第27話 本編 5 - 7
猫田に抱き付かれて、その行為に納得の行く理屈を求める。
それが無駄な行いだとしても、考えることをやめられなかった。
「平気だよ。うん」
誰に向けた言葉なのか、母親が子供に言い聞かせるような優しい言葉だった。
懐古厨の悲鳴にも似たアルコール中毒者の大号泣を期待しているのだとしたら残念だが、俺は猫田の胸で泣くことなどできないだろう。なぜって理由を聞かれても、そうだとしか答えられないのだけど。
聞きたいことは山ほどある。例えば、これがひとつ。
彼女が俺にこだわる理由はどこにあるのだろう。
「わっかんねーだよな」
特別親しい相手じゃない。休日を共に過ごすような間柄じゃなかったはずだし、頻繁に会話をするような相手でもなかった。強いて言えば、微かな線のような繋がりがあったか否かという程度で、それも意識しなければ分からないほど弱いものだ。
なぜ、猫田は俺を選んだのだろう。
本当に、奇跡を求めているのだろうか。
「そんなわけないよな」
「んー、なんのことだい」
だとすると信念や生活習慣で俺以外の他人とは共有することのできなかったものがあって、それに対する共感こそが彼女が求めているものか。もしこの想定が正解だったとするならば、そんな夢を見るのはやめた方がいいと彼女に忠告しなくてはならないな。
自殺経験者は現世に留まるだけで気力のすべてを使い切っているんだ。
求められることは光栄だが、その期待に見合うものを提供できるとは思えない。
あぁ。
社会って奴はこれ以上、才能の出涸らしから何を奪い取れば気が済むのだろう。
「離れてくれよ」
「もー、恥ずかしがらなくてもいいんだよぉ」
「殴っていいか」
「待って。私に対するアタリが強すぎじゃない?」
「クソ迷惑な酔っ払いは追い払ってもいいって教わったからな」
過去の自分は殴られる側だったが。
それはさておき。
「俺は本当に、嫌いなものが多過ぎるのかもしれないな」
例えば俺は、金持ちが嫌いだ。理由はごく単純なもので、貧富の差は生まれながらにして存在し、かつ覆すのに相当の苦労を必要とするからである。資本主義社会においての経済というものは、持つものが持たざる者から搾取することによって生み出される存在しない利益を元にまわっている。それを端的に示すものは、国債がバカみたいに増えているという現状である。成長が頭打ちになりつつある現代社会そのものである。
共産主義は成長しない、資本主義こそが無限の栄光のために必要なのだと力説していた経済学者は恥じて首をつって俺達と同じ立場になるがいいや。死に損なって、生きながらに過去の過ちを悔いるのだ。
裕福なものは貧しいものに貸し与える。
貸し与えたものに利子をつけて取り立てる。
取り立てる行為には国家などの権力からバックアップが為され、決して損をすることはない。純粋な善意などなくとも、薄っぺらくて嘘っぱちな笑みを張り付けて苦しんでいる人間に金を貸し出せば、今日から君も聖人君子だ。
それに、金持ちほど他人から奪いたがるからな。偏見だけど。
金は金を持つ者のところにしか集まらないわけだが、それは才能も然りである。ひょっとすると俺は、自身の朽ちた才能をみて嫌悪を募らせているだけなのかもしれない。他にぶつけるところがないから、それを世界経済などという途方もなく大きな敵に向かって投げつけているのだ。動物園の猿よりもタチが悪いな。
「俺はな。修一も、海住も――本当を言うと、嫌いなんだ」
誰かを、素直に愛せる人。
誰かに、実直に愛される人。
そんな漫画の主人公みたいな奴らが、心底、本当に。
どうしようもないくらい、羨ましかった。
溜め息を吐くたび、猫田の手が俺の背中を優しく撫でる。慰められているようで、情けなくもなってきた。部屋に転がっている空き缶を目で追いかけながら、俺はなぜ彼女に抱き締められているのかを考える。
「泣いてしまいそうだ」
「泣けばいいじゃないの」
「それが出来たら苦労しないよ」
「んー、よく分からん奴だにゃぁ」
お前のほうがよっぽど分からないよ、と言いかけた。
言ったところで問題はないのだろう。だけど、なぜか言わないで置いた。
もう一度、もう一度と溜め息を吐きそうになるのをぐっとこらえる。
怒ったり、落ち込んだり、忙しいものだ。
ふぅ。
それで、俺は何をすればいいのだろう。
「分からないんだ」
そう言いながら、猫田の背中に手を回した。彼女の身体は思ったよりも細かったが、小説や漫画で描写されるほどに華奢で守りたくなるような、少女のような身体はしていなかった。当然か、年齢的なものから考えても、彼女の辿って来たであろう過去を考えても、純粋無垢な少女などと呼べる要素は何処にもないだろう。
だから安心して、抱き締められる。
「おっ、遂にやる気になったかい?」
「バカいっちゃぁいけないよ」
「急に落語口調になったね」
「ま、そういう気分の時もあるってだけだ」
「もー、本当に分からん奴だなぁ」
お前もだろうが、ったく。
猫田は俺に何を求めているのだろう。
俺が彼女に求めるものと言えば、この病院で俺の不治の病を治してくれるってことなわけだが、どう頑張ったところで根治するには至らぬ病なわけだしなぁ。だったら、もうちょっと安直で素直で馬鹿らしいものを求めていくべきだろう。
……うーん。
例えば、こういうのとか。
「こらこら」
「は? なんで止めるんだよ」
「いや、こういう行為には順序ってものがあるでしょうが」
「知らん」
「そんなわけないだろうが。思春期真っ盛りの男の子がエロ本読んでないなんて有り得ないし、読んでいるってことはほら、間違っていても最低限こういう流れなんだろーなーとか、そういうのはあるでしょ」
「分からん」
ぐいぐいと腕に力を籠める。
酔っ払っている猫田は俺に負けて、そのまま床に倒れ込んだ。
分からない人の為に解説しよう。俺は彼女の胸に手を伸ばそうとしたのだ、いやホラ、女性そのものに興味がなくても触ったことがないものに対して興味がないわけじゃないし、ね、そういうことだ。
結構ガチめの抵抗をされるようになったから諦めて、一度距離を取ろうとした。
が、彼女は足を俺の腰回りに巻き付けて逃がそうとはしない。
退くに退けず、押すに押せぬ。俺に一体、どうしろというのだ。
「こういうときは、キスから入るもんなんだぜ」
「えー……」
「な、なんだよ。私へのキスじゃ不服か?」
「そういうわけじゃないけど」
前提条件とか設定とか、色々と間違ってないか? 柵が見えていることも忘れて突進していく阿呆なイノシシって感じなんだが、まぁ、それはそれで猫田っぽいしなぁ。諦めるか。あぁ、そうしよう。俺は諦めることが得意な人間なんだ。
腕を俺の背中に回したままの猫田を、上からじっと見つめてみた。海住ほど完璧な美人でもなく、修一ほど不可思議な魅力があるわけでもなく、香奈城みたいに奇天烈なカリスマ性があったりすることもない。
それに、それに、だ。
「俺がホントにゲイだったら、お前とキスなんかしない気がするんだが」
「私だって男としたことはないもの。でも、ほら、これは儀式みたいなものだから」
妙な理屈だった。
だけど、アルコールの残る頭を騙すには、その程度で十分だったのだ。
もう考えるのが面倒だ。
何もかもを忘れて、海に溺れてしまいたい。
それこそこれは、自殺みたいなものだった。
「後悔しても知らんぞ」
「ふっふっふー、それはこちらの台詞ですなぁ」
ヘンテコな笑いを漏らす猫田と唇を重ねる。
最悪だった過去の記憶を塗りつぶすように、俺は何度も猫田にキスをした。
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