第17話
朝の独特な空気を浴びながら、悟はバイクで国道を走っていた。
現在、悟とリリの二人はアリーナ会場へと向かっていた。悟達が先程いた廃工場からアリーナ会場まで約一時間半弱の距離だ。
先程までリリが捕まっていた廃工場は悟が消防へと連絡を入れていた。きっと今頃消火活動が行われているだろう。
リリが拐われ、あれから一晩しか時間は経過しておらず、普通ならばもうすでに警察が動いていてもおかしくない状況だ。
だがそれを梨乃が、会場の方でスタッフ達を誤魔化し、必死で押しとどめている。
その為まだリリが拐われていた事実は誰にも知られてはいない。
おそらく犯人の狙いはリリを廃工場で焼き殺した後、アリーナ会場に設置した爆弾で会場を爆破したのち、自らも自殺を図るのだろう。
きっと犯人は彼女と会場を爆破した後(のち)、逃走、または自首と言う選択肢は取らない。
星野リリに……彼女自身に執着し、拘るのならば彼女の後をきっと追って死ぬ筈だ。
もしもコンサートが中止になったとしても、会場の破壊はきっと止めない。
奴の目的はリリの歌う場所を破壊する事。
どのみち関係の無い無関係な人間が生きようが、死のうが犯人には全く興味が無く、関係がない事だ。
コンサート前にリリの遺体が発見されれば犯人にとっては都合が悪くなる。
何故遺体の発見を必要以上に遅らせる必要があるのか、そこがまだ不明な部分ではあるのだが、きっとおそらく自分の中で組み立てている計画が崩れ去ってしまうのだろう。
だから誰にも気づけない場所でリリを焼き殺そうとしたのだ。
だが悟は達にはまだ時間の猶予が残されている。
会場に到着後警察に連絡し、スタッフに状況を説明して、会場内に設置された全ての爆弾を処理すればまだ間に合う筈だ。
ライブが開始するのは午後の16時からになっている。今からでも充分に間に合う。
そう思考を巡らせる最中、今にも掻き消えそうな小さな呟きが突然悟の耳へと届いた。
「悟……わたしね……」
柔らかなオレンジ色の髪を風に靡かせて。
後ろに座るリリは悟の腰に回していた手に僅かに力を込め、彼を抱きしめるようにして、静かに口を開いた。
「わたし……ずっとファンの為、わたしの歌を聞いてくれている人達の為に歌ってきたの。わたし自身歌う事が好きだったし、それに何より皆がわたしの歌を聴いてくれる、好きでいてくれる。それだけでわたしは嬉しかった。もっと、もっと沢山の人達に歌を届けたいって思っていた。それがわたしの夢だった」
リリは一度言葉を切り、そしてそれを全て否定するように顔を俯かせながら言った。
「だけど違っていた。きっとわたしは時雨に認めて欲しくって歌っていた」
「………」
「初めて自分が信じている人に、自分を認めて欲しくって歌っていた。きっと本当はただそれだけの為に歌っていた。だからあの時アンタに『歌を歌ってて楽しいか?』って聞かれた時、正直分からなかった……ううん、違う。認めたくなかった。歌に対しての迷いがある事に認めたくなかった。でないと、わたしは今まで何の為に歌ってきたか分からなくなりそうだったから……」
きっと彼女は自分が信じている人に自分の歌を認めて貰いたかっただけだった。
それは小さな幼い子供が自分の母親に「凄いね」と褒められたいと言う感覚に似ていた。また、時雨自身がリリに恋愛感情を抱いていたように、彼女自身も同じく彼へと自分の本当の兄のような感情を強く抱いていた。
だから彼には自分の歌を認めて欲しい。
そんな想いが彼女の中で強く存在していたのだった。
「今まで時雨に向けて歌ってきたわたしが、皆の心に残るような歌を果たして歌えるのかって……正直分からないの……今のわたしに出来るのかって本当は分からないし、不安だってあるの……」
「あのさ、別にそんなに気を張り詰めて歌わなくても良いんじゃねーの?」
顔を曇らせ、不安そうな声色で言うリリに、悟は気楽な口調でそう答えた。
「そんなに難しく考えねぇで、お前が歌いたいように歌えば良いんじゃねーの。ごちゃごちゃ考えずに素直な想いでさ。それにお前は何でアイドルになろうと思ったんだ?」
「わたしは……」
彼の問い掛けに、彼女はポツリと言葉を漏らした。
そしてふと顔を横へ、流ゆく景色へと向けた。
その時、彼女が目を向けた先は幾つも立ち並ぶ建物の景色の中をオレンジ色の空が広がり、朝日が昇っていた。
それはとても綺麗で。
思わず見惚れてしまう程の美しさだった。
こんな風に朝日を眺めたのは何年ぶりの事だろうか……。
そう思いながら、彼女は言葉を口にした。
「歌が好きだった。だけど半分は興味本位だった。アイドルになった理由なんって、ただそれだけだった」
一年前のあの日。
放課後、学校帰りに街の中を歩いていた時に今のマネージャーにスカウトされた。
初めは半信半疑だった。自分がアイドルになれるなんて想像もつかなかった。
歌を歌うことは好きだ。それも幼い頃からずっと。
だからと言って歌手に自ら進んでなりないとは思わなかった。
そんなのは才能がある人間がなるものだと思っていた。
だけど目の前の女性は薔薇のような美しい微笑みと共にそれを自分へと『アイドルにならない』と告げたのだった。
歌う事以外に何も無い、空っぽで、平凡な自分へと告げたのだ。
もし世界中の誰もが認める歌を歌えたとしたら、彼は認めてくれるだろうか?
そんな事を思いながら彼女はアイドルになったのだった。
それは興味本位からきたものであると同時に、大切な誰かに認めてもらいたいと言う想いから出た自分のエゴだった。
そこに”夢”と”憧れ”と言う文字は最初から存在しなかった。
彼女はその想いを自分でも気づかないうちに”夢”にすり替えてしまっていたのだ。
「わたしは今思えば、”誰に認められたい”と言う想いを、気持ちを自分の夢だと思って歌ってきたの。そんなの夢なんかじゃない。ただの我儘な傲慢さ。だけどファンの皆にわたしの歌を聞いて楽しんで欲しい、誰かの心に残るものを歌いたいって気持ちは本物だった。でも、それさえも認められたいって言う想いからかもしれないのなら、わたしの夢は全部偽りだらけの偽物になる……。だったらわたしは……」
リリは苦しそうな表情をしてそう言った。
「でもさ、それで良いんじゃねーのか。確かに最初は興味本位でやっていた事かもしんねーけどさ、」
リリの言葉に悟は前を向いたまま柔らかい声で言葉を続けた。
「それって、”本気”でやったら今以上に上に行ける……お前の言う誰かの心に残す歌を届けれるかもしれないって事だろう?だったら答えは簡単じゃねーかよ。今度は”本気”でやってみろよ。誰かに認めてもらう為にやるんじゃなくって、誰かの心に残る歌を歌うために本気でさ。お前自身のやり方で」
悟はリリへとそう言った。
その言葉に、自分の気持ちが一杯になると同時に詰まるのを感じた。
今まで誰かにそう言ってもらった事はあっただろうか……。
こんな風に誰かに……。
そう思いながら胸がきゅっと締め付けられるほどの切なさを感じ、だが同時に何処か嬉しさと、このわけも分からない感情を抱きながら、彼女はポツリと言葉を零した。
「そうね……。アンタの言うとおりかもしれないわ。きっと本気でやらなきゃ届かない、だったら本気でやるしかないのよ。だからアンタの言うとおり……わたし本気でやってみるわ。今度こそ本気で……」
彼は何も言わなかった。
だけど、自分に背を向けたままの彼が軽くふっと笑う気配だけ伝わった気がした。
それを見、リリは少しだけ苦笑し、そして瞳を瞑ると共に静かに唇を動かした。
「だから……有難う……」
***
アリーナ会場にて。
アリーナ会場の入口へとたどり着いた悟達の前方から、急いで自動ドアを潜り、こちらの方へと駆けてくる梨乃の姿があった。
梨乃は二人の顔を見ながら安堵し、そして足を止めた。
「良かった……間に合ったんだね」
「いや、そうでもねぇんだよ」
「え?どう言う事なの?」
悟の言葉に怪訝そうな顔をする梨乃に悟は苦い顔をしながら彼女へと答えた。
「この会場に爆弾が仕掛けられているんだ。しかも幾つ仕掛けられているか分からない。
また同様に爆弾が設置された時間もな。だが犯人の事だ、俺の推測だと爆弾が爆発するタイミングはライブ開始、もしくはライブ中に爆発するようにセットしている可能性が高い。それに犯人の言動や行動に僅かな引っかかりも感じる。だから悪いんだけどさ、お前警察に連絡を入れといてくれねぇか?
爆弾の解析班と、警護の人数を出来るだけ増やしてくれるように」
「うん。だけど、スタッフ達にどうやって説明をするの?爆弾が会場に仕掛けられていましたなんって言ったら間違えなくライブ中止になっちゃうよ。リリちゃんの事誤魔化す時だって、何かしらのトラブルに巻き込まれたんじゃないのかってかなり勘ぐっていたし」
「まぁ、そうなるよな。普通だったら間違えなく中止しちまうだろうし。それに自分の計画が頓挫して、おまけに殺した筈のリリが生きていた事を知れば間違えなく再び狙いに来るだろうし……」
そう言いながら悟は顎に手を当てながら真剣な表情で言った。
それに対して先程まで口をつぐんでいたリリは戸惑い、一瞬躊躇し、そして掌を固く握ると同時に悟達へと顔を向け、そして言った。
「わたし正直に話してみるのがいいと思う。確かに言ったら間違えなく反対されるかもしれないし、中止されると思う。だけどここまで一緒に頑張ってきた人達に嘘はつきたくない。きっと無駄かもしれない。それでもわたしは自分の気持ちを伝えたい。そう思うの」
リリのその言葉に悟は「はー……」と、深いため息を吐き、そして自嘲気味に軽く笑いながら彼女の頭をくしゃりと撫でた。
そして。
「ならやってみろ。お前の気持ちを全部ぶつけてみろよ」
そう言い、彼は歩き出した。
そんな彼の後ろ姿を見るリリに、横から梨乃は優しい口調で彼女へと声を掛ける。
「大丈夫だよ。何かあったらサポートはわたし達がするから。だから行こう」
そう優しい声音で言う彼女もまた、その場から歩き出す。
それを見、リリは唇をきゅっと引き結び、そして顔を上げ、彼らの後を急いで追ったのだった。
***
「爆弾!?」
リリの話を聞いたライブの関係者の男……高杉は驚愕した顔をしながら驚きの声を発した。
そんな高杉へとリリは真剣な表情で深く頷いた。
「そうです。この会場に爆弾が仕掛けられています……。わたしを拉致した犯人はそう口にしていました。だからこの会場にある爆弾を早く撤去しないと大変な事になります」
リリの真剣味を帯びた言葉を聞き、高杉は、彼女が事実を述べているのだと直感でそう感じた。
普通ならばライブを中止する為に自ら嘘をついている可能性を疑うが、彼女の瞳を見る限り、その可能性があるとは考え難かった。
そもそも、もし嘘をつくとしたらもっとマシな嘘をつくだろう。
「拉致って……やっぱり君はトラブルに巻き込まれていたのか……って今はそんな事を言っている場合ではないな。そうなるとライブ中止の公表と、警察にすぐに連絡をしないと……おい、スタッフ!今すぐライブ中止の公表をしろ!あと警察に……」
そう声を荒立てながら、他のスタッフへと指示を飛ばそうとする高杉へとリリは必死でその言葉を遮った。
「待って下さい!ライブを中止にしないで下さい!!」
「どうしてだ?ライブを中止しなければ、この会場は爆破されてしまうんだぞ。だったらさっさと中止にして爆弾を撤去し、犯人を捕まえる方が懸命の判断だと思うが」
「でも犯人はもしこの会場が爆破に失敗したら次の手を考えて、襲ってくるのだと思います。それも何度も、何度も、巧妙な手口を使って。だったら爆弾を全て撤去し、予定通りライブを行って、そこで犯人を捕まえた方が良いのではないでしょうか。それにわたしはわたしの歌を聞きに来てくれた人達をガッカリさせたくはありません。このステージで楽しんで欲しい」
リリは一度言葉を切り、そして懇願するかのような表情で強く言い放った。
「だからお願いです!このライブを中止にしないで下さい!!」
リリの言葉に会議室の室内ではどよめきの声が次々と上がった。
当然の事だ。普通なら観客たちの安全面を考慮し、中止にせざるを得ない状況の筈なのに、それを敢えてリリは自分の意思のみで押し通そうとしているのだ。
何を馬鹿な事を言っているんだと言われても仕方がない事だった。
そして、それを打ち破るかのように高杉は厳しい顔でリリを見、低い声音と共に口を開いた。
「だったら君は、その為ならば観客達が危険な目に晒されてもいいと言うのか?」
「それは……」
その冷たい口調にリリは思わず口ごもった。
それを鋭い眼差しで高杉は一瞥し、さらに言葉を続けた。
「君の言うことは、犯人を捕まえる為だけに観客達の安全性を無視し、ライブを行うと言っているに過ぎない。そこに観客達の安全性の配慮が一切されていない。それに君の観客達に楽しんでもらいたいと言う思いが今の状況で叶うとは到底思えない。そもそもこの広い会場で、幾つ仕掛けられているか分からない爆弾をどうやって撤去出来ると言うんだ?
全て撤去出来ると言う保証は?ライブを開催すると言うと言うことは、警察、鑑識、警護の大量の人数が必要になる。それだけの人数が動くと言う保証はどこにあるんだ?」
「…………」
彼の言葉はもっともなものだった。
彼の立場上、観客達の安全性を優先させなければならない。
会場に爆弾が仕掛けられているとなればなおさらだ。彼の判断は正しく、正当な判断とも言えるものだ。
きっとライブを中止し、爆弾を全て撤去したのち、犯人を捕まえた後にライブを開催すれば何も問題は無い筈だ。
だけど。
だけど……犯人を、時雨をここで止めなければ、きっと彼は昔の彼に一生戻れない。
どうしょうもなくそんな気がした。
だから彼女は眉尻を下げながら、再び必死な表情をし、口を開きかけた。
その瞬間。唐突に。
「だったら、その問題をぜーんぶ解決できりゃぁ問題ねーだろ?」
いつの間にか開かれた扉の壁際に背を預けた一人の少年……種原悟は気楽な口調でそう言った。
突然現れた悟へと、その場にいた全員の視線が彼へと注がれる。
そんな視線を気にもせず、悟は室内へと足を向け、踏み入れた。
そしてその後に続くように彼の後ろから数人の人物が室内に入って来る。
それはスーツを着た男性達であり、見るからに刑事達そのものだった。
「ここには刑事、爆弾処理班、鑑識、あとついでに200人程の警備員が動かせる。この人数で残された8時間内に会場に仕掛けられた爆弾を全て撤去する予定だ。アンタが言っていた観客達の安全性については既にこっちで対策は出来ている。それでも人数が足らないて言うとであれば、これからさらに増やす事は可能だ。で?どうする?これでも無理って言うのか?」
「君は一体何者なんなんだ……?」
警察を引き連れ、急に自分の目の前に現れたこの少年は一体何者なんだ……?
そう疑問と懸念を強く抱いた高杉は怪訝そうな顔をしながら、悟へとそう訊ねる。
悟は唇の端を歪め、意地の悪い笑をうかべながら、
「取り敢えず天才高校生探偵みたいなものだとでも言っておくよ」
そう高杉へと告げたのだった。
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