第5話 ドッグランにて
見慣れた大会議室には、緊張感が漂っていた。
冥王星軌道を回る母船での、調査員定例ミーティング。演壇の背後の壁一面のスクリーンには、いつもどおり、冥王星とカロンの二重惑星系が、その白く寒々とした地表を見せていた。演壇を囲むように階段状に高くなっていく座席の配置もおなじみだ。
おなじみの風景、定例のミーティングなのに、いつもとちがう緊張感があるのは、座席に座る調査員たちのかもしだす雰囲気による。はりつめた空気の中、演壇に立つ調査部長を、みな真剣な面持ちで見つめている。ここまでの期間の中間報告がまとめられ、それが報告されているからだ。
「……次に、第二大陸の概要だが、こちらはこの時間帯にこちらに来ている者には、なじみが薄いと思う。既報のとおり、ここは銀河文明の基準から最も遠く、混乱を極めていて……」
部長の言葉に、席に着く調査員たちは、程度の差こそあれ、みな渋面となった。
蓮たち文明観察調査員の目的は、地球文明の成熟度の調査。地球が銀河文明の一員として参加する資格があるかどうか。十分に精神面の発達が見られるか。邪悪な本質を持っていて、他の文明に危害を与える心配がないかどうか。それを判断する材料を集めている。
つまり、この中間報告は、地球の運命を決める通信簿とでも言えるもの。関わっている者にとっては、背筋を正して聞かなければいけないものだった。
その通信簿の中身は、あまりかんばしくない。概要が会議室中央の演台に上がる調査部長から報告される中、蓮は視野のすみに詳細をダウンロードして、同時にながめていた。
蓮の表情も、おのずとけわしくなる。
まず、地球全体の国際情勢がよろしくない。
今部長がふれている第二大陸は、以前から紛争の続く地域だった。だが、それだけではない、他の地域も不安定化しているようだ。
近年経済発展を遂げた第一大陸の大国が、力をつけたとたん自分の利益だけを考えた対外政策をゴリ押しするようになり、周辺諸国との関係が悪化。さらに、第三大陸の超大国の地位に挑戦するにおよび、その超大国が反発を深め始めたというのが、最近の構図だ。軍事的対立が、政治的対立、さらには経済的対立を生み、国際協調とは縁遠い状態になっている。
軍事的な衝突、極端な意見としては第三次世界大戦の可能性まで取りざたされているが、それにいたらなくても、これだけ全面的な対立となれば、その悪影響は方々へおよぶだろう。他者との協調を考えず、力がつけば何をしてもよい、自分だけはルールを守らなくてもよいという、非常に自己中心的で傲慢な姿勢がまねいた事態なだけに、これは銀河文明への昇格という観点からは大きな減点だ。それに対する超大国にも同様の姿勢が見られ、重ねて減点となる。
政治情勢だけでなく、環境問題にも大きな減点がついている。
目先の利益に目がくらみ、ひどい水質汚染、土壌汚染が起きているのは、先述の新興大国だ。規制をかけてもそれを無視し、役人にわいろを渡してお目こぼし願うなど、それが引き起こす先々の結果を考えているとは思えない行動が目立つ。
ただ、これに関しては他の地域でも、程度の差こそあれ起きている事態だった。先進国とされている地域でも、大気汚染に関する規制について、それが技術的にクリアできなかった時にデータをねつ造。この結果、都市部での循環器疾患が増え、将来的にはそれが遠因となって死者が増えることさえ予想できた。これも目先の利益を取った結果で、社会の一員として責任のある行動であったとは言いがたい。
さらに、地球全体をむしばむ温暖化の問題だ。
すでに温暖化の効果は気候面に表れていて、異常気象が頻発している。極端な猛暑、その逆の寒波。高温と乾燥が大規模な山火事を引き起こし、豪雨が洪水をまねく。
温暖化という言葉に地球人は惑わされているようだが、事の本質は、大気滞留熱エネルギーの増加だ。寒気団も暖気団も強化する方向に働き、気候の変動が激しくなる。熱波、寒波、強烈な低気圧や、豪雨豪雪の方が本筋とも言えるのだ。
その点ですでに温暖化は、万の単位の死者を出しているとも言えるだろう。しかしこれさえも、温暖化ガスの排出規制は経済発展をはばむと、拒否する大国があるのだ。
近視眼的な将来への見通しの欠如。目先の経済的利益を優先する姿勢。
正直言えば、この状態で銀河連合に参加できるとは、蓮にはとうてい思えなかった。
銀河文明に参加する社会に求められるのは、全体の利益を最大化できる、深慮をともなう知性である。欲望に知性が負けるような種族は、十分に成熟しているとは言えない。
しかも悲しいのは、これが一部の強欲な指導者にのみ見られることではない、という事実だ。
目先の快楽、目先の欲望に、知性が負けるシーンは、地球人の間に当たり前のように見られる。ふだんきれいなことを言って批判している人間も、その場に立てば、自分の利益だけを最大化しようと、しがらみの中で立ち回る。地球人は言葉をしゃべれるようになっただけで、サルから十分な進化をとげてないのではないか。
地球人の社会を観察し始めて、数か月。蓮は、そういう思いにとらわれることが、しばしばあった。
ため息をつき、椅子に背をあずける。
目をつぶると、いつも会う、クラスメイトの姿が浮かんでくる。
彼、彼女らが未成熟なのは、子供だから当然だ。知性というのは生まれつき備わっているものではなく、教育と経験を通じて獲得していくものだ。
みんなが大人になった時、はたして、銀河文明の成員としてふさわしい知性を身につけているだろうか。
ミーティングでは見通しの悪い話題が続き、深刻な雰囲気のまま終了した。早くもどろうと、蓮がコンタクトを切ろうとした時。
「あの、すいません。サトウ・レン……さん?」
となりの席に座った男に呼び止められた。
知らない顔だ。
もっとも調査員は大勢いるので、知らない顔のほうがずっと多く、それは不思議なことではない。ただ、その見知らぬ人が、自分に何の用なのか……?
蓮のけげんな顔に気づいた相手は、すぐさま言葉をつないだ。
「失礼、パーソナルデータを拝見させていただいたところ、赴任地がご近所だったもので。それでお声がけさせていただきました」
彼はボリストラフエルと名乗った。蓮も相手のパーソナルデータを表示してのぞいてみる。相手の顔のわきにポンとホロウインドウが開き、男のデータが示される。
「……なるほど確かに、ご近所ですね。近所どころか、これだと、同じ学区内ではないですか?」
「そうですね。実はお顔に見覚えがあって。それでデータを確認したのです」
蓮には見覚えがなくても、どうやら街で会っていたらしい。調査員は、均等に全世界に散っているわけではない。標準的なモデル地区を選んで、そこに重点的に配置される場合もある。蓮たちのいる区域は、そういう場所のようだ。
蓮は納得半分、けれど残り半分はまだ疑問が残ったままだった。調査員は、蓮と美咲のように最初からチームとして派遣されているのでなければ、基本的には横の連絡は取らない。観察に予断が入るのを防ぐためだ。緊急事態にでもなれば、当然そうではないのだが、今はそんな事態ではないはず。
そう考えていぶかしむ蓮の顔を見て、ボリスは続けた。
「実はご相談したいことがありまして。もっとお話ししたいのですが、居そうろうの身で、家人に怪しまれないうちに戻らないといけないのです。今度あちらでお会いしませんか」
そう言うとボリスは、ここでお会いしましょうと場所を告げ、仮想空間から落ちて蓮の目の前から消えた。
あとに残された蓮は、何の話があるのかとしばし考えこんだ。だが、結局、会って話してみなければわからない。場所と日時を確認し、自分も仮想空間からアパートへと戻った。
フェンスで周りをぐるりと取り囲まれた広場。そこにはふつうの公園に比べて、明らかなかたよりがあった。
来る人、来る人、犬を連れている。
そして、蓮たちも犬連れだ。陽菜がタロウを連れ、蓮、雅人、花恋がいっしょに来ている。犬と広場で遊ぼうということになったのだ。
ここはドッグラン。犬のリードを放して、走り回らせていい場所だ。大きな公園の一角にフェンスに囲まれた区画が二つある。大型犬用と、中、小型犬用だそうだ。
「わ、すごい大きな犬がいる!」
花恋は興奮気味に声を上げた。ドッグランに来るのは初めてだそうだ。兄、雅人の手をぐいぐいと引っぱって、フェンスに近寄っていく。
「あ、あれはご近所の杉下さんちのルークくんだね。シェパードだけど気の優しいお兄ちゃん犬なんだよ。あいさつしに行こうか」
陽菜はタロウをかかえたまま、フェンスに近寄っていく。腕の中のタロウは、しっぽをぶんぶんとふって興奮気味。ルークとその飼い主も寄ってきた。
「こんにちはー、おばさん、ルークくん」
「あら、陽菜ちゃん、タロウくん、こんにちは。友だちとみんなで来たの?」
「はい。ルークくん、こんにちはー。タロウだよー」
「や、タロウくん、こんにちは。君も連れてきてもらったんだね。ここは初めてかい?」
「ルーク兄、こんちは、こんちは! ここに来るのは三回目だよ! 今日は陽菜ちゃんの友だちと来たの!」
前の二人は人間で、杉井さんちのおばさんと陽菜だが、後ろの二人は犬のルークと、タロウ。蓮はバイオチップを立ち上げて、犬語がわかるようにしていた。確かに陽菜の言うとおり、ルークは落ち着きのある兄貴分のようだ。
「おや、そちらの人は? 不思議なにおいをしているが……」
「あれは陽菜ちゃんの友だちの蓮くんだよ! うちゅうじんなんだって! でも、いいやつだよ!」
大ざっぱな紹介するなあと、蓮は苦笑した。
それを見て、ルークはおどろいたようだ。
「犬の言葉が、わかる……?」
「そうだよ! でもいいやつだよ!」
いいやつと悪いやつしか、人を評する言葉はないのかと、蓮は苦笑いを続けながら、のどのバイオチップも立ち上げる。
「こんにちは。タロウの言うとおり、みんなに害を加える気はないから、安心してくれ。ところで一つ聞きたいんだが、ここらで俺と同じような、地球人ではないにおいをした人間を見かけなかったか? ここで待ち合わせしているんだが……」
犬にしか聞き取れない高周波を使い、ルークに話しかける。それでますますルークはおどろいたようだ。
「話すことも……! なるほど、うちゅうじんとはこういうことか。同じにおいをした人かい? いや、見かけていないけれど」
「そうか。ありがとう」
蓮は周りを見わたした。そう、このあいだの調査員が指定したのはこのドッグラン。ここで待ち合わせているのだ。
ドッグランがどこにあるのか、相手はあまり時間がないようで、詳しく言ってくれなかった。居そうろうの身だと言っていたが、本当に時間の自由が利かないようだ。まあ、調べればわかるだろうと思ったのだが、ふと、陽菜に聞いてみたところ、そこは何度か行った場所だと教えてくれた。
そして、興味があるなら、タロウといっしょに行こうよということになり、タロウと遊びたがっていた花恋も呼ぶことになったのだ。
「れんくん、見て見て! タロウすごいよ!」
花恋が興奮の面持ちで蓮のところに走ってきた。片手にテニスボールを持っている。
「そうだぞ、すごいんだぞ、しっかり見てろ」
花恋を追って走ってきたタロウも、しっぽをぶんぶんとふりながら、蓮にアピールしてくる。
「いくよ、タロウ! ほら!」
ポーンと頭上にボールを投げる。するとタロウは、ちょっとその場でくるくると回り、落ちてくる場所を見定めると、ぱっと飛び上がって空中でボールをくわえてみせた。
「すごい、すごい! すごいよね! れんくん!」
花恋は拍手して大喜び。タロウは胸をはって、エッヘンと自慢げだ。
「ねえねえ、れんくんも投げて!」
「よしこい! どんなボールでも取ってやるぞ!」
花恋がボールを蓮にわたす。タロウはやる気満々だ。
「そしたら、花恋とタロウでどっちが取れるか、勝負したら」
「うん! やるやる! れんくんボール投げて!」
横から雅人が提案して、二人は待ち構えるように横並びに並んだ。
「よし、行くぞ」
蓮はちょっと高めにボールを投げる。
「わ、わ、わ」
「と、と、と」
花恋はふらふらとおぼつかない足取りでボールを追う。タロウは落下点をつかめていそうだったが、花恋がよろめいているので、うまくその場所に入れない。
ボールはそのまま地面に落ちて、ポーンと弾んだ。
「わあ、待ってー」
弾んだボールを追って、花恋とタロウはかけていく。そのままタロウがボールをくわえ、タロウと花恋の鬼ごっこになった。楽しそうに走り回っている。
「あれ、花恋ちゃんだ」
その様子を見た女の子が声を上げた。ちょうど今、犬を連れやってきた姉妹の、妹の方だ。
「あれ、ほのかちゃん」
「わあ、子犬、かわいいね! 花恋ちゃんちの犬?」
「ううん、陽菜ちゃんちの。タロウっていうんだよ」
どうやら花恋と同じクラスの友だちのよう。姉のあかりは蓮たちの一つ下の学年だそうで、陽菜と委員会が同じ顔見知りだった。こちらもあいさつをすると、タロウに興味を持った様子。
「わあ、かわいいー。何か月なの?」
「半年過ぎたぐらいかなー」
「もふもふして気持ちいいー」
陽菜、花恋、そして友だちの姉妹で輪ができて、タロウをなでたり抱いたりしている。タロウはかまってもらってご満悦のもよう。
代わりに姉妹の連れてきた犬が、手持ちぶさたの様子で、とことこと蓮のもとへとやってきた。足元にすとんと座る。
「どうも、ボリストラフエルです」
あいさつがあった。
人間には聞き取れない高周波を使って、声をかけてきた。
蓮はびっくりして、まじまじと目の前の犬を見つめた。
「ああ、あの姿は会議用に作ったアバターなんですよ。会議室でこの姿だと、前が見づらいもので」
ボリスはほがらかに疑問の視線に答えた。
なるほど、イルコウワン人なのかと、蓮は納得した。
イルコウワン人は、地球の犬そっくりの姿をした種族だ。最初、地球に墜落した船に乗っていて、原住民とのファーストコンタクトを果たした連合捜査官助手も、イルコウワン人だった。種がちがっても環境に合わせて同じ姿になるという、平行進化の見事な例だ。この偶然を生かさない手はないので、今回の調査にもイルコウワン人の調査官が多数参加している。
「そうか! 確かにそういえば、何度か会っていますね?」
「そうですね。散歩の途中で。話しかけるタイミングがなかったのですよ」
この姿であれば、見覚えがあった。さきほどのルークのように、犬は蓮のにおいのちがいに気づいてこちらをながめることが多いが、その中でも特にこちらをいぶかしげに見ていた一頭だ。あまりにこちらをじっと見ているので、何かほえかけられたりトラブルになって、悪目立ちするのはいやだなと思ったのだった。あの時すでに、蓮の正体に気づいていたのだろう。
なるほど、飼い犬にふんしているなら、いろいろと納得がいく。そばに飼い主がいれば、おいそれと話しかけるわけにもいかない。それに、居そうろうで時間が取れないというのも、飼われているのであれば、仕方ない。家族の目を盗んで連絡を取るのは、なかなか難しいだろう。
「なるほど、それでご相談というのは?」
蓮は本題を切り出した。このドッグランを指定して、顔を合わせたのには、それ相応の理由があるはず。
「ええ、そうなのです。何かあってからではおそい。先にお話を通しておこうと思いまして。ミーティングの資料に、幼児誘拐の件がのっていたのにお気づきですか?」
「ああ、ありましたね」
蓮はボリスの言葉にうなずく。
これは当初から警戒されていた事態だった。銀河文明の水準に達しているか観察している調査員にとっては耳の痛い話だが、当の銀河文明の側が全員高い倫理観を持っているかというと、そうではないのだ。犯罪組織のすべてが撲滅されているわけではなく、法を犯す者は銀河文明にもいる。
この場合は、人身売買。さらに言ってしまえば、「おくれた星の原住民なんて、自分たちと同じ『人』ではなく、動物と変わらない」という意識があり、相手は「人身」だとも思っていない。賢いペットとしての闇の需要があって、地球のような未開惑星は、ひともうけをたくらむ輩から、よくねらわれる。
警戒していたそんな事件が、しかも、この国で起きかけたと報告が上がっていた。
「ただ、あの事件は未遂で取り押さえたのではなかったでしたか? 本部も過去の事例から十分に警戒していますし。これは警備部の仕事で、私たち調査員の領分ではないと思うのですが」
「ええ、確かにそうなのですが……」
ボリスは口ごもった。
「もしかして、何か兆候をつかんでいるのですか? それなら話はちがう。むしろ警備部に報告を上げて対処しないと」
「ええと、そういうわけでも……」
「?」
どうも要領を得ない。蓮の真意を問う視線にさらされ、ボリスは一つため息をついた。
「私も取り越し苦労ではないかとはわかっています。でも心配なのですよ。あの子たちがさらわれる危険があるのかと考えただけで、ぞっとする。万が一にもそんなことにはなってほしくない。この星はかなりの辺境ですし、ここまでくる連中もそういないとは思うけれど、それでも、警戒はしておきたいのです」
そういうボリスは、犬の姿であることを利用して、犬ネットワークの中で警戒網をしいているのだそうだ。
犬たちの嗅覚が、異星人をかぎ分けられるぐらいするどいのは、自分の身で実感している。犬好き同士はご近所でコミュニティができていて、さきほど陽菜があいさつしていたように、散歩の途中でちょっとした立ち話をしていたりする。その時、犬同士で情報交換すれば、近所に現れた怪しい人物のうわさも、網にかかってくる。
「ちなみに、最近話題になった怪しい人は、蓮くんでしたけれどね」
ボリスは苦笑しながら言った。
確かに、タロウも、さっき会ったルークも、一発で蓮が地球人ではないことに気づいたので、犬社会で蓮が怪しまれていたとしても仕方ない。人間が犬の言葉をわからなくてよかったと、蓮は思った。
何か気づいたことがあった時に伝えてくれるだけでいいから、地域の警戒に協力してほしいというボリスの要請に、蓮はうなずいた。正直言えば、専門の探索用の装備を持っている警備部があるのだから、任せてしまっていいと思うのだが、それぐらいなら大した手間ではない。それに、ボリスの構築した犬のネットワークに接触することができれば、飼い犬という別の視点を知ることができる。犬たちの話を聞いて、人間社会を別の面から評価できるかもしれない。
そんなことを考えて、犬ネットワークの規模など、いろいろと蓮がボリスに確認していると、飼い主姉妹の妹、ほのかがかけよってきた。
「あー、シロごめんねー、ほっといて! シロもかわいいよ!」
ぎゅーと、シロ=ボリスをだきしめる。タロウフィーバーに背を向けて、人には聞こえない高周波で蓮と会話しているその姿は、すねているように見えたようだ。
姉のあかりも寄ってきて、向こうでいっしょに遊ぼうとだきあげる。その腕の中で、こちらをふりむきながら、ボリスはもう一度告げた。
「私はこの子たちがさらわれるところなんて、本当に考えたくもないんですよ」
ずいぶんと観察対象に入れこんでいるな、と蓮は思った。
確かに蓮も、ペットにされるクラスメイトを想像すれば、いやな気持ちにはなる。そんな犯罪を許してはいけないとも思う。
だが、蓮たち調査員の仕事は地球人とその社会の観察だ。
きちんとその任務を遂行するためには、対象との距離を適切に保つことが大切なはずだ。
情が評価をくもらせてはいけない。何しろ蓮たちの評価によっては、地球人の殲滅もあるのだから。
ところがボリスは、幼児誘拐の話を聞いて、いてもたってもいられずに、蓮にコンタクトをつけてきた。警戒するのに協力してくれと言う。それは完全に、身内に対する扱いではないか。まるで二人の保護者のようだ。
ボリスは姉妹二人に対するいとおしさを、かくそうともしていない。そこまで観察対象に情が移ってしまっていたとしたら、それは調査官としてはどうなのか。
蓮はそんな疑問をいだいて、ボリスと姉妹を見つめた。
ただ、幼い姉妹に抱きしめられている彼は、とても幸せそうだった。
その姿を見て、いつの間にか蓮のそばに来ていた花恋がぽそりとつぶやいた。
「いいなあ、やっぱり、犬かいたいなあ」
表情をのぞくと、本当にうらやましそうに、じっと三人を見つめている。
蓮はその頭にポンと手を置いた。花恋がこちらを見上げてくる。
「その分今日は、思う存分、タロウと遊んで帰ろうか」
蓮の言葉に花恋は顔をほころばせ、ぎゅっと腰にだきついてきた。
「うん! れんくんもいっしょに遊ぼうよ!」
密着する花恋の、子供特有のちょっと高いぬくもりが、じわりと蓮に伝わってきた。
これをいとおしさと呼ぶのだとしたら、蓮にも少しわかる気がした。
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