第9話 美咲の告白

 ゆったりと熱対流に乗って、懸濁液中をゆらめく粒子。液を沸騰させるのはよろしくない。成分が飛び、風味が落ちてしまう。

 蓮(れん)は液をお玉ですくうと小皿に少量注ぎ、ふー、ふー、と少し冷ましてから口にふくむ。

 うん、なかなか。

 発酵は、腐敗と紙一重の生化学的反応をコントロールし、有用な物質を作り出す、見事な技術だ。たんぱく質をアミノ酸に分解することにより、うまみを作り出す。この難しく繊細な過程を、経験則だけで割り出してみせた地球人のいにしえの知恵には、尊敬の念を覚える。

 そうしてうまみを熟成させた味噌。そこに熱を加えることにより成分を変質させ、さらにうまみ成分を引き出していく。最高の成果、すなわちおいしさを求めれば、繊細な熱管理が求められる。

 ただ単に、加熱時間と火力を、レシピ通りに行えばいいというわけではない。切り刻んだ具材の大きさと熱伝導率、さらにはその日の素材の具合によって、その場その場での適切な調節が求められる。料理とは、科学的な知識の集大成であり、その実行に他ならない。

 つまり、蓮は自炊にすっかりはまっていたのだった。

 給食で地球の食事のおいしさに目覚めた蓮。自炊してみようかと思ったりもしたが、本格的にはふみ出せずにいた。

 けれど、バレンタインデーでは、陽菜の他いく人か、自分で作ったケーキを持ってきてくれた子がいた。それはどれも力作ぞろいで、小学生でもここまで料理できる子がいるのだと蓮に気づかせてくれた。それならばと、蓮は自分でも実践してみることにしたのだ。

 あれから一ヶ月。最初はうまくいかなかったりしたけれど、これは化学的工程なのだと認識し、細部まで工程管理を徹底することにより、蓮の料理の腕はめきめきと上がった。もともと外食する機会の多かった美咲(みさき)も、地球の食事のおいしさには同意していて、蓮が自炊するようになって喜んでいた。

 ご飯は炊けた。春物のカブはやわらかく、鶏ひき肉のそぼろ餡とよく合っている。美咲が漬物にはまっているので、そちらの準備もぬかりなく、野沢菜漬けにナスの浅漬け。今日の味噌汁はなめこ、油揚げ、豆腐に、ねぎを少々。

 あとは美咲が帰ってくるだけだ。味噌汁は煮えばなという。つまりできたてが一番風味がいいというわけだ。

 早く帰ってこないかな。

「ただいま……」

 玄関の扉が開き、美咲の声がした。帰ってきた。台所から顔を出し、蓮は声をかける。

「お帰り、ご飯できてるよ」

「うん……」

 美咲の様子がおかしいことに気づいた。

 地球の食事のおいしさにはまった美咲は、今ではかなりの食い道楽になっていて、いつも帰ってくると真っ先に今日のこんだてを気にするのだが、それがない。

 ふう、とため息をつきながら、蓮のわきを通りぬけると寝室に向かい、たんすの前で着替えている。その後姿も覇気がない。

 部屋着に着替えて食卓に着く。そのあいだに蓮は手早く配膳を済ませていた。ほかほかのご飯と味噌汁から、白くあわい湯気が出ている。

「いただきます」

 美咲は両手を合わせると、ご飯を一口。

 これも様子がおかしい。

 まずは漬物で炊き立てご飯を一杯かきこみ、お代わりしてからおかずをつつくという、豪快な食事ぶりなのに、それもない。箸の先にちょこんとご飯をつまんでもそもそと食べている。そんな淑女のような食べ方は、外ではともかく美咲のがらじゃない。

 体調が悪くて食欲がない、というのは考えられない。蓮たちの身体にはバイオチップが組みこまれていて、体調は完全にコントロールできる。例えインフルエンザウイルスが侵入してきても、免疫機能を数十倍に高めて、あっという間に死滅させることができるので、風邪さえ引かない。

 ということは、何か別の問題。仕事上でトラブルでもあったのだろうか。だが正直、地球の仕事は仮の姿なので、そこで問題が起きたとしても、美咲の性格からしてもそんなに気に病むとは思えない。

 じゃあ、本業の、観察者としての……。

「美咲、どうした。何かトラブルか?」

 蓮は美咲に問いかけた。観察者としての問題だとしたら、同僚として放っておけない。どちらかと言えば蓮の方がトラブル続きで美咲に面倒をかけている。その分ここで力にならなくては。

「うん……」

「やっぱり。何があった? 報告を上げる前に、聞けることなら聞くぞ?」

「うん……」

 美咲はそううなずいたきり、もそもそとご飯を口に運ぶばかり。うつむいて、ぼんやりとご飯を見つめるだけで、蓮と目を合わせようとしない。

 本格的におかしい美咲の様子に蓮はとまどったが、向かいに座って無言で待った。

 しばらくして、ようやくポツリと美咲がつぶやいた。

「どうしよう」

「何が」

「告白された……。おつきあいしてくださいって。できれば、結婚を前提にしてって」

 ああ、それか、と蓮は気づいた。

 バレンタインデーの一ヵ月後。この国ではホワイトデーがやってくる。聖ウァレンティヌス(バレンタイン)はキリスト教の聖人で、それを祭る祭日はキリスト教圏の世界各地にあるが、日本の場合には、そこにお菓子メーカーのマーケティングが乗っかった。バレンタインのおくり物がチョコレート主体なのも日本独自だし、それのお返しの日があるのも同様だ。

 だが、郷に入っては郷に従えというのが観察者の定め。今朝、蓮は美咲に、手さげぶくろ一杯のお菓子を持たされ、バレンタインのおくり物をくれた女の子たちに、お礼を配るはめになっていた。

 これがまた神経を使う、なやましいイベントだった。必要以上に親しくなってはいけないし、さりとて、むげにして薄情者として悪目立ちしてもいけないという、細いクモの糸の上をわたるような、神経をすり減らす日となった。

 ちなみに蓮は、自分が多用したセリフ、「ごめん、俺、あんまりそういう好きだとか、よくわからなくて……。でも○○(いろんな女の子の名前が入る)のことはきらいじゃないし、好きって言ってくれてうれしかったよ。ありがとう」(ちょっとはずかしそうに、がらにもなく頬を染め、視線をそらしながら。なぜかというと、我ながら心にもないセリフだと思っていたから)が、女の子たちの心に余計火をつけたことには、気づいていない。

 女の子にそれだけしたわれ、八方美人的にお返しをする蓮は、目立ちたくないという本人の希望とはことさら遠い。しかも男子にはたっぷりねたまれるという、なんともやりきれない立場に立たされた。

 帰ってきた時には、さすがの蓮もぐったりしていたのだ。

 そこで美咲の場合となれば、蓮よりさらに事態は複雑だ。蓮と同様、顔の各パーツやバランスが一番平均的な数値の、つまり一番整った外見を持つ美咲は、異性から見てかなり魅力的な女性だ。

 そして美咲は大人の女性だ。少女たちのあわい恋心も、それだけ純粋でいちずなものだが、大人の恋となると、このようにその先の結婚もふくめる場合が出てきて、人生の一大事となりかねない。

 まあ、家でのぐーたらぶりを見ている蓮としては、地球人の男性が、見た目にまどわされ本質を見ぬけていないことに地球人類の知性の敗北を見て、少々失望を覚えるのだが、どうも美咲は表ではかなり猫をかぶっているようなので、そこはいたしかたない。

 逆に言えば猫をかぶって愛想をふりまいていた結果の、美咲の自業自得とも言える。

 観察者は目立ってはいけないのだ。例え、準備段階の時間不足でリサーチに失敗して、猛烈に目立つ外見をあたえられてしまったとしても。

「まあ、当たり障りなく断るしかないなあ。あんまり人間関係に波風立って、観察者としての仕事に支障が出るようなら、仕事を移るか」

 ため息混じりに蓮は答えた。

 最悪の場合、引越しもあるから、美咲の被保護者の蓮も、ちがう土地での一からやり直しとなる。だが、観察者としては、それも仕方がない。

 どうせならその時に、外見をもっと地味な、みんなにまぎれるものに変えて、本当に一からやり直しにできないものか……。

 そんなことを考えていた蓮は、美咲の様子がおかしいことに気づいた。

 うつむいたまま、ぐっと唇をかみしめている。ご飯を運ぶ箸は止まり、その先が細かくふるえている。見ればその目はうるみ、涙さえうかべている。

 しぼり出すように、その思いを口にした。

「……それじゃ、もう会えなくなるじゃない」

 それは蓮が思っていたのとは、ちがう答えだった。

 一瞬、何を言っているのか理解できない。

「……? どうやって断わるかの相談じゃないのか? ……ちょっと待て! まさか受ける気か? 任期だってあるし、そもそも種族がちがうし、それはまったく非合理的な判断だぞ!」

 思わず立ち上がり、大声になった。

 それに応じるように、美咲も大声で答えた。

「そうだよ! 非合理的だなんて、言われなくたって、わかってるよ! しょうがないでしょ! だって……だって好きなんだもん!」

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