第13話
大きなスクランブル交差点の赤信号の前で、梨乃は一人焦りを抱えながら待っていた。
先程、悟との通話を終えた梨乃はライブスタッフ達との打ち合わせ、リリの事を伝える為に、今現在東京都市内にあるアリーナ会場へと向かっていた。
本来はリリと会場まで向かう予定で、車を待たせてあったのだが、リリが見つからない以上運転手に気づかれては厄介だと感じ、運転手を上手く言いくるめてそのまま帰したのだった。
梨乃は手首に付けた銀色のブレスレットタイプの腕時計を見、時間を確認する。
午後17時50分。
打ち合わせの時間は午後の18時からだ。
ここからではアリーナ会場まで車で20分程の距離だ。
このままでは間に合わない。
いや、それ以前に大遅刻だ。しかもそれに加えてリリの事の説明と、ライブ中止を阻止する為の説得をスタッフ達に話をしなければならない。
早く信号を渡りきったら近場でタクシーを捕まえないと……。
そう考えながら、梨乃は信号が赤から青になった瞬間、交差点を急いで渡った。
が、交差点の真ん中に差し掛かったと同時に、
「そんなに急いで何処に行くんだい?お姫様」
雑踏の中で一人の少年とすれ違った瞬間、まるで囁くように彼女の耳へとその声は滑り込んできた。
梨乃は足を止め、後ろを振り向く。
そこには肩まで掛かるパープルの髪に、耳には銀色のピアス、そして何処か人をくったような顔をした見知った一人の少年……唯月弦がその場に立っていた。
梨乃は彼の顔を見、あからさまに、そして露骨に嫌そうな顔をしながら言った。
「仕事よ。邪魔しないでくれる?」
低く、氷のような冷たい声音で梨乃は告げた。それは普段の明るい彼女から酷くかけ離れたものに近かった。
だが唯月はそれに対して気を悪くする訳でもなく薄い笑を浮かべながら、からかうような口調で言葉を並べるように彼女へと言った。
「君は本当にあの幼なじみが好きなんだね。俺も君の事がこんなに好きなんだけどなぁ」
「馬鹿の会話に付き合っている暇はないの」
「なぁ梨乃。君はさ、いつまでその場所に留まっているんだい?馬鹿なフリをして、無能なフリをして、そこまで彼と一緒に居たいのか?君が本来居るべき場所はそこじゃない、こちら側だ」
唯月はスッと瞳を細め、そして梨乃を射抜くような目で見つめながら告げた。
「戻って来て欲しいんだけど、君に。君の空いた穴は君にしか埋められないし、君の変わりなんってあの組織の中じゃぁ誰もいないんだよ」
「あなたがいるじゃない……」
梨乃は小さくボソリと呟き、そして唯月へと鋭い視線を向けながら強い口調で言い放った。
「わたしは戻らない!わたしはこの先何があっても彼を絶対に裏切らないって決めているの!だから絶対に戻らないわ!?」
「だけど彼は本当の君の本心を知った時、彼は君に対してどんな反応を示すのかな?果たして君を赦してくれるのかな?」
「…………ッ」
その言葉に梨乃はカッと険しい表情へと変えた。唯月はそれに対して表情を崩す事はなく、彼女を見、そして再び薄く笑みを作った。
それは彼女が今まで隠そうとしてきた核心に触れた手応えを感じて。
「大丈夫だよ梨乃。悟には君の事を言ったりはしない。今は、ね。でもいずれ君は必ずこちら側に帰ってくると俺はそう思うよ」
「話はそれだけ?なら、もう行くわね」
そう凍てつくように冷たい瞳をしながら、短く言葉を告げる梨乃は、その場から歩を進め出そうとした。
その時。
「あっ、そうそう君と星野リリとの事は彼には話してないから」
梨乃の足を再び止めるような言葉に、彼女はピクリと片眉を動かし、訝しむような顔で唯月の方へと振り向き、視線をやった。
「あなた何を考えているの?」
「何も考えてないよ。まぁ、今の立場上俺的には君が悟の傍にいた方が色々都合は良いからね。戻ってきて欲しいってのは本音だけどさ、それに……」
唯月は梨乃へと近づき、そして彼女の耳元へと唇を寄せると共に甘く、甘く囁くような声音で告げた。
「君と俺は共犯者だ。それはけして逃れることが無い事実であり、否定出来ない真実だ。いくら君が彼の味方だと言い張っても、ね」
それはまるで悪魔の囁きにも似た言葉だった。
──そんな事言われなくったって分かっている!?────
パン!と、乾いた音を立てて梨乃は自分の方へと顔を近づけていた唯月を勢いよく平手で殴った。
そして彼女はキッと、鋭い刃物のような瞳で唯月へと低い声音で言った。
「ふざけないで!」
怒気を孕んだ声を聞き、唯月は一瞬呆れを滲んだ瞳をし、そして軽い口調で言った。
「酷いなー。悟にも打たれた事なかったのに~」
大袈裟に頬に手を当てながら弱々しくする唯月に梨乃は真剣な顔表情で言った。
「あなた結局わたしに何が言いたかった訳?警告でもしにきたの?」
「いいや、たまたま君を見掛けたから君と話をしたかっただけだよ」
「…………」
「それと同時に梨乃、君に”本当の自分”と言うものを思い出して欲しかっただけだ。じゃぁ、そろそろ信号が赤に変わりそうだから行くよ。君も急いだ方がいい」
そう言い唯月はその場から歩き出した。
それに対して梨乃は憎まれ口を叩きながら、彼女もまた歩を進めた。
「あなたが引き止めたんじゃない!?この変態がっ!?」
それにそもそも、そんな事言われなくっても分かっている。
わたしが悟の傍にいる資格なんってないって事ぐらい……。
梨乃は歩き出す歩を駆け足へと変える。
目の前の信号は青からチカチカとした点滅へと変わっていく。
それはまるで今の自分の心境を物語っているかのようだった。
***
「うっ……」
星野リリは小さな呻き声を上げながら、微睡んだ意識の中でゆっくりと瞳を開いた。
目が覚めたリリは周囲へと視線を向けた。
周囲は薄暗く、使われなくなったコンテナが広い室内の隅に大量に山積みされており、その近くには使われなくなった機械がいくつもその場に存在していた。
どうやらここは廃工場のようだった。
「どうして……こんなところに……」
不安顔で呟く中で、徐々にリリの記憶が蘇っていった。
(そうだ!わたしあの後時雨に会って、それで………)
ハッとし、コンクリートの上に座り込んでいたリリは直ぐに立ち上がろうとした。
だが、その場に身体が縫い止められたかのように動かない。
激しい疑問を覚えながらも、訝しむようにリリは後ろへと目を動かした。
するとそこには、自分の両手は後ろに回され、身体ごと柱にロープで固定するようにして縛られていたのだった。
「えっ……?……嘘でしょ?……なんでこんな
……」
不安と恐怖を強く抱きながら、リリはロープを外そうと必死に身体を動かそうとするが、全く外れる気配はなかった。
そんなリリを嘲笑うかのようにコツとした足音を鳴らし、
「無駄だよ、リリ。それ俺が外れないように強く固定しておいたから」
桐生時雨は薄暗い闇の中から、リリの方へと
歩を進めながら、いつもと変わらない穏やかな口調で言った。
「し……ぐれ………?」
その姿に。その言葉に。
リリは目を見開き、驚愕し、そして恐怖を身体全身に感じながら震える唇で彼の名を発した。
信じたくない……。
信じたくない……。
信じたかった……。
そんな思いを強く感じながら眉尻を下げ、時雨へと彼女は悲しそうな瞳で視線を注いだ。
「お前が悪いんだよリリ。人の忠告も聞かずにアイドルなんってやっているから、だからこんな事になるんだ」
「時雨が犯人なの……?……どうして、どうしてこんな事をするの?……」
お願い!否定して!
そう心の中で彼女は強く叫ぶ。だが彼は、その彼女の想い踏みにじるかのように唇の端を歪め、そして彼女の前へと立ち止まった。
目線を彼女の高さに合わせるかのように、その場にしゃがみ唇を再び動かした。
「どうしてって……お前を取り戻す為だよ」
「え……?」
彼の言葉に疑問の声を発するリリに対して、時雨は柔らかな口調で言葉を続けた。
「お前から”音”を奪えば、またお前は俺のところに帰って来るだろ?だからその為にやったんだよ」
当然のように、にっこりと笑いながら告げる言葉にリリは時雨へと言った。
「でも時雨はあの時、わたしの夢を応援してくれたじゃない!あれは嘘だったの……?」
「嘘じゃないよ。応援はしていた。だけど一通りやって満足したら、また昔のように俺の傍に戻ってきてくれるって思っていたんだ」
「そんな…………それって応援しているって言わないじゃない…………」
リリは酷く悲しそうな瞳で、時雨から視線をふいっと逸らし、小さく呟くように言った。
それに対して彼は小さく自嘲気味にクスリと笑った。
「そうだね。……でも、その前に……」
そう言いながら、何かに気づいた時雨はリリの顔へと手を伸ばした。
ビクリと微かにリリは震えた。だが、時雨はそんなの気にしない素振りで彼女の耳に付けている華の形をしたピアスに手を触れた。
その瞬間。
ピアスがチカリと瞬くように一瞬、微かに光り、それと同時にリリの表情が強ばったものへと変わったのを時雨は気づいた。
それは彼の中である確信へと繋がった。そして彼は乱暴に彼女のピアスを外した。
「…………痛っ」
リリは突然の痛みに顔をしかめる。それに対して時雨は柔らかい表情から一瞬で酷く、冷たい表情へと変えた。
「これはリリには似合わないよ」
その場からスッと立ち上がり、彼は手にしたピアスを地面に落とすと、それを靴で踏みつけた。
バキンと、乾いた音がリリの耳へと届いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます