インベスティゲイト・ボーダーライン #1
口の中にねじ込んだハムサンドを咀嚼すると、夜勤明けの脳細胞に栄養が行き渡る。田丸は酒焼けした声色で部下に
「飛び降り、か」
老刑事は部下の報告に相槌を打つと、頻発する偏頭痛から逃れるように歯を食いしばった。
くだらない事件だ。刑事課が出る局面だとは到底思えず、
「ガイシャの氏名は『
「遺書の類は?」
「ありません。突発的な自殺でしょうか?」
経営者の飛び降りなど、アルカトピアでは日常茶飯事だ。田丸は耳に掛けた楊枝を歯に刺した。
ただ、この手の案件では遺書がすぐに見つかることが多い。飛び降りた現場には、それが見当たらないのだ。
帝亜建設と言えば、国の公共事業にも関わる大手のゼネコンだ。親会社主導で行った発電所を中心とする工業エリアの建設や、湾岸エリアの埠頭近くに建てられたゴミ処理関連施設の運営などの収益は、かなりの利益になっているはずだ。株価の低迷も聞いたことがない。自殺する理由は、経営の低迷ではなさそうだ。
「田丸捜査官、あいつらが来ました……!」
田丸は屋上をぐるりと見渡し、異物を発見する。あいつらが来た以上、この事件は拗れるだろう。
「皆々様方、御機嫌ようです……! ちょっと下がってもらっていいですかぁ?」
慇懃無礼にぺこぺこと頭を下げる黒目がちの若い刑事はそう言い、コートを着たベテランの刑事を丁寧に案内していた。
アルカトピア警察きってのお荷物部隊、特殊犯罪対策課だ。田丸は蔑むような視線を向ける。
「税金泥棒どもが……!」
現場に一度も出ないくせに声だけは大きい権力者を、田丸は見下していた。その権威を盾に、組織から外れて独断を行う特対課も、である。
さらに、警察組織の縦割りさえも無視し、特権階級としてズブの素人に逮捕を一任しているとも聞いた。刑事としてはあるまじき行為だ、許せない。田丸の熱く燃える心臓に、燃料が注入されていった。
* * *
須藤は階下の遺体に丁寧に手を合わせると、被害者が立っていた場所に引かれたロープに目をやる。最大の証拠になりうる携帯端末は回収され、一見してそこに異変はない。素質を持っていない物はそう判断する現場だ。
それは、何かの粉末だった。煤のように床に積もり、一箇所に固まっていた。
これだけ捜査官がいて誰も気付かないならこの事件は自分が捜査すべき案件だ、と須藤は考えた。少なくとも、ただの飛び降り自殺ではない。
「何かが燃えた跡、ですかねぇ?」
「……見えるのか?」
「考えられるとすれば、被害者がここで能力を使ったか使われたか、ですよね?」
メレオはしゃがみ込み、証拠を探索する須藤にそう耳打ちする。
「なぁ、やはり君は……」
「やだなぁ。せっかくこの課に配属されたのに、何も見えないんじゃお荷物じゃないですか! 当然、素質持ちですよ。そっちの方が須藤捜査官の監視も楽ですし!」
「つくづく厄介だな、君は……」
監視員として配属された部下のことを、須藤は測りかねていた。常識的に考えれば、メレオの存在は須藤の独断を抑制させるための物だ。先生にとって、三ヶ月前の動乱は本当に予想外だったのだろう。
三ヶ月前、須藤は若いディークノア2人を保護し、その裏で監視を行っていた。先生が狙っていた素体が殺されることを防ぐためだ。素体は不死の遺伝子を持ち、殺されることを望むあまりに大量のディークノアを民衆に流していた。
須藤はその素体の在処を突き止め、同時に素体を殺されるという芽を潰しておくために、須藤がかつて所属していたディークノアの自治組織に監視対象を所属させた。監視の目が一括化でき、殺されることはないと考えたからだ。
しかし、伏兵が潜んでいた。素体を殺す者を探していた素体のパートナーの手引きによって、監視対象は素体を襲撃した。
結果的に、彼らは素体を殺すことができなかった。一棟ビルが犠牲になったが、先生の尽力でガス漏れによる爆発事故として処理され、回収された素体の右腕をアシタバ製薬に提供したのだ。ただし、赤い月という弊害は残ってしまったが。
先生は赤い月を『強固な金庫』と呼ぶ。難攻不落の巨大な牢は、アシタバ製薬の科学の叡智を持ってしても暴けなかった。先生の望みが叶うまでは、赤い月は進入禁止になっている。
先生子飼いの監視員は、最終通告かもしれない。これ以上の独断は、やはり許されないだろう。
「須藤捜査官、検死官から死因の特定来ました。打撲でも失血死でもなく、『変死』だそうです!」
メレオはニヤニヤと笑い、声を落とす。
「落ちる途中で死んだらしいですよ。検死官も匙を投げましたね、これ!」
「現場ではあまり笑うな。不謹慎だ」
須藤は毅然と答え、メレオの次の言葉を制した。
「捜査、行くぞ。ある程度、情報源はあるんだ」
* * *
深夜二時。立ち入り禁止のテープを越え、一つの影が屋上に降り立った。
漆黒のプレートアーマーは宵闇に溶け、流線的なフルフェイスメットのスリットから覗く機械的なグリーンの眼光が犯行現場を捉える。滑らかな球体めいた肩部をゆったりと動かしながら、鈍重で頑強な体躯をロープに接近させた。
重い肩部から伸びる腕は、意外にも細い。アンバランスな風体の甲冑を器用に動かし、被害者が踏み止まっていたコンクリートに触れる。
黒甲冑は満足げに頷くと、サイバネティックに眼光を明滅させた。あとは目的地に帰還するだけである。
眼下に伸びる高速道路の高架を見定め、黒甲冑は跳んだ! 数十メートル先を走っていたトラックの貨物用コンテナ上に着地し、機械的な呪詛を唱える。
次の瞬間には、黒甲冑は跡形もなく消えていた。トラック上には着地跡一つ残らず、運転手は突然の来訪者に気づくことは無い。そのまま料金所を通過し、何事も無かったかのように日常に帰っていくのである。
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