ライク・ストーン・イン・ミスト #3
新田の人生を折れ線グラフにすれば、ひどく面白みのない一直線ができるだろう。浮きもせず、沈みもせず、それなりに平凡な幸せを掴んできた。出世も没落も彼にとっては無縁で、平凡なりに愚直に仕事と向き合ってきた。実力主義に染まりかけた現在のアルカトピアでは、その姿勢を貫いて職を失わなかったのは奇跡だ。
故に、老いた警備員は目の前の戦闘を収める方法を知らなかった。
スカルプチャーは、目の前の向日葵の像の花弁を一つ千切った。調和を失ったその像はかえって生き生きとしたようで、花を瞬時に別の物質に変えた。煌々と輝くサーチライトである。
「俺に楯突いたこと、後悔させてやるよォ……!」
スカルプチャーは像の後方を叩き、サーチライトを起動した。白い霧に一筋の光が射出され、ヨウの視界を奪う!
「……!?」
ヨウは腕を顔の前にかざし、咄嗟に防御姿勢を取る。しかし、然しものディークノアも光の速さまでは対応できない! 一手遅れ、彼の眼前はホワイトアウトした!
その瞬間、ヨウの身体は硬直した。鳩尾に衝撃が走り、仰向けに倒れる。何者かに、腹部を殴られたのだ。
「確か、生け捕りって言ってたよな……」
カラフルに明滅しながら霞むヨウの視界に、異形の巨躯がちらついた。
岩石めいた硬質で武骨な身体に、荘厳にして冒涜的な頭部が繋がっている。およそ現実では考えられないようなアンバランスな美しさを兼ね備えた異形は、フィクションにおけるゴーレムとしか形容できない形状だ。
「ヒャハッ、いいねェ……!! これでこそ、
敢えて荒々しく彫られ、雄々しさを強調した巨大な腕がヨウを掴み、ダイヤモンドのように切り落とされた背面に乗せた。
「行くぞ、ゴーレム」
スカルプチャーが勝利を確信し、時間短縮のために地上に飛び降りることを思いついた瞬間、である。
『待てよ……』
先刻までヨウの後方に潜んでいたオオカミが、興奮を抑えてコンクリート床から立ち上がったのだ。
『お前ら、この間のクローンみたいな連中の関係者か? 見たところ、俺らと同類みたいだが』
「あァ、お前も捕獲対象だっけ」
人間のように話すディークも居るのか、とスカルプチャーは意外に思った。そう考えると、自分たちが支給されたモノより存在感がしっかりしているような気がし、彼は無意識的に首を振る。
関係ない。自分が人間を超えたことは確かなのだから。
「クローンがどうとかは知らねェな。お前らを追ってるクライアントについても、俺は聞かされてねェ……。知らないことだらけだな、俺!」
ゆくゆくは聴けるようになるのだろう、とスカルプチャーは楽観視していた。
「ただ、俺の所属している組織ぐらいは聴かせてやってもいいか……」
スカルプチャーはスタッズに塗れた豹柄の上着を脱ぎ、黒のタンクトップから覗く細腕を晒した。ルーン文字めいた刺青が彫られている。
「『ベルルム』だ。死ぬまで覚えとけよ」
スカルプチャーは自己陶酔に浸りながら、オオカミの方を指差した。剛腕がそこに向かって伸び、巨大な腕がオオカミを隠す。
『待て、待ってくれ! 俺をアイツの近くに置かないでくれ!』
オオカミは焦りながら、銀の体毛を逆立てた。
『アイツ、何するかわかんないんだよ! 近くにいるなんて危険すぎるって!』
「お、命乞いか? 悪いねェ、これも仕事なんだ……。ヒャハハハ!!」
『頼むよ、アイツ怖いんだって……! 何考えてるかわかんねぇし……それに、』
轟音と共に、ゴーレムが倒れる。その背中は砕け、鉄拳が貫通していた。
『お前より強いんだよ!! バーーーカ!!』
ヨウは生命活動を停止したゴーレムの背中を蹴り、コンクリート床に着地した。その衝撃でゴーレムは更に砕け、無残に外殻が散る。
『悪いな、こんな奴でも相棒なんだ。一蓮托生だよ、畜生ッ!』
「ミカオ、ちょっと言い方ひどくない? 突飛なのは僕のいい所でしょ?」
『……まだ文句が足りなかったかもしれないわ!』
スカルプチャーは言葉を失った。自らを馬鹿にされた怒りと驚愕がブレンドされ、最高傑作を打ち砕かれた心情は心の外に飛んだ。
「お前、どこからそんな武器を……」
銀に輝くナックルダスターを前に、スカルプチャーはそれだけを口に出すのがやっとだった。
「え、これ? 君、オリジナルの武器持ってないの?」
「オリジナル……?」
そんな物が作れるなどとは、聴かなかった。スカルプチャーは己の胸に潜む蝶に対話をしようと試みるが、それは口を開かない。
「クソッ、オリジナルなら出来るってことかよ……!!」
スカルプチャーは悔しげに地団駄を踏み、床に伏した。何もやる気が起きなかった。
『どうする、ヨウ?』
「倒しとこうか。探索で像に追われるのはめんどくさいもんね」
ヨウは拳を握り、目の前でひれ伏す男に照準を合わせた。
「やめなさい……ッ!」
拳を振りかぶり、打ち抜く手は空を切る。ヨウは羽交い締めにされ、身動きが取れない状態にある。
背後をのぞき込むと、老警備員が鬼気迫る表情でヨウの腕を掴んでいた。
「スカルプチャーさん、今のうちに早く仕事を終わらせてください! 初仕事なんでしょう!?」
新田にとっても、今の状況は意味がわからなかった。彼らの応酬はあまりにハイスピードで、一般人の理解の外にある。虚空から声が聞こえ、スカルプチャーがそれに応えた時、彼は自分の頭がどうにかなったのかと邪推した。
理解の外にある物を目にした時、新田はその光景を自分の普段の仕事に押し込めた。つまり、屋上に飛来した少年は社屋に侵入した不審人物であり、自分は警備員として取り押さえなければならない、ということだ。
新田は職務に従い、少年を取り押さえた。無意識的に、『任された仕事は責任を持って遂行しなければならない』ということをスカルプチャーに伝えようとしていたのかもしれない。
老兵が若人に託す、人生の金言に近かった。
「ありがとよ、おっさん……!」
スカルプチャーはのろのろと立ち上がり、細いロープめいた蛇の像を造る。新田の声に突き動かされるように、一歩づつ、確実に歩を進める。
『ヨウ、どうした? 早く逃げようぜ!?』
「いや、まだだ……!」
ディークノアの身体能力を持ってすれば、あまり鍛えていない老警備員の拘束を解くことなど容易だ。
しかし、ヨウは敢えて微動だにしない。この場における最善の方法は他にあると考えたからだ。
「……俺の初仕事の獲物になったことを喜ぶんだな。捕まってる間に俺の作品をたくさん見せてやるよ!」
ロープを持った腕が自らの腰に迫る瞬間、ヨウはするりと拘束を抜けた。そのまま全速力で屋上の端まで疾走し、転落防止柵を飛び越えた!
「……何だとッ!?」
ヨウは高飛び込みの要領で身体を丸め、霧の隙間で目指す目標に狙いを定めた。大理石に囲まれた噴水だ!
正確無比な着水で身体への衝撃を最小限に留め、ヨウは濡れた顔を上げた。
『……相変わらず突飛だよな、お前。風邪ひくぞ?』
「歩いてれば服も乾くでしょ!」
* * *
「あの、邪魔をして申し訳ありませんでした……」
「いや、今回は俺のミスだよ……。上にどう報告するかなァ……? いっそ、俺も飛び降りるか?」
スカルプチャーは空を見上げ、口を尖らせた。初仕事に失敗したのだ。このまま、あの中年男や獲物のように飛び降りてしまいたいとさえ思った。
「あの、私が言うのもどうかと思うのですが……。生きていることが大切だと思うのですよ」
不意に、新田が訥々と語りはじめる。
「この街に生きていると、明日がどうなるかなんて分かりません。深い霧の中を歩くような物です。だからこそ、霧の中の石にしがみついてでも、歩みを止めてはいけない。私はそう生きてきました……! だから、貴方も……」
スカルプチャーは誰かに指図されるのを好まなかった。これまでの人生で、人格者のように進む道を押し付けてきた大人達は、道を外れた彼を見放していたからだ。
だが、今回くらいは話を聞いてやってもいい、とスカルプチャーは思っていた。過酷な仕事を共に歩んだ戦友に抱くような感情を、新田に抱いている。
「おっさん、スマホ持ってる? SNSのアカウント教えてよ」
「携帯なら持ってますけど……」
「じゃあ、アドレスでいいや」
スカルプチャーの創作意欲が刺激されていた。彼はコンクリート床に大きな薔薇を描き、キャンバスのような白い空に咲かせようと腕を大きく振り上げた。
深い霧は、既に晴れていた。
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