第15話 本編 3 - 5

 ご飯を食べよう、と海住を誘って食堂へやって来た。丸一日も心の準備時間を挟んでいる辺りが非常に人間関係に疎い奴っぽくていいよネ、とは覆面をした奇妙ないでたちの青年の談だった。嘘だけど。

 施設の食堂は、雑多な人であふれていた。高校に擬態している割には色んな制服を着ている人達がいて色彩豊かだった。といっても、食堂の真ん中あたりで楽しそうに声を上げている男衆に目を向けてみれば、学ランかブレザーかと大した違いもないのだけれど。

 顕著なのは女性の方だった。テレビで見たことがある有名な制服もあれば、普通に可愛くて目を惹かれる制服もある。男子の方は誰を見ても似たり寄ったりの服装をしているのに、なぜ女学生の制服は輪をかけて種類が多いのだろう。いいなぁ、羨ましいなぁ、選べればいいなぁと寝惚けた心が考えている。

 実際に制服を選べるようになったら、最も洗濯が楽なものを選ぶだろう。

 だって、ほら。

 一人で生きていくのに、煩わしいことは減らしたいからね。

 食券と交換して湯気の立つ料理が乗ったトレイを受け取った後、座る場所を探して食堂内に視線を巡らせる。僕に続いて食堂のお兄さんからトレイを受け取った海住も、背伸びをしながら食堂を見渡していた。

「何処に座ろう」

「人、多いですからね」

「うん。……君は、いつもここで食べているのかい?」

「そうでもないです。オセロ先生が弁当を持ってきてくれたりもするので」

「へぇ。仲がいいんだな」

「うーん、あれは、なんというか」

 彼女が首を傾げて言葉を探している間、その身体に視線を走らせていた。

 あ、変な意味じゃないよ。

 何というか、海住だけはセーラー服を着ていても違和感が少ないのだ。他の女性陣は、というか男性陣のほとんどもそうだが、着ている学生服がコスプレ衣裳の類に思えて仕方がなかった。年齢的な問題があるのか、と自分が鏡に映った姿を想像してみる。身分詐称も頑張れないわけじゃないだろうけれど、本当の高校生を隣に並べたらバレてしまうだろうな。魂の輝きが太陽と豆電球くらい違っているし、妙なやつれかたをしているし。

 若いってことは、傷を治すチャンスがあるってことだ。

 年齢を重ねるにしたがって増えていくものは過去の記憶くらいのもので、知識も技術も磨き続けなければ腐ってしまう。喧噪から離れて平穏無事な日々を追い求めた結果、身体と心が腐る音を聞く破目になる現代社会の闇深さよ、などと社会に出てもいないのに思ってみた。

 だから。

 何の変哲もないセーラー服が似合うってことは、やっぱり海住は若いのだろう。

 ……ひょっとすると。

 彼女は施設入所条件を満たす最低の年齢、十八歳なのかもしれなかった。

「酷い話だ」

「そうですよねぇ。どーして食堂って混むんでしょうか」

 噛みあったようで、実際はすれ違っている言葉のやり取りに微笑んでしまう。

 どんな人生を送れば未成年が生きることを諦めるのか、と現代社会の暗部にナイフを突き立てたい衝動が湧き上がってくる。しかし、てこてこ歩き出した海住を見失うまいと慌てて歩き出したことで、怒りの感情は心に沈着することなく消えていった。それでいいのか、と思う暇さえなかったのだ。

 彼女は食堂の隅へと迷いなく進んでいく。頼もしい反面、女性がリードしている場面に当惑を覚える自分もいて驚いた。どうやら僕の心にではプロトタイプな男性像が闊歩しているみたいだった。

 辿り着いた場所には、観葉植物と壁に挟まれた壁際の席が空いていた。横並びに、みっつの椅子が使用者を待って滑らかな木目の天板を晒している。

「ここに座りましょう」

「うん、案内ありがとう。あと、当然のように最端の席に座ったね」

「真ん中を譲るのは優しさって奴ですよ」

「いやいや、僕だって端っこが好きなんだぜ」

「この施設にいる人は大概そうだと思うんですけど」

「確かにそうかも。奥ゆかしい人ばかりだからねぇ」

 あっはっは、と黒ずんだジョークを乾いた笑いで誤魔化してみた。効果は薄いけれど、誰も気にすることはないだろう。自覚のある傷跡も、みんなと同じなら平気なのだ。

 済世病院のスタッフは他人との距離感を大切にする人が多いと踏んでいるのか、食堂にある椅子の配置はやや独特のものだった。白いプラスチック板で一人分ごとに区切られた区画と、普通のフードコートみたいに自由に椅子や机を動かせる区画とに分かれているのだ。

 なるほど、これなら使いやすいな。

 一人になりたいときも、誰かと一瞬のすれ違いを求める時も。

 親しくなりたい誰かと、食事を共にする時も。

「本当にここ、不思議な施設だよね」

「そうですか?」

「いや、更生が目的なのか、保護が目的なのか。どうにもハッキリしてないからさ」

 だから、存在意義が分からないのだ。

 社会に送り返すことだけが目的なら、もっと非人道的な方法がごまんとある。名前ばかりで実際は機能していない職業訓練所へ通わせるとか、最低賃金しか払わない上に無報酬の残業を行わせる企業へのあっせんを行うとか、様々な要因によって虐められることが分かっていても無理に学校へ通わせるとか。

 でも、そんなことはしていないのだ。

 あくまで、この施設は自殺未遂を犯した人間達が、ひとりでに社会へ復帰できる日を知ってるかのように悠然と構えているように見える。実際、今朝は寮を引き払って何処かへ出て行くっぽい人を見かけたし。

 うーん。

「ま、考えても仕方ないことだし、ご飯にしようか」

「そうですね」

 ぱん、と音を立てて手を合わせた。

「いただきます」

 揃って挨拶をして、それぞれのトレイに乗っていた端を割った。

 海住は篠田うどん。

 僕はカツドンと味噌汁。

 そして、いつの間にか同席していた入間百々は僕ら二人が食べているメニューを一人で平らげるつもりのようだった。平然と僕らの後ろについてきて、その上、僕の右隣の席に堂々と座り込んだ百々に対して、海住は露骨に嫌そうな顔をしていた。こうなることを予見して僕の左隣側、壁際の席に座ったんだろうなぁとは薄々感づいていたとも。友人と隣同士なら嬉しいでしょ、とも、私そいつが嫌いだから、とも読みとれる動きだったけれど、彼らの初交流の話を知っている身としては、どうしても後半の文脈コンテキストで読み取ってしまう。

 まぁ、仕方ないよなぁ。

 あえて誤解を招く言い方をすれば、百々は海住を脱がせようとしたわけだし。

 これは嘘じゃないよ。

「えっと、海住。この人は」

「入間さんですね。知ってます。嫌いですし」

「お前も正直な奴だな。社会に出ていけないぜ」

「いいんですよ。ここが私の楽園、最後の居場所って奴です」

「へっ。これだから人魚姫様は世間知らずなんだよ」

 やっぱり犬猿の仲なのか、と互いの口調と雰囲気から察するものがあった。

 が、ご飯は美味しく食べたいので、それとなく二人の間に流れる不穏な空気を断ち切るべく行動を起こしてみる。まずは、海住に唐辛子を差し出すことにした。やっぱり、うどんには唐辛子がつきものだし。

 ん? 意図が実際の行動に反映されることは珍しいし、意味不明なコトをしていても許してくれたまえ。

 僕が差し出した唐辛子を見て、海住は首を横に振った。あらら、辛いものは苦手なのか。髪が赤いから、そういうの好きなイメージがあったんだけど。僕は手渡すはずだった一味唐辛子をカツの上に軽く振りかけると、今度は百々に手渡すことにした。

 彼はがっしりと、なぜか僕の手を握ってきた。

「修一、困ったら俺を頼ってくれよ」

「あ、あぁ」

「……じゃ、これは貰うから」

「いいけど、全部使うなよ」

「流石にひと瓶丸ごとは無理があるだろ。使えないって」

 などと言いながら、結構ばっさばっさと振りかけている。大丈夫か?

 右隣がセルフ火の海を生産しているのを見ているとお腹が痛くなってきて、僕は左へと目を逸らした。海住が、意外にも上品にうどんを食べている。箸の持ち方も綺麗だった。

 素直に感心した。職員室から定期的に鍵を盗みに行くような子だし、社会常識などないものだと思っていたのだけれど。

 ……そういえば。

 あの日、彼女が泣いていた理由を僕は知らない。尋ねてもいいのだろうか、と微かな希望を胸に抱いてみる。権利と義務と距離感と、その他の様々な言葉が脳裏に浮かんでは消えていく。最後に浮かんだのは、彼女が涙を浮かべる姿だった。

 今は食べることに集中しようと思ってカツに手を付ける。もくもくと、口に運んではお茶で流し込んでく。楽しいハズの食事が作業になってしまった。

「で、どうして修一は海住を飯に誘ったんだ」

「……それ、私が聞きたかったことなんですけど」

「いいじゃないか、俺が代弁してやったんだ」

「頼んでないじゃないですか」

「頼まれなくても行動を起こす。それが親切ってものだろ」

「別に親切心で聞いたわけじゃありませんよね。自分の興味で聞いたんですよね?」

「それのどこが悪いんだ。あぁ?」

「ちょっと、二人共やめろって」

 人をサンドイッチして口論をしないでくれ。

 一応、僕から見ればどちらも友人(片方は候補)なのだから。

 隙あらば相手に噛みつく二人を牽制しつつ、質問にはちゃんと答えておこう。

「普通に、話がしたかっただけだよ」

「そこが変なんだよ。話すネタもないのに、話をしたいって思うか?」

「そうです。……誰かみたいに、私を脱がせようと思ってませんか」

「あのな、お前自身にはこれっぽっちも興味ねぇから。男を脱がせる方がよっぽど」

「えぇい、僕に質問するか口論するか選んでから喋ってくれ」

 いい加減に話が進まなくて怒ってみたら、ふたりともしゅんとした。海住が気難しい性格をしているというのは本当の話だったようで、昨日はあれほど他人との交流を嫌っていたように見えるけれど、今日は随分と口が滑っている。

 うーん。

 嫌よ嫌よも好きのうち、って奴なのか?

「……なんだよ。やけにこっちを見てくるじゃないか」

「なんでもないよ」

「俺とお前の仲だろ。隠すことないじゃないか」

「本当に、なんでもないから」

 見知らぬ相手や、気を許していない相手と一緒にご飯を食べると、味って分からないものだよね。親しい友人や親しくなりたい相手と一緒にご飯を食べているのにカツ丼の味が分からなくなってきて、流石に不味いなぁと思い始めてきた。

「……あ」

「どうしたんですか? そこの変な人を追い払う理由でも思いつきましたか?」

「あのなぁ。いや、君と話そうとした理由を、今なら明確に説明できそうだから」

「へぇ。どんなのです?」

「僕は、青春を送ってみたいんだ。その為に、波長の合う友人が欲しかったんだよ」

 うん。それ以上の説明は要らないだろう。

 そして、想像以上に恥ずかしいことを言っているじゃないか、と気付いてカツ丼を急いでかき込んだ。へたな言い訳を初めて恥の上塗りをするよりはマシだろう。いつの間にか半分に減っていたカツ丼から顔を離して、盗み見るように彼らの反応を伺ってみたけれど、どうにか納得してくれたようだった。

「そういえば、他の人もセーシュンしてましたね」

「寮でゲームしたり、校庭でサッカーしたりな」

「水泳部でも、自己ベストを出そうってみんなで協力してやってる感じですし」

 新プールの方では、と彼女が内心で付け足した。そんな風にみえた。

「美術部もなぁ、複数人で作品制作をしようって意気込んでいる奴もいたしなぁ」

「あれ、百々は美術部だったのかい?」

「あぁ。最近は行ってないけどな」

「女性部員を片っ端から脱がせようとしたんですかねー」

「お前、誹謗中傷を含む嘘は罪になるってことを教えてやろうか」

「芸術のためなら何をしてもいいと思ってるの、勘違いって教えてあげましょうか」

「……君達ホントにケンカ好きだねぇ」

 この調子で口論を続けた場合、勝つのは百々になるだろう。

 だって、カツ丼食べているし。

「ふふっ」

「何を笑っているんですか、むぅ」

 うどんのつゆも飲み乾した海住は、お茶を飲み始めていた。多めの塩分と水分の補給がプールジャンキーには必須なのだろうか。

 ポニーテールを濡らしていた塩素の匂いは消えていて、彼女の瞳には食後の満足感と穏やかな眠気が揺蕩っている。

「あの」

「うん。なんだい」

「青春って何をするつもりなんですか。別に、手伝うわけじゃないですけど」

「実を言うと、まだ決めてないんだ」

「まーた考えてないんですか。言い出しっぺのくせに」

 ぐでー、と海住は机に身体を突っ伏した。割とスタイルがいいんだな、と視線を逸らす。なぜか百々が期待に満ち満ちた目でこちらを見ていた。

「じゃ、俺と遊びに行こうぜ」

「百々は美術展に出品する奴が完成してないだろ」

「あっ」

「忘れてたのかよ。……海住は、明日以降で暇な日はあるかい」

 遊びに行こう、と素直に言うのは恥ずかしいけど、遠巻きに誘うのは簡単だ。当社比で言葉の出てくる確率が三割増しになるのだから間違いない、と心に棲む誘い文句生産工場のオジサンが自信気に頷いていた。

 眉を吊り上げて、不信感を前面に押し出したアピールをしてくる。

 何をするか決めていないのに誘ってきた僕は、やっぱり怪しい人のようだ。

「やけに私に拘りますね」

「まぁ、ここに来て初めて喋った相手だ。そこを特別視しないなら、どこを特別視するんだって感じだし」

 百々は最初に出来た友達だから、それはそれで特別だけど。

 そういって横を向いたら、彼の姿が消えていた。

「あれ、百々は?」

「猛烈に食べて駆け出してきました。忙しいんですねぇ、あの人は」

 彼女は大きな欠伸をすると、身体を思い切り仰け反らせた。椅子から落ちるんじゃないかと肝を冷やしながら彼女を見守る。無事に背伸びを終えた彼女が再びだらりと筋肉を緩めたのを確認して、ほっと溜め息を吐く。

 食後のお茶を飲んでいると、ねぇ、と話しかけられた。

「あなたは暇なんですよね」

「まぁ、ここにいる人は大抵、暇を持て余しているだろうね」

「じゃ、水遊びでもしますか」

「ん?」

「プールに行きましょう。私の御城に案内してあげますから」

 ニヒヒと笑って立ち上がった海住のポニーテールが、誘導灯みたいに揺れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る