閻魔王の憂鬱

kanegon

閻魔王の憂鬱

 洛陽の李衣軍は博学才穎、天宝の末年……

 乱に巻き込まれて死んだ。

 終。


「ここはどこだ?」

 周囲は真っ暗で景色すら見えないが、足元の道だけは明瞭に見える。気付いた時には李衣軍はこの道を歩いていた。

「俺は反乱軍の兵に殺されたはずだが?」

 それにしては体に傷が無い。どういうことか。

 家族はあの騒乱から逃げることができたのか。父母は、兄は、妹は無事か。そして彼女は。

 諸々の疑問に答えてくれる人を探すためにも、李衣軍は一本道を行く。


 やがて道が右と左に分かれている場所へ来た。右の道のすぐ先には、青い巨大な門がある。長安の都にある明徳門を、門楼の屋根瓦も扁額も柱も全てを青くしたら、こんな感じになるのだろう。左にも同様の巨大な門がある。しかし色は青ではなく白だ。

 分かれ道の所には、黒髭の大柄な男がいた。黄金の冠を被り、道士風の丸襟の袍衫を着て、先端が雲形に反り返った靴を履いている。

「よく来たな、李衣軍!」

 厳めしい大男が雷鳴の如き声を発した。

「ワシは冥界の王、閻魔である! お主が地獄へ行くか極楽へ行くか、お主の行いの善し悪しから判定する! 東の青い門へ行きたいことだろう」

 やはり自分は死んでいたのだ、という安心とも落胆ともつかない複雑な感情が李衣軍の胸を痛くする。

「お主は親孝行で、勉学に励み、人の道に外れるようなことはしていないな」

「それより閻魔王様、俺の家族は、もうここへ来ましたか?」

 閻魔は目を細めて、黒髭を撫でた。

「乱で多くの者が死んでおるが、お主の家族は来ておらん……だが、張白白ならここにいるぞ」

 閻魔の巨躯の背後に一人の若く美しい女がいることに気付き、李衣軍は愕然とした。

「衣軍さま……ここで会うなんて」

 張白白だ。純白の衣の袖で涙を拭っている。

「白白……お前も殺されてしまったのか」

 李衣軍は家族の無事を喜ぶ間も無く、肩を落として声を震わせた。

 張白白は長安で生まれ育ったが、最近家の事情で洛陽に引っ越し、李衣軍と出会って恋仲になった。洛陽に来なければ、乱に巻き込まれて死ぬことも無かったはずだ。

「閻魔王様、お願いです。東西どちらでもいいので、彼女と同じ門へ行きたいです」

「ふむ。ならばお主らの心が通じ合っているか試してみよう。ワシが今から出す問いに、二人で同時に答えよ。答えが同じ時は、同じ門を潜ることを許そう」

「わ、分かりました。彼女とは深く想い合っていたのですから、必ずできます」

「よし。ならば答えよ」

 閻魔は李衣軍と張白白の顔を交互に見やった。

「長安。洛陽。好きな都はどちらか? しばし考えよ。ワシが右手を挙げると同時に答えを言え」


 生まれ育った東の洛陽が好きに決まっている、と思った李衣軍は、この問いの難しさに気付き唇を噛んだ。

 張白白が生まれ育ったのは長安だ。ならば彼女は長安が好きに決まっている。彼女が洛陽で過ごした時間は短い。しかも洛陽に来たせいで乱に巻き込まれたのだ。当然彼女は長安と答えるはずだ。

 答えが別々だと、一緒の門に行けない。どうするか。

 しかし。考えてみれば、本当に自分の好きな都を答える必要は無い。二人が同じ答えを言えばいい。

 ならば、李衣軍が彼女の好みに合わせて長安と答えれば良い。

 だがせっかく李衣軍が長安と答えても、張白白の方が同様の深読みをして洛陽と答えてすれ違ってしまっては意味がない。

 李衣軍は張白白の顔を窺った。彼女は涙に潤んだ目で真っ直ぐに李衣軍を見つめ返すのみ。彼女が何を考えているのか、李衣軍には読み取れない。

 焦る李衣軍。だが閻魔は待ってくれない。

「では、二人同時に言え」

 閻魔の右手が挙がった。

「ちょ、長安っ!」「長安です」

 二人は微笑み合った。

「い、一か八かだったよ」

「衣軍さまが譲ってくださると分かりましたので長安と言いました」

 満足げな張白白が李衣軍の手をそっと握る。

「二人共、西の長安が好きと言ったのだから、西へ進め」

「あれ? 上手く行ったのだから、極楽へ行けるのですよね?」

「極楽へは続いていないが、とにかく白い門へ行け」

 閻魔の指示は絶対だ。李衣軍は、張白白の冷たい手を握り西へ進んだ。

 そして白い門を潜ると……


「ここはどこだ?」

 気が付くと見慣れぬ場所に立っていた。

「衣軍さま、あれは明徳門ですわ」

 張白白が明るい声で言った。

 繋いでいる手には温もりがある。

「俺たち、長安で生き返ったんだな。なら、あの時、東を選ばないで正解だったかな」

 今、洛陽は反乱軍に占拠されているこの世の地獄なのだ。

 その後二人は、長安に避難していた各々の家族とも再会し、仲良く幸せに過ごした。



 ところがその後も反乱軍の勢いは衰えない。長安も陥落してしまった。

 二人はまたしても逃げ遅れて殺された。

「またお主らか」

 閻魔は嫌な顔をした。

「安禄山の乱のせいで国破れて、死者が多くて忙しいのう。誰か、乱を平定できる勇者はおらんのか?」

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