんだぞ、戦ってる間に盗られたらどうするんだよ……』


 自身の方を向いて歯を剥き出す小さな狼を見ながら、フィリップはつい疑問を呈した。


「何か大事なものを運んでる……?」

「あぁ、金塊だね。身分証とかないと換金できなくて!」

『余計なことを言わなくていいんだよ!!』


 焦るミカオを尻目に、ヨウは荷物への関心のなさを露骨に示す。戦闘時の疲弊しながらも溌剌はつらつとした表情とは異なり、さっさと厄介払いをしたそうな雰囲気が感じ取れた。


 戦闘の雰囲気に移行することは不可能と見て、フィリップは剣を納める。これ以上の打ち合いに、意味はないのだ。


「……もういいよ。もうじき霧も晴れるんだ、早く帰りな?」

「えっ、いいの? 何のために襲ってきたの……?」

「興が冷めた。君も万全じゃないだろ?」


 ヨウは躊躇いながらも敵に背を向け、思案する。何かの覚悟ができたようで、リュックサックを背負うのをやめ、フィリップに投げ渡した。


「この前助けてもらった時の借り、これでいい?」

「そんなつもりで助けたんじゃないんだけど……?」

「僕もそろそろ処理したかったから、煮るなり焼くなり好きにしてくれない? じゃあね!」


 言うが早いか、ヨウは身軽になった身体で即座に駆け出した。唖然としていたミカオも相棒を睨みつけながら後を追い、フィリップはその場に取り残される。

 フィリップの脳裏に、憎むべき父親の姿が過ぎる。領民から税金を巻き上げ、私腹を肥やしていた悪魔の姿が。それ以来、フィリップは自らの財産を持たないようにしていたのだ。そのような状況に、降って湧いた大量の金塊。ならば、やることは決まっている。

 フィリップは立ち上がり、確かな面持ちで歩き出した。


    *    *    *


 緊張で腰が抜ける、という感覚は初めてだ。シスター・ルーナは使い物にならなくなったライフルを引きずりながら、霧の深いクライスト通りを歩く。

 この霧はあなたの迷いの表れだ、とギャビーに言われた時、シスターはその意味を深く理解できてはいなかった。霧に包まれた者は目的地にたどり着けなくなる、と言われても、自分自身がそれにかかっているなら世話はない。借金返済の宛てがなくなった今、前後もわからないほどの不安に襲われているのだ。

 銃を持っても迷いは晴れず、欺瞞めいた祈りの言葉は主に届かなかったのだろう。シスターは引き金を引く瞬間まで言い訳を重ねた自分を不甲斐ない、と思う。所詮は居場所を守るというエゴで人を傷付けかけた女だ。


 シスターは悔し涙を流しながら、大通りを進む。いつもならすぐにつく教会も、今回だけはいつも渡らない交差点を渡ってしまった。


「霧、晴れないね……」

『相当強いよ、その迷い。やっぱり人を撃つのは未遂でも抵抗あった?』

「怖かった、こわかったの……」

『あなたは何も悪くない。だから今日は帰ろう? 子どもたちが待ってるよ!』


 0時の鐘の音が静かな路地にこだまする。教会にはまだ明かりがつき、子供たちの喧騒が漏れ聞こえていた。


「ただい……ん?」


 通り過ぎる人影を一瞬目で追い、シスターは気のせいかと考え直す。玄関前には、無造作に投げ落とされたリュックサックと千切ったメモ用紙に殴り書きしたかのような手紙が置かれていた。


 リュックサックを持ち上げ、シスターは驚いた。相当な重量の正体は、数キロもの金塊だ。


 手紙にはこう書かれていた。


『看病のお礼。美味しいスープ、助かった。フィリップ・ランスロー』


 シスターは立ち尽くした。立ち尽くし、さめざめと涙を流した。これが本物なら、借金返済も問題ない。それに、この名前は……。


「やっぱり、そうだったんですね……」


 シスター・ルーナはメモ用紙をポケットにしまい、玄関を開けた。今日は、もう会えないかもしれない人の安息を願う日にしよう。彼女はそう決意し、アタッシュケースにライフルをしまった。


 霧は、じきに晴れるだろう。

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