スタンド・アップ・グラディエーター! #2

「ここのルールはシンプルだ。チャンピオンは五連勝しろ。挑戦者はチャンピオンに一勝すれば、その時のチャンピオンの連勝数に応じて賞金が配られる。キャリーオーバーは無しだぜ?」

「なるほどね、挑戦者の方が稼ぐチャンスはあるわけだ?」

「……勝てば、な?」


 ゴングが鳴り、観客が銘々に熱に浮かされたような歓声を上げる。バーリトゥードめいたルール無用の果し合いは、人間が文明を築く頃から娯楽として定着していたのかもしれない。

 観客席とリングを隔てる金網は、さながら猛獣を隔離する檻だろう。錯乱した観客が選手に危害を加えるのを防ぐためだと言われてはいるが、アドレナリンの充満する決戦場に丸腰で入る奴は本物のイカレ野郎だ、とジョーは常日頃考えていた。自分に危害の及ばない場所で血を見るために集まる群衆に、そのような蛮勇を持つ者はいない。


 ジョーは惰性じみた手つきで空に向かってジャブを打つと、大柄な体を丸めて相手に接近する! 虚を突かれたヨウを見下ろすように、渾身のショルダータックルを見舞った!

 ヨウは咄嗟のバク転で衝撃を逃がすと、コーナーポストに背を預けて次の出方を伺う。


『おい……アイツ、俺のこと見えてねぇか!? 若干ディークの気配がするんだよ』

「じゃあ、確認しようか」


 ジョーは既に十分な間合いを取り、二発目のショルダータックルの準備を始めていた。チャンピオンの風格さえ漂わせる自信に満ちた予備動作の後、いきり立つ闘牛めいて突進!

 渾身の一撃は空を切り、ジョーはロープに追突する。即座に攻撃姿勢を解除し、目標を捜索した。目線の先に、相手がいない。


「どこ行きやがった……?」

「下だよッ!」


 しゃがんだ体勢からのサマーソルト・キックが的確にジョーの胸を打ち砕いた! ジョーの視界の外から現れたヨウは、バク宙姿勢からドロップキックめいた飛び蹴りを放つ!


 仰向けでリングに倒れる直前に、ジョーの視界はスローモーションめいて遅くなっていく。

 人の域を超えた、砲弾のような攻撃だった。海馬が反応し、ジョーに走馬灯を見せる。彼に屈辱を与えた、ライダースジャケットの男の記憶だ。

 あの鉄拳に比べれば、今の攻撃は軽い。だとすれば、ここで負けてどうする。ジョーは深層心理の中であの男の後ろ姿を見た。


「チャンピオン、3カウントで立ち上がった! しかし、顔に余裕の色はありません!!」


 歓声が止まない。チャンピオンに賭けた客たちの罵声混じりの声援がジョーの耳に届いた。


「何やってんだチャンピオン!! この試合は楽勝だと思って大金賭けたんだぞ!? 勝ってもらわないと困るんだよ!」


 ジョーは汗を垂らしながら、笑う。動機は不純だが、これもある種の声援なのだろう。勝ちを望まれたことなど久しぶりだ。ならば、それに従うのが道理ではないだろうか。

 ジョーの頭に八百長の文字は無かった。湧き出る闘争本能が理性的な思考を阻害するのだ。トランクスに忍ばせた結晶が発熱し、背後に蜃気楼めいた残像が浮かび上がる。

 それは、幽鬼めいて実体のないグリズリーの姿をしていた。大柄なボクサーに覆いかぶさるように憑依をすると、彼の身体能力をディークノア基準に変貌せしめた。


『ほら、見えるだろ? ここからは厄介だな。普通に追いつかれるぞ』

「了解。あまり舐めた態度は取らないでおこうか……」


 ジョーは眼前でひそひそと会話をする対戦相手の様子を確認し、舌打ちをする。


「おいおい、決闘の場にペット連れてくんじゃねぇよ……」

「えっ、セコンドなんだけどダメ?」

「イカレてんのか……?」


 指笛と野太い歓声が場を呑むように鳴り続けるリング内で、ジョーは吠えた。最高速でジャブの射程距離まで踏み込み、グローブを着けていない両手でマシンガンめいた高速連撃を放つ。彼が地下闘技場で培ったスタイル、ベアナックル・ボクシングだ!

 ヨウは密着したジャブの腕を掴み、隙のできた胴にミドルキックを打ち込んだ。スニーカーの爪先が脇腹を打ち抜き、ざらついた床にジョーの足跡がスライドする。


「いいぞー!! それでこそチャンピオンだーー!!」

「ジョー、倒れんじゃねぇぞ!! 俺らが背負ってるストレスをぶっ壊してくれや!!」


 ヒートアップする観客の声を耳に届かせ、ジョーは思わず吹き出す。


「なぁ、現金だと思わねぇか? 普段圧勝してる時は褒めてくれもしねぇのに、こういう時だけは応援しやがる……」

「判官贔屓、って言うんだよね? 確かにお金は懸かってるけど、期待されてるんだね……」

「だよなぁ。なら、期待には答えないとなぁ……!!」


 ジョーの鍛え抜かれた筋肉がもうひと回りバンプアップした。重戦車めいた肉体はチープな白熱灯の光で更に輝き、ある種の神々しささえ感じさせるほどだ。


 ジョーは靴跡がついた脇腹を撫でると、ヨウに向かって挑発的に呵々かかと笑った。


「期待されてるんだよ、俺は。この声援が止まない限り、俺は負けねぇ!!」


    *    *    *


 ライは観客に混ざり、歓喜の声援を上げた。目の焦点が合っていないドラッグ中毒者の一団の頭上を飛翔しながら、時折ディークの気配をレーダー探知機のように察知する。

 中央の巨大な反応二つを除けば、目標の位置はすぐに特定できた。特徴的なピエロ面に、隠しきれない腕のタトゥー。あらゆる情報を加味すれば、この街で暗躍するディークノア組織の一員であると推測できる。


 ライは少年の姿を解放し、黒づくめのモッズコートの襟を正した。フードを目深に被り、階段状になった座席の最上段に腰掛けるピエロ男に接触する。


『この位置、遠くないですか?』

「……確かに、少し遠いかもしれませんねェ。けど、この位置ならここに居る底辺のクズ共を全員見下せるんですよ? 最高ですよねェ!!」


 ライは苦笑しながら、ポケットに突っ込んだ手をひらひらと晒す。


『なるほど、良いご趣味だ……。絶対友達になりたくはないけど!』


 ライは虚空から緋銃グリムを召喚し、二丁のハンドガンをピエロ男の後頭部に突きつける。


「あなた、少し手荒ではないですかァ? やれ、下僕ども……」


 ピエロ男の前列に座っていた男たちが振り返り、一糸乱れぬ動きでマシンガンを乱射する。アシタバ製薬のバイオ技術を総動員した、恐るべきクローン警備兵の一団である!

 ライは咄嗟の状況判断で弾丸を回避しきると、特徴的なピエロ面を目で追う。即座に次の弾丸が発射され、流れ弾を受けた観客が呻き声をあげる。


「今のうちだァ……。下僕ども、例の被験体を捕らえろ!!」


 ピエロ男の号令に従うように、クローン兵は銃を携帯したまま階段席を降りる。ロックフェスでのモッシュピットめいて群れを成す観客に発砲し、海を割るモーセの如く道を開けさせた。


 進軍するクローン兵に気付かないまま、観客は歓声をあげていた。喧騒がサイレンサーのように銃声を消し、後方から観客は風穴の空いた死体に変わっていく。

 ライはピエロ男を目で捉え、出口を通るその姿をすかさず追った。


『砂海さん、そいつら止めて! オレは対象追うから!』


 金属音が響き渡る。一瞬の静寂の後、一体のクローン兵がコンクリート壁に叩きつけられた。


「……真剣勝負に水を指すのは無粋だよなぁ?」

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