アンサング・ヒーロー #2
「本当に代わらなくて大丈夫なんですか?」
「問題ない……」
「いや、二日間座りっぱなしですよね? 腰とか痛みそうなものですけど」
「慣れたよ。少し目が疲れたぐらいだ」
ビットはキャスター椅子から転がるように立ち上がり、背筋を大きく伸ばした。デスクに置かれた目薬を手に取り、慣れた仕草で眼に
村田は、何度も繰り返されるこのルーティンに、未だに慣れずにいた。
機械頭は自分だけが見ている幻覚なのだろうか? 無機質な表情を意識せず機械的だと感じ、それが眼まで狂わせて今に至るのではないか。LEDに落ちる目薬の雫を眺めながら、村田の疑念は止まらない。
「……ビットさんは、なぜ今まで他の担当者をつけなかったんですか?」
「対面コミュニケーションに意味を感じない。むしろ嫌いだ。長い時間を人間と過ごすなど、想像するだけで
「でも、流石にそれでは仕事が成り立たなかったんですね……」
「先週、例の件でサーバが荒れた。その時はこの部屋から離れられなくてね、三日間コーヒーだけで食い繋いだ……」
ビットがモニタに指を添わせると、プログラムの文字列が示し合わしたように表示される。
「……まったく、あの三流クラッカーめ」
「三流クラッカー……!?」
「知らないのか? この件は事故じゃない。悪意のある奴が引き起こした、稚拙な営業妨害だよ……」
村田は冷静であろうと努めた。そんな情報が広まっているなど、同僚は教えてくれなかったのだ。それに気付けていれば、いくらでも方法は考えられた。
「ど、どういう事ですか……? 俺たちの部署は、誰かの悪事のとばっちりで解散させられたと!?」
「まぁ、端的に言えばそうなるな。どうした、許せないか?」
ビットは声色をフラットにしたまま、事務的な雰囲気を醸し出して訊ねる。返答には興味がなく、場繋ぎ的な質問だろう。
「もちろん許せないですよ! そんな不届き者はすぐに逮捕されるべきだ!」
「ずいぶん短絡的な発想だな……。感情的になると、見えるものも見えないぞ?」
ビットはモニタを指で右から左にスライドさせるようになぞると、デスクに置かれた空の缶をゴミ箱に投げ捨てた。
「それ、タッチパネルでしたっけ?」
「……癖だ。悪いか?」
開いた別ウィンドウは、村田が初めてこの部屋に来た時のコマンドを表示している。8桁のIDと時刻が表示されている、例のプログラムだ。
「あの規模の障害だ。遠隔ハックはありえない。オフィスに潜入しての物理ハックと見るべきだろうな」
自動で画面がスクロールし、先週の時刻を表示する。例のデータ障害が起こる、前日の深夜である。
「クラッカー……いや、ハッカーと言った方がわかりやすいか? ハッカーはバカ正直にオフィスのゲートを通過し、七インのパソコンを利用して犯行に及んだ、ということだろう。結果的に、入室ログに証拠が残った。セキュリティを解く技術が無かったのか、自分の仕事を誇示したいのかはわからんがね……」
「じゃあ、ここのIDを調べれば犯人が分かるんですか!?」
「該当データなし。そもそも社員コードは残業禁止ルールで弾かれるんだ。ハッカーが潜入のためだけに作った架空のコードか、警備員のマスターコードでもないとあの時間には侵入できない」
「……なるほど」
村田にはその言葉が精一杯だった。自分の理解の外で徐々に証拠が集められている。暗闇に置いていかれるような、僅かな不安が残った。
「ちょっとコーヒー買ってきますね……」
「エナジードリンクも買ってきておいてくれないか?」
「わかりました!」
村田はビットの姿を意識の端に残しながら、エレベーターに乗り込んだ。ICカードをタッチし、エントランスのあるフロアへ向かう。
この瞬間のログも、あのサーバーに管理されているのだろう。会社にとって社員は労働力であり、IDと番号で識別される資産なのだ。社員は技術革新の恩恵たる利便性を手に入れるために、自由を捧げる。とても等価だとは思えない。村田は長い廊下を歩きながら、思考を加速させる。
地上階のオフィスは日当たりが良く、ブラインド越しの夕陽を浴びた観葉植物がいきいきと輝いていた。窓越しに見えるプログラマーたちは血色が良く、コンピュータを操作しながら同僚と談笑していた。
彼らは表向き自由だが、一枚皮を剥げばテクノロジーに縛られているのかもしれない。そして、全てを剥がしきった先にある物が地下のサーバールームであり、不眠不休で働く機械頭の管理人なのだろう。
村田は
ブラックコーヒーの苦味がざらついた心を癒し、頬を張り倒して現実に呼び起こすような刺激を生み出した。閉鎖された環境が生み出した鬱々とした感情は、一時の気分転換で抜けていく一過性の物だったようだ。
村田は社内のコンビニエンスストアで購入したエナジードリンクを小脇に抱え、逆の手は人気コーヒーチェーンのロゴ入り紙コップをしっかりと掴んでいる。応接室めいた役割を持ったエントランス内ソファを横切った瞬間、何者かに声をかけられた。
「すいません。今、お時間大丈夫ですか?」
ハンチングを被った恰幅のいい男は、人の良さそうな笑みで名刺を取り出した。
「眉月新聞の
眉月新聞と言えば、この国ではかなり力をもった新聞社である。体制側という批判もついて回るが、事件記事の正確な記述は人気が衰えない。普段は新聞を取らない村田にとっても、その名が持つ威厳のあるイメージは姿勢を正さざるを得ない力を持っていた。
「……いいんですよ、そんなに畏まらなくて! 今回の件は、あなた方に非はまったく無いんですから!」
東海林は応接用のガラステーブルに小型のノートパソコンとボイスレコーダーを置くと、録音の許可を求めた。村田は承諾しながら、周りに聞かれないか不安に思う。
「今回は災難でしたねぇ。突然ナイフで刺されたようなものでしょう? 内容が内容なので世間には広まってませんが、会社の株価には影響しているようで……」
ノートパソコンに草薙エレクトロニクス社の株価がグラフとなって表示された。先週の事件が起きた日を機に、安定していたグラフが急激に下落している。
「これはライバル企業も大喜びでしょうねぇ! ほら、サイバ電子なんてすごく高騰してますよ?」
業界二位のシェアを持つサイバ電子は、長年この会社のライバル企業として君臨し、大企業の持つ資本力を覆すことができずに今に至る。そのような「永遠の二番手」とも呼ばれた会社の株価が、草薙エレクトロニクスを追い越していた。
「あちらさんにとっても
「待ってください、それってまさか……」
「これは確証とかじゃなく、長年やってると身につく勘なんですけど……。あっ、でも勘って意外に馬鹿にできないんですよ?」
東海林はわざとらしく咳払いを挟み、意図的な間を作って、言う。
「もしかしたら、今回の事件には産業スパイが絡んでいるのではないでしょうか?」
村田はコーヒーを落としそうになり、慌てて指先に力を込めた。
「……どうしました?」
「その情報、どこまで信頼できますか!?」
「いや、ですから確証はないと……」
「なるほど、ありがとうございました!!」
村田は居ても立ってもいられず、地下のサーバールームに向かって駆け出す。今ならまだ間に合う気がしていた。
エレベーターのドアが開き、墓標めいたサーバー機器が林立する部屋へ足を踏み入れる。
「ただ今戻りましたー……」
ビットの返事はない。ハードワークに疲弊したのか、LEDランプを点滅させて椅子に座っていた。眠っているか、或いは充電中なのだろう。
村田は電源が入ったままのモニタを確認し、恐る恐るキーをタイプする。問題のデータは、すぐに見つかった。
画面に表示されたのは、8桁のIDと時刻のデータだ。村田はそこから探していた箇所を確認し、
村田がテンキーに手を伸ばし、新たなコマンドを入力しようとした瞬間である。それまで表示されていたデータが散らばり、別の英文に変わる。
〈aRe You cULpRit?〉
「…………?」
画面がブラックアウトし、電源が落ちる。村田の背後で、舌打ち混じりの不機嫌な声が響く。
「人間とは、
耳元で聞こえた声は、ぞっとするほど冷たい。人間的な熱量を感じない、まさしく機械めいた声だ。
「申し開きはあるか、三流ハッカー?」
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