ストレイシープ・イン・メトロポリス #2
湯を注いですぐのカップ麺を見つめ、ヨウは黙々と思慮に
『まだ早くねぇか!? お湯入れてから1分も経ってねぇぞ……』
「実験だよ……。ほら、もう出来てる!」
『あぁ、能力のな……。よく考えるとめちゃくちゃ便利だな、それ……』
大通り沿いのコンビニエンスストアは、深夜にも関わらず煌々と輝きを放っている。テクノとヒップホップが混ざったような店内BGMを背に、彼らは大通りから少し離れた無人のパーキングに座り込む。
「そう便利でもないんだよね」
出来上がった麺を一口啜ると、ヨウは静かに唸った。
彼の身体は常人ほど栄養の摂取を必要としない。三日三晩何も食べずに歩き回ったとしても、少し不快感を感じただけで済むだろう。しかし、それでも「何かを食べる」事には幸せを感じるのだ。何かを取り込む事で生命活動の実感が湧くのだろうか、ヨウの思考は静かに研ぎ澄まされていく。
「一口食べたあとのラーメンの未来って、減るだけじゃん? このまま能力発動したら、胃に運ぶ過程を吹っ飛ばしてラーメンが消えるんだよ。栄養にさえならない!」
『……食べ残すかもしれないぜ?』
「食べ残したとしても、ゴミとして処理されるでしょ? 一度減ることが確定すると、もうこっちでは抗えないっぽいんだよ。その辺の力加減の調整でなんか化学反応とか起きるかもしれないけど、この能力は未来が視えるわけじゃない。ピークを過ぎたモノは、たぶん消えるよ」
『じゃあ、この金塊を即座にカネに変えることは……』
「現状では難しいね!」
傍らに佇むミカオは、ヨウの背負うリュックサックに視線を遣る。地下闘技場で手に入れたそれは、中に数kgのインゴットと何枚かの金貨が入っていた。
金貨は路地裏の薄暗い換金所で路銀に変えたのだが、大きなインゴットは不可能だった。表通りの質屋に行くと、盗品を疑われて身分証明書の提示を求められる。そもそも記憶のない彼らが身分を証明できるわけもなく、ヨウは重い荷物を担いだまま途方に暮れていた。
「もうここに置いて電車乗らない? 記憶を戻して取りに帰ればいいじゃん」
『バカ。この街の治安の悪さは知ってるだろ? 明日にはハズレ馬券になって路上に散らばってるよ!』
カップ麺を食べ終えたヨウは、足下の小さなコンクリート片を蹴り、立ち上がる。雑居ビルが立ち並ぶ猥雑な路地は暗く、古びたタバコの自動販売機から漏れる光が行き交う人の顔をぼんやりと照らした。
ビルの隙間から赤い月が顔を出す。ヨウは確実に自分の過去に近づいていることを確信し、リュックサックのベルトを握る。
「わかったよ、もう一軒見に行こうか!」
* * *
『整理しよう。今、お前はクライスト通りの孤児院兼教会にいる。で、そこのシスターが素質持ちのディークノアだった。間違いないか?』
「間違いないよ。ソルグが感じた気配も普通のディークのものだったし、宿主との意思の疎通も問題ない。宿主に敵対意思はなく、現状では暴走の心配もなさそう……」
通話先のライは静かに相槌を打ち、端末のフリック音を響かせる。
『この上なく手間のかからないケースだな……。で? 気になることって何よ?』
「宿主は、ある人物と接触してディークを感知するようになった。そいつが宿主に仕事を依頼したんだ。とある人間を殺せ、と」
『ディークノアの能力を認識してるってことか?
窓の外の中庭で遊ぶシスターと子供たちを横目に、フィリップは端末を操作した。昼過ぎの太陽が当たらない場所では、ギャビーと呼ばれたピンク毛の羊とタキシードのような模様をしたバクが情報交換をしている。
「対象の写真、宿主が目を離した隙に撮ったんだよ。送るね……」
『ありがと。……あー、えっ!? こいつって、この前助けた……』
「南雲って子、だよね? あの追われてた……」
『最悪の予想していいか? 接触した奴、タトゥー入れてなかったか……?』
「いや、それはわからないけど……。ピエロみたいな格好はしてた」
『すぐに撤退しろ! そいつが一番マズいんだよ……』
聞こえる声は震えていた。フィリップにとっては初めて聞く声色だ。ライはいつも余裕があり、恐れる物はないと思っていた。それが、とても狼狽している。まるであの少女のことを思い出す自分のようだ、と思い、フィリップは唇を噛む。
『拗れてきた……拗れてきたぞ……? 南雲くんには〈笛吹き男〉の件を問い詰めないとだし……でもピエロ男と接触したらマズい……』
「僕を舐めてる?」
フィリップは僅かに苛立った。
「不死じゃないなら、倒せるよね?」
『違う、あいつを倒すことはそう難しくないんだよ。あいつの言葉に耳を貸さなければな……』
通話越しにライが呻いた。無意識下の舌打ちにさえ独りで苛ついているようで、大きな音を出して水を飲み込む音が響く。
『とにかく……とにかく! 絶対一人で接触するな!! ぶつかりそうになったらシュウ辺りに連絡しろ!』
フィリップは肯定代わりに溜め息を吐く。悩みの種はその件だけではない。むしろ、もう一つの方が彼にとっては深刻な問題だった。
「ライ。大切な人を守るためにそれ以外を傷つけるのは、悪かな?」
『なんだよ急に!? まぁ、場合に寄るんじゃね?』
「……例えば、人を殺めて得た金で生活を保証するとしたら?」
通話相手の憂いを帯びたような声に何かを察したか、ライは一瞬黙った。
『……俺に言わせれば、それは偽善だよ。頭でっかちで空回りして、相手はそんなこと望んでないかもしれない』
一呼吸置き、ライは自嘲じみて笑う。
『でもな、俺はそれを悪じゃないって信じたい。それによって誰かが不幸になったかもしれないし、言うなればただのエゴだ。それの何が悪い? エゴでも何でも、少なくともその意思までは間違ってないと言ってやりたい。そうでもしなきゃ、救われないだろ?』
救い。フィリップの脳内に
フィリップは神を信じていない。この世界に神がいたとして、それがどのように人間に作用するのかは理解できなかった。だが、彼女の信念だけは穢してはならない。だとすれば、答えはひとつだ。
「お待たせしてごめんなさい。クッキーを焼いたのですが、食べていただけますか……?」
盆に載せられたクッキーは柔らかな香りを放ち、フィリップの食欲をかえって減退させる。彼は口内に押し込むように咀嚼すると、微笑むシスターに声を掛ける。
「僕、ここにいたら迷惑じゃない?」
「いえいえ。こちらこそ迷惑ではありませんか? あなたにも帰る場所が……」
「僕に帰る場所はない。逃げたんだよ、耐えられなくて」
シスターの表情がぎこちなく固まる。喉の奥で何度か言葉を探したあと、部屋には気まずい沈黙が充満した。
フィリップは窓の外を眺める。遊んでいた子供たちはほとんどが2階に上がり、夜の訪れを予告するように夕陽がゆっくり沈んでいく。空を遮るように突出したビル群が影を作り、周囲の明度を下げる。
発展を繰り返す表通りと、そのために剪定されるこの地域の内実は、アルカトピアの縮図なのだろう。変化を強いる周囲に意見を通せるだけの財産を、シスターは持っていない。
「今日の夜、行くの?」
「……もう、あの子達に悲しい思いをしてほしくないのです」
「それがやりたいことなら、サポートするよ?」
「えっ……」
「勝算、思いついたんだ……」
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