第9話 特別な冬の日

 ピンポーン。

 蓮(れん)の家のドアホンが鳴った。

「はあーい、どなたー」

 平日の夕方にめずらしく家にいる美咲(みさき)が、応対に出る。

「あら、あなたは……。はい。はい。蓮ー、お友だちだよー」

 呼ばれなくても、ドアホンのモニターは蓮からも見えていた。

 陽菜(はるな)だった。

 玄関へ向かい扉を開ける。肌をさす冷たい木枯らしがヒューとふきこむ。思わず身ぶるいするほどだ。

 そんな冷え切った玄関先に、トーンを落とした弱々しい冬の夕日に照らされて、陽菜が立っていた。寒さのためか、いつも血色の良い頬をさらに赤くして、強い北風に瞳をうるませ、蓮の顔を見ておどろいたように、ぴくりと身をすくめた。

「どうしたの?」

 蓮のけげんそうな顔を見て、陽菜はあわてて手さげぶくろから紙を取り出した。

「あの……学校休みだったから、プリント持ってきたの」

「ああ、ありがとう」

 何枚かのプリントを受け取り、それでも蓮は不思議に思う。ざっとながめてみたところ、今日急いでわたさなければいけないようなものは見つからない。

「風邪、だいじょうぶ?」

 蓮は風邪で学校を休んだことになっていた。朝、学校にそう連絡し、美咲も弟の看病という名目で会社を休んだ。

 だが実際には、ちがう。

 母船からの緊急の呼び出しがあったのだ。

 ただの会議ではない。聴聞会だった。陽菜を助けるために力を使ったことについての、事情聴取がなされたのだ。

 花恋の救助に引き続き、二回目の力の行使。しかも今回は地球人に知られてはいけないテクノロジーの数々を使っての、かなりきわどいやり方だった。

 単純に、文明観察者規則第十二条第四項で済ますわけにはいかない案件だ。最悪、蓮は資格を失い、地球から引き上げなくてはいけないことも考えられるぐらいだった。実際、母船にいる調整者(コーディネーター)の中からは、そういう意見も出た。

 蓮もそれでも仕方ないと思っていた。だが不思議と、反省する気持ちにはならなかった。だから、調整者側から厳しい声が上がった時、現場の観察者たちの多くが擁護に回ってくれたのはありがたかった。いじめの問題が間近で見ると根深く、時に人の命をうばうということを、彼らもわかってくれていた。

 確かに解決手段はきわどく、乱用するべきではないが、本人が原因の一つでもあったし、この事態に介入したこと自体は仕方ない。蓮には厳重注意があたえられ、事情聴取は現状を変えるような決定を下すことなく、何とか無事に終わった。

 やはり蓮につきそって呼び出されていた美咲の疲弊ぶりが、その会の厳しさを物語っていた。

 それでも、もしもう一度同じ事態が起きたとしたら、やはり蓮は陽菜を同じように救うだろう。

 目の前の陽菜の顔を見つめて、蓮はそう思った。だから何事もなかったかのように、陽菜に答えた。

「たいしたことない。明日は学校に行くよ」

 このことは、昼休みに様子を聞きに真穂(まほ)先生が電話してきた時に伝えてあった。だからこそ、緊急ではないプリントを、どうしてわざわざ陽菜に届けさせたのかが、蓮には不思議だった。先生がたのんだのではなく、陽菜が気を利かせたのだろうか。

「そっか……よかった」

 陽菜はほっとため息をついた。

 そしてその後、すっと視線を落としてだまってしまった。

 ちょっと様子が変だ。いつものハキハキとした様子とはちがって、もじもじと歯切れの悪い感じ。プリントではなく何か他に用事があるのかもしれない。

「何か他に?」

 先をうながす蓮の問いに、陽菜はビクッと身をすくめた。そこで蓮は気づいた。扉を開けた時も同じような反応をした。

 あの時は扉が急に開いたからかと思ったが、どうやらこれは自分に対する反応のようだ。

 おびえている?

 俺、なんかしたっけか?

 蓮は自分の行動を思い返した。そういえば昨日も素っ気なかったような気がする。いや待て、その前の日も。

 さかのぼっていくと、いじめを止めさせた日があって。

 その前は当然元気がなかった。急には元に戻らないかなと思って、その後の素っ気ない様子も、あまり気にしていなかった。

 もしやいじめは止んでおらず、自分が気づいていないだけで、より巧妙になっている?

 いやそれなら自分に対するこの様子はおかしい。

 もしかして、あの強引な聞き出し方がよくなかったのだろうか。あれでおびえてしまった?

 内心では色々と考えている蓮だったが、表はいつものポーカーフェイスだ。そんな蓮に見つめられていた陽菜は、気ぜわしげに身体をゆすり、足元も落ち着きなく、視線もあちこち泳いでいる。

 どうも蓮の顔がまともに見られないようだ。だが、何か言いたげな雰囲気だけはある。

「どうした?」

 蓮は重ねてたずねた。その言葉にやはりびくりと身体をふるわせるのだから、ますますおかしい。

 とうとう意を決したように、口元をきゅっと引き結ぶと、手さげかばんから何かを取り出した。

 かばんを下ろして両手で蓮の前に差し出したのは、きれいにラッピングされたビニールの包みだった。中に茶色の物が見える。

 よく見てみると、チョコレートのカップケーキだ。ラズベリーがちょこんと顔をのぞかせている。ただ、正直見た目は少し、不ぞろいだった。どうやらお店で買ってきた物ではなく、手作りの代物のようだ。

「こ……これは! 義理だけど! 義理なんだけど、でも、このあいだ助けてくれたから、お礼っていうか、特別っていうか……」

 陽菜は最初は威勢がよかったのに、だんだん声が小さくなって、最後はもごもごと何かつぶやいている。

「ふーん?」

 蓮は、何で言い訳っぽく言っているのか不思議だった。けれど、せっかくくれた物だから、ちゃんお礼を言わないと。

「ありがとう。おいしそうだね」

 そう言って、ひょいと包みを取り上げる。陽菜はまた、びくっと体をふるわせた。

 それにしても玄関先は木枯らしがふきこんで寒い。陽菜は頬をますます赤く染めているし、さっきからふるえているのも寒いからかもしれない。蓮は陽菜に声をかけた。

「上がってく? お茶出すよ」

「えっ、ううん、いい、そんなの無理……」

「?」

 陽菜は上がっていかないと言う。せっかくだから、これをお茶菓子にと思っていたのだけれど。

 感想は明日言ってもいいのだが、ここで一つ食べればいいか。

 蓮はぺりぺりと、ビニールぶくろの口を閉じている、きれいな柄の封を開ける。

「あっ」

 陽菜が息をのんだ。

 こわばった表情。こわばった身体。

 何か運命の瞬間をむかえたような、あまりに深刻な様子に、蓮は心配になった。

「何? 今食べちゃだめだった?」

 陽菜は大きくぶんぶんと首をふった。

「ううん! そんなことない! そんなことないよ! いいよ、どうぞお食べください……」

 やっぱり最初は威勢がいいのに、最後は両手を差し出して、うつむいてしまう。

 何か変だと思いつつ、でもその原因も思いうかばず、蓮は紙のカップをむいて、ケーキを口に運んだ。

 陽菜は本当に息を止めている。顔は上げていないけれど、こちらの様子に集中しているのがわかる。

 いったいなんだろう。蓮はそう考えながら、もぐもぐとケーキを食べた。

 見た目は少し不ぞろいだったけれど、味はけっこういける。カカオの苦味と砂糖のあまさがほどよくからみ合い、練りこまれたラズベリーの酸味がいいアクセントになっている。

 蓮の口から素直にほめ言葉が出た。

「うん、うまいよ。お前、お菓子作るの、うまいのな」

「!!!」

 陽菜はそれを聞いて、頬だけではなく顔全体をかあっと赤らめ、バンと一つ蓮の肩をたたいた。そして、大あわてで、階段をかけ下りていってしまった。

「なんだよ、もう」

 蓮は肩をさすりながら、玄関から部屋へもどろうとふり向いた。

 すると、そこにはニヤニヤと表情をくずしている美咲の姿があった。からかうような口調で、蓮に声をかける。

「よっ、色男!」

「? 何の話?」

「その年であんなに女を手玉に取るなんて、にくいよ、この!」

 蓮が問い返しても、変わらずからかう調子の美咲。しかし、蓮には何のことを言っているのか、さっぱりわからない。

 きょとんとしている蓮を見て、美咲が顔をしかめた。

「……もしかして、あんた、気づいてない?」

「だから、何の話?」

「うっわ、ひどい! 乙女の気持ちもわからずに、あれだけの対応してたって言うの? あれだけ手玉に取るようなまねをして? うっわー、かわいそうに……」

「だからいったい、何の話だって」

 かみ合わない会話に、蓮はいらだちをかくせず、強い調子で問い返す。だが美咲はそれを聞いて、深いため息をつき、うつむいて額に手をやった。その深いため息とともに、蓮に告げる。

「あの子、あんたに好意を持ってるよ」

「まあ、接触の多い個体の一人だな。友好的と言っていい。関係はなかなか良好だと思う」

 ただここ最近の様子は心配だ。今もおかしかったし。

「何とぼけてんのよ、友情の話なんかしてないわよ。今日は二月十四日よ?」

 そう言われても、蓮は思い当たることはない。眉をひそめている蓮が本気だと、ここまで来て、美咲も気づいたようだ。

「……やだ、あんた、基本情報ぬけてんじゃないの? 観察者として、その地域の風習を確認するのは基本でしょうに」

 は?

ぬけてる?

何が?


「今日は、セント・バレンタインズ・デイ。この国では、女の子が男の子に愛を告白する日よ」


「は?」

「あの子はあんたとつがいになりたがってるって言ってるの!」

「はあ? 何言ってるんだ? そんな言動は一度も確認されてないぞ!」

 蓮はおどろいて思わず大きな声を出した。美咲は、また深いため息をついて首をふった。

「そりゃ、あんた、乙女心的に面と向かってはなかなか言えないから、今日がんばって初めて告白しにきたに決まってるじゃない。にぶい男はこれだから……。まあ、確かに素直に言えなかったみたいだけど、瞳孔の拡大、顔面表層の血流増大、音声周波数の変化……ちゃんと観察してたら、ばればれじゃないの」

 いや待て、それは自分だって知っている。観察対象の心理を探るのも観察者の役目だ。そこにだってずっと目を配っていたぞ。それについての変化は特に……。

 そこまで考えて、蓮ははたと思い至った。

 変化がなかったということは、最初から……?

「あんた、もっと地球人の感情について、勉強した方がいいわよ」

「そんな、馬鹿な……」

 地球に来て以来の想定外の出来事に、蓮は呆然となった。


 次の日、蓮が登校すると、一日おくれのバレンタインの嵐がふき荒れた。

 事情がわかった以上、対応に細心の注意がいる。蓮は観察者である。特定の対象と深い関係になるわけにはいかない。さりとて、相手にあまり深いショックをあたえ、悪目立ちするわけにもいかない。

 相手をがっかりさせずに、いいオトモダチでいないといけないのだ。

 しかも男子からは、やっかみ半分のからかいがやってくる。これも、反感を最小限におさえるような対応が必要だ。

 神経をすり減らすその対応に、蓮はぐったりとなっていた。

 そんな時、こちらをじっと見つめる視線に気づく。

 ふとふり返ると、陽菜と目が合った。

 陽菜は赤い顔をして、あわてて視線を外す。

 そうか、あいつにもちゃんと返事をしてないな。蓮はその横顔を見ながら、ぼんやりと考えた。視線を感じた陽菜は、ちらちらとこちらをうかがっては、ぱっと目をそらしている。

 でも、あいつも照れかくしに義理だって言っていたし、ならこちらも気がついていないふりをしてればいいか。

 深い関係になってはいけない。

 だからと言って、今さら縁遠くなりたいわけでもない。

 そんなことを考えている自分は、地球人目線で考えれば、確かにひどい男なのかもしれないと、蓮は思った。

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