エスケープ・トゥ・アナザームーン #3

『自己紹介……は後でいいか! とにかく、危機的状況だろ?』


 ファー付きの黒いコートを来た少年は、闇に映えるワインレッドの瞳をヨウに向ける。ミディアムの黒髪の毛先に、瞳と同じ色のメッシュを入れていた。


「このサングラスの連中にも、若干のディークノア反応はあるんだよね……!?」


 ライムグリーンの髪をした少年は、白銀のロングソードを虚空から出現させ、ニヤリと笑う。

「まったく、また平穏が崩れ去るのか……!」

『ラン様、言葉と表情が一致してないですね』

 傍らに立つバクがライムグリーンの少年をそうたしなめ、それを聞いたもう一人が噴き出した。

『さて、お仕事の時間ですよ!』


 黒髪の少年はフードを被ると、手元に二丁拳銃を出現させた。駆け出しながら警備兵の肩を撃つと、呆気に取られる敵の頭に銃身を打ち下ろす!


『血ィィ……じゃない! なんか緑なんだけど!!』

「人間じゃない、と」

 警備兵の胸に剣を突き立て、少年は尋ねる。

「ライ、躊躇はしなくていいよね?」

『大事にならない程度にな! 国家権力の後ろ盾そんたくはもう無いぞ!!』


 壁を走るように駆け上がり、ライは警備兵の頭上数メートルを飛翔する。背中に生えた羽が、彼の身体を空中で静止させた。


『フィリップ! 手伝って!』

「はいはい……」


 額に銃創が空き、警備兵は崩れ落ちるように倒れていく。その身体がアスファルトに当たる瞬間、五つの背中に剣が同時に突き刺さった。


『よし、ナーイス!』

「こいつら何者……? あんまり触りたくないんだけど……」


 緑髪の少年が嫌な顔をしながら警備兵に貫通した剣を一本抜くと、残りの剣は霧散したように消えていった。


『そこの少年、なんでこいつらに追われてたんだ?』


 ライが物陰に隠れているヨウに尋ねると、彼は観念したかのようにビルの隙間から這い出た。


「少年、って……。パッと見、僕より年下に見えるんだけど……」

『なっ!? フィリップ、なんか悪い気しないわこれ!』

「ナメられてるんだよ……」

 フィリップは自身より小柄な相方のフードを取る。

「あと、この服。威厳出そうとしてる?」

『死神とか執行者っぽくってカッコいいだろ? お前ならわかってくれると思ってたんだよな……!』

 瞳を輝かせるライを無視し、フィリップは隠れていた少年の様子を見る。

「あー……怪我はない? 付きまとってる生物に『願いを叶えてやる』みたいな勧誘受けてるなら、しっかり契約条項は確認しとくべきだよ。あとで死ぬほど後悔するから」


 フィリップという少年はコミュニケーションに慣れないのか、積極的に目を合わせようとはしない。その様子をフィリップの背中越しに確認しながら、ライはすぐさま前に躍り出た。


『名前と住所、わかる?』

「名前だけなら何とか……」

『……待て、もしかしても……?』

「ヨウです。なぐ……」

「ライ! 油断するな!!」


 フィリップが叫ぶ。ライが振り向いた瞬間、その視界に銃弾の影がちらついた。


『あー、このしぶとさ懐かしいわー!』

 ライの頬が切れた。彼は流れた血を指先で拭い、飴細工のように練る。


『敵の血が使えないのはあの時以来か……』


 ライが手近なゴミ箱に捨てられた紙屑や空き缶に触れると、それらはすべて血に変わっていく。

 水を張った金魚鉢からコインを取り出すように、血にくぐらせた手に銃弾を握り、ライは復活した敵を見据えた。


『新技いきまーすッ!』


 赤銅色に光るリボルバーから発射された弾丸が、警備兵の身体を急襲する! それは吸い込まれるように身体に残り、ワイシャツに緑のシミを残した。


『ずっと攻撃喰らってりゃ、復活しかできなくなるでしょ……』


 スーツを貫通するかという勢いで、内側から四方八方に飛び出した棘が警備兵の身体を蝕む。回復すら間に合わないほどに、銃弾から生み出された異物は、着実に警備兵の反撃のタイミングを奪い続けていた。


『これでも死なないってことが怖すぎるんだよな……』


 続いて向かってきた2体に血の棘を喰らわせながら、ライは残りの警備兵の様子を確認する。


『フィリップ、リラックス!! 肩の力抜いてー!』


 白銀に輝く閃光が、警備兵の肩を抉った。そのまま背後から襲いかかる一体を二人目のフィリップが切り裂き、動きを止めさせる。


『ラン様、太刀筋が……』

 傍らのバクが心配そうに放つ声を、フィリップは封殺する。

「分かってる。大丈夫、問題ないんだ……」


 それは従者、というより自身に向けて放った鼓舞だ。屈辱の記憶を上書きするように、彼は首を振る。


 フィリップは退屈を紛らわせるつもりで、今まで様々なディークを狩ってきた。無敗、常勝。ディークとの契約で手に入れた身体能力で、正面から向かってきた敵はすべて斬り捨ててきた。

 しかし、三ヵ月前だ。彼が初めて全力でぶつかった相手は、欠伸とともに傷を癒し続けていた。どこか危うげに壊れた、儚げで強かな金髪の少女だ。彼女は、フィリップに殺されたがっていた。

 結果として、フィリップは彼女を殺せなかった。彼の込めた覚悟は、彼女の『呪い』には歯が立たなかったのである。


 フィリップは頭を振り、集中力を高める。

「決着つけてやる……ッ!」

 目の前の敵に。或いは、屈辱の記憶に。


 剣を握った拳に汗が滲んだ。敵が持つ再生能力への既視感は、フィリップの余裕を着実に削っているのだ。


「僕は変わったんだ……! 狩ってやる、狩り尽くしてやる……ッ!」


 握った剣が増え、フィリップは分身するかのように増殖を始める。彼が創り出したコピーは警備兵たちを包囲し、矢継ぎ早に剣撃を浴びせた。

 警備兵の首が飛び、意識が飛んだ肉体は瞬時に崩れ落ちる。残った頭に、心臓に、何人ものフィリップが念入りに剣を突き立てる。


「打ち続ければ、どれかは核を貫くよね……」


 警備兵だった肉塊に背を向け、フィリップはヨウの方へ向き直った。


『ナイス、フィリップ!』


 戦闘を終えフィリップの肩を叩こうとするライを、フィリップの従者ディークが制する。主人がアスファルトに座り込み、瞑想をするかのように俯いていたからだ。


『お互い持続するのキツイよな、わかる』


 警備兵の内側から飛び出た棘と、肉塊を貫き続ける剣。どちらも彼らが集中するのを止めれば、闇に溶けて消えてしまうだろう。


『ったく、だから無限回復系は嫌なんだよ……』

 ライはポケットから取り出した小さなチョコレートを口に運びながら、うずくまるヨウに語りかける。

『少年、ナッツチョコは嫌いかい? 何個か余ってるんだよ……』


 手渡されたチョコレートは、ヨウを満腹にするだけのエネルギーを秘めていた。ゆっくりと噛み締めるように口に運び、ヨウは一礼をする。


『誰に追われてたんだ? えっと、名前……』

「僕はヨウ、南雲ヨウ……だと思う」

『はぁ!? 南雲ォ!?』


    *    *    *


「戦闘終了……。やはりディークノアには歯が立ちませんでしたね」

 研究員はそう語りながら、緊張した面持ちでクローン警備兵の初仕事を見守る上司の様子を伺った。ミント菓子を食べる手が止まっている。

「そんなの分かりきっていたじゃないか。問題は『どれだけ足止めが出来たか』だ。データとしては十分だったね」


 タブレット端末に映る複数の映像を前に、芦束は黙考していた。

 路上を映す監視カメラの画質が悪い映像と、クローン警備兵のサイバーグラスに搭載された高画質視点カメラ。どちらも凄惨な戦闘の痕跡を正確に記録している。


「清掃員を派遣しろ。銃痕や一般人の死体の隠蔽を頼んでくれ」

「承知しました。ベルルムの連中に依頼をしておきます」


 部屋から出ていく部下から目を離し、芦束は画面の左下のバイタルサインに着目する。五体の正常な波形の隣に、一体の心拍が停止した波形があった。

 芦束はその一体――N-0471――の視点に切り替え、動画を最初から確認する。走るたびに揺れる画面に酔いを感じながら、警備兵が逃走者を追い詰める瞬間をじっと観察していた。

 逃走者の拳が画面の端に映り、視界がふわりと浮き上がる。画面いっぱいに鉄の拳が映った瞬間、バイタルサインが脈打った。


「…………!?」


 視界カメラが歪み、モヤがかかったかのように霞み始める。心拍が緩やかに凪を作り始め、やがて一本の線に変わった。動画の再生が終わる。


 すぐさま他の警備兵の視界に切り替え、先程追っていた一体の姿を確認する。明らかに

 顔の皺が新たに出来て、スキンヘッドは萎びている。身につけたスーツの丈が合わないほど痩せ衰え、さながらミイラや即身仏のように老化した状態でアスファルトに転がっていた。


「有り得ない、って顔してるな……」


 不意に気怠げな声が耳元から聞こえたので、芦束はびくんと身を震わせる。彼の背後から、ダスターコートを着た男が端末の画面を覗き込んでいた。


「こいつら、不死なんだろ? お前さんのところで作ったクローンは、まさか不老なのか?」

「一般的に、クローンは早期に老化すると言われてる。しかし、使った細胞は永久に若さを保てる物だという。そんな代物が、こんな突飛に覆されるなんて……」

「考えられるとすれば、その逃走者の能力だろうなァ……」


 所々に白髪が目立つ茶髪の男は、腰掛けていた机から軽快に立ち上がった。義眼の右目をくるくると動かしながら、少し巫山戯ふざけたようにお辞儀をする。


「不肖、ジャック・ベルルム。依頼と聞いて推参いたしましたァ……!」


 元傭兵が率いる人材派遣会社と契約をし、アシタバ製薬は急速に事業を拡大してきた。躍進の裏で行った化学工場否定派住民の立ち退きや競合他社のスキャンダル漏洩などは、主にこの会社の仕事だ。


「報奨は、クローン警備兵を数体譲渡するということでいいか?」

「ケチな事言わないでくださいよォ……。社長?」


 ジャック・ベルルムは健在な方の眼をギラギラと輝かせ、何かを企むような視線を向けた。潜り抜けた修羅場の数が違うのだ。


「ディーク可視化の新薬。あれの臨床実験って、まだでしたよね?」

「わかったよ。それと足りない分のデミ・ディークも提供する。でも、新薬は副作用が……」

「うちは人手だけは多いんだ。八割死んでも二割がディークノアになるならお釣りが来る。あの身体能力とかは、きっと新たな市場に需要があるはずなんだよ……」

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