てぃんぱう…二重の虹
@kamosan
第1話 てぃんぱう…二重の虹
嫌な言葉だった。
「お前が思うほど誰もお前のことなんか見ていないぞ」
そう俺に言い放ったあいつはいったい誰だったんだっけ。確かあの場所はパイナガマビーチ。真夏の夕暮れ時だったかな。とにかく頭にきたってことだけは覚えている。
あいつはいったい誰だったのか。伊良部島へと沈んでいく夕陽を背負ったあいつの顔はちょうど逆光で暗くなり、真夏の夕陽は眩しくって、目に痛くって、だからかどんな顔をしていたのか覚えていないのだろう。
俺が生れ故郷の宮古島を出たのは高校を卒業した17歳の時のこと。あれから1年半が経った。
高校時代の頃の俺は友達が多い方で、部活もやっていないのに野球部やサッカー部、ラグビー部に陸上部や駅伝部なんてスポーツ系の部活の奴ら、吹奏楽部や放送部なんて文化部の奴らともよく遊んだ。
バイクに乗るのが大好きで悪友たちとあちこち走り回ったりもしたもんだった。
そういやその悪友たちとカママミネ公園で酒を飲んでちょっとした乱闘騒ぎの末に警察に補導されたことなんかは高校でも有名な話だった。
あの頃の俺には友達がたくさんいた。
…と思っていた。
いや違うんだ、本当は俺が彼奴のことを友達だとは思っていなかったんだ。心のどこかで俺は彼奴とは違うってずっと思っていたから。
毎日毎日ボールを追いかけたりグラウンドをぐるぐるを走り回っている奴らを見ながら、大した成績も出せないくせにご苦労さんと鼻で笑っていた。
悪友達とバイクを乗り回しながら、隠れて酒を飲みながらも、俺はこいつらみたいなダメな奴とは違うといつも思っていたんだ。
ほとんどの奴が沖縄本島や内地の大学や専門学校に進学していくなか、俺は内地の寮のある工場に就職することにした。その仕事がやりたいってわけじゃなく、とりあえず島を離れて金を稼いでやりたいことを見つけようと思ってのことだった。
やりたいことを見つけよう?
違うな?見つかるんじゃないかな?って程度のそれは何のアテもない甘い考えだった。
案の定そんな感じなものだからスマホで探して就職した東京のはずれにある自動車部品工場は3ヶ月も経たないうちに退職した。俺がやるべきことはこんな誰でも出来るようなな仕事じゃないって思ったからだ。
頭の中は不満や愚痴でいっぱいになり一日に何回もフェイスブックにその不満や愚痴を書き込んでいた。
でもコメントもなく「いいね」もつかず余計に不満は募っていくばかりだった。
なんだよ、彼奴ら友達じゃないのかよって都合よくそんなことを思っていた。
仕事を辞めたものだから結局は寮を出ないといけなくなったわけで、横浜にある母ちゃんの実家に転がり込むこととなった。
そうそう、俺の母ちゃんは内地の横浜出身だ。父ちゃんは島の人で下地の出身だ。父ちゃんが横浜の料理屋で働いていた時に知り合ったのだと聞かされている。それがなんで島で生活する様になったのかは訊いたこともないし、知りたいとも思わなかった。
今父ちゃんは島で小さい居酒屋を一人でやっていて、母ちゃんは看護師をしている。
父ちゃんも母ちゃんも家にいることが少なかったから、一人っ子の俺はオジィやオバァに育てられたといってもいいくらいだった。
2017年10月
俺が島を出て一年半が経ち季節は秋。
今俺は横浜にある母ちゃんの実家にお世話になりながら高齢者介護の仕事をやっている。
ある朝のこと、おばあちゃんが台所で朝ごはんの片付けをしながら話しかけてきた。「マサ君、来年の成人式は宮古島に帰るんでしょう?、ちゃんと職場の人にお願いして休みをもらっときなさいよ?」おばぁちゃんは俺が成人式には宮古島に帰るのだと思っている。
俺も帰るつもりだった。
「おばぁちゃん、俺、島には帰らないよ」そう言うとそのまま家を出て職場に向かった。
昨夜のことだった。
いつものように仕事を終えておじぃちゃんと、おばぁちゃんと夕飯を食べ終えた俺は一人部屋でゴロゴロしながらフェイスブックをながめていた。
職場を変えてからはコメントも「いいね」もつかない投稿はやめて、もっぱら誰かが書いた投稿をながめるだけになっていた。
ふと、幼馴染である翔太の投稿が目に入った。翔太は家も近く、幼稚園、小学校、中学校、高校までずっと一緒だったが、これは島ではごく当たり前のことだ。
翔太は中学生から始めた陸上の長距離で大活躍し、高校3年の時には5千メートル走で県1位になったこともあるやつだ。あの時は活躍する翔太を誇らしいと思うとともに、自分が酷く惨めに思えたものだ。
俺は他の奴とは違う。そんな風に考え出したのも今思えばその頃だったのかも知れない。俺もきっと何かで目立ちたかったんだろうな。
翔太の投稿にはこんなことが書かれていた。
「いよいよ明日は初フルマラソンだ、絶対完走するぞ!」
そういえば島にはエコアイランド宮古島マラソンという大会があったなぁ、翔太のやつまだ走ってんだ。
素直に感心した。
フルマラソンを完走したらトライアスロンにも挑戦するらしい。宮古島のトライアスロンといったら3㎞を泳ぎ157㎞自転車をこぎ、フルマラソンをやるというとんでもない競技だ。
実は俺の父ちゃんもトライアスロンをやってる。
「かっこいいじゃん、駅伝もただ大人たちにやらされてたってわけじゃなかったんだな」また口に出して呟いた。
翔太の投稿には写真が添付されていた。
「これ、美咲じゃん」また呟く。
翔太の隣には、翔太と共に幼馴染だった美咲がぴったりと寄り添うように写っている。
美咲には高校一年の時に告白されたことがある。
美咲は可愛い女の子だったし、自分の中にも好きだという気持ちはあったけど、翔太が美咲のことを好きだということは知っていたし、美咲には俺より翔太の方がお似合いと思ってその告白を断ったのだった。
美咲のやつ…翔太と付き合ってんだ。
自分が望んだ結果にも関わらず、なんだか悔しいような切ないような気持ちになって、わけもわからず胸がドキドキし始めた。
そのまま他のやつの投稿も読み進めていく。
島を出てから会うことも電話で話すこともないやつらだけどフェイスブックでは友達ってやつになっている。
ふと自分の名前を見つけた。
高校の卒業式の時の写真の投稿に書かれたクラスメイトのコメントだ。
「マサヤスだけどよ?上地正貴(ウエチマサヤス)よ?、あれ最近フェイスブックにも出てこなくね?」
返事が続いてる。
「あいつ内地に行ってから病んでたよな」
「あれだけ病んでるとコメントのしようがないよな?」
「あいつ大丈夫かな?」
へっ、あいつら心配してくれてんだ。
あれだけ俺は違うと見下していたやつらの言葉なのに嬉しい気持ちになり顔はにやけていた。
まだ返事が続いている。
「自業自得じゃない?」
「あいつイバリャー(威張り屋)だからよ?
自分が一番と思っているからどこでも苦労
するはずさ、一人じゃなんにも出来ないく
せによ?」
頭を何かで殴られたような衝撃だった。
みんな知っていたんだ。
俺の心の中はずっと見透かされていたんだ。
カーっと顔が熱くなってどうしようもなく恥ずかしくなった。もうスマホを投げ出したい気持ちになるも、まだ続くコメントの先を恐る恐る読んだ。
なんと翔太がコメントしている。
「お前ら正貫が本当はどんな奴か知ってるだろ?」その言葉に俺の体は硬くなった。翔太のコメントが続いている。
「いつだか掃除の時にみんなで遊んでたら窓ガラス割っちまって、あの時一人で責任被ったの正貫だろうが?、カママミネの事件の時だって一緒に酒飲んでた奴らを逃がそうとしてお巡りに掴みかかったんだろ?」
呼応したかのように他のクラスメイトからのコメントがさらに続いている。
「そうそう、正貫はイバリャーでカッコつけなんだよ」
「イバリャーのくせに結構真面目な奴だったよな、絶対に約束は破らんし、?だいずうむっし(超面白い)」
「以外と頑張り屋だったよな」
「駅伝大会の時には以外に速くてびっくりしたよな」
「グレてんのか真面目なのかギャップが笑えるw」
「面白いやつだよな」
「うん解りやすいやつ♩」
「成人式には帰ってくるだろ?またみんなで遊びたいな」
今度は涙が出てきた。
顔がぐしゃぐしゃになるまで泣いた。自分でも信じられないくらいに泣けた。
すぐにでもみんなに会いたい気持ちになった。…けど辞めた。
俺は彼奴らのように優しい人間ではない。
俺には彼奴らに会う資格はない。
その日のうちに、成人式に向けてのフェイッスブックを使ったメッセンジャーグループが作られ、そこに俺の名前が追加された。
2018年2月
季節は冬。
それから度々いろんなやつからのメッセージが届く様になったけど、そのメッセージを読むことはなかったし、フェイスブックを見ることもなくなった。
そうしてなんとなく日々が過ぎ、島での成人式も終わっていた。
高齢者介護の仕事はそれなりに楽しかった。
オジィっ子、オバァっ子だった俺にはなんとなく居心地が良かったのかも知れない。
あのフェイスブックの一件以来自分の小ささに気づき人を見下す様なことがなくなったからかも知れない。
その証拠にこの仕事はまだ辞めずに続いている。
といってもまだ就職してから一年半だけど。そういえば俺には続いたものって何にもないような気がする。
俺の趣味ってなんだ?俺の特技ってなんだ?、何にもないな俺。そう思うとなんだか笑えてきた。
そんなことをボーッと考えながら施設に入所している人たちの食べ終わった食器を片付けていると、ふとテレビに映った見慣れた景色に目が止まった。
宮古島だ。
与那覇前浜ビーチ…高校一年の時に美咲に告白された場所だ。美咲にねだられてバイクで行った与那覇前浜で、服を着たまま海に飛び込んで無邪気にはしゃいだっけな。自分に自信のなかった俺は、翔太のためと理由をすり替えて断った告白。バカだな俺。
東平安名崎…悪友たちと意味もなくバイクを走らせた場所だ。初日の出を見に行ったけ。あの時は風が強くて寒かったな。そうそう、翔太のことを悪くいう奴がいて、殴り合いになったっけな。
俺は結局何がやりたかったんだ?、心の中で笑った。
その時だ。
俺が島を出てすぐに亡くなった島のおばぁの言葉が突如頭の中に大きな声となって蘇ってきた。
「ぴとぅかた、かなぅむぬぁ、むむかたど、かなおぅ」
一つのことが叶う者は、百のことも叶う…という意味の島に昔からある言葉だ。逆に言えば一つのことも出来ない人には何にも出来るわけがないという言葉だ。
「上地さん!」
施設長の声ではっと我に帰った。
「お母さんから電話よ」
窓の外に見える冬の横浜の空は、恐ろしいほどに青く澄み切っていた。
父ちゃんが倒れた…居酒屋での仕事中のことだったらしい。…そしてそのまま帰らぬ人となった。
葬儀はごくごく身内だけでやるという父ちゃんの生前からの希望に沿ってひっそりと終わった。
俺は取るものも取らずに島に帰っていた。
俺が帰っていることは誰にも知らせていないし、誰にも会いたくなかった。
「お母さんね、ずっとあんたのこと心配していたよ?」
「でもお父さんは正貫は大丈夫って…」
「あんたの名前ね、お父さんがつけたでしょ?」
母ちゃんの言葉を遮り俺はやや不機嫌に言った。
「正しいことを貫け、で正貴だろ?」
母ちゃんは首を横に振ってから優しく続けた。
「ちょっと違うかな?、自分が正しいと思ったことを貫きなさい、が正解!」
その言葉を聞いた途端どっと涙が溢れた。
その場に居られず衝動的に家を飛び出した。
自分が正しいと思ったことを貫け!
父ちゃんはこんな俺を信じてくれていた。
夜のパイナガマビーチは冬の時期には珍しく静まり返っていた。空には星がたくさん輝いている。
「そういや空なんか見上げるのは高校生の時以来かもな」頭の上には天の川がくっきりと見えている。夏に見えるイメージの天の川だけど、実は冬でもしっかり見える。
俺ってば自分のことばっかり考えてたな。
ほんと自分のことばっかりだ!
彼奴らと俺は違うとか、俺はこいつらみたいなダメなやつじゃないとか、人を見下げてばかりいた。自分がどう見られるかを気にして、ちょっと悪ぶってみたり、バイク乗って格好つけたり、酒飲んで強がったり目立とうとしたりしていただけだったんだ。
涙は次から次へと溢れ出て止まらなかった。
彼奴らは、こんな俺のことを考えて、心配してくれていたのに、理解しようとしてくれていたのに。
父ちゃんは俺が何度悪さをしても、何も言わず俺を信じて見守ってくれていたのに。
泣きじゃくりながら鏡のように静まり返った海を見つめていると急にあの日の記憶が鮮明に蘇ってきた。
「お前が思うほど誰もお前のことなんか見ていないぞ」
あの嫌な言葉…
そうだあの時だ、カママミネ公園で悪友たちと酒を飲み、乱闘騒ぎの末に警察に補導された日の翌日だ。
父ちゃんは朝から悪友たちの家を回ったり、先生の家を回ったりしてひたすら頭を下げていたらしい。
あの真夏の夕陽の逆光にかくれた顔が次第に記憶の中で明るく見えてきた。
やっぱり父ちゃんだ。
笑っている?
確かに父ちゃんは笑っていた。
「お前が思うほど誰もお前のことなんか見ていないぞ」
「だから格好つけるな、強がるな、お前は自分が正しいと思うことを貫けばいいんだ」
父ちゃんは、お前はお前のやりたいようにやれ、誰の目も気にするな、正しいと思ったことをやりなさい、そう言っていたんだ。
でも父ちゃん、俺には何が正しいのかも解らない!俺が間違っていたということだけはハッキリ解った!でも何をどうしからいいんだ。
今度はオバァの声が再び聞こえてきた。
「ぴとぅかた、かなぅむぬぁ、むむかたど、かなおぅ」一つのことが叶う者は、百のことも叶う…
俺に何が出来るのだろう。
横浜に戻ってからもその答えは出ないままだった。
2018年4月
季節は春。
俺は桜並木の下を走っていた。
島ではそろそろデイゴの花が真っ赤に咲き始める頃だろう。
父ちゃんがやっていたトライアスロンとまではいかないが、俺はフルマラソンの完走を目指すことにしたのだ。
最初は1㎞も走れなかったジョギングも次第に距離が伸びてきた。
走っていると不思議と頭が冴えてきていろんなことが考えられる様になってきた。
翔太のやつトライアスロンどうだったかな?。完走できたらいいのにな。あれ?、俺今自分以外のやつのこと考えてんじゃん?
なんだかそんな些細なことでテンションを上げていた。
オバァの言葉を思い出すことも増えていた。
「いみさからどぅ、うぷふなぅ」
これは小さいことの積み重ねが大きなことを成し遂げるよという意味。
おばぁから直接聞いていた時にはなんとも思わなかった言葉が今は胸に響いてくるから不思議だ。
「あまいみぱなんかいや、てぃーやいださるん」
これは笑顔の人には誰も手をあげないよという意味。
言葉を受け入れ自然と笑顔が出る様になると不思議なものだ。
横浜に来てから一人もいなかった友達…と呼べる人が出来たのだ。
フルマラソンを目指すことによって同じ目標を目指す仲間や、憧れる先輩も出来た。
なにより仕事までもが楽しくなった。
毎日が明るく輝きだしてきた。
フルマラソンに向けての練習も次第次第に専門的な内容となり、力が着いて来たことが実感出来るようになると、自分自身への自信のようなものも生まれて来た。
俺みたいな人間でもやれば出来るんだな。
季節は秋…フェイスブックは相変わらず全く見ていない。
それからさらに1年の歳月が流れた。
2019年10月
俺は、第10回エコアイランド宮古島マラソンに出場するために再び宮古島に帰って来た。
せっかくの里帰りだが仕事の休みも多くは取れずに大会の前日の宮古島入り、大会翌日には横浜に戻る二泊三日の旅程だ。
空港に着陸しようとする飛行機から窓越しに島を見た。
島の周囲に海がキラキラと輝いている。その色といったら青?、緑の様な、やっぱり青い様な、ベージュの様な、その入り混じったような色が無限の種類の色のグラデーションとなり真っ白な砂浜へと伸びている。島の畑はまるでパッチワークのように見える。
綺麗だ…率直に思った。
宮古島ってこんなに綺麗だったっけ?
まるで自分の思っていたものとは違う宮古島がそこにあった。
よく外から島を見ないと、島の本当の良さは解らないと聞くけれど、こういうことなのかも知れない。
空港に到着して、そういえばと思い出した。
「母ちゃんに電話しなきゃな」
大会への参加も島に帰ってくることも母ちゃんにすら知らせてなかったのだ。
「おい!正貫じゃないか?」
突然名前を呼ばれ振り向くとそこには翔太の姿があった。
「やっぱ正貫さ、新聞の選手名簿にお前の名前があったから、もしやと思っていたんだ。なんで連絡しても返事しないか!」怒った調子で続けて来た。
島の新聞にはマラソン大会の参加者名簿が掲載され、大会後には完走者名簿が掲載される。
「ごめんごめん、まぁ、いろいろあってな」
曖昧な返事しか出来なかったけど、翔太はそれほど気にした様子もなく、そうかそうかと久しぶりの再会を喜んでくれた。
「そういえばお前の父ちゃん亡くなったんだってな?なんで連絡のひとつもしないかよ」翔太は真剣な顔でそう言ってから辺りをキョロキョロ見回している。どうやら翔太は空港に誰かを迎えに来ているようだ。
「俺お前みたいになりたくて、マラソン始めたんだ、で、明日の大会に出ることにしたんだ」
翔太は一瞬驚いた様子を見せるも「俺みたいに?そういえばお前の父ちゃんもトライアスロンやってたもんな」と言ってからお目当の人物を見つけたようだった。
こっちこっちと手を振るとやってきたのはスラリとした長身の男だった。見た目の歳は三十歳くらいだろうか。
「正貫、こちらは明日の大会の優勝候補の与那嶺さん、沖縄県のフルマラソン記録保持者だ」翔太は胸を張るようにそう紹介してくれた。もちろん俺も走るぜと翔太は鼻息を荒くしている。
「どうも」と俺は軽く会釈をしてその場を離れようとした。
「正貫、お前も家まで送ってやるよ」
俺は翔太のその言葉に甘えて、与那嶺さんとともに翔太の運転する車に乗り込んだ。
翔太は興奮気味に与那嶺さんと明日の大会のについての目標タイムや誰がライバルかと、そんな話をしている。
「で、お前の目標タイムは何分かよ」と翔太が訊いて来た」
「初マラソンだしわからん、全力出せて完走できればそれでいい」と俺。
どんなことでも目標を持った方がやり甲斐もあるし達成も早いよと与那嶺さんはアドバイスをくれた。
「いみさからどぅ、うぷふなぅ」俺はオバァの言葉を口にした。
与那嶺さんも翔太も不思議そうな顔で俺を見ている。
「オバァの言葉なんです。これは小さいことの積み重ねが大きなことを成し遂げるよという意味なんです。今自分は自分で何が目標で、自分がどんなことを出来るのかもわかりません。だからまずは目の前のことを全力でやってみようと思います」
与那嶺さんはなるほどと頷き、翔太は相変わらず不思議そうな顔をしたままこう呟いた。
「お前、なんか変わったな」
空港を出た車は下地線に向けて進んで行くと、やがてキラキラと輝く与那覇湾が見えて来た。
与那覇湾は水鳥の生息地として国際的に重要である湿地としてラムサール条約に登録されている。
「なぁ翔太、宮古島ってこんなに綺麗だったか?」
翔太はその問いには応えず「やっぱりお前変わったなぁ」とさっきと同じ言葉を呟いていた。
与那嶺さんをホテルに送った後、翔太は俺の自宅まで車を走らせてくれた。
与那嶺さんが降りた後はなんとなく二人とも無言だったけど、けっして居心地の悪いものではなかった。
俺が車を降りようとすると翔太が口を開いた。
「正貫、俺、明日優勝を目指してんだ。与那嶺さんにも勝ってみせる!、明日は一緒に美味い酒飲もうな、オトーリ回そうぜ」
「お前すげーな!」俺はたぶん高校の時には翔太に見せることのなかっただろう混じり気のない笑顔を見せてから「飲もうな」と続けた。
「みんなお前に会いたがっているぞ」と少し真剣な表情になった翔太の声が少し大きくなった。
「どうかな」と俺は苦笑いで返事をしてから翔太と別れた。
翔太の車が小さくなりやがて建物の陰に入り見えなくなった。空が夕焼けに染まり始めていた。
みんなが俺に会いたいと思ってくれているなんて、どうしても信じることは出来なかった。
家の中からはなんとも懐かしい美味しそうな匂いが漂ってくる。
きっとワーブニ汁だな。
「ただいま」俺は玄関の戸を開いた。
朝5時起床。
昨日はやっぱりワーブニ汁だった、他にもオジィのオススメで食卓には食べると足が速くなると馬刺しも出されていたし、カツオの刺身やら、ヤギの刺身やら、島らっきょうやらニンニクの黒糖漬けやらおそらく母ちゃんとオジィがマラソン大会に向けて力が着くだろうと思ったであろうありとあらゆる食材が並んでいた。
今朝の朝食は母ちゃんにお願いしてあっさり目にしてもらった。
ごはん、あぶら味噌、ポーク卵、晩の残りのワーブニ汁だ。
なんだろう高校生の時にはこんなに美味いとは思わなかった。
久しぶりの里帰りは驚くことばかりだ。
さて今日はマラソン大会だ!人生で初めてのフルマラソンだ。
大会のスタートゴールとなる宮古島市陸上競技場まではのんびりと歩いて行くこととした。
「お母さん達はパイナガマで応援するからね」…母ちゃんとオジィに見送られ家を後にした。
天気は秋晴れ、空が高い、10月だというのに随分と暑くなりそうだ。
競技場に着くと既にたくさんの選手達でトラック内外は賑わっていた。
放送席からは親父ギャグ混じりに軽快なアナウンスが聞こえてくる。
翔太はまだかな?辺りを見回すと与那嶺さんの姿が見えた。
流石優勝候補と言われるだけあって、よほどの有名人なのか会う人会う人と挨拶を交わしたり一緒に写真を撮ったりしている。
と、そこに翔太が現れた。
「どうだい調子は?」と聞く翔太にバッチリだと親指を突き立てて応えた。
「正貫は本当に変わったよな、だいたいのやつは調子を訊いたら、練習が出来てないとか、どこどこが調子悪いとは、昨日酒のみすぎたとかさ、上手くいかなかった時の言い訳を言うわけさ」そう言うと翔太は「俺はもちろん絶好調」と言って見せた。
なるほどなぁ、人から見られる自分を意識するからそんな言い訳をしちゃうんだろうな。
翔太の話は今の自分にはそう理解出来た。
そのままでいい。今以上の俺を見せる必要もない等身大の自分でいればいい。
マラソンというものはそこのところが本当に正直だ。
自分の実力以上の結果なんてどう足掻いたって出やしないんだから。
翔太と二人でウォーミングアップを済ませいよいよスタート十分前でレースウェアに着替えた。
すると隣で翔太が驚きの声をあげた。
「正貫、お前めっちゃいい体してんな。お前絶対に速いだろ!」
スタート地点に並ぶ。
エコアイランド宮古島マラソンは、参加者がフルマラソン、ハーフマラソン合わせても二千人に満たない大会だ。
沖縄本島のナハマラソンの申し込み者は毎年三万人を超えるのだと言うのだからその規模と言ったら比べ物にはならない。
それでも大会後のふれあいパーティーがあったり、海のよく見えるコースの途中には無料で渡れる橋としては日本一の伊良部大橋があったりと魅力溢れる大会で毎年ファンを増やし続けている。
翔太と一緒に最前列に並ぶ。
ふと横を見ると与那嶺さんの横顔が見えた。
与那嶺さんはこれから戦場にでも出て行くような精悍な顔つきだ。
初めての体験に気持ちが高ぶり神経が研ぎ澄まされて行く。
大丈夫、やれるだけのことはやって来た。
職場の入所者の皆さんにも沢山のエールをもらって来た。
横浜のおじぃちゃん、おばぁちゃんにも胸を張って島に帰りなさいと言ってもらった。
横浜で一緒に練習してくれた仲間達や憧れの先輩ランナーにはこう言われて来た。
優勝してこい!
足元を見る。
母ちゃんにお願いして借りた、父ちゃんのミズノの蛍光イエローのランシューズだ。
今なら言える。
俺は父ちゃんに憧れていた。
居酒屋を一日も休まずやり続けた父ちゃん。島内のマラソン大会や駅伝大会、そしてトライアスロン大会にも出場し続けた父ちゃん。大会の終わったあとにも居酒屋を開いていた父ちゃん。
父ちゃんの周りにはいつも笑顔があった。
続けることの大切さを身を持って教えてくれた。
スタート5秒前!…3、2、1、パンッ!
乾いたピストルの音とともに俺は勢い良く飛び出した。
周りを伺うことなんて関係ない、優勝を狙う翔太がどこにいようが、優勝候補の与那嶺さんがどこにいようが関係ない、ここからは自分の精一杯をやるだけだ。
俺は真っ先に競技場からロードへと続く出口へと向かった。左の隣に与那嶺さん、右の隣に翔太がいる。競技場の門からロードコースへ飛び出る。
競技場前の道路を左折するその正面にあるどデカイ応援幕が目に入った。
翔太、正貫、ワイドー!の文字。
ワイドーとは島の言葉で頑張れの意味だ。
応援幕の周りにはたくさんの同級生たちの姿があった。三十人はいるのだろうか?
口々に翔太や、俺の名前を呼んでいる、ワイドー、がんばれと声の限り叫んでいる。翔太の彼女になった美咲の姿も見えた。
グッと目頭が熱くなった。
「どうだよ俺たちからのサプライズは!」翔太が荒ぶる呼吸を整えようとしながらも声をかけてきた。
視線は前を見据えたままだ。
俺は「最高だ、お前も、彼奴らも、みーんな最高だ」俺も視線を前に見据え直しそう応えた。
競技場を出ると平良港まではほぼ下り坂のコースとなる。ついついペースが上がってしまうと後からそのダメージを背負うこととなってしまう。
とはいえ自分にはタイムの設定などない、チームメイトや先輩ランナーにもお前は行けるとこまで行けと言われている。腕時計も着けていない。
「3分15!」沿道で声があがる。1㎞地点でのタイムだ。速いペースだ。声の主の姿は見えないが、どうやら翔太の仲間のようだ。
「思った通りだ正貫!、お前、速いな!」そうさっきと同じように視線を前に見据えたまま翔太は言った。
サンエーターミナル前を通り過ぎると、父ちゃんのやっていた居酒屋の前になる。
父ちゃんが亡くなり、当然店仕舞いされた建物には、今も当時の看板がかかったまま空き店舗になっている。
店の名前は…正貫
俺の名前だ。
ちくしょう、高校生の時にはこんなにもウザったいものは無かったのに…今はこんなにも嬉しい。
「3㎞、9分55!いいぞ!」再び沿道の誰かから声があがる。
パイナガマ。
先頭集団は既に5人に絞り込まれていた。
母ちゃんとオジィがたくさんのご近所さんや親戚と一緒にパーランクー(沖縄の小さい太鼓)やペットボトルを叩いて大騒ぎしている。
後でたくさんお礼を言わないとな。
パイナガマを過ぎ、トゥリバー埋立地へと国道390を離れ伊良部大橋へと向かう。
先頭集団は変わらず5名のままだ。
前方に見えてきた伊良部大橋は船がくぐれるように中央が高くせり上がり急な坂道になっている。
海は綺麗だが風向きが気になる。これは橋を折り返した後は向かい風だな。
伊良部大橋を渡りきり少し走るとUターンするポイントがある。
ここでコースは10㎞地点となる。
翔太の仲間であろう四十代くらいの男が「10㎞33分22!」と叫んでいる。
カラーコーンをUターンをして伊良部大橋の復路になると予想どうりの強い向かい風となった。
強い向かい風を受けての伊良部大橋を、宮古島方向に向け坂道を登り始めたところで一人脱落した。…おそらくここまで無理をしていたのだろう。
ハァハァと息を荒くし足音もバタバタとなった選手が一人どんどんと後ろに遠ざかっていくのが感じられる。
自分の力以上は出ない。
マラソンは自分を知ることが重要なんだ。
普段の自分はどうだ?、今日の自分はどうだ?、今の自分はどうだ?、そう自問自答していくんだ。
今の俺は?…絶好調だ!
来た道を戻っているので、後続のランナー達の波とすれ違って行く。中には翔太や俺の名前を呼んでくれるランナーもいた。
伊良部大橋を渡り終え再びトゥリバー埋立地へと左折するそのポイントに再びあの応援幕が見えた!
翔太、正貫、ワイドー!
あいつら競技場からここまで移動して来たんだな。
絶叫に近い雄叫びが耳をつんざく。
激しい声援を後にしてコースを右折し国道390に戻ると、突然いやらしい坂道になる。ここは頑張りどころだ。
自分の息が荒くなっていることが分かったが、それは与那嶺さんも、翔太も、残りもう一人のベテランランナーらしい人も同じだった。
バイパス通りから下地線へとファミリーマートの前を右折し、国道390号線を下地方面にどんどん走って行く。ここは全体的にゆるやかな下り坂だ。
気持ちいい…横浜での練習でもこれだけ同じペースで一緒に走ってくれた人はほとんどいなかった。
秋空の高い位置にサシバが悠々と舞っているのが見える。
「20㎞1時間6分38!」沿道から声が飛ぶ。
楽しい!…いつまでもこのメンバーと一緒に走っていたい気持ちになっていた。
製糖工場を左手に見ながら走る。冬には製糖期となり24時間休まず白い煙を吐き続ける工場も、この時期には静かに佇んで居る。
そういや翔太の父ちゃんも製糖工場で働いていたっけな。
そうだ、翔太の父ちゃんも俺たちが中学生の時に事故で亡くなったんだっけな。
誰もがみんな何かを抱えているんだ。
そんな当たり前のことだって俺は今までは気付くこともなかったんだよな。
上地の交差点を左折し、長浜商店の角を右折すると来間大橋まで一直線のサトウキビ畑の中の道だ。畑の中では忙しそうにあちこちでスプリンクラーが水を撒いている。
オジィの話では戦時中ここに飛行場を作ろうとしていたのだとか…その後に作った道だから一直線なんだと教えてくれた。
来間大橋の途中で再びUターンする。
再び向かい風…しかも上地からは緩い上り坂がダラダラと続いて行く。
来間大橋を戻り、宮古まもる君が見守る皆愛の交差点を駆け抜け、スプリンクラーが水を撒くさとうきび畑を戻って行く。
長浜商店を左折し、Aコープ前を通り上地の交差点を右折したところでここまで一緒だったベテラン選手のペースがガクンと落ちるとあっという間に後方へと消えていった。
残るは与那嶺さんと翔太、そして俺の3人だけだ。
3人は前後することなくほぼ横一列で走り続けている。
普通は風除けにと他の選手の後ろに着いたりと駆け引きをするものだがこの日の展開は違うものだった。
そんな展開にしたのは誰でもない俺だった。
なんの駆け引きもなくただ前に前に行く俺に与那嶺さんも翔太も負けじと力比べをしているようだった。
30キロを通過!
再び翔太の仲間だと思われる人からタイムが告げられる。
「30㎞1時間40分丁度!」
タイムに手応えを感じたのか翔太の目が光ったように見えた。
緩いダラダラ続いた坂を登り終え、マクドナルドの角を左に折れ下地線からバイパス通りに入る。
35㎞を過ぎた!
「35㎞1時間56分30!いけー!」そう叫ぶ沿道からの声は既に俺の耳には届いていなかった。
俺は自分の体の声を聴こうと必死だった。
体の声に耳を澄ませる。俺はまだ行けるか?どうだ?答えろ!
ハートは熱く頭は冷静に。チームの先輩から言われた言葉を何度も頭の中で繰り返す。
うん!まだいける!大丈夫!絶好調だ!
残り5㎞の表示が見えたところで俺は脚の回点数のギアを一つ上げた。
グンッとペースが上がる。息は弾むがこのまま最後まで行く!
一瞬左右の与那嶺さんと翔太の姿が視界から消える。
しかしそれもほんの一瞬のことですぐに右側には翔太の姿が戻って来た。
与那嶺さんは…後方に遠ざかっていくのを感じた。
あとは翔太との一騎打ちだ。
平良港から市役所前への道を右折すると激坂が待っていた。
激坂の後はゴールの競技場までのゆるやかな上り坂だ。もうペースは落とせない。
平良港から市役所前に向けての激坂を気合いで登って行く。
翔太も苦悶の表情でほんの30㎝右隣でもがいている。
今俺は、翔太と本気で語り合っている…そんな気分になった。
苦しい…けどなんて楽しいんだ!
翔太の気迫をビリビリと感じる!そうだよな!、お前も自分自身の精一杯を出し切りたいよな!、よし!俺が付き合う!
ゴールまであと2㎞!
父ちゃんの店だった場所が見えて来たところだった。
急に翔太の気迫が消えた。
慌てて翔太を見ると顔面は蒼白で、既に意識は無いようで今にも崩れようとする瞬間だった。
俺は咄嗟に膝から崩れ落ちる翔太を守るように、翔太を抱きかかえたまま道路の上に転がり倒れた。
「翔太!翔太!」翔太からの反応はない。
激しく呼吸はしている、体温はかなり熱い、熱中症だろうか?
沿道からは「後ろから選手が来たぞ!行けー!」と声が飛んでいる。
俺は一瞬どうしたら良いか分からなくなり辺りを見回した。
足元に目を落とすと父ちゃんの蛍光イエローのミズノのシューズが眩しく輝いていた。
後ろから与那嶺さんが走ってくるのが見える。
ふと前を見る…
父ちゃんの店だったあの場所、あの店先に父ちゃんとオバァが立っていた。
ニコニコとしたオバァが口を開いて「ひとだみぁ、どぅだみ」と言った。
人のためにすることは自分のためにすることだ、といった意味の島言葉だ。
父ちゃんは穏やかな顔で「お前が正しいと思ったことを貫け」と言った。
俺の真横を追い越して行く与那嶺さんには目もくれず沿道の人からペットボトルの水をもらうと翔太の頭からぶっかけた。口からも水を飲ませた。
やっと意識を取り戻した翔太は怒ったように「お前何やってんだよ早く先に行け!」と怒鳴っていた。
思わず俺も怒鳴り返した。
「お前がいなけりゃ俺はここにいなかったんだ、お前が頑張っていたから俺も頑張れた、俺はお前と一緒にゴールする!」…俺の本心からの言葉だった。
「俺は今、自分が正しいと思ったことを初めて貫こうとしているんだ、ゴールであいつらが待っている、立て!一緒に行こう」
俺は翔太の肩を抱えるとゴールに向けてゆっくりと歩き始めた。
翔太はひたすら泣いていた。
やっとのことでゴールに着くと翔太は救護班の人に連れられていった。
翔太の彼女になった美咲が目を潤ませながら「正貫ありがとう」と何度も頭を下げた後、救護班の後を追って消えていった。
母ちゃんは泣いていた。
オジィは母ちゃんの肩を抱いて黙っていた。
俺は魂でも抜かれたようなポカンとした気持ちで表彰式とふれあいパーティーの会場となる宮古島市総合体育館にいた。
少しすると「正貫!」という馬鹿でかい声を体育館中に響かせて満面の笑顔の翔太と美咲、そして応援してくれた同級生のあいつらがガヤガヤ、ドタドタと入って来た。
ちょうど表彰式の最中とあって司会者がウウン!と咳払いで空気読めよという合図を送ってよこしたがみんな御構い無しだった。
困った様子の司会者からマイクを取り上げたのは優勝者の与那嶺さんだった。
「会場にお集まりの皆さん!彼が本当の勝者です!盛大な拍手をお願いします!」
耳をつんざくような拍手が沸き起こり、俺は同級生達に揉みくちゃにされ、そしてそのまま胴上げされた。
俺は何度も何度も宙に舞った。
体育館の天井が近づき、遠のき、近づき、遠のき…俺はこの時生まれて始めて生きていてよかったと心の底から思った。
翌朝…俺は頭痛とともに目を覚ました。
二日酔いだ。
パーティー会場で与那嶺さんにしこたま飲まされて、同級生達と二次会でオトーリを回した。
夜中に家になんとか辿り着くと母ちゃんやオジィも近所の人や親戚の人なんかと居間で酔いつぶれていた。どうやらよほどたくさん飲んで歌って踊ったのだろう。何本もの泡盛の酒瓶とともにオジィ自慢の黒木の三線も横たわって居た。
飛行機は昼の便だ、慌てて荷造りをしてから、心に決めたことをもう一度自分の心に確かめ直した。
朝方どうやら雨が降ったらしく道路は濡れ、あちこちに水たまりができている。
宮古空港には驚いたことに翔太や美咲、それに大会を応援してくれた同級生の彼奴らや、近所の人や親戚まで集まっていた。
参ったなぁ…ここで言わなきゃならんかよ。心の中で呟く。
みんなとの別れを惜しんでいる間にあっという間に出発時刻が迫って来た。
手荷物検査場の前で見送ってくれたみんなに最後の挨拶となった。
その挨拶で俺はさっき確かめ直した、心に決めたことを手荷物検査場の前にいる全員に聞こえるような大きな声で告げた。
「俺は決めた、俺は父ちゃんの居酒屋を継ぐ!、もう少し時間を俺にくれ!俺はこの島に、宮古島に帰ってくる!」
「俺はみんなのことが好きだ!、この島が好きだ!、ありがとう!」
父ちゃん、俺が正しいと思ったことを貫けばいいんだよな?
俺は泣きながら手荷物検査業に向かって歩き出した。
出兵じゃああるまいし、背中にはバンザイの声がいつまでも、いつまでも大きく聞こえていた。
バンザイの声に応えようと振り返る。
たくさんの人たちの中に、父ちゃんとオバァの姿が見えている。二人ともにっこりと微笑んでいた。
俺はくるりと再び前を向き待合所へと進んでいった。
実に清々し気分だった。
窓の外には大きな大きな虹が実に見事にかかっていた。しかも二重にだ!
とはいっても島ではけっして珍しい虹ではない。
でも、俺にとってそれは、まるで父ちゃんとオバァからの…母ちゃんやオジィ、翔太や美咲、たくさんの友達からの、この故郷宮古島から俺へのエールのように見えたんだ。
二重の虹の持つ意味は「卒業」と「祝福」だと言われている。
そうか俺は今、今までの俺を卒業したのかもしれない。それをこんなにも多くの人たちが祝福してくれている。
俺はこの島でみんなと一緒に生きて行く。
俺は決意を新たに窓の外に広がる二重にかかった大きな大きな虹を見上げた。
てぃんぱう…二重の虹 @kamosan
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