第46話 航海

 アイルダーウィン王国を出て整備された道を進み、船の点在する港へと辿り着いた。港町では無く、本当に船が置かれているだけの船着き場のようだ。


「確認してきます」


 海辺の砂浜から伸びる桟橋を渡り、巨大な船に乗り込むホロウと数名の兵士を遠目に、打ち寄せてくる水に指先を浸し、舐めてみた。


「しょっぱい……やっぱり同じか」


 本に書いてあった通り、この世界には海があって塩分が含まれている。違いがあるとすれば漁などが行われていないという点だ。海に生き物がいるのも同じだが、魔物も多い。故に、船は大陸間の移動に使われるだけで、一部の例外を除き漁船は存在していない。


「これが海、か」


「広いですねぇ」


 ロットーとハティは興味深げに海に触れているが、サーシャは静かに眺めている。


「そういえばサーシャは東の大陸出身だろ? 船で来たのか?」


「そうそう。結構前だからあんまり覚えてないんだけどね~」


 エルフの言う結構前は何十年も前のことなのだろう。まぁ、船の技術が元の世界と同程度なら不安に思うこともない。


「安全の確認を終えました。乗船してください」


 戻ってきたホロウがそう言うと、兵士たちが桟橋に隊列を成した。


「では、参ろう」


 王と副官、ソルに続いて、俺たちもデッキに乗り込むと途端に船が動き出した。


「この船、誰が動かしているんだ?」


 誰に対したものでもない疑問符だったが、前にいたソルが振り返ってきた。


「ヴァイザーだ。毎回、グリア島へ行くのには決められたヴァイザー一名が船を操縦すると決まっている」


「へぇ、そこに種族は関係ないのか?」


「種族間契約の中でもギルドだけは別枠で存在している。均衡を保つ役割であるからこそ、許されているのだ」


「なるほど。……これから三日か。部屋はあるのか?」


「船尾側は好きに使って良い。食事は、食堂に行けばあらゆる食材を用意しているから各々で好きに食べるといい。基本的に何をするにも自由だが……折角だ。明日にでも将と手合わせしてみるか?」


「あ~……まぁ、考えておく。とりあえず俺たちは部屋に――」


 言い掛けたところで、目を輝かせるハティに気が付いた。


「あのっ、探検してきてもいいですかっ!?」


「別に大丈夫だと思うが……あまりはしゃぎ過ぎるなよ」


「はいっ!」


 元気よく返事をすると意気揚々と船の中へと駆けていった。


「……アタイが後を追って様子を見ておくから、栞たちは先に部屋に行ってくれ。ハティの鼻があれば場所はわかる」


「そうか。頼んだ」


 ハティが一番はしゃいでいるのは意外だが、思えば元を辿ればお嬢様で、最近まではギルドのために働いていたんだ。初めての場所で興奮するのも当然か。


「栞~」


 気怠い声に視線を向ければ、顔色の悪いサーシャが俺の体に寄り掛かってきた。


「……酔ったのか?」


「ん~、たぶん」


「じゃあ、早いところ部屋を決めるか。背中に乗れ」


 しゃがみ込めば、サーシャがおずおずと背中に乗ってきた。


 エルフは視力や聴覚だけでなく様々な感覚が鋭い。大型の船は酔いにくいと言うが、それでも酔ってしまうほど敏感なのだろう。


 階段を降りて絨毯が敷かれているような廊下を進み船尾のほうへ移動しながら適当な部屋のドアを開けてみれば、ベッドが三つ並んだ部屋だった。丁度いいな。


 サーシャをベッドに寝かせて、隣の部屋を見に行けばそちらはベッドが一つだった。まぁ、たぶん近いほうが良いんだろう。


 さて――どうするか。飲み物は部屋に置かれていたが、さすがにこの世界に酔い止め薬は存在していない。極稀にいる治癒系の異能力持ちもいないし、万能と言われている飲み薬でも船酔いには効果が無いだろう。


「まぁ、少し寝るといい。時間が経てば体も慣れてくるだろうからな」


「……栞は?」


「ここにいる。たぶん、寝る」


 そう言って置かれていたソファーに寝転がれば、すぐにベッドから寝息が聞こえてきた。


 こうして船上生活一日目はサーシャの看病で過ぎ去った。


 そして迎えた二日目――俺は船尾の甲板に座って釣り糸を垂らしている。ハティとロットーは昨日だけでは見て回れなかった船内探検に行き、船酔いが軽くなったサーシャは今まさに俺の太腿を枕にして寝転がっている。


「……釣れねぇなぁ」


 かれこれ三時間くらい釣り糸を垂らしているがぴくりとも反応しない。まぁ、本当に魚を釣ろうとしているわけでは無いが、おかげで暇潰しに退屈が重なった。


「いないんじゃない?」


「いや、この船自体が魔物を寄せ付けない仕組みになっているらしいし、その影響があるのかもな」


 落としていた釣り針を引き上げれば、やはり何も付いていない。そもそも餌も付けていないわけで、当然と言えば当然だが。


 その時、背後から近寄ってくる気配に気が付いた。


「栞」


 呼ばれた声に小さく溜め息を吐いた。


「……サーシャ、釣り竿を任せた」


「りょ~かい」


 体を起こしたサーシャに釣り竿を預けて、後ろにいるソルのほうへ居直った。


「どこでやる?」


「上にデッキがある。そこで良いだろう」


 外側にある階段を上がれば、木製の広いウッドデッキがあった。日焼け用のスペースか? 随分と快適な旅ができるように作られているな。


「それで? 手合わせってのは何をするんだ? 天災同士が戦うのはマズいんだろ?」


「その通り。故に、手合わせと言いつつも、やるのは気をぶつけ合うだけだ。神器との対話は?」


「対話? あ~……まぁ、どういう風に使えばいいのかは教えてもらった」


「ならば、すでに資格は得ている。天災ならば言わずもがな、一部の実力者は相手の力を気配で悟ることができる。どうだ?」


 どうだ、と言われたところで。


 強者云々関係なく、なんとなく気配を察せられるようになったのは確かだが、さすがに明確な強さまではわからない。


「漠然とはわかるが……何か強さの判断基準があるのか?」


「感じ方や見え方はそれぞれ異なるが、将の場合は色だ。貴様は黒く濁って淀んでいる。そんな者、この世には栞以外存在していない」


「色か。そうは言ってもなぁ……」


「将を見るのではなく、将を包む空間を見るのだ。意識して、ぼんやりと」


 ソルはもっときっちりしている奴かと思ったが、意外と抽象的だな。


 空間をぼんやりと、か。


「ん~……ん? あぁ……なんつーか、見えはしないが感じるな。力強く猛々しい――そんなイメージだ」


「それで良い。始めは漠然としたものだ。そして気を感じれるようになってようやく手合わせができる。やり方は簡単だ。互いに殺気をぶつけ合う。ただそれだけだ」


「じゃあ――」


 使うわけでは無いが、互いに剣を構えて向かい合った。


 殺気の出し方なんて知らないが、要は目の前の相手を殺してやると意気込めばいいだけだろ。


 すると、俺とソルの間で渦巻き始めた殺気が周囲を包み込んだ。肌がヒリつく――内側から熱が湧き上がってくる感覚に加えて、視覚・聴覚・嗅覚・触覚から得られる情報量と処理速度が増しているのがわかる。


 今の実力や異能力の相性でも俺がソルに勝てないことは理解しているが、向けられた殺気を感じている限りでは負ける気がしない。


 息を合わせたわけでもなく互いに殺気を消していくと、静かに息を吐き出した。


「……どう感じた?」


「勝てはしないが、負ける気はしなかった」


「こちらは、負ける気はしないが、勝てるとは思わなかった。つまり、将と栞が同列になったということだ」


「それは他の天災ともなのか?」


「大概にしてそうだ。しかし、どんな異能力にも相性がある。それにより多少なりの変動はあるが――どうであれ将等は天災である。普通も普遍も基本も基準も、すべてから外れている存在だ。あまり考え過ぎぬことを薦めよう」


「考えることが俺の強みだと思うが……肝に銘じておくよ」


 などと会話をしていると、ソルの視線が俺の背後に向かっていることに気が付いた。


「さすがは栞の仲間だ。あの殺気に臆することなくやってくるとは」


「同感だ。とはいえ、俺と一緒に行動していれば感覚も鈍くなるんじゃないか?」


「それはまた新たな発見だ」


 笑みを浮かべ合って踵を返せば、心配そうにこちらを見詰める三つの視線と目が合った。


「探検は終わったか? 船酔いは?」


 残り一日と半分――のんびり行こう。

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