第15話『バカでいいもん』

「マリン!」

 その時、強い力で腕を掴まれると同時に叫ぶように名を呼ばれて、マリンは閉じていた瞳を開いて目を瞠った。

 踊り場に伏せて手を伸ばし、マリンの手を握り締めながら心配そうな眼差しを向けてくるノルンの姿が視界に飛び込んできた。

 ノルンも風紀委員である以上、今まで一般人の避難や、救助に走り回っていたはずだ。その上、辺りにはまだマリンが発動させた麒麟の力が停滞しているために、一角獣の力は使えない。

いくら鍛えているとは言っても、今のノルンは疲れきった体育会系の少女に過ぎない。

 握り締めてくれている手が痙攣をしている。

今のノルンにマリンの身体を支えるのは辛いだろう。

「マリン。大丈夫?」

自分も疲労困憊なのに、懸命に声を掛けてくれるノルンを見て元気を分けて貰ったような気がした。

「大丈夫なように見える?」

「あはは。そんな毒つけるなら大丈夫だね」

笑みを浮かべて冗談半分で言うと、ノルンは笑いを洩らしながら言った。

 マリンは手に力を込めて、どうにかノルンの手を握り締めた。ノルンには引き上げることはできないだろうが、手を離したら赦してくれないだろう。

 ノルンは風の道と言う、名前の通り風を平面状に集結させて道を作る術を持っているが、皮肉にもマリンが発動させた麒麟の中和が邪魔をして使うことができない。

 今は助けが来てくれるのを待つことしかできなかった。

「うん。そう。捕まって。正直、引き上げてあげられないけど、今、みんなが助けに来てくれるから、それまで堪えよう」

「うん。頑張るけど、だけどあんた、無理だと思ったら離してくれていいから……」

「そう言われて離せるわけないよ」

 段々と腕が痺れて力が入らなくなってきた。それはノルンも同様のようで、腕を握る手には力を感じずにプルプルと小刻みに震えている。

 このままではノルンを巻き込んで二人一緒に落ちてしまうのが目に見えている。マリンは瞳を閉じるとノルンの手を離した。

「マリン!? なにしてるの! 手を掴んで!」

ノルンが声を張り上げて必死に呼びかけてくるが、マリンはゆっくりと頭を左右に振った。死にたくない。死にたくないが、自分の巻き沿いで誰かが死ぬのなんてそれ以上に我慢ができない。マリンは微笑みを浮かべるとノルンを見上げた。

「もういいから……。離して……」

「なに、言ってるの?」

「分かってるでしょ? このままじゃあ二人とも落ちておしまいよ。

 だったらあんただけでも助かりなさい。無駄に怪我することないでしょう」

 怖い。落ちたくない。できることなら引き上げて欲しい。だが、それを言ったところでノルンにはどうすることもできない。自己犠牲の精神なんて持ち合わせていないが、無理をして飛び込んできてくれた友達に負担は掛けたくない。怪我をさせるなんて以ての外だ。

「なに言ってるの? なんでもいいから手を掴んで! そんなこと言わないでよ!!

一緒に帰ろう。ほら、中間近いし、また勉強教えてよ」

 ノルンは今にも泣き出しそうな顔で、無理やりに笑顔を作って言葉を掛けてくれている。

 マリンを離せばすぐに楽になれるだろうに、ほとんど力の入っていない震える手で懸命にマリンの手を握り続けてくれている。

それだけで、もうマリンは満足だった。

「私は大丈夫だから! 勉強は自分でやらないと身につかないわよ」

 それでも離そうとしないノルンの手を離させるために、マリンは手首を交互に左右に捻って、ノルンの手を抉じ開けた。

「やだ! 止めてよ! もう少ししたらみんな来るから! ねぇ?」

 それでもノルンはマリンの腕を懸命に握ろうとしてくるが、少女の握力ではどうにもならず、マリンの身体はズルズルとノルンの手の中を滑り降下していく。

「ノルン。助けてくれてありがとう……」

 とうとう、ノルンの手からマリンの腕が離れたとき、マリンは恐怖を振り切り笑顔でノルンに向けて囁きかけた。

 マリンの腕がノルンの手の中を滑り落ちてもノルンは指でマリンの指を摘んで必死で離すまいとしてくれたが、指先だけで落下しようとしている人を抑えることなどできるわけもなく、マリンの指はノルンの指の間をすり抜けて、身体は重力に従い落下していく。

「あぁ!! マリン!」

 悲鳴にも似た声を上げてノルンはもう届かないマリンの手を、それでも手繰り寄せるように手を差し伸ばしている。

始めは本当に救援が来るのを期待していたのかもしれない。いや、彼女なら救援がいようがいまいが同じことをしてくれただろう。

 自分の危険などを顧みずに、どんな場面でも助けに来てくれる心優しい少女。そんな友達を作れたことが何よりも誇らしく思い、マリンは自然と笑顔が零れていた。

(泣いてるんじゃないわよ……。これからは、私の分まであんたに頑張ってもらうんだから……)

 耳朶を叩くノルンの言葉を聴きながら、マリンは微笑んだままで瞳を閉じた。

 数秒後には、生死を彷徨う重症を負うのだ。せめて見ないで恐怖をやわらげたかった。

「マリ~ン!」

 だが、次の瞬間、誰かに強く抱きしめられてマリンは驚いて瞳を見開いた。

「あんた!」

 目を開いたマリンの視界に飛び込んできたのは、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたノルンだった。マリンを追って飛び降りたのだろう。

 無茶で無駄なことをした彼女を怒るべきなのだろうが、今は心の奥底から熱い何かがこみ上げてきて言葉が浮かばずに彼女を抱きしめた。

「ばか……!」

「バカでいいもん……」

 このまま地下室の床に叩きつけられたら、大怪我ではすまないだろう。

 だが、不安も恐怖も温かなノルンの体温が忘れさせてくれた。

「麒麟の中和は切れた! ニルフィーレ、風の道だ!」

 突如、階上から強い言葉を投げ掛けられてノルンが瞳を見開いた。

 見れば、確かにマリンが発動させた純白の光は消えている。ちなみに言えばニルフィーレとはノルンのファミリーネームだ。

「風の道!」

 ノルンが力強く言葉を発するとノルンの身体から溢れ出すように風が駆け抜けて、階上に伸びる風の道を作り出すと、突風に吹き飛ばされる勢いでマリンの身体を攫い壁に開いた大穴から外へ飛び出し、天に向かって伸びた。

 空中でノルンの身体が青味を帯びた白い光に包まれて行き、完全に光と化すと人の輪郭を崩して頭上に一本の角を生やした馬の姿になり、光を振り払って一角馬になった。

 地下への落下から一変、気が付くとマリンは一角獣の背に跨り、長い鬣(たてがみ)を掴んで天空の乗馬をしていた。

「中和は使わないでね」

 一角獣になったノルンが冗談混じりで告げてきた。今ここで中和を使えば、たちまちノルンは人の姿に戻って、二人とも地上まで真っ逆さまになる。

「分かってるわよ!」

 ノルンに他意はないだろうが、あんなところで中和を使っていなければもっと早く助けられた、と言われた気がしてマリンは唇を尖らせるとそっぽを向いた。

 ノルンが小さく喉を鳴らすと、風の道を開いた穴の前に伸ばして着地した。

 マリンが背から飛び降りると、ノルンは眩い光を放って少女の姿に戻った。

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