デッドメン・テル・ノー・テイルス #2

 届いた商品が梱包されていたダンボール箱にトレーニング器具を詰めると、タシターンはフローリングに置いた小さな冷蔵庫に手を伸ばす。整列したコーラの瓶を掴み、王冠のフチをガラステーブルの角に沿わせ、開封した。小気味よい音を立て、泡が漏れ出す。


『あ~!! 人間って最っ高!!』


 宅配ピザのトマトソースをコーラで喉に流し込みながら、DVDの再生ボタンを押す。併設した5機のスピーカーが唸り、轟音を上げた。


 それまで生活感の欠片も無かったタワーマンションの一室にホームシアターが生まれたのは、ほんの数時間前のことだ。

 以前のタシターンはストイックな男であった。広い自宅にはトレーニング器具以外の私物を置かず、全ての収入を貯蓄に回していた。唯一形見として残ったのは、ブラックスミス社の無骨なファクトリー・チョッパーだけだ。


 今のタシターンには、夢があった。

 余計な情報から隔絶された研究室で人間社会のルールを学ぶうちに、彼はレクリエーション時に流れる映画に夢中になった。擦り切れた数十年前の映画フィルムをブラウン管で繰り返し視聴し、海の向こうにある異国の文化に憧れた。荒野を駆るアウトローたちのエンジン音を聴き、そこから薫る自由の風に心を奪われた。

 ホームシアターの設置も、ピザとコーラも、彼の憧れを体現している。


『題名紛らわしいんだよ!! 続編かと思ったわ!!』


 タシターンは今、幸せを享受していた。


 エンドロールが流れるスクリーンを憔悴しきった顔で眺めながら、タシターンは十本目のコーラを飲み干した。


『懲役120分って感じだったな……。いつ巻き返すか楽しみだったんだけど!』


 タシターンは立ち上がり、背伸びをした。早急な口直しが必要である。名作映画で、この後味を上書きしなければ。

 彼はクリーニング済みのジャケットを囚人服の上から羽織り、財布を胸ポケットにねじ込んだ。


 オートロックの使い方は覚えた。タシターンは地下駐車場へ続くエレベーターを降りる。

 等間隔に並ぶLEDの一つを赤から緑に変え、彼はチョッパーバイクに跨った。

 懐の電子キーが揺れ、ガレージのシャッターが自動ドアめいて開く。地上に続く長い坂道を抜け、痩身の車体が夜風を浴びた。

 幹線道路に繋がるゲートを抜ければ、目的地まではすぐだったはずだ。タシターンのドライブを邪魔したのは、サングラスを掛けたスーツ姿の男たちである。


「至急停止してください」

『……なんだよ』

「至急停止してください」


 スーツ男の無機質な合成音声がスピーカーを通し、タシターンの耳に届いた。その瞬間、彼はバイクを止め、懐から携帯端末を取り出す。1件の着信がある。


『もしもし、オレだけど』

「根黒だ。息子よ、やっと繋がったか……」

『ドクターか。その切はどうも』


 根黒は電話口で嗚咽していた。実験の成功に対する歓喜と、我が子のように育てたディークの元気な声を聞き、平然としていられなかったのである。


「そうか、よかったよ……。ところで、あの時の約束は覚えているな? 一般人には手を出さない。この国の法を遵守する。それと……」

『ドクターの言うことを聞く、だろ?』

 タシターンは既に一段階重くなった拘束具を振り、苦笑した。

『で、いつ外してくれるんだよ……。この拘束具!』

「明日の期日までに帰ってくるんだ。案内役も付けた……」

『はァ!? 聞いてないんだけど!?』

「帰ったら拘束具を外す。それで実験は終わりだ」

『なるほど、そういうこと……』


 タシターンの脳裏に研究棟の記憶が過ぎった。無菌室で観察され続け、奇妙な薬品を投与されるたびに意識が遠のきそうになった、そのような記憶が。

 自由も娯楽も限られた、監獄めいた生活。今の生活を捨ててそこにむざむざ戻るのは、はっきり言ってクソだ。タシターンは舌打ちをする。


 タシターンは直立不動の案内役に接近し、周囲を注意深く観察する。ガス灯を模したモダンな電灯が林立していた。


『ドクター、今まで育ててくれてありがとうな……』

「そうか、お前もそんなことを言うように……」

『で、そろそろ巣立ちの時期だと思うんだよ』

「……はぁ?」


 タシターンは案内役の下腹部を蹴り飛ばすと、荒々しく通話をシャットアウトする。

 吹き飛ばされた案内役は電灯に激突し、負荷のかかった電灯は破砕! 根元から叩き折れ、ガラス片が路面に飛び散った!


『自由をよこせよ。ブッ殺すぞ……?』


 案内役は頭から緑色の血を噴出させると、アスファルトを匍匐前進しながらタシターンに接近する。アシタバ製薬のバイオ技術を総動員した、恐るべきクローン警備兵である!

 命令待ちの警備兵が一斉作動し、要求に応じなかった場合の別プランに対応を切り替え始める。アタッシュケースから麻酔ライフルやスタン警棒を取り出し、捕獲対象に襲いかかる!


 タシターンはスタン警棒を持った2体の警備兵を四連続バク転回避し、当惑した表情を浮かべる。拘束具の質量がさらに増し、身体が重いのである。


『……ちょっとタンマ!! いや、これキツいって!!』


 後衛で銃を構える警備兵を確認し、タシターンはその場に転がって銃撃を回避する。即座に低くなる視点の先にいるのは、例の匍匐前進クローン兵だ!


『畜生……。横着はしたくなかったんだけど!!』


 タシターンは舌打ちをして、前衛クローン兵が持っているスタン警棒を凝視した。

 握っていた手が開かれ、警棒は振動を始める。震えたそれはふわりと宙に浮き、タシターンの手元まで引き寄せられた。


『人間は、こんなことしないもんな……。だからやりたくないんだよ!』


 タシターンは這いつくばった負傷クローンに警棒を打ち下ろし、返す刀で前衛クローンの腰を蹴り砕く。怯んだ前衛を前蹴りで吹き飛ばし、後衛の射線上に立たせた。

 既に引き金の引かれていたライフルから麻酔弾が射出され、前衛の背中を狙撃する! 背広から緑の血が噴出!


『隙だらけだァ!』


 フリーズした後衛の持っているライフルを引き寄せ、タシターンは無防備な眉間に何発か麻酔弾を浴びせる。


 倒れ伏すクローン兵を目で追い、駐車していた愛車を起こす。社章入りの増援トラックが、既に近づきはじめていたからだ。


『ったく……。随分と厄介な家出を決意したんだな、オレ!』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る