第23話 本編 5 - 3

 私立済世病院の患者は、稀有な才能を持っている者ばかりだ。

 不登校などを理由に勉学をもう一度、という生徒に関しては俺の与り知るところではないが、少なくとも首輪をつけられている人間はほぼ間違いなく何らかの才能を持っていた人間で間違いない。

 競泳で日本一のタイムを叩き出した才能。

 カードゲームで、最適なプレイをし続ける才能。

 サッカーで、ピッチにいる全選手の動きを予測する才能。

 それが社会の役に立つものか否かは別としても、個々人のレベルで見れば鬼才と呼ばれて然るべき才能の持ち主だった人間達がこの施設にはあつめられているはずなのだった。だから、と噛みしめた奥歯からは苦い唾液が溢れてくる。

 目の前にいる男。

 香奈城かなしろ伊吹いぶきという男にも、才能というものの残滓があるはずだった。

「入れてくれよ」

「断る。へし折るぞ」

「困るなぁ、腕のない詐欺師なんて深夜番組にしか居場所ないじゃん」

「そうか」

 淡泊な反応を心掛けてみたものの、それで諦めて引き下がるような奴なら俺がここまで嫌うはずもないだろう。彼の経歴と、その他諸々の理由を含めて精一杯の嫌悪感を示してやった。

「犯罪者は日陰を歩いてろ」

「んー、辛辣。でもそれって差別だよね」

「何処が」

「人間って奴は、みんな平等であるべきだろう?」

 理由になっていない理由を述べて、彼は唇の端を吊り上げる。

 平生と変わらない笑みを浮かべてはいるものの、渾身の力を込めてドアノブを後ろへ引いていたら流石に顔色が悪くなってきた。余計なことをすれば殺すぞと脅して力を緩めると、彼は急いで色の変わり始めた腕を引っ込めていった。

 が、帰らない。

 扉の向こうには依然として俺の嫌いな男の気配があった。

「ふぅ、久しぶりに話したのに、つれないね」

「用がないなら帰れ。存在が不快だ、この時間も不愉快だ」

「そこまで嫌わなくてもいいじゃないか」

「嫌わずにいられるか、この――」

 脳細胞が思いつく限りの罵倒を浮かべてみたが、そのほとんどが香奈城にとって無意味なものだろうと思って飲み込んでしまった。唾棄したい過去が多過ぎて、夢を抱いた死体になりそうだ。

 扉の向こうにいる恥知らずは何を思たのか、その場に座り込んだようだ。

 音で分かる。

 彼とこれ以上の話をするつもりはなく、扉の向こうで何かを喋っているのを知りながらその場を離れた。まずは、散らかった部屋を片付けることにした。憂鬱な気分を消し飛ばすためには新しく生まれ変わる必要があるのだ。

 それこそ、自殺でもしてみないとな。

「ホント、クソったれな気分だ」

 部屋に転がっている酒の缶を水で洗ってから不燃ごみ用の袋に放り込んで、描くのを諦めた絵は細かく破ってから可燃ごみ用の袋に放り込んでいく。畳まずに放置してあった洗濯物は、本当に洗濯したあとなのか匂いを確認してからタンスに仕舞っていくことにした。

 掃除を始めてから三時間後、部屋が相応に綺麗になった。

 床に飛散した絵具のために雑巾を取り出してきたところで、玄関の方から比較的よく響く笑い声が聞こえてきた。一瞬迷ってから、何処かで聞いたような声だったからという理由で向かうことにした。

 あの詐欺師の声も聞こえるが、仕方ない。

 部屋の前に数時間居座っている奴の方が異常なのだ。病院の職員が彼の行動を注意しないところをみるに、あの場から無理に引き離すことは彼を再び自殺に追いやる原因を作ることになるのだろうけれど。だからといって俺の心労を増やしてもいいわけじゃないんだよな。

 この施設に来る前から彼とは知り合いだった。

 奴と出会わなければ、もっとスマートな自殺を試みていたかもしれないし、既に絵を描くことを諦めて就職をしていただろう。考える程に広がっていく無数の未来は妄想に過ぎないけれど、その輝きは目を潰すほどに強烈だった。

 さて。

「へえぇ、すごいじゃないか」

「まぁ日本大会だし」

「賞金ってどのくらい?」

「五十万くらいかな」

「ドル?」

「円に決まってるだろ」

 話の内容についていけず、しばらく聞き耳を立てる。こちらの気配を香奈城に気付かれないよう振る舞うのは難しいが、気付かれた後の面倒な対応を思えば苦にはならなかった。

「決勝の相手も強かったらしいじゃないか」

「まぁね。でも最後に勝つのは、島を二枚タップ出来る奴だよ」

「パーミッション? メタ的に弱いんじゃなかったっけ」

「そこは気合と根性、そして才能で乗り越えていくんだよ」

「ほーん」

 聞こえてきた単語を乏しい言語野に放り込んでいくと、休憩室でいつもカードゲームをしている男の顔が浮かんできた。なるほど、あの彼がゲームの大会で優勝したのだろう。聞こえてきた賞金の額に肩を竦めて、羨ましいものだと首を振る。

 絵を描いて暮らしていくには、この国の芸術は価値を低く見積もられすぎているからな。

 カードゲームの話は聞いていてもよく分からなかったから、段々と眠くなってきた、掃除をするために部屋へ戻ろうとしたところで、詐欺師の香奈城がひときわ大きな声を張り上げた。

「あ、そういえばさ、聞きたいことがあるんだけど」

「なんだよ」

「もしかして君、もうできるの?」

 ん。

 出所という言葉に反応して、俺はその場にとどまった。この病院から出所する、ということはつまり病院の外に広がる普通社会に戻っていくという話に他ならない。一度は挫折して死を祈願した天才たちが再びその才能を持って社会に立ち向かっていくという奇跡的なイベントだ。

 百人にも満たない患者数だが、早い奴は半年も休養すれば社会に戻っていける。

 カードゲームを得意としている彼も、その時期が来たのだろうか。

「出所って何のことだよ」

「卒業っていうの? ほら、この施設を出て行くってことさ」

「あー、そういうことね。バッチリ理解したわ」

「で、どうなのよ」

「月末には出て行くことになるかな。最近は成績もいいし」

「おー、おめでとう。っていうか、ゲームだけで稼げるもんなの?」

「いや、そこまで甘くないよ。ただね、やってるカードゲームにはスポンサー制度みたいなのがあってね。店舗の従業員として働く代わりにサポートをしてくれるっていうところが見つかったんだよ」

「ふーん。いいなぁ」

 割とどうでも良さそうな反応を示した香奈城と違って、俺はただひたすらに彼のことを羨ましいと思った。自分の持つ才能が明確な結果として現れて、その上で社会に戻るための切符を手に入れるなんて。

 クソ。

 本当に羨ましい。

「んじゃ。それで香奈城くん、君はどうしてそんなところに?」

「趣味だよ」

「へー……?」

 カードゲーマーが部屋の前を離れていったのを足音で確認して、俺も玄関からそっと離れた。このの場にいることを察知されたら面倒なことになるだろうし。察知していないとしても、奴は奴で独り言を延々と呟いているだろうから、それを聞くだけで胃が痛くなってくるはずだ。

 ふぅ。

 床掃除をしながら、この前の応募作を脳内に思い返してみる。

 特別、素敵な絵なんかじゃなかった。今度も、一次予選すら通過しないだろう。

「クソったれだ。本当に」

 俺は何の為に絵を描き始めたのか。

 それを思い出すことが、ここを出るためには必須なのかもしれなかった。

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