『手足などなくともいい』
二人が本気で走ったらただの一般人なんかは簡単に振り切ってしまえるだろうが、そこはうまく調整をしているようだ。
「無駄じゃ。このくらいの距離ではワシの波動から逃れられはせん」
先頭を歩く町の人が得意気な笑みを浮かべて、老人の声で低く言い放った。老人が町の人を操って言わせているのだ。指導者の持つ術の一つなのだろう。
通常、魔術師でない限り波動術は術者から離れれば離れるほど効力が低下していく。
二人が町の人を老人から遠ざけて洗脳を解こうと企んでいるとでも思っているのだろう。
術の効力範囲に自信があるらしく得意になっているのだ。
だが、マリンの狙い通りに進めば老人のあの不気味な笑みを消すことができる。
マリンはその機会を逃さないように、集中して伺っていた。
二人が岩山の狭間に逃げ込み、町の人たちも後を追い次々と岩山の狭間に入ってくる。
「連れてきましたよ。もっと奥まで誘導したほうがいいですか?」
すでに岩山を切り崩すつもりでいるのか、ユーリは腕に鎌の力を宿し見上げて微笑んだ。
「ありがとう。そんなことをしなくても大丈夫よ。こうするから……」
マリンはユーリに微笑み返すと、意識を集中させて大きく息を吸い、ゆっくり吐き出すと同時に麒麟の中和の力を発動させた。
マリンを中心に視界を奪うほどの白い光が円状に拡がって行き、周囲を包み込む。ユーリもクレオも町の人も岩山も、一定の空間を全て飲み込み、白一色に染め上げた。
麒麟の中和はユーリが体に宿した鎌の力も、クレオを包む波動も、町の人を操っていた老人の術をも掻き消して解放していく。
術から解放された町の人たちは、糸が切れた人形のように意識を失ってその場に倒れて行った。
マリンの狙いは始めから中和で町の人たちの術を解くことにあった。これが一番安全かつ合理的だ。術さえ解けば町の人たちがあの妖怪染みた老人に協力することはないだろう。
戦う理由がなくなるのだ。
だが、これまで波動術を使っていた術者を中和したことはあっても、波動で操られた人を中和したことはなかったため、意識を失うなど考えてもいなかった。受身も取れずに倒れていく人々を見て、怪我はしないだろうかと心配になった。
「おお……。ワシの術がこうも簡単に……。これが中和か。なかなか厄介じゃわい」
老人がマリンの放つ中和の光を見つめて憎々しげに呟くと、顔を顰めた。
「素晴らしい。あれを解明したいものだ。君、あの少女を確実に捕らえたまえ」
「無傷で、と言うのは難しいですぞ?」
「生きてさえいればいい。手足などなくともな」
「貴方がたの研究は我々にもなにかと助けられる。そのように致しましょう」
スーツの男が人差し指で眼鏡を押し上げて、口許に冷たい笑みを浮かべた。なにを企んでいるのかは分からないが、ろくでもないことであるのは明白だ。
マリンはなぜか、老人よりも、まだ術も見ていないスーツの男のほうに恐怖を感じた。
生理的な悪寒なのかも知れないが、術者としてではなく、なにか得体の知れない黒い闇を抱えているような気がしたのだ。
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