第7話 オーガ戦
火吹石というらしい。
使い方は簡単で、穴の開いた丸い石を木の棒の先に括り付け、穴に空気を通すように棒を振ると松明のように燃え上がる。原理は不明だが、マッチとは違って火が下りてこないから水に浸けたり、砂を掛けたりしない限りは消えないらしい。
「……月なのに相当明るいな」
薄暗いが、それでも随分と先まで見えるおかげでベルトに差し込んだ松明を使う必要はなさそうだ。
「まさか、こんな時間から様子見に行くなんて……自殺願望でもあるのか?」
「夜ならオーガも気を抜いているかもしれないだろ? 寝ていれば不意打ちで倒せるかもしれないしな」
「夜行性だったらどうするんだ。アタイを頼りにしているのかもしれないけど、あまり自信はないんだが」
「それでも付いて来てくれたってことは、やっぱり村が心配なんだろう?」
「それは、まぁ……でも、栞は関係ないじゃないか。どうしてわざわざ危険なことをしようとする?」
「理由が必要か?」
「必要だろ。種族が違えば守るべきものも違う。アタイらピクシーは何よりも友を守りたい。だからこそ、村長は皆を――アタイはあんたを守りたい。栞、あんたは何を守りたいんだ?」
守りたいもの、か。この身一つで異世界に転移した俺には何も無い。
「ま、なんか適当に考えておくさ。それにしても……友を守りたいって割に村の奴らは随分と簡単にロットーをオーガ退治に向かわせたな」
ロットーの後ろを付いて歩いているから表情は見えないが、一瞬だけ立ち止まったその背中から醸し出されたのは哀愁だった。
「それは、アタイがもうピクシーじゃないからだな。より正確に言うのなら……種族の逸れ者。ヒューマー以外の種族がギルドに所属するとそう言われるのさ。まぁ、そういう扱いをされるとわかった上で決めたことだから後悔はしていないけど」
ギルドリングを嵌めただけで裏切者的な扱いになるのか。嫌な文化の臭いがするな。
「それはそれとして――確認しておこう。ロットーの『異能力』では何が出来る? オーガの体を腐らせることは?」
「直接触れることができれば腐らせることは出来ると思う。けど、肉質や耐性によってどれだけ効果があるのかわからないし、それで倒せるかどうか……普段は植物とか微生物にしか使っていないから」
「それでも可能性はあるってことだな。実際にこの眼でオーガの姿を見ないことには何とも言えないが、ヤバくなったら逃げるってことを念頭に置いといてくれ。ほら、猪みたいに落とし穴に嵌めれば逃げるくらいの余裕は作れるだろ」
「いや、どうだろうな……」
曖昧な言葉を返してくるロットーに疑問符を浮かべて距離を詰めていくと、目の前に大地の切れ目が見えた。ここが峡谷か。薄暗い月明かりではさすがに深さまではわからないが、向こう側まで目測で五十メートル弱といったところか。左右に立つ二本の太い角材から察するに、この場所に橋があったのだろう。
「見事なまでに……予想が当たったようだな」
「みたいだな。村からの一本道の先に橋があったはずだから、ここで間違いない。アタイの記憶が確かなら相当頑丈な橋だったと思うけど、まさか本当に無くなっているとはね。ここに来るまでの間にオーガもいなかったし……移動したとか?」
「だが、村の周りは警戒しているんだろう? どこかに
考えるように顎に手を当てて目を閉じているロットーのほうに視線を送ると、視線の端で大きくゆっくりと動く影に気が付いた。そちらのほうに微かに首を向けると正体がわかった。
「ロットー――悪いっ!」
両腕で横から思い切りロットーを押すのと同時に、その反動で後ろへと下がると二人の間に巨大な棍棒が振り下ろされた。舞い上がる砂埃のせいで視界が悪いが、影が動いているのがわかるからロットーは無事だろう。
体長凡そ三メートルで愚鈍そうな体躯に突き出た顎からせり出た牙、手には木製の棍棒――これがオーガか。改めて目にすると、身震いするほどの恐怖が全身を駆け巡る。あまりやったことは無いが、この感覚はゲームのようだと言うのが正しいだろう。
さて、策はある。問題は勝てるかどうかだ。
「栞!?」
「ロットー! 倒せるか!?」
「っ……無理だ!」
俺もそう思う。
この体格からして剣針が役に立つかは微妙なところだ。頼りになるのはロットーの『異能力』だが、もっとこう火とか水とかわかりやすい魔法でないおかげで戦い方は限られる。
「あっ――ぶねぇ!」
動体視力は良いようだが、体のほうは付いてくるのが精一杯でオーガの棍棒を避けるのがギリギリになる。
「栞! 何か策があるんだろ!?」
「一応ある! けど、ちょっと待っ――!」
見切りは良い。だが、予想以上にオーガの攻撃が早くてロットーと相談も出来ないし、策を練ることも出来ない。確かに倒す方法はいくつか考えてあるが、この状況では試すことも難しい。
動き回っているせいで息が上がってきた。歩いているだけなら長時間でも平気だが、緊張と隣り合わせのこの状況では疲労が半端ではない。
ロットーも隙を見て地面に穴を空けるためにしゃがみ込むが、その度にオーガが棍棒を振るい邪魔をする。対してこちらはオーガの注意を引くように周りを動き回っているが、戦い慣れしているのかどちらにも気を張っていて隙が無い。元より俺は運動が出来るタイプではないんだ。
「策はどっちでもいい! とりあえずアタイがこいつの動きを止めればいいんだろ!?」
その通りだが、それができれば苦労はしていない。今、最も優先すべきことは――ロットーに『異能力』を使わせることだ。そのために俺は……捨て駒になるしかないか。
運動も出来ない、『異能力』も使えない俺にできることは少ない。逃げることを念頭に、とは言ったもののそれも叶わないだろう。つまり、勝つか負けるか。生か死か、だ。
「……どうするか」
さすがに本当の戦闘ともなると、本で読んだ知識だけでは参考ならないことが多い。というか、戦えない系の主人公たちはどうやって戦っていた? いや、違う。そんな無駄なことを考えてないで、今は目の前の敵に集中するんだ。弱点は? 癖は? オーガは何に弱い? 頭の中で文字の津波が押し寄せてくる。
「っ――っかましい!」
どれだけ戦い慣れしていて感覚が鋭くとも、俺達を追っているのはその目だ。気配で探っていたとしても視界を奪えば一瞬でも隙は作れる。そうとなれば剣針を振り被って――ロットーに向かって棍棒を振るった直後に、こちらに振り向くタイミングで放り投げた。
くるくると回転しながら顔に向かっていく剣針に気が付いたオーガは、避けようとして体を捻るが、見事にその片目に突き刺さった。
「よしっ! ロットー、今のうち――にッ!」
突然、視界を奪われたオーガが闇雲に振るった棍棒が俺の体に直撃して吹き飛ばされた。
「っ……ごほっ」
やられたのは右半身。咄嗟に防御姿勢を取った腕と脚のおかげで直にダメージを受けることは避けられたが、代わりにその腕と脚が痺れて自由に動かせない。しかも、内臓にも問題が起きたらしい。口の中に広がった嫌な味を吐き出せば、濁った血の色だった。
仮に本気で狙い定めた攻撃だったら、防御したとしても体が弾け飛んでいただろう。それだけでも幸運だったと思うべきだが、そもそも適当な攻撃に当たること自体に運が無い。倒れたままオーガに視線を向ければ、手に持っていた棍棒が根元から腐り折れたところだった。ああ……ますます運が無い。あと一回でも地面に叩き付けていれば、こんなことにならずに済んだわけか。むしろ、最悪のタイミングだったな。
「栞っ!」
ロットーの声に自暴自棄になっていた視線を向けると、正気を取り戻したオーガがその顔に剣針を刺したままこちらに向かってきていた。
「くっそ……こっちに来んのかよ」
そりゃあ当然か。俺だって自分の目が潰されたら潰した奴に仕返しに行く。痺れる右腕を地面に叩き付けて感覚を取り戻し、その腕で右脚を思い切り叩けば何とか痺れは取れてきた。
「こっちだ! アタイの前方十メートルは避けて来いっ!」
無茶を言うな。手足が動いたところで、血を吐いていることに変わりないんだぞ? とはいえ、オーガを倒すためだ。近寄ってきて伸ばしてくる腕を避けていると、何故だか一瞬だけ怯んだように体を硬直させた。その隙に足の間をスライディングで通り抜けて、大回りしながらロットーの下へと辿り着いた。
「ごほっ……お待たせ。準備は?」
「出来てる。あとは最後の仕上げをするだけだ」
ふたりが揃っているのを都合が良いと思ったのか真っ直ぐこちらに向かって走ってくるオーガに合わせてロットーが地面に手を着くと、バランスを崩すようにその愚鈍な体躯が沈んでいった。
「……狙ったのか?」
「いや……たまたまだ」
落とし穴に嵌まったオーガはちょうど地面から頭を出して動けないでいた。出ようともがいているようだが、土がぐずぐずに腐っているおかげで、まるで底無し沼のように体が圧迫されて次第に動かなくなった。だが、出ている顔だけでもこちらを食い殺さんとする気持ちが見えた。残っている片目で一睨みされただけなのに、体が震えている。
「放っておけば死ぬか?」
「それは無い。時間が経てば学習して必ず出てくる。どうする? 上手くいくかはわからないけど、腐らせてみる?」
どうするのが正解かわからない。だが、ここでロットーにオーガを殺させるのは違う気がする。相手は魔物だし、ロットーはギルドに所属していずれは魔物を倒すことになるだろうが、今では無い。……そんな気がする。
「俺がやろう。そのためにわざわざ松明を貰って来たんだからな」
オーガの体は頑丈だ。俺の投げた剣針が刺さったのは比較的柔らかい眼球だったからというだけで、おそらくそれ以外の場所だったら弾かれていただろう。だが――体内からなら?
火吹石を括り付けた棒を振ると、その勢いで火が点いた。轟々と燃える炎を手にオーガに近付いていくと、俺を食い殺そうと大口を開けたところに木の棒ごと火の点いた火吹石を喉の奥へと投げ込んだ。
すると――オーガは叫び声すら上げることなく口から黒煙を吐き出しながら、その体は内側から燃え上がった。
「……なるほど。こんなものか」
「栞? 大丈夫かい?」
「ああ、問題ない」
魔物を殺すというのは――生き物を殺すというのは、こういう感覚なのか。良い気分とは言えないが、決して悪い気分ではない。例えるなら蚊やゴキブリを潰した時のような感覚か? 少なくとも、罪悪感は無い。
口の中に血の味が残ったままだが、気が付けば体の痛みは引いていた。オーガに刺さったままの剣針を引き抜こうと近寄ると、こめかみの辺りに何かが当たったような痕があった。そういえば、オーガの股下を抜けるときに気が逸れていたな。なんらかの攻撃を――手助けをされた? 方向からして峡谷の向こう側からか。そんな離れたところから狙いを付けられるのかはわからないが『異能力』ならば、可能性はある。とはいえ、確証も無いことを考えても仕方がない。
「村に戻ろう。オーガを倒したことも、橋が壊されていたことも伝えないと」
「オーガはこのまま放置でいいのか?」
「大丈夫、だったはず。場所とか魔物の種類にもよるけど、たしかギルドに報告すれば処理してくれるんだと思う」
アフターフォローまでするとは、ギルドは組織として優秀で優良なようだ。
歩き出したロットーの背中を追うように駆け出すと、胸の奥に違和感を覚えた。
「ん……ごほっ」
嫌な感覚を拭うように咳払いをすると、予想以上に大量の血を吐き出してその場で立ち止まってしまった。ああ――嘘を吐いた。全然、体の痛みが無くなった、なんてことは無い。外側は未だしも、内側ではぐるぐると見えない何かが渦巻いている。
「……栞? ちょっ、大丈夫!?」
「あ~、たぶん死なない。けど、肩を貸してくれ」
なんとか服は汚さずに死んだが、そこそこ大惨事だ。都合よく村に薬草でもあることを願っておこう。
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