第11話

「よーし!今日はここまで」


広いレッスン室の室内の中で、リリの担当である二十代後半の女性の金髪ポニーテールのダンス講師神楽坂真希(かぐらざかまき)は、パンパンと、軽く手を叩きながらダンスの練習をするTシャツにジャージ姿のリリへと告げた。


「有難うございました」

「うん。お疲れ様リリ。本番は来週だけど、体調の自己管理は必須だから今日は帰ったらゆっくり休むのよ」

「はい。わかってますよ。そのくらい」

神楽坂の言葉に小さく笑を浮べるリリに対して、神楽坂はずいっと顔を近づけると共に、リリの鼻先に指を突きつけた。

「また、そ〜言って、この前あたしの言うこと聞かずにムチャして練習していたの知っているんだからね!」

「え~そうでしたっけ?覚えてないなぁ~」

不満そうな顔をしてリリを嗜めるように叱る神楽坂へとリリは軽く誤魔化しながら笑った。


リリの初となるファーストライブ『ANGEL☆DREAM』の開催まで残り三日となっていた。明日はライブ当日に合わせてライブの関係者、スタッフ達との打ち合わせとなっており、その為今リリは最後のダンスレッスンの練習を神楽坂から教わっていたのだった。

この部屋には現在リリと神楽坂だけしかおらず、臨時マネージャーの梨乃は、隣の部屋で練習が終わるのを待っていた。

基本今ここにいるレッスン部屋はリリが所属する事務所のレッスン部屋となっており、ダンス講師とアイドルしか入れないシステムとなっていた。

その為アイドルのマネージャーは隣の部屋へと待機するようになっていたのだった。

そうする事によってアイドル自身が集中して練習が出来るようにと便宜を図ったものでもあった。

だが、ぶっちゃけ面倒臭いと感じたマネージャーはそんな決まりなど律儀に守っているものはおらず、普通に出入りをしていた。



神楽坂は諦めたかのように小さく短い息を吐き、そして腰に手を当てながら苦笑混じりに言った。

「でも、もうすぐで本番だからって変に力を入れ過ぎて、練習しすぎてもダメだからね。本番前に倒れでもしたら、元も子もないんだから」

「はい。ちゃんと先生の言うこと聞きます」

クスリと小さく笑い、素直に頷くリリの顔を見、神楽坂は彼女へと微笑を返した。

「なら宜しい。ではあたし帰るわね。本番ではあなたのライブ楽しみにしているわ。あなたの講師として、そしてあなたのファン一人としてね」

そう言い、神楽坂はドアの方へと歩き出し、

そして扉に触れるとリリの方へと振り向いて「お疲れ様」と言葉を掛け、そしてその場を後にした。

その場にはリリ一人だけが取り残されていた。


「さて……と」


リリは小さく息を吐くと、目の前にあるバーの近くに座り、壁に背を預けた。

そしてその側に置いていたペットボトルのミネラルウォーターを取ると、リリはキャップをひねり、それを一口口にした。

先程の練習で多少なりとも火照った身体に冷たい液体が身体の中に染み渡るのを実感する。

そしてリリは思わず思考を巡らせた。


いよいよライブは明後日と迫った。

ずっと、ずっと夢だった事が現実となる日。

嬉しさと、緊張感で今も自分の心が埋め尽くされてゆく。

あの時、初めてアイドルとして歌ったあの日。

観客達は楽しそうに、笑顔で自分の歌を聞いてくれた。中には自分の歌で元気づけられたと言う人もいた。

それを聞いた瞬間、泣きそうになるくらい嬉しくなったのを今でも覚えている。


自分の歌が誰かの心に残るのならば、誰かの気持ちに届くのならば、誰かを元気づけられるとしたら、歌を歌い続けたいと思った──。


だから大きな会場で沢山の人達に歌を届けたいと思った。

誰かの心に届く歌を歌いたいと強く思った。


そしてその中に”彼”も含まれていた。

そして。


『リリの歌は凄いな。きっと人を幸せにする力があるんだよ』


そう、脳裏にある少年の言葉が浮かび上がる。それは彼女の大切で大事な思い出であり、だが同時に今の彼女を苦しめているものに近かった。

リリは一瞬苦い顔をしながら、それを軽く振り払った。

だが、同時にある別の少年の言葉が頭の中を過ぎった。


『お前今アイドルを……歌を歌ってて楽しいか?』


楽しいに決まっている。

自分は自分を応援してくれているファン達に向けて、少しでも歌が届くように歌っている。

それは嘘、偽りの無い事実だ。

その為に今まで必死で頑張ってきた。努力だってしてきた。

だけど、彼の言葉は自分の心の奥底に突き刺さったままだった。

それと同時に自分の中で僅かな黒く、黒いわだかまりみたいなものが生じる。

それを自分の中で認めてしまう訳にはいかない……。

それを認めてしまったら自分は一体何の為にここまできたというのだろうか……。


その時。


キィィと、扉を開く音と共にリクルートスーツ姿の梨乃が室内へと入って来た。


「リリちゃんレッスン終わった?そろそろ帰ろうか」


梨乃の言葉にリリはハッっとし、梨乃に気づくと彼女へと顔を向けながら、そして微笑を返した。


「ごめんなさい。わたしもう少し練習したいから、悪いけどさっきの部屋で少しだけ待っててもらえるかしら?」


「うーん……でも、あまり恨を詰めすぎるのも良くないよ。明日も打ち合わせとかがあるんだし、少しでも本番に備えて休んでいた方が良いと思うんだけど」


心配そうな表情をする梨乃にリリは、


「心配してくれて有難う。でもね、少しでもライブに来てくれたファンの人達に楽しんで欲しいの。だから、その為ならばちょっとの無茶でもわたしはしたいんだ」


そう言いながら一瞬だけ苦笑し、そして嬉しそうに、はにかむように言った。

それは彼女の心からの想いであり、そしてアイドル”星野リリ”としての願いでもあった。


彼女は自分のファン達の為に、自分の歌を聞きに来てくれる人達の為に少しの努力も苦ともせず、むしろそれすらも楽しそうにしている。

梨乃はそう感じ、唇の端を僅かに緩め、そして笑顔と共に口を開いた。


「それならわたしここでリリちゃんの練習の邪魔にならないように待っているね。もちろん飲み物と、タオルとかも準備して」


その言葉にリリは柔らかい笑みを浮かべながら、梨乃へと「有難う」と小さく言葉を口にしたのだった。


***


午後の授業が終わり、誰もいない廊下を一人星野リリは急いで走っていた。

今日の夕方から行われるライブのスタッフ達と打ち合わせの為に、学校の外には梨乃を待たせていた。

彼女と合流をしたのち、車で打ち合わせ場所となるアリーナー会場まで向かう予定だった。

本来まだ時間には余裕があるのだが、会場に少しでも早く着き、時間があるうちに明日のライブの自分のステージの立ち位置、曲の最終チェックの確認をしておきたいとリリはそう思っていた。


明日自分の夢が叶う場所に立つ。


その為にもやれる事はやっておきたい。

全力で本番に望みたい。


その想いを胸に強く抱きながらも、気持ちがはやり、駆け出す足がさらにスピードを上げる。

廊下を曲がり、階段を降りていく中、さらに曲がったその先で階段の下にいる桐生時雨がいた。

その彼から突然声を掛けられた。


「リリ今から仕事なのか?」


穏やかな表情で彼女を見上げるように尋ねる時雨の言葉に、リリは思わずその場に足を止めた。


「うん。明日本番だからその打ち合わせなんだ」


そう笑顔で答えるリリに、時雨は穏やかな笑をスッと消し、真面目な表情へと切り替えた。


「なぁ……リリ。お前はアイドルには向いてないよ。明日のライブが終わったら、お前はアイドルを辞めろよ。リリは普通の女の子の方が向いているよ」


その言葉にリリは背筋からゾクリと悪寒が走るのを感じた。

彼の言葉、表情は、いつもの彼と同じで。

だが、その奥に見えない恐怖をリリは瞬時に感じ取った。

リリは強い戸惑いを覚えながらも生唾をゴクリと鳴らし、心の中で強く否定し、軽く笑いって、そして苦笑いを作った。


「何それ~。全然笑えないよー。その冗談。ごめんなさい、わたしマネージャー待たせているからもう行くね」


と、そう言いながらリリは早足で階段を降り、時雨とすれ違うようにその場から急いで去ろうとした。

それはまるで時雨から逃れるかのように。


だが、その瞬間。


「まだ俺の気持ちは変わってはいない。リリお前の事が好きなんだ」


その場から逃げ去ろうとするリリへと、時雨は真剣な声音で想いを告げた瞬間、リリは再びその場に足を止め、時雨の方を振り向いた。


「でも……時雨わたしは……」


切なそうな顔で、弱々しい声音で呟くように言うリリに、時雨はリリの腕を強く握ると同時にグイッと自分の方へと引き寄せ、そして耳元で囁くように静かに告げた。


「お前は昔のように俺の側で歌い続ければいい。他の奴の為なんかじゃない。俺だけの為だけに」


その言葉に。

全身に毒がまわるかのように恐怖心が彼女の身体の中を駆け巡る。


自分の知らない彼がいる。


そう思ったその直後。

時雨はもう片方の手で、どこからともなく取り出したスタンガンを瞬時の速さで彼女の首すじに当て、バチン!と、した音と友に電流を流した。

「!?」

それは一瞬の出来事だった為抵抗する事も叶わず頭が真っ白になり、リリは意識を手放した。

時雨は自分の腕の中で意識を失い、ぐったりとなるリリへと目をやると彼は寂しそうに、それでいて愛しそうに小さくポツリと呟いた。


「お前を取り戻す為ならば俺は何だってやる。俺からお前を奪った”音”を壊してでもな……」


人知れずに呟くその言葉は誰の耳に入る事はなかった。

そして彼は彼女を抱き抱えながら、歩を進め、その場を後にしたのだった。

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