インベスティゲイト・ボーダーライン #2

 昼時の定食屋は、人種も職種も多様な様々な人が集う。そこにホワイトカラーやブルーカラーなどの区別はなく、皆が古びた店内のメニューに指を差す。部下とともに昼休憩を過ごしていた田丸も、その中の一人である。


「結局捜査は中止、か。死因の特定が不可能ってどういう事だよ……」

「そうっすね……」


 田丸は親子丼を口に運びながら、黙って下を向く部下を見遣る。スマートフォンを凝視し、顔色が悪い。


「おい、どうした? 食わないなら、もらうぞ?」

「終わった……ビットコイン……」


 呻く部下の背中をさすりながら、田丸は瞬時に隣の皿を引き寄せた。よく揚がったフライにソースを流し込み、ひと口で咀嚼する。田丸にとっては未経験の食感だった。


「……なんだこれ?」

「あぁ……アボカドっす。今、流行ってるんすよ」

「へぇ。こんな店でも出すんだな……」

「どの宗派の戒律も破らないから、人気あるんじゃないっすかね?」


 田丸はメニュー表を見つめた。長年この街で店を開いている店主の自筆メニュー表の下には、あらゆる戒律をクリアしていることを表す青丸が書き込まれていた。売り上げを伸ばすための努力に、思わず感心する。


「それにしても、この街も様変わりしたよな。今はトーキョーなんて誰も呼ばないんだもんな……」

「トーキョー? なんすかそれ……」

「お前、まだ三十路前だったか? 30年前のこの街の名前だよ。ニホン、なんて呼び方も今は教科書でしか聞かないよな……」


 カウンターの片隅で埃を被っている小さなブラウン管は、延々と相撲中継を流している。かつては国技だったこのスポーツも時代の流れとともに形骸化し、様々な人種の力士が土俵上で殴り合う総合格闘技と化した。

 横綱が対戦相手を持ち上げ、土俵の外に押し出す。動けない相手が怯んでいる瞬間に、横綱は土俵を蹴り、フライングボディプレスを決めた。客席から座布団とチップが投げ込まれる。


「……世も末だな」


 田丸は数年前の型の携帯電話を開き、メールを確認する。その待ち受け画面を見た部下は、意外そうに首を傾げる。


「お孫さんっすか? 可愛い子っすね!」

「あぁ、昔はな……」

 大きな眼を眼鏡で更に大きくした少女の待ち受け画面をちらつかせながら、田丸は溜め息を吐いた。

「今は引きこもりだよ……」


    *    *    *


 シルバーのセダンは赤信号に止められ、慢性的な自然渋滞の末尾に着いた。区画整理された並木道とオフィスがシンプルな5車線道路を彩り、前方の交差点は人でごった返している。


 須藤は警戒心を隠しながら、助手席に座る監視員兼部下を一瞥した。メレオはイヤホンを耳に挿し、ヘッドバンキングを繰り返している。


「嘘の潮流にー……っも愛だと……」

「ずいぶん上機嫌じゃないか……」

「……あっ、音漏れてました!?」

「いや、何でもない。……そのMDプレイヤーは?」


 メレオは膝の上に置いたMDプレイヤーを持ち、須藤に見えるように振った。


「よくCD買うんですけど、スマホに取り込む方法がわかんなくて!」


 イヤホンの抜けた本体から、ハイテンポなギターリフが漏れる。ボーカルのれたエロティックな低音が、一時車内を支配した。最近流行のパンク・ロックバンド、『ディストーション』の新譜である。


「昨日買って即入れたんですよ! どうです、カッコ良くないですか!?」

「興味が無い」

「今から興味を湧かせてください」

「……もうすぐ着くぞ」


 メレオの返答を遮るように、セダンは発進した。須藤は無心でアクセルを踏み、慣れた手つきでハンドルを切る。目的地には、三ヶ月ぶりに訪れることになった。


 周囲を取り囲む現代的建築に比べると、その建造物は異質だった。

 その古風な外観は30年以上の歴史を語り、一帯が発展から取り残されたようなノスタルジーさえ感じさせる。瓦屋根の上に置かれた看板には、厳かな書体で〈夕澄書房〉と書かれていた。


「……夕澄」

 メレオは呟く。


 須藤は戸に掛けられた木片から営業中であることを察知し、勢いよく引き戸を引いた。やはり建て付けが悪く、ミシミシと音を立てて戸が揺れる。


「いらっしゃ……あぁ、フミアキか。今日はなんの御用で?」


 20代前半の風貌をした店主は穏やかな笑みを絶やさず、ツルが無く鼻で留める形状のフィンチ眼鏡越しの瞳を細める。かつての相棒が三ヶ月ぶりに現れ、見知らぬ青年を連れているからだ。


「捜査協力の依頼をしに来た。この男について、調べてほしいんだ」

「ただの古本屋にこんな仕事させないでもらえます? フミアキの頼みだからやるんだけど……」


 メレオは本棚に置かれた古い音楽雑誌をペラペラとめくりながら、店主の様子をじっと観察していた。彼の存在は、メレオに複雑な感情を想起させる。


「……あの、夕澄ハクトさんですよね!?」


 ハクトは万年筆の動きを止め、メレオに向かって首を傾げた。


「……なぜ、私の名前を?」

「僕、赤間メレオって言います! 須藤捜査官の活躍についての資料を色々と確認させてもらったら、よくハクトさんの名前が出てきていて……!」

「……フミアキの部下の人ですか。よろしくお願いしますね」


 ハクトは笑顔を絶やさない。ただ、メモ帳にメレオの名前を瞬時に書いただけだ。


「この名前で良かったかな?」

「あぁ、漢字も間違いない……」


 ハクトは例の飛び降り事件の被害者の名を薄紫の万年筆で書き切ると、作務衣のポケットに万年筆をしまった。

 青いインクの丁寧な文字で書かれた名前は、ハクトが紙面に手をかざすことで別の文字に変貌する。被害者の詳細なプロフィールだ。


「はい。あっ、守秘義務!」


 ハクトは慌てて目を逸らしながら、綿密な情報の書かれた紙片を須藤に手渡す。須藤はその情報に一頻り目を通し、懐に入れた。


「捜査協力、感謝する。また何かあったら頼むよ……」

「待ってください……!」


 踵を返し、停めていた車に向かおうとした須藤は、ハクトに呼び止められる。


「南雲ヨウという少年について、何かご存知ですか?」


 雑誌に目を通していたメレオが顔を上げ、爬虫類めいて黒目がちな瞳をさらに広げた。


「南雲……ヨウ……って誰ですか!?」

「君は先に車に行ってもらっていいか? 今から二人で話すんだよ……」

「えっ、いや……僕いちおう監視や」

「行くんだ、いいね?」

「あっ、了解です」


    *    *    *


 須藤は畳に胡座をかき、目の前で佇むかつての相棒の表情を伺った。真意を隠す笑顔は消え、真相を追求する際の思慮深い瞳は紙片を凝視している。


「南雲ヨウなんて名前、ヒットしないんですよね」


 ハクトの兄が出会ったという少年の名前を紙片に何度か書き込んでいるが、新たな情報は浮かび上がらない。彼の能力は、対象の名前から真実を明らかにするという物だ。


「じゃあ、この名前は偽名か?」

「そうかなぁ……。ひとつ、この苗字から連想できる名前があるんですよ」


 ハクトはそう言うと、紙片に〈南雲あきら〉と書いた。


「この名は、DCCCの所属メンバーだったな。笛吹き男事件の関係者だったか?」

「ええ。アルカトピア警察の管理官にして、『ディークノア犯罪対策委員会』の創設メンバーです。まぁ、あの事件のせいで即座に取り潰されたんですけどね」


 須藤はその男の情報を確認し、感嘆した。資産家だった過去や、警察組織での所属まで精密に調べられている。

 ハクトの能力が映し出すのは、真実だ。そこに解釈の余地はなく、正確な事実が記されている筈だった。


「不自然に隠された箇所があるな……」

「気づきました? こんなこと、今までなら有り得ないんですよ!」


 滲んだ水彩画のようにぼやけた箇所は、本来ならディークノアとしての能力と事件後の顛末が書かれているはずだった部分だ。


「公式発表では、1人行方不明で1人殉職でしたよね? 私たちは、南雲氏の方が行方不明だと思い込んできた。愚兄……夕澄ライが死んだということは、志柄木さんが確認していたからです」


 ハクトの兄――夕澄ライは、12年前に死んだ。当時12歳だった彼を待ち続け、10年前のハクトは半ば人生に達観した観念を抱いていた。

 須藤はライを殺したとされていた死刑囚が脱獄した際に、ハクトと協力してその犯人を取り押さえたことがある。後で問い詰めると、その死刑囚はライを殺したことだけは否定したのだ。


「でも、愚兄の体験談は真逆だった。南雲が撃たれ、犯人を倒した愚兄は正面から撃たれた、と言うんです」

「志柄木さんが嘘をついていないなら、ライくんの傷は背中にあったんだったかな?」

「そこに矛盾が生まれるんですよね……。もしかしたら、愚兄は記憶改竄を受けたのかもしれないんですよ……」


 ディークの身体で蘇ったライは、生前の記憶を失っていた。とある少女と契約し、生活している様子を、須藤は近くで監視していたのだ。

 記憶を取り戻すとともに、ライは元の身体で活動することが可能になった。彼は若々しい少年の身体で素体と戦い、赤い月を生み出すきっかけを作ったのである。


「もしかしたら、愚兄を――夕澄ライを殺したのは、南雲陽なのではないでしょうか……? 何らかの秘密を隠蔽するために、兄に手をかけたかもしれない……」

「有り得ない話ではないな。ただ、南雲陽は当時50を過ぎた男だろ? 今の少年の体はどう説明する?」

「ディークの能力による若返りか、なんらかの手段による転生ですかねぇ……。ディークノアの能力を介せば、不可能ではないはず……」

「わかった、それも含めて調べてみよう……」


 去っていく須藤を見送り、ハクトは目を閉じた。元相棒に言えなかったことがいくつかある。彼は心の中でそれを反芻はんすうした。

 三ヵ月前、自分たちを監視していた真意は何なのか。ハクトの能力を持ってしても真相は掴めず、本人に問い質すしかないと考えてすらいたことだ。久しぶりに店に顔を出しに来たのは、僥倖だった。


 ハクトはメモ用紙の隅に書いた〈赤間メレオ〉という名前を凝視し、頭を抱える。これもまた、恐らく……。


「偽名って、よくわかりましたねぇ……?」

「どこから現れたんですか……」


 背後に立つメレオは、ぱちぱちと拍手をしながら、ハクトの瞳を覗き込んだ。蛇めいたしなやかな動きだ。


「あれ、もしかして警戒してます? さっきと表情ぜんっぜん違いますけど!」


 ハクトはメレオを睨みつけたまま、微動だにしない。直感で、危険な男だと認識していた。


「安心してくださいよ、僕はあなたの敵にはならないから」

「……私のことを調べているなら、嘘を嫌うこともご存知ですよね?」

「もちろん、それもご安心を! 僕があなたに吐く嘘は、たぶん一つだけですから……」


 ハクトは警戒を続けながら、穏やかな笑顔を取り繕った。他人に真意を悟らせない、そのような笑みだ。


「あなたの目的を教えてもらわなければ、信じるわけにもいきませんね……」

「えっ、嫌ですよ恥ずかしい! そういうのはもうちょっと関係を重ねてからで……」

 メレオは飄々とした態度で話題を逸らすと、憮然とするハクトに笑いかける。

「もちろん、黙秘は嘘にカウントしませんよ?」


    *    *    *


 バーラウンジを改装した溜まり場で、ジャック・ベルルムは加熱式の煙草を吹かす。水蒸気が天井のアダルティックな間接照明まで昇り、甘美な香りがラウンジを包み込んだ。


「社長、あまり行儀の良くない振る舞いは控えてください」


 隣に立つ秘書に注意され、ベルルムは脚を投げ出していたローテーブルを気怠げに蹴る。高価な革製のソファに背中を沈め、愉快そうにくくっと笑った。


「ネビちゃん、誰も見てないんだから別にいいじゃない。固っ苦しいと拗ねるぞ〜」

「そういうの、要りませんので」


 秘書のネイビィは黒のパンツスーツを身にまとい、鮮やかなブロンドの髪をシニヨンにしている。猛禽めいた鋭い眼光を理知的な雰囲気のあるセルフレームの眼鏡で隠す、敏腕の秘書だ。

 彼女は手元のタブレット端末に届いた通知を確認し、指で眼鏡を上げた。


「社長、レミニセンスからの達成報告です。ここに呼びますか?」


 ベルルムはソファに座ったまま、頷く。


 電子的な緑色の風が吹き、0と1の二進数で構成された塊がラウンジに降り立つ。それは現実世界の空気と混じり、機械的な黒甲冑が顕現した。

 黒甲冑は虚空からデータの塊を召喚すると、それを握って圧縮する。データ塊は、ネイビィの持つ端末に吸収された。


「もう一通、彼女からメールです。『そのコードネームはダサいからクロムと呼べ!』とのこと……」

「つくづく地獄耳だねェ……。ネビちゃん、インペリウムに解析依頼出しといて!」


 ネイビィは一礼をし、足早にラウンジを出た。ベルルムが手を払うと、黒甲冑も虚空に消えていく。

 ベルルムはダスターコートを翻し、カウンターに置かれたグラスを傾ける。中には氷水が入っていた。


「クライアント殺されて、タダで済むと思うなよ……ッ!」

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