第24話 本編 5 - 4

 人生に痛みを伴わない瞬間などない。

 それでも、苦痛を忘れるほどに美しく楽しい時間はきっと存在するはずで、だから自ら死ぬという選択肢を取る人間は少ないのではないだろうか。そうであって欲しいものだと俺は思う。

 ま、そういう適当なことを呟いておくのが丁度いいのだろう。

 過ぎたるは及ばざるがごとし、考えても分からないものには触れない方がいい。

「それで、相談ってのは?」

「海住と遊びに行きたいんだけど、どうすればいいのかと思って」

「何を言っているのか分からんぞ」

「ほら、あるじゃん……どこに行くとか、どう遊ぶとか」

「あー、そういうことね。だけどそれ、俺に聞くことじゃないだろ」

「他に聞く人もいないんだよ」

 女性経験に乏しいらしい修一は、打つ手なしと天を仰いだ。紫の首輪が鈍く蛍光灯を反射して、指が彼の喉元に伸びそうになる。別に絞めて殺そうなどとは考えていない。ただ、あまりに無防備な彼にはもっと様々なものを警戒して欲しいものだ。

 ふぅ。

 今日もやることがない修一は俺の部屋へと遊びに来ている。いつものように漫画を読みながら床に寝転がっていて、それを横目に絵を描いていたところだ。だが妙に覇気がないというか、何かしら元気の足りていないところがあるような気がして話を振ってみた。

 そうしたら、彼から飛び出した言葉が「海住とのデート」だったわけだ。

 女友達とどこに遊びに行くのがいいか、などという疑問を彼女ナシに尋ねる奴などいないだろう。男同士連れ立っていく場所などゲーセンやボーリング、カラオケ程度のものである。いや、それでもいいのだろうけれど、彼らが行きたがっているのはデートだろう。

 間違いない。

 分からないのは、彼らがいつの間に仲良くなったのか、ということだ。

 第三者からは彼らが運命という不可思議な存在に導かれて、破滅的な純情を燃やしているようにしか思われないのだ。修一は青春を謳歌するのだと言いながら海住とつかず離れずの距離感を保ち続けているし、純朴な少年少女は大人への階段などないかのように赤面必死の甘酸っぱい日々を送っている。

 のだろう。

 多分。

 俺には分からん。

 ここに修一がやって来てから半年もたっていないというのに、彼と彼女の関係は数年来の友人よりも深いようにすら見える。だから海住を狙っている――というのは俺の想像なのだが――猫田みたいな奴は、修一のことをあまり快く思っていないだろう。

 そして、悪く思っていたとしても行動に移せないのがここの連中だ。

 世界や社会を変えるだけの力を持たず、それでも苦しみから逃れたいと願う余りに自殺衝動に負けたのがこの済世病院で治療を受ける人間達なのである。修一は青春を謳歌することでこの病院から脱出できると言った、確かにそれは事実である。

 しかし、彼は勘違いをしている。

 青春を謳歌した人間がここから出て行く対外的な理由は、彼が言う通りのものだ。

 社会生活に馴染むだけの気力を取り戻し、対人関係を気付き上げるだけの度量もあると判断された人間が優先的に外へと出て行く。それも事実だが、実際はそれが出来ない人間達を苦しめない為、劣等感に塗れて二度目の自殺を試みさせないためにをこの病院から追い出しているに過ぎない。

 ここは監獄だ。

 救い無き楽園であり、魂なく社会に貢献することすら出来なくなった抜け殻を、せめて命令コマンド程度は受け付ける人形にして社会に送り戻す為の施設なのだ。この施設で失った才能を拾い直せるなら僥倖。それが出来なくとも、まぁ、歯車の一つ程度にはなるのだろう。

 ここは、そんな施設だ。

 そういう場所にいる人間に、青春のなんたるかを尋ねるなんて気が触れているとしか思えない。ましてや、異性と遊びに行く場所を俺に尋ねるなど。

 愚の骨頂だ。

「というか、この施設から遠く離れた場所って行けるわけ?」

「連れ戻されるに決まっているだろうが。一応は治療対象なわけだし」

「精神科の患者みたいなものか」

「それは差別発言だぞ」

「あっはっは、まぁでも僕もその患者なわけだし」

 過ぎた卑下は他人をも巻き込むということを、この男は知らないのか。

 彼は過去を思い出していない。思い出すべきものを思い出せない苦しみを忘れるために他の痛みを探しているのだとしたら、それは、なんと難儀なことだろうか。

 はぁ。

 肉体の傷は言えても、心の傷は消えないのに。

 愛は何処へ消えていくのだろう。

「で、デートはどこに行けばいいんだよぅ」

「飯でも食べに行けばいいんじゃないか」

「本気?」

「あぁ。俺だって経験には乏しいんでね」

「でも、ないことはないんだろう」

「さぁな」

 解釈を他人に任せせ、俺は曖昧に笑う。

 遅々として理想に近づかない絵画を破り捨て、あぁ、俺はこんな些細な暴力によって日々の鬱憤を晴らしていたのかと胸の奥が痛む。気付かなければ、知らないままでいれば幸せだったものを。

「そういえば、百々は知っているのかい」

「何を」

「ふっふーん。聞いて驚くなよ」

 床にごろりと寝そべった修一の、腰回りの服が少し捲れた。

 薄っすらと覗いた皮膚に、無数の線が走っていた。

「カードゲームをしていた人がいるじゃないか。あの人、ここを出たんだって」

「へぇ」

 そういえば、あの日から随分と日が経っている。部屋の前で、香奈城と彼が話をしていたあの日だ。あれ以来、数日おきに香奈城とはすれ違っていた。殺すぞ、と視線だけで伝えるのも限界に近い。

 握りしめた拳は肉体的制約を超えて爆発しそうなほどで、いつか握りしめた形のままに内部の骨が表皮を突き破ってくるのではないかと内心で心配している。そもそも、奴は俺からの悪意すら楽しんでいる雰囲気があるからな。

 殺してやるという呪詛が愛の告白にもなる。

 それが、何よりも鬱陶しかった。

「しかし、海住とお前がなぁ」

「なんだよ、文句あるのかよ」

「……いいや。ないね」

 猫田からの妙なお願いを聞くつもりもない。

 海住と修一の仲が深くなったなら、それも応援しようじゃないか。

 この施設に流れる摩訶不思議な噂の一つに、恋愛をすれば出所――退院が出来る――というものがある。それは事実であり、修一はこの施設から出て行けるようになる理由というものを勘違いしているようではあるものの、彼らが健全な社会生活に戻れるなら、それに越したことはない。

 少しだけ寂しくはあるけれど。

 それが、友人というものだろう。

 俺に出来るのは、彼らがここでの生活に不快を示さないようにすること。

 社会に絶望したとき、縋るよすがになることだった。

「あっついなー」

「冷房は効いているはずだが」

「……でも、なんか暑いんだよ」

「好きな子のこと考えているから、だろ」

 珍しく耳を赤くした修一からチョップが飛んできた。

 床を転がりながら身もだえしている彼をみて微妙な気持ちにはなるけれど、まぁ、素直に応援するしかないものな。

 絵も描けないことだし、本腰を入れて相談に乗ってやるとするか。

「いいか修一、デートってものはだな――」

 男二人、それも経験に乏しい奴らが顔を突き合わせたところで素敵なデート計画が思いつくはずもないだろう。適当に案を出して、それにもっともらしい理由を付けて否定して、何が正解なのか分からなくなる。袋小路に自分から首を突っ込んでいくようなもので、煩雑な上に合理的じゃない。

 だけど。

 そういうのが、修一の考えている青春なのかもしれなかった。

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