第13話 本編 3 - 3

「珍しいじゃーん」

「……はい?」

「君って入間と一緒にいる子だよねー」

 不意に話しかけられて、驚きのままに目を向ける。金髪の、軽薄そうな男だった。昔に話した記憶がある。確か、百々が校庭端でスケッチをしていた頃の話だったと思う。

 彼は音もたてずに僕の元へ近寄って来ると、馴れたように饒舌な口を回し始めた。

「どうだい、ここでの生活には慣れたかい」

「えぇ、まぁなんとか」

「だったらいいんだ。入間は気難しい奴なんだけど、君と一緒なら元気そうだし」

「はぁ」

 随分と彼にこだわるんだな、と闖入者の言葉を脳裏に刻む。

 数分もすれば忘れてしまいそうな軽い言葉ばかりだったけれど、何もせずに右から左へと受け流してしまうよりはいいだろう。それに、受け流しに失敗すると大ダメージを受けるというのは、ゲームなんかでは鉄板だ。現実社会でも、そういうものだと思っておいた方がいいのである。

「僕らが幸せになるためには、って話は覚えているかね」

「え? あー、誰かを不幸にするとかしないとか、って奴ですか」

「うわ、すごいね。覚えているんだ、光栄だな」

 握手しようぜ、と差し出された腕を渋々ながら取った。

 上下に激しく動かされたけれど、彼は大して嬉しそうな表情をみせていない。

 むしろ、驚きを表現するための握手だったようだ。

「で、その話の続きをしようと考え続けていたんだけどね」

「まだ続くんですか」

「続かないんだよねぇ」

「えぇ……」

 自分で振っておいてそれか、と僕が口をあんぐりと開ける番だった。

 彼は振り回すために掴んでいた僕の手を離すと、ふぅ、と溜め息を吐いた。

「疲れてしまったものでね、話し相手が欲しかったところなんだ」

「奇遇ですね。僕も暇を持て余して質屋へ売りに出そうかと考えていたところです」

「だめだよ若人、退屈は噛み砕いてこそ味が出るものなんだ」

「生憎と離乳食すら喉を通らないものでして」

「ひぃぃ、それはつらい。生まれたばかりの小鹿にすら踏み殺されてしまいそうだ」

 ふたりで顔を見合わせて、わははと声だけで笑った。

 ふむ。

 日本語検定を補欠合格になりそうな人、この病院には多いのかな。

「ま、それはそれとして、君に尋ねたいことがあるんだが」

 彼は金色の髪を書き上げると、不意に真剣な目つきになった。

 思わず後退りそうになる脚を気合と根性で引き止めるようなことはしなかったけれど、彼の視線からは目を逸らしておこう。心を見透かすような視線にはどことなく嫌悪感を抱いてしまうものだから、彼から受ける質問に公正な態度で向き合えなくなってしまうかもしれないし。

 そして、彼の質問を受ける。

「君は、どうしてここにいるんだい?」

「さぁ、どうしてでしょう」

「一応、これでも水泳部の主将、という役割があるんでね」

「は」

「ここは海住イルカという少女が根城にしているんだ。彼女しか使っていないけれど、まぁ、部員が大切にしている場所には違いないからね。そこを荒らす意志があるなら、引き取っていただかなくちゃいけないから」

「……念のために聞きますけど、僕がそういうことをする奴にみえますか」

「ぜーんぜん」

 彼は心底楽しそうな口振りで発言すると、カラカラと声をあげて笑った。

 個人的なツボに突き刺さるポイントがあったのか、そのまま腹を抱えてうずくまるほどに笑い転げている。独特な人だなぁ、と水泳部が抱える人材の幅広さに驚いてみる。が、社会に出したところで炎上案件にしかならない話題性だったので忘れてしまうことにした。

「で、ホントに何しに来たん?」

「言わなきゃダメですか」

「そりゃね。盗撮とかなら、患者でも警察に突き出すよ」

 彼は自分の首輪を指先で突くと、僕に向かって歯を見せて微笑んだ。彼の首輪は緑色だった。百々と同じ色の持ち主がここにもいたことになる。で、僕がここにいる理由ですか。

 それを尋ねられるのは羞恥心を煽られるものだけど、答えないわけにもいかないだろうし。何より、答えたところで僕が不利になることもないのだから、隠そうとするだけ無駄ってものか。

 よし。

「海住と喋ってみたいんですよね、普通に」

「ん? それはまた、どうして」

「ここに来て、職員以外で初めて会話をしたのが彼女だったもので」

「ふーん、それはまた面妖な」

「そうっスかね」

「うん。すごいことだよ」

 アドバンテージゲージが真っ赤になるくらいの、と分かり辛い例えを披露して、金髪の彼は何度も一人で頷いた。

「海住は本当なら授業とかに出るべきなんだけど、どうにもプールに籠りがちだし。彼女と遭遇するだけでもレアなのに、会話までしたってのは驚きだ」

「へぇー」

 あれは、事故みたいなものだった。旧プールの鍵を職員室から持ち逃げしようとした彼女と、偶然にも扉の前で鉢合っただけなのだ。それが神様の怠慢によって引き起こされた、この世で最も意味を持たない悪質なバグだったとしても、あの出会いを抜きにして人生をまっとうするつもりはない。その程度には思い詰めて、そのぐらいには他人との交流を頑張ってみよう。

 そう考えているから、この金髪青年との会話からも逃げ出していないのだった。

「ま、それならいいか」

「はぁ」

「お邪魔したね。クマノミのように隠れ潜む海住イルカを、どうか頼むよ」

 ひらひらと手を振って、僕の知らない場所へ旅立っていく彼の後姿を眺める。細身の印象があったけれど、意外と肩周りの筋肉がついているところに水泳部らしさを感じた。

「……相変わらず、名乗らない人だったな」

 話すのは二回目、のはずなんだけど物言いは古くからの付き合いがある相手にするものと変わらなかったし。やっぱり済世病院にいる人はどこか頭のネジが緩んでいるか外れているか、それとも基盤自体が欠けてしまっている人なんじゃないかと思う。

 僕? 僕は製造終了してて修復不能なタイプだよ。

 ふう。

 金髪の男性との会話を終えて時計を確認してみれば、ようやくお昼の時間だった。仕方ない、今日は引き上げて明日に備えるとするか。

「いやまぁ、午後から何をするのかって話だけど」

 たぶん、百々の部屋に入り浸って漫画を読むことになるだろう。最近ハマっているのは、主人公が犬になったり少女になったり仮面をつけた勇者になったりする、ちょっと不思議なマンガだ。あれは面白いから、ぜひとも連載終了まで追いかけたいと二人で話していた。

 帰ろうと踵を返す。

 そして、キィ、と金属の軋むような音にそっと振り返った。

「……あ」

 ワインよりも鮮烈な、明るい赤色の髪を持った少女がドアの隙間からこちらを覗いている。頭には真っ白なタオルを乗せて、まだプールをあがったばかりのようだった。扉の隙間から外の様子を窺う彼女の姿には、木立の影に潜む小動物の姿が重なって見える。背丈が低いことの他に理由付けが必要だろうか、と脳内に浮かんだ装飾過多な比喩を追い払って、僕はそっと鉄製の扉に近づいていく。

「…………あれ?」

「あの、海住、だよね。少しだけ話がした」

「帰ってください」

 開くまでにかかった時間、プライスレス。

 その数百倍の速度で閉まっていく扉に、僕は慌てて指を引っ掛けた。

 すごく苦労するんだろうな。

 そんな予想が、心の上っ面をかすめていった。

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