第30話 本編 6 - 2

 まぁ何だ。

 すべてを思い出したからと言って、過去ってものが煌めくガラスの破片のように美しいものばかりとは限らなかったわけだ。鋭く尖った切先は柔い心の表面に消えない傷跡をつける、なんてこともあるし。カウントダウンが始まった後に投了しても後の祭り、何もかもなくなるまで一方的な略奪行為に晒されることだってあるだろう。

 ゴミ溜めの隙間から伺い知ることの出来る外の世界は眩しくて、瞳を閉じてしまわないようにするので精いっぱいだった。息をするのが苦しくて、俯いていても気分が紛れることはない。そういう時代を僕は過ごしてきた。正しいことが正義だと勘違いして、この世に溢れ変える雑多な余剰エネルギーの類すら邪悪とみなしていたんだ。

 嘘だけど。

「いやぁ、すごいもんだね」

 他人事のように百々の肩を笑いながら叩く。

「テロリストだって。……自爆テロか」

 サジェストされた順番、つまりはアクセス数の多いまとめサイトから順に拾ってみたけれど、どこも中途半端な情報しか載せていないし何よりも誹謗中傷の嵐が酷かった。僕が苛立つよりも百々が切れるのが速そうだったから、と適当な理由をつけて彼から携帯を取り上げる。

 そして、新聞社などの、少しはマシな情報源を辿っていく。

 どこも似たような記事ばかりだ。

 天野修一、と僕の名前が書かれている。

 顔写真が貼られている。

 今の僕よりも、ずっとやつれた顔をしていた。

 既に何人か殺していそうで、心象は最悪だろう。

 済世病院に来る前の僕は、思想的テロリストだった。社会の悪を断じながら自分こそが正しいと信じて疑わないタイプの人間だったのだ。僕が運営していたサイトはサーバー管理会社によって削除されてしまったようだけど、いくつかのキーワードを元に辿っていくと思想の断片がネットの片隅に山積さんせきしていることが分かった。モノ好きな奴もいるようで、魚拓まで取ってある。

 政府への批判。

 日常の愚痴。

 鬱憤晴らしのレスバトル。

 思想だけに留めておけばいいものを、僕は何かに耐えきれなかったのだろう。

 自動車に爆発物を積載して国会議事堂に飛び込んでいったようだ。

 ただ、ここで問題があった。警備が厳重だったとか、颯爽と現れたヒーローに妨害された、とかでもない。僕はペーパードライバーだったのである。

「わっは、なんだそれ」

 まったく、飛び道具にもほどがある。これまでに僕が悩んでいた時間を返して欲しいもんだ。いやぁ、全身に薄らと残った細やかな傷の数々が爆発物の痕跡だったなんて、平々凡々な毎日しか過ごしてこなかった僕には想像もできないわけだよ。

 お前はと教えてくれてもいいじゃないか、まったく。そりゃ病院でテロを起こされた日には……ま、僕が二度と問題を起こせないと踏んだ上で入院を許可したのかもしれないな。すげぇ医者もいたものである。感謝しておこう。

 笑いながら、過剰に熱くなった携帯電話を放り投げた。しばらく使っていなかったわけだし、電池に問題があるのだろうな。充電しながらではとても使えたものではなかった。

「修一、何が書いてあったんだ?」

「んー、まぁ、色々とね」

 ちょっと前の百々なら、僕が悪しき情報を手に入れる前に携帯を取り上げただろう。でも、今の彼はそれが出来ない。の前にねじ伏せてしまった彼には、僕という個人を止めることなどできないのである。多分、昔の僕なら蛇蝎の如く彼を嫌うだろう。

 今は、そんなことしないけど。

 ひとしきり笑って満足したあと、また携帯を手に取った。

 熱いけど我慢だ。痛みよりも好奇心が勝っている。

 今度は百々も画面を覗き込んでくる。

 まだ閲覧していなかったサイトをいくつか開いてみた。僕の出生に関することを、虚実ないまぜにして書いてある。反社会的テロリスト、共産主義のまわし者、資本主義の敵、ゆとり世代最後の怪物、などなど。右に傾いた人からの暴言がかなりひどかったけど仕方ない。よくあることだ、うん。

 その後もいくつかの記事を調べていくと、ある記事に辿りついた。

 割と最近の記事だ。

 それも、出版数で言えば全国トップクラスの新聞社のものである。

「百々、これ見てよ」

「うぅ……ひでぇもんばっかり読ませやがる……」

「いいからホラ」

「えーっと。昨年度にテロを企てた天野修一容疑者。彼は病院で意識不明の状態が続いていたが、先月未明、健康状態の著しい悪化に伴い……」

 かいつまむと、だ。

 僕は死んだことになっていた。

 信じ切れなくて、百々に頬を抓ってもらう。

「温かい手だね……。ってことは夢じゃないのか」

 ゆっくりと立ち上がる。

 眩暈がする、と嘘を吐いた。

 過去の自分が薄汚れていたとしても、そこに悲しむことはなかった。意外だ、奇妙でもある。僕自身の思想に共鳴しているのかな。テロリズムは失敗に終わったけど、あの頃の痛みが現在の僕にまでつながっているのだとしたら、忘れるわけにもいかなかったのに。

 あぁ、なんで忘れていたんだろう。

「ありがとう。百々」

 にこやかに笑って部屋を出て行こうとしたら、百々が慌てたように立ち上がった。

 僕が初めて彼に話しかけようとして、ボールペンの切先を向けられたあの日と同じくらいに機敏な動きだった。彼の表情と言葉の出てこない口元を見比べて、何を言いたいのかを察した。

 うーん、僕は天才だ。

 なんたって、テロを起こせるくらいなんだから。

「大丈夫だよ。自殺なんかしないから」

 あっけらかんとしたまま部屋の扉を押し開いていく。

 さぁ、行こう。

 僕が目指す場所は、たったひとつだ。

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