第6話 運動会
運動会の日がやってきた。
空は秋晴れ。きれいにすみわたった青空に、ところどころ薄絹のような雲のはぎれがうかんでいる。まさに運動会日和だった。
この日が近づくにつれ、練習はどんどん熱を帯びていった。
その中で今ひとつ熱意を表に見せない蓮(れん)を、陽菜(はるな)はどんどんあおり立てた。今日も蓮を見つけるやいなや、力がぬけた背中をばんとたたく。
「蓮くんもっと気合を入れていこうよ! 小学校最後の運動会なんだよ!」
それと気合はどういう関係があるのか。蓮には今一つ腑に落ちなかったが、とりあえず陽菜の気合が百二十パーセントなのは確かだ。
競技が始まり、子供たちの、そして見守る親の声援が秋空にこだまする。
「蓮くんのお姉さん、来てるの?」
ふと、となりに座る陽菜が話しかけてきた。
「いや仕事のつごうで来れなかった。なんで?」
「いや、蓮くんのお姉さんもきれいなのかなと思って」
「うーん、どうだろう?」
「えー、きっと美人だよー。蓮くんは見慣れちゃってるんだよ」
会ったこともないのに、根拠もなく陽菜はそう力説した。うんうんとうなずき一人納得した様子。
確かに、数値的に平均な顔立ちを作ったら美男子とされてしまった蓮と同じく、姉の美咲(みさき)も美人と評判になっているようだった。やはり、仕事がしづらいとぼやいている。
だが、宇宙人の蓮には、地球人の顔の良し悪しはよくわからないのだ。
「でも、蓮くんそしたらお弁当の時一人だよね」
やはりそう来たか。世話焼きな陽菜の性格を考えれば、予想通りの展開だ。
美咲は仕事の出張でこちらに来れなかったのだが、蓮も美咲も思いちがいをしていた。まさか運動会が、こんなに重要なイベントだとは思わなかった。子供が走ったり綱引きをしたりしている姿で、大人がこんなに大さわぎになるとは。
つごうがつかなくて休んでも大したことじゃないだろうと思っていたのだが、保護者が一人も来ない蓮は、とても目立っていた。
これなら無理にでも美咲に休んでもらえばよかった。美咲の方もたった一人の肉親の弟の運動会を欠席したとなれば、色々と周りから言われているのではないかと思われる。
「ね、蓮くん、そしたらお昼いっしょに食べない? うちのお父さんとお母さんは、あっちにいるんだよ」
そちらをふり向くと、視線に気がついた陽菜のお母さんが手をふってきた。
ここまで気を使われて断ると、また何かと問題になりそうだ。陽菜の世話焼きに対して、蓮もだいぶ学習が進んだ。
「それじゃ、ごいっしょさせてもらおうかな」
「うん! お父さんお母さんも喜ぶよ」
そう言う陽菜が一番うれしそうだ。
お昼の時間になり、子供たちは保護者の元へと向かう。蓮は自分のお弁当を取りに一度教室にもどると、陽菜たちが待つ校庭の一角に向かった。そこには陽菜だけではなく、雅人(まさと)の家族もいた。
「あー! れんくんも来たー!」
花恋(かれん)がうれしそうに手をふってくる。
そのとなりには雅人と花恋のお母さん。くっきりした顔立ちの兄妹に比べ、もっとはかなげな印象だ。だが笑った時の目元は子供たちにそっくりだった。
「あなたが蓮くんね。いつも花恋がお世話になってきます」
優しい声で蓮にあいさつ。花恋はお母さんが大好きなのだろう。いつもは、蓮にべったりくっついてくるが、今日はお母さんに張りついている。コアラの親子みたいでちょっとほほえましい。
「いえ、お世話なんてそんな大したことはしてません。いつもいっしょに楽しく遊んでいるだけです」
蓮の落ち着いた返事を聞いて、陽菜のお母さんは感心したように言った。
「蓮くん本当にしっかりしているのね。感心しちゃうわ。うちの陽菜もこの半分でいいから落ち着いてくれるといいのだけど」
「え、なんで急に私の話?」
とばっちりを食った陽菜はきょとんとしている。笑い声が辺りを包む。
だが、いざお弁当を食べる段になって、蓮がコンビニのふくろを取り出すと、周りの大人はこおりついた。
「蓮くん、お弁当作ってもらえなかったの?」
しまった、お弁当も、このイベントをいろどる重要事項だったのか。すばやく辺りの様子を探っても、楽しそうな雰囲気がただよっている。運動会に手作りのお弁当は付き物だったようだ。内心のあせりを表に出さないように気をつけて、蓮は答えた。
「ええ、姉は三日前から出張なので」
実際のところ、美咲は料理ができないので、いても同じことなのだが。
「ねえ、蓮くん、それはおうちに帰ってから食べることにして、こっちを食べない? たくさん作ってきちゃって、余りそうなの」
陽菜のお母さんがすすめてくる。
「うちのもどうぞ。やっぱりあまりそうだから」
これも断るのは不自然だ。すすめられた通りコンビニぶくろにお弁当をもどして、ご相伴にあずかることにした。
陽菜のお母さんも雅人のお母さんも料理の腕はなかなかだ。特に陽菜のうちのお弁当の唐揚げは絶品だった。もし、例の捜査官助手がこういう唐揚げを食べたのだとしたら、なるほど報告書で力説していたのもわかる気がする。
さらに言えば雅人のうちのだし巻き卵も絶品だ。こちらも報告書で力説していいレベルだ。
舌つづみを打っていると、花恋がニコニコと話しかけてきた。
「ねえ、れんくん、うちのお弁当おいしい?」
「うん、おいしいよ」
その答えを聞くと、ますますうれしそうに、にこーっと顔いっぱいに笑みを広げた。
笑みが広がったその頬に「お弁当」が一粒ついている。両手でしっかりとおにぎりをつかんでいて、そこから一粒残ったようだ。気づいたお母さんがそれをちょんとつまむ。花恋はくすぐったそうに肩をすくめる。
このおにぎりもまた、報告書に上げたくなる食べ物だった。陽菜のうちは小さな俵型。雅人のうちのは大きな三角。女の子と男の子のちがいだろうか。どちらもいただいたが、どちらもおいしい。
今食べているのは雅人のうちのだ。ずしりとした食べ応えである。
「ねえねえ、れんくんのおにぎりは、何おにぎり?」
花恋がのぞきこんできた。
「たらこだよ」
蓮が食べかけの断面を見せる。
「花恋もだよ! たらこおいしいよねえ」
「うん」
花恋は本当にうれしそうだ。つられて蓮の心もほんわりと温かくなる。周りのみんなも同じ気持ちのようだ。見つめる視線が温かい。なるほど、手作りのお弁当をみんないっしょに食べることが、重要事項なのがわかる気がした。
お昼の休憩は終わり、午後の競技もどんどん進んでいき、やがて六年生のリレーを残すのみとなった。陽菜が蓮に気合いを入れろとさんざん言っていた競技である。
六年生全員参加のリレーは、運動会の最後をかざる、この学校の目玉競技だ。蓮以外のみんなは、かなり気合が入っている。何しろここまで得点は接戦。ここで優勝する組が決まるのだ。並ぶ子供たちの間に緊張感が高まる。
「さあ、いよいよ本番だよ! 最後の最後だから、気合入れていこうよ!」
そう言ってまた蓮の背中をバンバンたたく陽菜の顔も、心なしかこわばっている。
スタートの号砲が鳴った。
一番走者が走り出す。これを最後と、みんなの声援は最高潮。観客席も大いに盛り上がっている。
先生たちの裏での努力の結果、レースは白熱の展開を見せていた。走る順番を決める時に、先生同士は連携していて、速い子とおそい子がいっしょに走らないようにしてあるのだ。
だいたい似たような速さの子が必ずとなりにいるので、必然的にぬきつぬかれつの展開になる。子供たちはさらにエキサイト、観客席も大興奮。
やがて陽菜の番となった。
前の走者が、もつれるようにからみ合いながら走ってくる。バトンがわたされた。
先行する走者に、陽菜はじわじわと距離をつめていく。
向こうのコーナーで、とうとう追いついた。
外からぬきにかかろうとしたとたん。
相手走者が外へふくらんだ。
ぬこうとした陽菜に足が引っかかる。
バランスをくずした陽菜が転んだ。相手もよろめいたがなんとかこらえ、走り続ける。転んだ陽菜もすぐに起き上がってあとを追う。
しかしやはり転んでしまったハンデは大きい。
もともとあまりスピード差のない相手なのだ。転んだ分だけ引きはなされて次の走者にバトンがわたる。
「ごめんね、ごめんね」
ひざをすりむいて血を流しながら、けれどそれを気にすることなく、陽菜は泣きじゃくって周りに謝っている。
今のは相手がふくらんだのが原因なので、陽菜が謝る話ではないと思うのだが、周りがそう言っても陽菜は泣くばかり。もう走り終わった茉里香(まりか)が、肩をだきかかえるようにしてなぐさめている。
「ごめんね、ごめん……」
おえつ交じりの陽菜の声が、蓮のところまで届いてきた。
レースはそのままあまり差が縮まることなく、蓮の走る番が近づいてきた。
さてここでどうするかが問題だ。
蓮は一貫してずっと力をセーブして走っている。体の各所にしこまれたバイオチップを使えば、常人をこえた力を出せるのだが、これだけ大勢人がいる中でそんな目立つことができるわけがない。
しかし周りの期待も問題だ。転校早々の体育の授業でタイムを計り、リレーの順番は決まった。まだふつうの小学生の能力を測りかねていた蓮は、けっこういいタイムを出してしまい、結果アンカーの一つ前の位置をもらっていた。
そういう重要な位置にもかかわらず、その後、蓮は目立たないように力をセーブしようとしていたので、陽菜は散々、気合を入れようとしていたのだ。
「がんばれ、蓮!」
周りから声援の声がかかる。これはせめてがんばった形にしないとまずい。
ちらりとクラスメイトの方をふり向くと、すがるような目でこちらを見ている陽菜と目が合った。
なんだよ、その顔、と蓮は思った。
いつも強気で快活で、周りを盛り上げている陽菜の、めったに見せない気弱な顔。
そんな顔らしくない、と思った。
あんなにがんばっていた陽菜の運動会が、こんな形で終わるのはしのびない。
観察者である自分が勝敗に大きく関わることはできないけれど、力をつくさないと目立ってしまうシチュエーションでもあるし、ギリギリのところまでは持っていこう。
アンカーの雅人のスピードを計算する。雅人はクラスで一番速い。体育の授業の時も、蓮の前に雅人が走ったため、平均的な速さの計算をまちがえたのだ。他のクラスのアンカーと比べても速いことは確認済みだ。最後いい勝負になるところまでは盛り返して、バトンをわたそう。蓮は自分にそう言い聞かせた。
前走者がコーナーを回ってくる。女子で一番足の速い子。彼女も陽菜のために挽回しようと、必死に走っていた。
「蓮くん!」
その思いのこもったバトンが、ぱしりと小気味よい音を立て、蓮の手の中に納まった。
走り出した蓮は、相手とのスピード差をしっかりと確認する。
派手に目立たないようにじわじわとつめる。
周りの歓声が大きくなる。
最後のコーナーを回ったところで、ねらい通り、ちょうどぴったりの位置につけていた。
アンカーの選手たちのスピードは確認してある。雅人ならギリギリの勝負に持ちこめるはずだ。
ただ、あわてた雅人の走り出しが少し早い。これだとバトンゾーンを通過してしまう。
蓮は最後のところで少しだけスピードを上げた。
ちょうどぴったり、雅人が最高速に乗ったところでバトンをわたす。
最初からスピードに乗った雅人は、その分相手との差をつめることができ、一つ目のコーナーでまず一人ぬき去った。
さらに向こうの直線でトップに追いすがる。
最後のコーナーを、もつれるようにして、二人の走者がゴールに向かって走ってくる。
もともと友だち想いの雅人のことだ。まさに死力をふりしぼり、必死の顔で走っている。
最後の最後、体を投げ出すようにして、胸の差で雅人がゴールに飛びこんだ。
奇跡的な大逆転に、クラスメートは立ち上がって大喜び。
大殊勲のアンカー雅人はもみくちゃにされる。
「蓮!」
雅人は全力疾走と興奮で上気した、満面の笑顔で蓮に向かってきた。
「ありがとう! 蓮が差をつめてくれたおかげだよ!」
そこに陽菜もやってきた。
もううれし泣きで涙をぽろぽろとこぼし、顔がくしゃくしゃだ。
「ありがとう、ありがとうー……」
そう声にならない声で告げ、二人の首っ玉にだきついた。
わんわんと泣く陽菜の背中をポンポンとたたきながら、蓮は、悪目立ちはさけられたけれども結局目立ってしまったのは失敗だったなあと反省していた。
多分部長に報告すると、おとがめがあるかもしれない。
けれど陽菜の、そしてクラスメートの喜ぶ顔見ると、まあ悪目立ちするよりはよかったのかと思っていた。
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