アンサング・ヒーロー #1

「村田くん、君は……えぇ、本当に……よくやってくれた!」


 目を真っ赤に腫らせた課長は、他の部下から受け取った花束を持っていない方の手で村田に握手を求めた。既に異動先を告げられた村田の同僚たちはパーテーションの前で整列し、呆然と拍手を贈っていた。どれも普段の態度とは違う、異常な光景だ。


 村田はハンカチで目を覆い、泣いている振りをした。不思議と涙は出てこない。確かに、自分だけ褒めるポイントを無理やり捻り出したような煮え切らなさは困惑を隠せないが、仕事のできない社員にかける言葉など、そのようなものだろう。

 普段は冷ややかな目を向けてくる同僚たちも、今日ばかりはそわそわと異動先の噂を囁きあっている。


「君は特務管理室へ栄転だ。ちょうど欠員が出たんだよ。良かったな!」


 特務管理室、という単語に同僚たちはどよめいた。村田はその様子を所在無げに一瞥しながら、自分がやれる仕事はあるだろうか、と疑問を抱く。


「……これを以て、第七インタフェース課は解散する。今回の情報漏洩の責任はすべて私にあり、君たちが新しい部署で不利益を被らないように最大限の引き継ぎは行なった。あとは……健闘を祈る!」


 課長は号泣し、崩れ落ちるように肩を落とす。村田の同僚たちは瞬時に駆け寄り、銘々に感謝の言葉を告げていった。村田は、その輪に入ることができない。形だけの会釈をすると、デスクに置かれた社員証をネックストラップに入れた。


 草薙エレクトロニクス株式会社は、草薙製作所の子会社であるIT企業だ。自動車産業や電化製品、人工衛星から果ては弾道ミサイルまで製造する親会社の電子部門を担っており、人工知能の開発や他企業のサーバー管理、業務を効率化するソフトウェアの製造などを業務の中心としていた。インタフェース課は、企業間の情報伝達の仲介を行う役職を担っている。

 ネットワーク技術が発展した現代のアルカトピアにおいては、企業間の極秘情報を電子メールで受け渡しすることは推奨されていない。傍受の可能性があるからだ。そのため、猥雑な地下鉄路線めいて複数の特殊ルートが複雑に入り組んだ回線が生まれ、その整備をする役職が生まれたのだ。


 事件は数日前に起こった。親会社と業務提携を行っている帝亜重工との取引データが、ルートを通過する間に消失したのだ。1秒にも満たない通信期間には障害も起こらず、何度試しても送信したデータが届くことはない。

 草薙エレクトロニクスの上層部は頭を抱えた。厄介なことに、そのデータは親会社の社運が懸かった最重要プロジェクトの根幹を成す物だったのである。それが電子の虚空に消えるならまだいいが、何らかの不具合で流出しようものなら終わりだ。この会社は取り潰され、自分たちは湾岸で対汚染アリゲーターガーの餌になるだろう。

 悩んだ上層部が導き出した答えは、担当者及び担当課の引責辞任尻尾切りだった。親会社という荒ぶる神に捧げるための人身御供である。


 村田はICチップ入りの社員証をゲートにかざし、エンジニアがテイクアウト用のコーヒー片手に欠伸をしながら歩くエントランスを抜ける。

 社員に服装規定はなく、残業を禁じてジムやショットバーをオフィス内に併置するような社風は、自由な企業としてメディアに好意的に取り上げられる。しかしながら、肝心の社員はジムもショットバーもほとんど利用することなく、エントランス内に建てられた著名なコーヒーチェーンだけは利用率がとても高かった。村田も何度か利用したことはあるが、注文方法に慣れず恥をかいてから苦手意識を持っている。


 村田は観葉植物で彩られた花道めいた廊下を小走りで駆け抜け、突き当たりの貨物用エレベーターに乗り込む。教わった通り文字盤にICカードをかざすと、本来なら止まることがない地下4階に辿り着いた。


 チン、という小気味よいチャイムが響き、重い自動ドアが開く。

 薄暗い室内は広く、巨大な墓石めいた数々のコンピュータが図書館の本棚のように設置されていた。冬にも関わらず、部屋は肌寒い。空調がしっかりと効いているのだ。時折薄青く発光するコンピュータも相まって、村田は寒々しい印象を受けた。

 サーバールームである。無知な者が見ても近未来感を感じるであろう機器のランプはフォトジェニックに明滅し、村田の視界に赤緑のノイズを映す。

 村田は目を擦りながら、僅かな違和感に眉をひそめた。周囲を取り囲む巨大なサーバー機器の駆動音とは違う、これまでの仕事で聞いていたようなコンピュータの音が響いたからだ。


 碁盤の目状に区画整理された道を歩き、辺りをきょろきょろと見渡せば、中央に作られたエリアの異質さはすぐに理解できた。一つだけオフィス用デスクが置かれ、PCモニタと剥き出しの錠剤、空のペットボトルなどが置かれている。回転するキャスター付きの椅子の背には作業服が掛けられ、座面に置かれた立方体の機器が明滅する。

 村田はそっと椅子を引くと、PCモニタを確認する。担当者が急に持ち場を離れたのか、書きかけのプログラミング言語がブラックスクリーンに白い文字で打ち込まれていた。8桁のIDと時刻が表記されている。


「随分失礼な奴だな。礼儀はどこで学んできた?」


 不意に背後から聞こえる声に、村田は驚きながら振り返る。グレーの作業着を着た何者かが、キャスター椅子に腰掛けて腕を組んでいたのだ。


「ごっ、ごめんなさい! まさか人がいるとは思わなく……えっ!?」


 村田は言葉を失った。

 彼の腕を組みながら細かく指を動かす姿は無駄が無く、少なからず厳格で神経質な印象を残す。語気にも苛立ちが滲んでいた。

 しかし、表情が読めないのだ。本来人間の頭部があるべき場所には立方体の機械が置き換えてあり、縦に並ぶ三つの青色LEDは話すたびに点滅している。


「……第七インタフェース課から異動してきました、村田と申します」

「あぁ、例の案件の。そうか……やっとワンオペから解放されるんだな……」

「えっ……!?」

「お前、僕が何日ここにいるかわかるか!? 16連勤だぞ!? しかも徹夜だ。膨大なサーバー管理に追われて1睡もできない。何が残業禁止だよ……。何が自由な社風だよ……」


 機械頭の管理人は歯軋りをしながら、PCモニタの前で何度か指を動かした。未完成のプログラムにコマンドが入力され、画面がブラックアウトする。管理人はその様子を軽く確認し、デスクに置いたままの睡眠薬を微量の水で飲み込む。


「悪いが、近くのドラッグストアでサプリメントとエナジードリンクを買ってきてもらえないか? 僕が疲労で倒れる前に帰ってきてくれ……」


 管理人は電子マネー決済機能の付いた携帯端末を投げ渡し、大きく息を吸った。口のような箇所は見当たらないが、水を摂取するし欠伸もするのだ。


「店員に〈チャールズ・ビット〉の名を伝えれば、普段買っているものを用意してくれるだろうから……頼んだぞ」

「はっ、はい!」


 村田は来た道を引き返しながら、自らが使い走りにされている状況を心中で案じた。前の部署にいた時よりは、仕事があるだけマシなのかもしれない。屈辱的だが、ここからのし上がる方法は確立しているのだ。

 村田には、明確な勝算があった。

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