第14話

「遅れまして申し訳ありません……」


会場の中にある広い会議室にたどり着いた梨乃は、室内の中にいるスタッフ達に慌てた様子でそう言った。

「新垣さん。いえ大丈夫ですよ。遅れたと言っても五分しか立っていませんし」

梨乃の顔を見、数十人の中にいたライブ関係者のうちの一人の中年の男性は、穏やかな顔でそう梨乃へと答えた。

「では、早速打ち合わせの方を始めていきましょうか?そう言えばリリさんの姿が見えませんが……」

そう言いながら関係者の男はリリの姿を探すように、視線を周囲にキョロキョロと向ける。

それに対して梨乃は真剣な表情をしながら、関係者の男へと言った。

「申し訳ありません。リリは今日どうしても外せない用事があり、今日の打ち合わせには参加出来ません。ですが、明日のライブ本番前のリハーサルには必ず出席の方を致しますので……」

その梨乃の言葉に、穏やかな表情を浮かべていた関係者の男は表情を渋い顔へと変えた。

「いや、でも明日のリリさんの立ち位置や、曲の時間配分、ステージの演出の説明などの打ち合わせもありますし……やはり本人にも参加して頂かないと明日いざと言う時に困るのではないかと思いますが……」

「おっしゃる通りそれはそうなのですが……」

正論を告げる関係者の男の言葉に、梨乃は思わず言い淀んだ。

目の前の男の言う通り本来ならば、アイドルも打ち合わせなどに参加しなければならない。

それは当日での自分の立ち位置、ステージでの演出、万が一のアクシデントに備えての最終チェックなども兼ね備えている。その為の最終段階の打ち合わせでもあった。

この男が不安を感じ、渋い顔を作るのは当たり前の事だ。

そう思いながら梨乃は口を再び開きかけた。

だが、その瞬間。


「本当に星野リリは用事なのですか?何かトラブルに巻き込まれているとかではありませんか?」


スタッフ達の中から一人の男性が、厳しく低い声音でそう言いながら梨乃の前へと足を踏み出した。

それは黒髪に眼鏡を掛け、スーツを着た厳格な顔をした三十代半ばの男性だった。

おそらくこの男も関係者のうちの一人のだろう。

そう感じた梨乃へと、黒髪の男性は厳しい視線を梨乃に向け、そして再び口を動かした。

「今アイドル関連の事件とか結構起こっていたすからね。もし彼女がトラブルに見舞われている可能性があるとしたら、ライブ中止の検討をした方が宜しいのではないでしょうか?」

黒髪の男性の台詞に周囲はざわつき始めた。

「用事って確かにおかしいよな……」「でも確かに最近アイドルを狙った事件って多いよね。ストーカーとかさ……。リリちゃん人気あるから、ひょっとして……」

小声で口々に言うスタッフ達の声を聞き、梨乃は声を上げ、強く否定をした。

「違います!リリは本当に外せない用事があって……」

「それはライブよりも大切な事なのですか?」

黒髪の男性は低い声音で梨乃の言葉を遮るように言った。そして男性は厳しい眼差を梨乃へとぶつけるように問い掛けてきた。


「その用事とやらは何なんですか?良いですか新垣さんもしも彼女が某らのトラブル、事件に巻き込まれた場合当然ライブを中止せざえなくなりますし、かと言ってトラブルを抱えたままライブを決行した場合、会場内で事件が起きる場合もある。私達スタッフはアイドルと来場者の安全性を考え、考慮しなければいけないんです」


「…………」


「だから、もう一度聞きます。星野リリは本当に明日のリハーサル……いえ、ライブには間に合うのですか?」


黒髪の男性は真剣な声音で梨乃へと再び訊ねる。

アイドルを狙った犯行は、現在このネット社会が発展して行く中、比較的に多くなっていた。

特に今の時代SNSが主になっていく中で、アイドル、芸能人そのものをターゲットにしたトラブル、犯行予告が多発しているのはそう珍しい事ではなかった。

だからこそ、きっと彼は本気でリリ(アイドル)と観客達の安全性の不安を抱き、マネージャーである自分へと厳しい意見を自分へと求めたのだ。

けれど、それと同時に彼はライブそのものを成功させたいと思っている。

それは安全性の考慮と共に、自分の不利、利益など関係なく、そこにあるのはただ観客達の目線に立ち、尚且つスタッフ達の立場に立つ者のとしての意見そのものだった。


きっと彼には嘘は通用しない。


それはこの場にいるスタッフ達、誰にでも言えるものに近かった。

だから梨乃は唇をきゅっと引き結び、強い眼差しで真剣な表情をし、そして凛とした声音で言った。


「星野リリは明日のライブには必ず来ます」


関係者、スタッフ達全員の視線が梨乃へと注がれる。そんな中梨乃は毅然とした態度で再び言葉を続けた。


「確かに……あなた方が言われるとおり、この場にリリはいません。詳しい理由はまだお伝えすることは出来ません。だけどリリはこのライブの為に今までずっと頑張ってきました。彼女は自分の歌をこの会場で多くのファン達に届けたいと言っていました。それは、ずっと彼女が描いていた夢そのものです」


自分の言葉が何処まで相手に通じるのかは分からない。

だけどリリが今まで大切にしてきた歌を、夢を叶えてあげたいと思った。

リリと自分はまだ会って、数日しか一緒に過ごしてない。

だけど、彼女は”歌”に対していつも真剣だった。

それと同時に彼女は”歌”を特定の”誰か”に届かせようとしていた。彼女が誰に届かせようとしているのかは分からない。

だけどそれは見るからに必死で、それは何処か彼女自身の強い想いにも思えた。

そんな彼女の想いが叶って欲しいと、自然とそう思ってしまったのだ。

梨乃は一度言葉を切り、眉根を下げ、必死で言った。


「わたしは彼女の夢を叶えたい。明確な理由が無く、理不尽に聞こえるかもしれません。今のわたしの言葉は信頼なんって出来ないかも知れません。貴方がたの不安を募らせて行くだけかもしれません……。だけど、それでもリリの想いを叶えてあげたいんです。彼女に、今まで追い掛けてきた夢が叶う瞬間を彼女に味わって欲しいんです!リリは必ず来ます!だからリリを待ってあげて下さい、お願いします!!」


梨乃はそう言い、頭を下げた。

黒髪の男性は真剣に頭を下げる梨乃を見て、小さな溜め息を吐いた。


「分かりました。では彼女を待ってみます。ですから、顔を上げて下さい」


「本当ですか……」


黒髪の男性の言葉に従い、梨乃は顔を上げると共に、驚きの表情を浮かべた。

彼女のその表情を見、黒髪の男性は少し呆れ、そして困ったような表情をしながら先程とは違う柔らかい空気で答えた。


「私達もライブを成功させたい気持ちは同じです。せっかくここまで来たのですから、何としても成功させたいと言う思いは星野さんと同じなのです。ですが待つのは明日の朝……午前中までです。それを過ぎればライブを中止します。良いですね」


柔らかい口調から少しばかり厳しい口調で告げる黒髪の男性に、梨乃は強い意志がこもった瞳を真っ直ぐに向けて答えた。


「有難うございます。はい、それで構いません。わたしは彼女を信じていますから」


……リリちゃんは必ず悟が助け出して来てくれる。だから今わたしが出来る事は悟を信じて二人の帰りを待つだけだ……。


彼女が男性へと告げた言葉は、悟達を心から信じての言葉そのもののであり、同時に二人の無事を祈っての言葉でもあった。



***



「って……アイツ一体何処にいるんだよ!!」


夜闇の中、誰もいない廃工場の敷地屋の中で、バイクに跨ったまま悟は小さく眉をひそませながら軽く悪態をついた。


数時間前。

拐われたリリを探し出すべく、彼女に付けていたGPSを手掛かりに悟は廃工場へと向かった。

だが、廃工場の敷地の中に入った瞬間にGPSの反応が突然消えたのだった。

周囲は薄暗く、廃工場が三ヶ所同じ敷地に連なって建てられており、近くに街灯が立ってはいるが、電球の明かりが切れかけている為かチカチカと光っているだけだった。

おそらく犯人はリリに付けていたGPSに気づき、それを壊したのだろう。

犯人に気づかれないように敢えてアクセサリーとしてカモフラージュしてはいたのだが、GPSが起動すると、イヤリングが微かに光を放つ使用となっていた。

だが、光ると言っても彼女に至近距離で近づかない限り気づく事は難しい筈だ。

それを犯人は気づき、破壊した。


「まぁ、さすがにそんな上手くいかないよな。いっていたら超楽だったのにな……」


短い息を吐き、悟はそうぼやきながらズボンのポケットの中から、ディバイスを取り出した。

手にしたディバイスの画面へと彼はキータッチで今自分がいる場所を入力していく。

ものの数秒も掛からないうちに画面には現在地が表示されていた。

それは簡単な地図のようなものであり、三つの廃工場が縦へと長く連なっていた。

一見、パッと見しただけでも無駄にただ広いイメージが強く、それこそ連れさらわれた一人の少女をこの場所から一人で時間内に見つけ出す事は困難にも思えた。

例え警察が動いたとしても予想以上に時間が掛かってしまう可能性が高い。

だからこそ犯人は敢えてこの場所を選んだのだ。

彼女をライブから遠ざける為に。

そしてもし彼女が犯人を否定し、拒絶した場合、ここで誰にも気づかれず殺害する為に。


犯人は”星野リリ”を殺害したりはしない。


それはまだ自分の想いを受け入れてもらえるかもしれないと言う可能性に基づき、計算されたものだ。


もし仮にその想いが否定された場合どうなるか?


決まっている。

相手を殺すだけだ。

そこに”諦める”と言う文字は一切存在しない。

相手を酷く嫌悪し、”憎しみ”をぶつけるか、

相手を”理解”していると言う勘違いをし、自らも共に命を立つ。

あるいはその両方になる。


だが、悟はそれを理解したうえで、唇の端を吊り上げた。


(リリを見つけ出させるのに時間を掛けさせる為の計画かもしれねぇが、全く詰めが甘めぇよな)


内心そう呟きながら悟は画面の中に表示された地図を指でタッチする。

すると、廃工場の場所を示していた地図は、即座に廃工場の見取り図へと変わった。

一つの建物の中にある機会の近くの場所に、一瞬だけほんの一点の青白い点滅が瞬いた気がした。


(ん?)


一瞬見間違いかと思ったが、彼はそれを思い直し、ディバイスの画面を切り替え、リリが身につけ付いた筈のGPSの追跡画面へと変える。

反応が消えた筈のGPSの解析を悟は画面へと素早く指を動かしながら次々と入力していく。

画面がいくつも表示され、彼はその度にその表示されたものを処理していった。


もしも壊されたGPSが辛うじて生きていたとしたら彼女の居場所を掴める可能性が出てくる。


それに普通のGPSならば壊されれば再び起動しなくなる。

だが、リリが身に付けているのは悟が独自に開発したものであり、彼が作ったものは市販のものと遥かに違うものだ。

華のかたちをしたイヤリング型のGPSは華の蕾自体がGPSの役割になっている。

それは表面が粉々に割れたとしても、場合によっては一瞬だけ場所を知らせる機能を持つ場合が備わっている。

しかしそれは壊れる寸前の一瞬だけ。

それを見間違えだと勘違いをし、見逃せばそこまでだ。

だから少しの可能性が残っているのならば、それを試さない手は無い。

そう思い、感じながらも彼は指を動かし続ける。

そして。


表示された画面がクリアになり、画面が建物の見取り図へと変わると共に、先程建物の中の機会のすぐ側の場所が一瞬だけチカチカと再び蒼白い点滅の光を瞬かせていた。

この壊れたGPSの点滅自体は壊された相手には見えず、点滅が分かるのは解析の復旧に成功した悟だけだ。

それに、そもそも相手に悟られないように基本彼はそのように設定をし、作ったのだった。


……よし!何とか生き返ったな……


悟はGPSが再び起動した事を確認すると、バイクのアクセルを捻った。


「さて、いっちょ助け出してやるとするか。あの我儘で生意気なお姫様を」


彼は不敵に笑い、そしてブロロッとけたたましいエンジン音を鳴らしながらバイクを再び夜闇の中へと走らせたのだった。



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