第4話 蓮の休日

 次の日の土曜日、蓮(れん)は約束通り、陽菜(はるな)の家に向かった。子犬を見に行くという約束だ。

 陽菜の家は、蓮のアパートからそう遠くなかった。住宅街の中の一軒家で、こぎれいな外観。周りに花がたくさん植えてある。

 その家の中から、子犬のほえる声がする。

 蓮の頭に植えられたバイオチップには、地球上の各言語の他、動物の言葉も記憶されている。蓮は動物の言葉もわかるのだ。

 家の中の子犬は、今必死に主人にうったえていた。

「ごしゅじんさま大変です! 今、外にあやしいやつが来ています。この気配はただ者ではありません! 気をつけてください! 家の中に入れないで!」

 蓮の正体をかぎつけるとは、小さな子犬でもなかなかするどい嗅覚を持っている。

 しかし残念ながら、かんじんのご主人様はその子犬の言葉がわからない。陽菜の声も聞こえる。

「こらタロウ! なんで玄関でそんなにほえてるの! お客様に失礼でしょう!」

 子犬がだき上げられた気配がして、玄関の扉が開いた。

 陽菜が顔を出す。

「こんにちは、蓮くん! いらっしゃい!」

「こんにちは。その犬?」

「うん、そうなの。ごめんね、なんかすごく興奮してて。いつもはもっといい子なんだけど」

 タロウと呼ばれた子犬は、今、陽菜の腕の中にだきかかえられ、歯をむき出しにしてうなっていた。

 警戒を解く様子が全くなく、むしろ本人を目の前にして、ますますただ者ではないとの確信を持ったようだ。

「あら、いらっしゃい、あなたが蓮くんね」

 玄関でのさわぎを聞きつけて、奥から女の人が出てきた。陽菜の母親だとすぐわかった。朗らかな印象をあたえる目元なんかは、そっくりだ。

「おじゃまします。あの、これ姉が、いつもお世話になっていますと」

 蓮は持って来た手さげぶくろを差し出した。クッキーのつめ合わせ。ちなみに、美咲(みさき)ではなく、蓮が用意した。子供が気が利きすぎるのもよくないなと思って、姉の名前を出したのだ。

「あらあら、ごていねいにどうもありがとう。どうぞ上がって。お茶の用意をしましょう」

 蓮はフローリングじきのリビングに通された。子犬は陽菜の腕からは降ろされたけれど、警戒を解く様子は全くなく、部屋のすみでずっとソファに腰かけた蓮を見てうなっている。

 せっかくじまんの子犬のかわいいところを見てもらおうと思っていたのに、ずっとこの調子で、陽菜はすっかり恐縮していた。

「ごめんね、ごめんね。いつもはこんなことないんだけど……。そうだ、おやつをあげたらなつくかもしれない。取ってくるね」

 えづけにいちるの望みをたくして、陽菜は犬用のおやつを取りに、向こうの部屋に行った。リビングには蓮とタロウが取り残された。タロウはずっと蓮をにらみつけて、うなっている。

 蓮はのどの動きをコントロールするバイオチップを立ち上げると、人間では出せない高周波の声でタロウに話しかけた。

「おい、そこの」

 タロウはびっくりした様子で、辺りをキョロキョロ見わたす。ちなみに日本語ではない。犬語である。

「こっちだ。目の前にいる」

「正体をあらわしたな! 人間はそんなに高い声で話さない。それに犬の言葉も話さないぞ! なにものだ! ごしゅじんさまに何をする気だ!」

 見つめあう二人。片方は犬だけれど。

「やっぱりお前はふつうの人間ではないんだな! ごしゅじんさまに何かするつもりならゆるさないぞ!」

 タロウはさらに興奮を深めた様子。またキャンキャンとほえ出した。そんなタロウに、蓮はさとすように伝えた。

「落ち着け。お前の飼い主に何かをするつもりはない」

「うそつけ!」

 タロウはなかなか信じようとはしない。

「本当だぞ。そもそもその気だったら、ここで大人しく話し合いなどしていない」

「ムム」

 タロウはためらう様子を見せた。確かに目の前の男は人間ではない。それはにおいでわかる。そして全身からただよう気配は、この男がその気になれば、自分よりずっと強いということを伝えている。人に飼われるようになったとはいえ、犬の本能に残る野生の勘が、この男に対する警戒信号を伝えてくる。

 だが、目の前の男は特に緊張感なく、おだやかな様子を見せている。敵対する気がないというのは、本当なのかも……?

「それにしても、お前は、たいした犬だな」

「な、なんだよ急にっ!」

 いろいろ考えて迷っている時に不意に蓮に話しかけられ、タロウはたじろいだ。

「主人に対するその忠義。犬のかがみだ」

「そ……そんなことでおだててもだめだぞ、気を許したりしないぞ」

 蓮は真顔でタロウを見つめながら、言葉をつなぐ。

「本気で言っているんだぞ。俺のような正体の知れない存在に対し、ひるむことなく主人のために立ち向かおうとする、その心意気。俺が何もするつもりがないのは、お前にはわからなかったのだから、本当に大したものだ」

「よ……よせよ、てれるじゃないか」

 タロウは本当にすっかり照れてしまって、前足で顔をごしごしとこすった。そしてちらりとこちらを上目づかいで見上げた。

「ほんとうにごしゅじんさまには何もしない?」

「ああ」

 タロウは、うそのにおいがするのではないかと蓮の周りをめぐり、ふんふんとにおいをかいでいたが、どうやらようやく納得したようだ。尻尾がぱさりとゆれ動いた。

 蓮は胸をなでおろした。

 犬の嗅覚のするどさは以前から感じていた。散歩している近所の犬が、いぶかしげな目でこちらをよく見ていた。だがここまで明らかに敵意を向けられたことはなかった。タロウがまだ子犬で人生経験に欠け、違和感を大げさにとらえたのが原因だ。さらに確かに、ご主人様の陽菜が大好きな忠犬だとも言えた。

 ただ、だからと言ってこれだけほえられると、それが悪目立ちとして蓮の特徴になってしまう。犬にきらわれる蓮くん。そういう二つ名をもらうわけにはいかない。犬に正体を明かすのも本当はさけたいところだが、人には伝わらないからよしとする。とにかく最悪の事態は回避できた。

 蓮が敵ではないと知ったタロウは、今度は子犬らしい好奇心が頭をもたげているようだ。尻尾をふりながらそばに座り、たずねてきた。

「でもそれじゃ、お前はいったいどこからきたんだ? ふつうじゃないにおいがするけど」

「宇宙からだ」

「うちゅう? どこだそれは?」

 タロウは、はてな? と首をかしげる。

「遠い所さ」

「そこのかどの吉田さんちよりもか」

「それより遠い」

「それじゃ、公園のむこうの大谷さんちよりも? おれはあそこより遠くにつれていってもらったことがないんだ」

「まあそんなところだ」

 犬がこれくらいの知能レベルなら、その社会でうわさになっても、まあ問題はないだろう。蓮は適当にあいづちを打ちながら、そう判断した。

「あれ、心配してたけどすっかりなかよくなったんだね」

 そこへ陽菜がもどってきた。蓮のそばにぺったり座って尻尾をふっているタロウを見て、ほっとした様子。

「よかったー。ねっ、かわいいでしょ、うちの犬」

「ああ、そうだな」

「よかったね。かわいいって言ってもらえたよ」

 陽菜はタロウをだき上げてほおずりをしている。蓮は一つ質問することにした。

「さっきから犬に話しかけてるけど、犬には通じてないんじゃないか」

「そんなことないよ。おこるとシュンとするし、ほめるとうれしそうだし、ちゃんと通じてるよ」

「そうだぞ。おれもわかってるぞ。たまに難しいことあるけど」

 陽菜と犬の両方から反論されて、蓮はわかった、わかったと、手を上げた。

 自分よりも知能の低い種族に対しても、きちんと対等の存在として向き合える能力。これはプラスポイントだと蓮は心のチェックリストに丸をつけた。

 そこに呼び鈴の鳴る音がした。

「あっ、二人も来た!」

 陽菜が立ち上がって、玄関に向かう。この日、陽菜の家に呼ばれていたのは、蓮だけではなかった。雅人(まさと)と、そして花恋(かれん)も呼ばれていたのだ。

「うわああ、かわいいー」

 いつもはれんくん、れんくんと、蓮にべったりの花恋も、今日はタロウを見るなりそのかわいらしさに目をうばわれたようだ。瞳をきらきらとかがやかせ、それでもおそるおそるそばに寄っていく。

 タロウの方はと言えば、蓮の時とはまったくちがい、最初から尻尾をぶんぶんふって愛想をふりまいている。

「ねえ、だっこしてもだいじょうぶ?」

「うん、いいよ。そっとね」

 花恋はとまどいながら子犬をだく。タロウはぺろぺろとほっぺたをなめる大サービスだ。もう花恋はめろめろで、タロウにほおずりした。

「うわー、ふわふわだー。かわいい。いいなあ、家でも飼いたいなあ」

 上目づかいで兄の雅人をちらりと見る。

「だめだよ、うちでは飼えないよ」

「でも……」

「だめだめ。うちはペットを飼っちゃいけないアパートなの」

 雅人にたしなめられ、しょんぼりと肩を落とす花恋。それを見る雅人の表情がくもる。

「しょうがないだろ、そういう決まりなんだから。兄ちゃんだって、小さい時お母さんにたのんだけど、だめだったんだぞ」

 兄を見つめる花恋の瞳が、どうしても? と問いかけている。花恋の腕の中のタロウもなぜかいっしょに、同じような表情で雅人を見上げている。

「うう……」

 四つのつぶらな瞳に気おされて、もともと妹思いの雅人は劣勢だ。そんな雅人を見かねたのか、陽菜が助け舟を出した。

「だったら、ウチに遊びに来ればいいよ」

 タロウの耳と尻尾がぴこんと立つ。もし花恋にも犬のような耳と尻尾があったなら、やはり同じようにぴこんと立ったにちがいない。興奮をかくそうとせず、花恋は問い返した。

「いいの? お姉ちゃん」

「いいよ、いいよー。タロウも喜ぶし、いつでも来て来て」

「ありがとう、お姉ちゃん!」

 花恋とタロウは陽菜に飛びついた。さっきからあの二人は何でシンクロしているのだろう。蓮はそのほほえましい光景をながめていた。

 陽菜がその視線に気づいたのか、ふとこちらを見た。

「蓮くんも、いつでも遊びに来てね」

 陽菜はそう言うと、少しはにかんだように微笑んだ。


 次の日の日曜日、蓮は駅前の本屋に向かって歩いていた。

地球人の文化レベルを調べる調査の一環だ。ただ、そのための学術調査班は別にいるので、これは仕事というより、蓮の好奇心と言ってよい。もちろん、地球人の嗜好を知れば本来の仕事に役立つだろうという考えもある。

本の売れ筋には、地球人の感じ方、考え方が現れる。実際に本を買わなくても、本屋の中をぶらぶらと歩くだけでもかなりの情報を得ることができる。身につけている装備でハッキングして、こっそり売上データものぞける。よい内容とされ、書店員がポップなどですすめているものと、実際の売れ筋がちがっているらしいことも、人の本音と建前がすけて見えるようで面白い。

 そんなことを考えながら歩いていると。

「あら、蓮くん、こんにちは」

 背後から声をかけられた。昨日初めて聞いた声。

「あれ、ほんとだ蓮くんだ」

 こちらはよく知った声。

 ふり返るとはたしてその通り、陽菜とそのお母さんだった。

 そしてそのとなりには見知らぬ男性がいた。だがどことなく見知った雰囲気がある。昨日、陽菜のお母さんを見たときと同じだ。

「やあ初めまして。君が蓮くんか。陽菜がいつも話しているよ。陽菜の父です、こんにちは。昨日も遊びに来てくれたんだってね。わざわざお土産まで持ってきてくれてありがとう」

 陽菜のお父さんはそう言って手を差し出した。

「いいえ、こちらこそお招きいただきありがとうございました」

 蓮はその手をにぎり返してあいさつをする。

「やあ、話に聞いた通り、本当に礼儀正しいね」

 お父さんは感心したふう。

 となりでなぜか陽菜が得意顔だ。ニコニコときげんよく、蓮にたずねてきた。

「蓮くん、どこか遊びに行くところ?」

「うん、ちょっと本屋に」

「私たちはね、そのとなりのカラオケに行くんだよ。……あれ、蓮くん、あそこにカラオケ屋さんあるの、知らないの?」

 蓮のけげんな顔に陽菜は気づいた。

 本屋のとなりの建物にカラオケという看板が出てるのには気づいていた。だがそれを何するところかは、今まで気にしてなかった。そのまま正直に答えると、物を知らないと思われそうだ。少しごまかし気味に答える。

「知ってるけど、入ったことがないんだ」

 それを聞いた陽菜は一瞬思案顔になる。そして少し上目づかいに探るように問いかけてきた。

「蓮くん、何か本屋でお買い物?」

「いや、ちょっとブラブラしに行くだけ」

「そのあと、何か用事が?」

「いや特にないよ」

「じゃあさ、じゃあさ」

 陽菜は少し頬を上気させて、こちらに乗り出してきた。

「いっしょにカラオケ行かない? ねえいいよね、お父さんお母さん」

 いきなりの申し出に蓮はとまどった。

「じゃまじゃないのか」

「そんなことはないよ。いいよ、ぜひいっしょにどうぞ。なあ」

 わきからお父さんが朗らかにそう言って、お母さんの方をふり返った。お母さんもニコニコとうなずいている。どうやら陽菜のオープンな性格は、この家庭環境によるもののようだ。

 さてここの判断が難しい。

 すげなく断れば子犬の時のように角が立つ。

 さりとてあまり親しくすると観察者の立場を外れてしまう。

 ただ目の前で期待のこもった目でこちらを見ている陽菜を見ると、どうにも断るとまずいように思えた。

「ちょっと待って、家に電話してみる。すぐ帰るって言ってあるから」

 そう言って蓮は携帯を取り出した。とりあえず同僚の意見を聞いてみようと思ったのだ。

「えー、いいじゃない、行ってきなさいよ。何か問題あるの?」

 美咲の声はあっけらかんとしたものだった。

「あまり親しくしたら、観察者の立場を外れてしまうかもしれない」

「え、何、あんたそんなの気にしてたの。平気、平気。地球文化の観察とでも言えば、どうにでもなるわ」

 どうにでもなるって。ごまかす理由の相談に、電話をしたのではないんだが。

 同僚のこのいい加減さには、どうにも納得いかない。でもまあ確かに、特に用事はないと言ってしまっている以上、期待の目で見ている友だちのさそいを断る方が影響は大きそうだ。

「わかった。じゃあおそくなる」

「はーい、楽しんでらっしゃい」

 そう言って電話は切れた。電話をかけに一時はなれていた蓮は、陽菜親子の元にもどる。

「いいって」

「わーい、やった!」

 陽菜は手をたたいて喜んだ。

「すいません、おじゃまします」

「いいよ、いいよ。それじゃ行こうか」

 お父さんとお母さんもニコニコと喜ぶ娘をながめ、蓮をむかえ入れる。陽菜は蓮と並んで歩き始めた。

「蓮くん、あそこのカラオケ屋さん入ったことないって言ってたけど、あんまりカラオケ行かないの?」

「あんまりと言うか、初めてだな」

「へえ、初めてなんだあ。じゃあ、ふだん音楽聞いたりする? 知ってる曲は?」

「テレビドラマとかの曲なら知ってる」

 そう答えながら、蓮は次の問題に取り組んだ。そもそもカラオケとは何か。何で音楽の話が出てくるのか。

 脳にうめこまれたバイオチップのデータベースを検索する。調査活動の助けになるように、いろいろな情報が収められているのだ。頭の中にうかび上がった検索結果を見て蓮はいぶかしんだ。

 カラオケは空オーケストラの略。歌の伴奏だけを残したもの。プロの歌手の曲を素人が歌うとあった。

 歌は他の星でも見られる文化的行為だ。もともと動物には音声コミュニケーションがあり、そこでは音の高低にも意味がある。それが言葉と組み合わさって、感情をゆさぶる芸術となっていく。

 ただ不思議なのは、それがどんどんみがき上げられ、プロの歌い手がいる状況で、なぜ素人の歌を聞くのか、ということだ。

(歌うことが感情の発露となり心地よいのはわかる。でも歌う本人はいいとして、周りがつきあっているのは何で? 質の低い歌唱を、周りは聞いてるということだよな? 今はプロの歌う音源をすぐ聞ける環境なのに? 何で大勢で行くんだ?)

 いろいろと考え、蓮は、結局みんな歌いたいのであって、人の歌は聞いていないのだろうという結論に達した。みんなが好き勝手に歌い、他の人が歌っている時は、きっと休憩時間なのだ。のどもきたえていないと、プロのように歌い続けるのはつらいから。模倣は文化が伝わる基本的な手段の一つなので、それが表出しているということだろう。

 ただそうすると、蓮が加わることによって三人が四人になってしまい、待つ時間が延びる。これは喜ばしいことと思えないのだが、それにしては陽菜がとてもうれしそうだ。

 これはどうしてなのだろうと不思議に思っているうちに、カラオケ屋に着き、部屋に通される。陽菜は蓮のとなりに座って、機械の操作方法を教えはじめた。手元のタブレットで歌いたい曲を指定するようだ。

「蓮くん、テレビの曲を聞いてるんだよね。そしたらこの主題歌っていうボタンをおせば、知ってる曲が出てくるよ」

 そう言われてボタンをおしたが、問題は、聞いたことがあるだけで、実際は曲名も歌詞も覚えていないということだ。だいたいテレビは地球文化の調査の一環として見ているのだ。特に好きなものがあるわけでも、熱中しているわけでもない。正直言えば、バラエティ番組の冗長な構成などには、うんざりしているぐらいだ。

 とりあえず、タイトルを覚えているドラマの、主題歌を見つけた。何かよさげな曲だったような気がする。これを歌うことにしよう。

 蓮の脳にしこまれたバイオチップには、基本情報だけではなく、各調査員の報告書がダウンロードされている。そこに地球文化を専門に調べている調査研究班のものもあったはずだ。ふだんは読まないデータ階層の深い所まで調べて、それを見つけた。曲のデータベースが作られていた。

「蓮くん、決めた?」

 どうやらまず、お客さんから先に歌うということになったようだ。

 曲のデータは見つけたので、その通り歌うことができる。子犬のタロウと話した時にも使った、のどのバイオチップを起動して、声帯やのど、口の動きを曲のデータと連動させればいいのだ。

 声色は体の作りによって決まるので、完全に同じにするのは無理だが、それでも似せようと思えば、かなり近づけることができる。だが、それは今回、必要ないと思われる。物まね大会ではないからだ。音程、つまり音の周波数の変化も、正確にトレースできるが、素人がそんなにうまくてはおかしいので、聞き心地が悪くない程度で、ちょっとずらして……。

 曲が始まり、蓮は歌い始めた。微妙に音程を外しながら。

 一曲歌い終わる。

 周りの人は一瞬だまりこくったあと、わっと拍手をし始めた。

「蓮くんすごい!」

「うまいね、本物の歌手みたいだわ!」

「えっ?」

「いや本当だ、おどろいたな。カラオケは本当に初めて? 家では歌っているのかい?」

 蓮はリレーの練習と同じ失敗をしたことに気づいた。読みちがえた。今回は自分が最初だったので、「ふつう」がどれぐらいかわからなかったのだ。

 音楽の授業の時は、このように曲のデータを引っ張り出して歌っていなかった。単純に両どなりに合わせていたのである。

 一人で歌った今回は、音程の外し方が小さすぎて、人間の耳にはほとんど外れていないように聞こえたのだ。

 目立ってはいけないという蓮のもくろみは、大きく外れてしまった。

「ねえねえ、蓮くんリクエストしていい? この曲は歌える?」

 陽菜が目をかがやかせてタブレットを差し出してきた。

「あ、歌えるけど、でもみんなの番が……」

「あら、気にしないで。おばさんも蓮くんの歌、もっと聞きたいな。声も素敵よねー、蓮くん」

「うん、まるでプロみたいだ。どんどん聞かせてくれよ、蓮くん」

 蓮はこれ以上目立ってはいけないと、断ろうとしたのだが、陽菜のお父さんもお母さんも、期待に満ちた目をしてこちらを見ていて、退路を立たれた。

 その後のカラオケは、蓮のコンサートとなってしまった。

 そしてやはり陽菜は、自分のてがらのようにうれしそうに、両親にじまんしているのだった。

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