ベネフィット・オブ・プレイ #2

 周防は周囲を注意深く観察しながら、いおりへ続く渡り廊下を歩いた。何らかのルールに則って整えられた落葉樹の一本に雀が留まり、中庭に造られた池に紅いモミジが浮かんでいる。


 モダニズムに支配された最新鋭のガラス張り建築が特徴的なオフィスの陰に、異質なほどにその存在を主張している区画がある。

 この国の旧い伝統を愚直なまでに再現したその場所は、現代社会が忘れた侘び寂びやみやびさを静かに伝えている。斑鳩相談役の私有地であるらしい。


 周防は障子に手を掛け、失礼します、とやや上擦った声を放つ。手のひらに汗が滲んでいた。


「ん、入ってええよ」


 鈴の音のような声が響き、周防は腹に溜まった緊張を一息で吐き出す。しっかりと力を加え、障子を開けた。


 交渉相手は、周防に背中を向けて作業に執心していた。発酵食品の香りが仄かに漂っている。


「斑鳩相談役、お時間をいただき申し訳ありません」

「気にせんでええよ、えっと……」

「周防です。アシタバ製薬のコンサルタントをしています」

「あぁ、この前の……。堪忍ね、人サマの名前が覚えづらくて……」


 着流しの男は周防の方にちらりと目をやり、目的を見定めるように目を細めた。しかし、腕は繰り返し鉢の中身を掻き混ぜている。


「すいません、それは一体……?」

「これ? 君にとって興味のある話題だとは思えへんのやけど……」

 斑鳩は粘度の高いそれを麻袋に詰め込むと、袋の端をちぎって小さな穴を開けた。

「練り餌よ。庭の鯉に食べさせるやつ」


 斑鳩は畳に置かれた上質な陶磁器の皿に小さく丸めた練り餌を並べると、縁側まですたすたと歩みを進める。苔むした岩で囲まれた池には発育の良い錦鯉にしきごいが数多く放されており、そのどれもが口を開けて餌の供給を待っていた。


「鯉は気楽でええと思わへん? 黙ってても肥えられるほどに餌が回ってくるんよ?」

 投げ入れられた餌に群れる魚群を見ながら、斑鳩は独り言のように呟く。

「でも、美味しい餌には限度がある。皿に乗せられる数は無限じゃないんやから……」


 一匹の鯉が他から餌を奪った。膨らませすぎた風船めいて太ったその個体は、水面に浮いた欠片まで食い尽くそうと口を大きく広げた。


「だから、出る杭は打たれるんよ。欲張りな鯉は、もっと大きな力から干渉を食らう」


 一番太った鯉が跳ねる。飼い主と目が合ったその個体は、その場で硬直したかのように横たわった状態で水面に叩きつけられた。

 斑鳩が手を叩くと、唐突に現れた黒服が手網でその鯉を引き上げる。斑鳩は近辺の清水で手を洗い、周防の方を向き直した。


「で、話って何かな?」


 示唆的だ。周防の理性がそう警鐘を鳴らしている。躍進するアシタバ製薬について、この男は良い感情を抱いていないのだろう。権力の寡占化を警戒していることは、1週間前の会合からもわかる。ただ、その警戒は周防の目論見にとって邪魔なのだ。


「今日は、帝亜建設の伊村社長の件について聞きに参りました」


 周防は背筋を伸ばし、できる限り交渉を円滑に進められるように、強気でいることを心がけた。反射的に耳に手をやる。


「あぁ、自殺されはったんやった? 残念やわぁ、せっかく円滑なビジネスができると思っとったのに……」


 斑鳩は黙祷を捧げるかのように目を瞑り、胡座あぐらをかいてわずかに体を揺らした。


 周防は訂正をしなかった。ここで下手な手を打てば、この作戦そのものが崩壊してしまうだろう。


「今は、警察が帝亜建設について捜査をしている最中です。なんでも、社長には贈賄の容疑がかかっているらしいんですよ……」

「へぇ、それはまた難儀やねぇ」


 斑鳩は涼やかな笑みを絶やさない。全てが初耳でないかのようだ。


「賄賂を送った企業まで丁寧にデータ化していたらしいのですが、その機密データを管理していた社員がミスをしたらしく、記録媒体を紛失してしまった、と聞きました」

 周防は正座したまま前のめりになり、畳に拳をつけた。

「そのデータ、今は誰が持っているんですかね?」


「……何が言いたいん?」


 斑鳩は目を細めるのを止め、周防の心を観察するかのような冷ややかで鋭い視線を向けた。周防はたじろぎそうになるが、唾を飲み込んで堪える。


「……企業相手に脅迫を行うような輩はたくさんいます。相談役もお気をつけくだ」

「せやから、何が言いたいん? ウチにやましいことは一切ないけど」


 斑鳩は口元を袖で隠し、クスクスと妖しく笑った。剣呑な雰囲気を隠してはいるが、しなやかな挙動の端に人を食ったような雰囲気が滲んでいる。


「せやねぇ、こっちからも質問していいかなぁ? 君ら……いや、君か。君は何の目的で、この一帯の業務提携なんてやるつもりなん?」


 周防は沈黙した。これがアシタバの意志でないことは見破られている。となると、自分はこれを言っていいのだろうか?


「ただの愛社精神、なわけないわなぁ……。君がそんな真っ直ぐなサラリーマンやとは思えへんし。あっ、もしかして野心?」


 周防はパーマを当てた髪を軽く撫で、小さく息を吐いた。キャメルスーツのジャケットの襟を掴むと、ぽつりぽつりと語りはじめる。


「……アイツの、アシタバの夢を叶えるためですよ」


 ルームシェアをしていた学生時代から、周防は芦束の研究内容をあまり理解してはいなかった。何度聞いても理解のできない次元にあったが、周防は彼の研究に対する熱意に、憧れに似た感情を抱いていた。

 共有していた部屋を実験のために亜熱帯の密林に変えられた時に大喧嘩した事を除いて、周防は親友の怪しげな実験を眺め、その理解出来なさを楽しんでいた。


 芦束が会社を興すと聞いた時、周防は不安で気が気でない状態だった。親友に経営の心得があると思えなかったのは勿論だが、部下の教育や他社との交渉などのコミュニケーションをあまり得意としていない彼をサポートしてやらねばならないという義務感に突き動かされたのである。幸いにも、周防は企業経営の方法を学んでいる最中だった。


「夢……? あぁ、だから……」

 斑鳩は気が抜けたようにぽかんと口を開けるが、すぐに余裕を取り戻した。

「なるほどねぇ、なるほど……」


「お忙しい中、ありがとうございました。また機会がありましたら、よろしくお願いします」


 周防は一礼をすると、逃げるように足早に庵から出ていった。自分が赤面していることに気付き、髪をくしゃくしゃと掻く。


「夢、ねぇ……。もし目的がそれなら、厄介やわぁ」

 斑鳩は手のひらから小さな紫炎を放出させると、行燈に近づける。

「いや、でも……。これはこれで面白いかもしれへんね」


 行燈は畳に置かれ、火を点けられる事はなかった。油の入った皿の底に焦げた写真の炭が残っていたが、それも忘れられていくだろう。


    *    *    *


『バイタルが凄く乱高下してたけど、死ぬほど緊張してた?』

「うるさい。社長室でモニターしてる奴に無責任なこと言われたくないよ」


 骨伝導の小型インカムから聞こえる能天気な声に呆れながら、周防はリムジンの後部座席に乗り込んだ。クローン警備兵を転用した運転手は無言で頷き、アシタバ製薬の本社に向かう。


『ごめんごめん、酷な仕事を任せたかもしれない。でも、僕がやってたら多分喰われてたよ!』

「だろうな。で、こうやって変な計測機器まで付けたんだ。成果はあったか?」

『無いよ? 周防の弱み握れないかなぁ、と思って付けただけだよ……』

「友達やめていいか?」

『冗談!! いや、かなり成果はあった。あとは君の目撃談と照会するだけだ』


 芦束は少し息を継ぎ、疑問を呈した。

『あと、一箇所だけ対話の時にノイズがあったんだけど? マイクの不具合かな……?』

「あぁ、うん、そうだ! 不具合だよ!」

 襟に付けたボタン型のマイクを外しながら、周防はそう答える。咄嗟にマイクを塞いでいたことが功を奏したようだ。


『ノイズならこっちで加工して復元できるよな……』

「社長、社長!? 結局、伊村社長の変死は斑鳩相談役の仕業ってことでいいんだよな?」

『あぁ、まぁね。ベルルムの報告通りだ。伊村社長は、あの鯉と同じような方法で殺されてる……!』

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