アンサング・ヒーロー #3

 張り詰めたピアノ線めいた緊張感が、薄暗いサーバールームを支配していた。

 村田は中腰の姿勢で、ぎこちなく後ろを向く。緊張感の発生源は、確かに背後に立っていた。


「……嫌だなぁ、ビットさん。俺が犯人だって言うんですか? 冗談キツイですよ……」

「少々、買い被りすぎじゃないか? 僕がそんな低俗な冗談を言う人間に見えるかい?」


 ビットは椅子に腰掛けて腕を組んだまま、頭部から放つLED光を煌々と輝かせる。無機質でシステマチックな返答の奥に、仄かな侮蔑が滲んでいた。


「君が今手を入れようとしているデータは、例の日の入室ログだ。犯人以外にそれを操作する理由はないはずだが?」

「……違います。俺はもらった情報の整理をしようと思って……」

「君にとっては、確かに整理が必要だろうな。本来なら有り得ないはずの挙動だ。君は入室ログを残さずに侵入した気でいた。そうだろう?」


 村田は息を呑み、小さく身震いした。指先の感覚が鈍っていき、額には冷たい汗が滲む。


「サーバの不具合を演出するためには、あの場に誰もいてはならない。君はそう考え、物理ハックでゲートの電源を落としてから侵入した。即ち、あの時間にログが残るはずがない。君は今日までそう思っていたはずだ……」


 ビットがモニタに視線をやると、ブラックアウトした電源が再起動する。そこに書かれていたのはログではなく、定型文めいて簡略化されたコード入力画面だ。


「おめでとう、確かに本物にはログが残っていなかった。あとはもう少し冷静になるべきだったね」

「今まで俺が見ていたものは偽物、ということですか?」

「当然だろう。社内機密だぞ?」


 村田は力なく笑った。ひと仕事終えたという達成感と、自分の行動によって計画が破綻してしまった責任が同時に心を満たす。


「流石ですね、ビットさん。いつから気づいてたんですか?」

「事件の翌日、上からの依頼でログと監視カメラの照合を行った。その時間に外部からの侵入者がいないなら、容疑者は当然絞られる。七インのメンバー各人の退勤記録を検証すると、その日は君だけがやけに早退していた。詰めが甘いんだよ」

「……全部わかってたってことですか? 計画自体は、けっこう自信あったんだけどなぁ」


 村田は苦笑する。どちらにせよ、目的は達成できたのだ。あとはこの沈みゆく船から抜け出し、新天地で約束されたポストに就く。自分の実力をきちんと評価してくれる場所へ向かうのだ。そのための手土産としては十分だろう。


 ビットは頭部ランプを明滅させると、尚も静かな口調で村田に詰め寄る。


「まぁ、これは立派な背任だ。本社の経歴にも傷をつけた、という事だよ。懲戒解雇で済めばいいな……」

「覚悟の上ですよ。どっちにしろ、こんな会社はすぐに辞めるつもりでしたから!」

「やはり、サイバ電子から何か吹き込まれたのか?」


 村田は薄笑いを浮かべたまま、諦念が入り交じった表情で答える。


「流石ですね、その通りです! 事件の余波で草薙と帝亜の信用はガタ落ちだ。株価もサイバに追い抜かれ、業界トップの地位も危うい。いい気味だ、俺の実力を認めなかった会社を俺の手でぶっ壊してやったんですもん!」

「そして、君だけはライバル企業にヘッドハンティングされる……。なるほど、良い作戦だったな」

 ビットは組んだ腕を戻し、頭部に手をかざす。

「先程、本社から通達が届いた。この会社はもうじき取り壊される。そして、草薙グループはサイバ電子の買収を決定した。要するに、吸収合併だよ。残念だったな、理想郷はまだ遠いようだぞ?」


 一瞬の沈黙の後、村田は生気を失ったように笑う。ひゅうひゅうと息を漏らしながら、床に倒れこむように腹を抱えた。


「ふざけんな……ふざけんなよ……!! 無茶苦茶じゃないか、そんなもん!!」

「機密データを漏洩させないための手段だろうな。延焼を防ぐために周囲の家を取り壊すようなものだよ」


 村田は冷たい床を殴り、悔しさを発露させるように大きな溜め息を洩らした。ビットはその様子を観察しながら、作業服のポケットから取り出したケーブル用の結束バンドを村田の手首に宛てがう。


「本社直属の武装警備員がもうじきやって来る。抵抗さえしなければ命は保証されるだろうね……」

「えっ……えっ!?」

「言っただろう、懲戒解雇では済まないって!」


 上階がにわかに騒がしくなり、複数の統率された足音が村田の恐怖を加速させる。腹の底からせり上がってくる感情を飲み込むように歯を食いしばり、村田は最後にビットに尋ねた。


「……結局、あなたは何者なんですか?」

「ただの雇われたイチ技術者だ。今回は出向で、本来なら僕の専門ではないからね……」

「そういうことじゃなくて、その頭は……」

「僕は人間を苦手としている、ただそれだけの事だ。特に、物理肉体に囚われる人間をね!」


    *    *    *

 

 無数の多角形で構成された幾何学模様の空間には、違和感を残すほど不似合いな置き時計が浮かんでいる。それは地球を廻る月のように空間内を一定の周期で巡りながら、約束の時刻を心待ちにするかのように震えていた。

 時計の針が8時を示し、置き時計のオブジェクトから鐘の音が響く。その様子を確認した管理者の腕がオブジェクトを掴み、会議用の長机の形に引き伸ばした。


「それでは、定例会議を始めさせていただきます!」


 入室ログが管理者の手元に現れ、出現した3名の参加者とIDを照合させる。チェックはすぐに終わり、出現した椅子にそれぞれのアバターが腰掛けた。


「チャールズ君、例のモノの首尾はどうなんだ?」


 古典的なヒーロースーツに身を包んだ筋骨隆々の男性アバターが、忙しなく両手を動かしながらそう尋ねた。


轟木とどろき部長、慌てないでください。買収したサイバの工場をフル活用すれば、十分大量生産が可能なようにコストを調整しました。自律思考プログラムも既に完成しています!」


 チャールズと呼ばれた管理者は銀河のようなダークブルーの身体をねじり、軟体生物めいた流線型の腕の先を発光させた。そこから飛び出したデータ塊を会議机上に展開させると、管理者の背後に配置された仮想スクリーンに設計データを転送した。


「人工知能を用いた敵味方の判別ですが、外部ユニットを用いた対象の脳波測定によって行うシステムを導入しています。本製品の上部から小型の球形子機を出現させ、同時多発的に機構を作動させることも可能ですね!」


 チャールズ・ビットはアバター越しに流暢なスペック解説を続けながら、眼前に立つ3人の担当者の様子を伺う。表情までは正確にトラッキングできていないが、推察できる感情は概ね好意的だ。


「暴走による同士討ちの危険性は?」


 胸に付けた勲章が目立つ仁王像のアバターが厳粛なトーンで尋ね、会議机上の湯呑みがふわりと宙に浮く。礼儀作法や所作を重視する更科さらしな部長らしい、丁寧な動作だ。ビットはそれを内心で非合理的だと断じていた。


「有事の際に管理者が緊急停止させるプログラムは組んであります。また、悪意に反応する機構となっていますので、クローン警備兵を用いた戦闘行為ならノーリスクで運用できるでしょうね」


 仁王像は丁寧に湯呑みを置き、ふうっと息を漏らす。


「……民間人を巻き込む危険性は?」

「これの用途はテロリストの鎮圧でしょう? 悪意を持って歯向かってくる民間人の存在を計算する必要があるのでしょうか?」

「パニックに陥った民衆は何をするかわからない……。戦地に立ったことのない人間は知らないだろうがな」


 ビットは画面越しに頭部ライトを明滅させ、白い手袋に覆われた拳をしっかりと握った。つくづくこの男は気に食わない。かつての司令部のように、ビット自身を道具としか捉えていないようだ。


「……とにかく、充分に大量生産が可能な域だと推察されます。アタッチメントですが……」

「チャールズくんッ! 私が提案した変形合体ギミックは!?」

「予算の関係上オミットさせていただきました」

「ビームは!? ジェット噴射による中距離アームキャノンは!?」


 落胆の色を隠さずに叫ぶヒーローアバターの前に、シンプルな白一色の三頭身アバターが立ち塞がった。なんのカスタマイズもなされていない、ジンジャーブレッドマンめいた無課金アバターだ。


「轟木、そこまでにしないか。今回の商品は市街戦用だ。我々は開発者のエゴではなく、顧客が求めるものを提供するだけでいいんだ」

「ですが、草薙社長……」

「不要なものは斬り捨てる、それが草薙のやり方だ。もちろん、人事においてもそれは揺るがないぞ?」


 轟木のアバターはチャットログで涙の絵文字を表示しながら、フルトラッキングの恩恵をフル活用するように頭を下げた。

 ビットはその様子を確認し、名状しがたいコズミック軟体生物のアバターに敬礼をさせる。


「……発表は以上です。では、採用していただけますか?」

「あぁ、ご苦労だった。これを配備すれば帝亜に恩を売ることができそうだ」


  ビットは解散したチャットルームのデータ保存処理をしながら、口座に振り込まれた今回の報酬を確認する。恐らく使い切ることのない額だ。散財するほど欲しいものも無く、近親者もいない。ただ機械的に貯蔵しているだけの財産を延々と貯め続けながら、長時間の業務を続ける。その虚無に疑問を抱くこともなく、ビットは働き続けていた。


『よォ、お疲れェ……。ビットくんは今日も勤勉で感心するよ』

「本気で言ってるなら、もう少し休暇をいただけませんか?」


 ボイスチャットを行っている相手は、気怠げにケラケラと笑った。加熱式タバコの放つ水蒸気が画面をわずかに曇らせる。


「それに、あなたからその名前で呼ばれるのはどうも慣れない。僕が僕でなくなるようだ」

『へぇ、お前にもそういう感傷的な物はあったんだ……。悪かったよ、インペリウム!』


 チャールズ・ビット――インペリウムは、不機嫌そうに頭部ライトを明滅させる。


「で、何の用ですか? この前の映像データの解析なら言われた通りの仕事はやりましたけど」

『あァ、あの件はすごい良かった! 奥ゆかしい配慮に感謝して休暇を上げようと思ったんだが……。悪い、残った幹部に集まってほしいんだ』

「それ、VRじゃダメなんですか?」

『アレは俺が酔うからダメなの!! それに、ちょっと目測を誤っててな。最悪の事態が起きる前に一回情報交換をしておきたいんだよ』

「……例の帝亜の件ですか?」

『勿論それもそうなんだが……。先生フィクサーが騒いでる実験台の方の案件も気になるんだよ』

「なるほど、すぐに向かいます……」


 インペリウムは立ち上がると、PCモニターに手をかざした。そこにイカめいた細身の軟体動物がまとわりつき、指に一体化する。

 指し示した指先から放たれた微細な電流は、PCの電源を操作するには十分だった。彼は手袋を外し、ケルト文字のようなタトゥー入りの手の甲をゆっくりと撫でた。そのままサーバールーム内のPCに触れ、自分のいたデータの痕跡を抜き出す。

 あまりにも手馴れた、完璧なハックだった。

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