動乱3 巡回していると文蔵が傍に来て、色々あたりましたが、みつかりませんでしたと言うので、そうか、もも、いいぞ、こんなに広い江戸でみつかるわけはないなと笑ったの


動乱3


巡回していると文蔵が傍に来て、色々あたりましたが、みつかりませんでしたと言うので、そうか、もも、いいぞ、こんなに広い江戸でみつかるわけはないなと笑ったのです、最近は事件、

もなく平穏で良い事だなと言うと、旦那の持ち場は平穏ですが本所、深川あたりはそうではありませんよと言うので、神社、仏閣も多く、ヤシの元締めの多い地域だからなと言うと、ヘイ、

喧嘩が絶えないと、


山田の旦那がこぼしていましたよと言うので、深川あたりではもぐりの女郎屋もおおいからなと言うと、旦那の受け持ちの下谷あたりもお茶屋とは名ばかりで、女中が客を引いていますよ、

と言うので、まあ、いいではないか、吉原だけでは足りんりじあよ、ただ女子を借金ずけにして、無理やり客を取らせている悪どいやからは、懲らしめてやらねばならんと言うと、ヘイ、

あっしは神田の方を回ってきますと、


言って傍を離れたのです、新太郎が、人形町界隈を歩いていると、武士2人と2人が怒鳴りあっています、刀を抜こうとしているので、待て、待てここは往来だ何の喧嘩かしらんがみんな、

が迷惑するであろうと言うと、何だお前は口を出すなと言うので、十手をみせてここは町方の管轄だこんな処で切りあいをして貰ってはまずいのだと言うと、不浄役人めと言うと、刀を、

おさめて立ち去ったのです、


新太郎の旦那と声をかけるので見ると大工の留吉です、喧嘩の原因はなんだと聞くと、傍の居酒屋の娘おうめが新太郎の旦那、まあ、中へと言うので、中に入ると酒を出すのでまだ見回、

りの途中だと言うと、いいではありませんか、仲裁のお礼ですよと言うので、そうかと言うと酌をしたので飲み干して、で喧嘩の理由はと聞くと、留吉がどうも安部様の家中と山内様の、

家中の侍のようで、


別々に小上がりでのんでいたんですが、山内様の侍が異人等どうてことない、くれば打ち払うまでだと言って、今の老中はなっていない、黒船を見て腰が抜けているわ、嘆かわしい事だ、

と言ましたら、どうも隣で飲んでいたのが、老中の安部様のご家中だったようで、わが殿を侮辱する等許せんと喧嘩になったと言うわけですと言うと、おうめがこのところ浪人達の間で、

も幕府の悪口を言う人が多くて、


ひや、ひやしているのですよ、いったいどうなるのですかね、後半年もすれば又黒船がやってくるらしいですが、打ち払えるんですかと聞くので、戦に来るわけではない、話し合いに来、

るのだ、幕府は日夜協議して対策を練っているそうだと言うと、そのわりには海岸は何も警備していないそうですよと言うので、各藩に警備を担当させておると言うと、黒船が帰えった、

ら警備は解いたそうですよと言ったのです、


旦那お願いしますよと言うので、まかしておけと答えて店を出たのです、まいったな、この問題にかんししてはわしら如きが答えられる問題ではないわとぶつくさ言ったのです、奉行所、

へ歩いていると前から竜馬が歩いてきて、塾からの帰りだどうだその辺でと言うので、傍の居酒屋に入り杯を重ねたのです、どうだ蘭学はと聞くと、あの塾は座学ばかり教えているの、

ではなく、


実践学を教えている、像山先生はいま外国に匹敵する大砲を作ろうとしている、中々の西洋通だ各藩から若い連中が押し寄せている、おまえも、顔をだしたらどうだと言うので、わしは、

役人だよしておこうと言うと、相変わらず硬い奴だなと笑ったのです、元徳先生に預けた本の事を言うと、それが出来たらわしにもくれと言うので、わかったと約束したのです、竜馬が、

幕府は、


今回の事は老中達で決めかねて、幅広く諸藩の意見を聞く事にしたそうだ、外様も含めて政の意見を求めるとは前代見門の事だよ、これで、幕府の権威は地に落ち押さえる力はどんどん、

なくなるだろう、まさに乱世の始まりだよ、こうなれば四賢侯が老中になるしかないと言うので、だれだと聞くと、一ツ橋慶喜公、越前松平公、宇和島伊達公、薩摩島津公の4人だいず、

れも西洋の事情に詳しいそうだと言うので、


宇和島と薩摩は外様ではないか、老中になれるはずがないと言うと、あとはぼんくらだかりだと言うので、彦根の井伊公が承知するものかと言ったのです将軍も徳川家定に変わったばか、

りで、家定は人前にでるのが厭な性分で、この非常時は乗り切れないとして、一ツ橋慶喜を押す空気もあったが、老中安部の反対があり、結局は血筋により家定が将軍になったのです、


ペリーは一年の後のはずが、半年後に再び江戸湾に姿を現し、前回を上回る艦隊を率いて来たのです、それはオランダより将軍が死んだ事を聞き、その混乱に乗じて開国させようと思い、

半年早くやって来たのです、幕府はなんの準備も出来ていなく交渉に臨みましたが、ペリーはあくまでも紳士的にふるまい、今アメリカと条約を結ばないと、イギリス、フランスは強行、

な態度で望んでくる、


アメリカと先に結べはイギリス、フランスを押さえ易いと説得したので、しかたなく開港する事にして、江戸から離れた、下田と函館を開港して、条約を結ぶとペリーは下田に引き上げて、

その地にアメリカ領事館を開いたのです、とりあえず江戸より離れた所にペリーが引き上げたので幕閣は胸をなでおろしたのですがこれを知ったロシア、イギリス、フランス、オランダが、


条約の締結を求めたので、幕府は後4ケ国とも和親条約を結んだのです、幕府が開港した事を知った朝廷はおどろき、朝廷では国内の政は幕府に預けているが、外国の事は預けてないと言、

う意見が起こり、若手の公家と長州、土佐の藩士がつるんで、幕府批判を展開するようになり、京都は各藩の藩士や浪人が集まり不穏な様子になっていったのです、新太郎達町方は江戸、

より離れた下田開港と聞いて、


胸をなでおろしましたのです、元号が安政にかわり、ここに250年続いた鎖国は撤廃されたのです、しかし日本人が外国に行く事はまだ禁止されていたのですが、長州の吉田松陰が下田に、

行き、アメリカに密行を企てて、小船でアメリカの軍艦に乗り移り、アメリカへ連れて行くように要求しましたが、拒否されて下田奉行所に引き渡された為に、江戸に送られ取調べられ、

ると、


持ち物に日本国の地図が入っていた為に、日本国をアメリカに売り渡すと判断されて、罪人として長州藩に引き渡されて、長州に送られて獄に繋がれたのです、吉田松陰は佐久間像山の、

門下生であった為に像山も捕らえられて、罪人として信州松代藩に引き渡され、謹慎処分となったのです、これを不服とした吉田松陰と佐久間像山の門下生は続々と京都に集まり、若手、

公家へ、


外国人を打ち払うべしと言う攘夷論を吹き込み始めたのです、しかし、まだ江戸は平穏であり竜馬を連れて本所の勝海舟の元につれて行くと海舟は清国はイギリスとの戦いに敗れ、香港、

を100年イギリスに租借させる事になり、我が国もどこかを取られるはめになる、これを防ぐ為には挙国一致で対抗しなければならぬ、その為には、軍艦を持ち海軍力を養う為に操練所、

を作る事が肝心であるので、


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る