【一章】ジンセイ、カイゼン

Pool Junkie ?

第4話 本編 2 - 1

 自殺未遂を犯した僕らが幸せになるためには、誰かを不幸にしなくちゃならない。

 そう考えている人が少なからずいるのだという話を聞いて、僕は目を丸くして驚いた。

「いやまぁ、オレはその意見に懐疑的なんだけど」

「どうしてですか」

「だって、それはつまり、世界にある幸福の総量は一定であるってことだろ」

「はぁ」

「おっ、反応が悪いな」

 よく知らない人に突然話しかけられて、これまで考えてみたこともない話を延々と聞かされているのだ。優秀な聴講生としての態度が崩れていくのも仕方ないことだと、名前も知らない彼には諦めて欲しいものだった。

 言葉とは裏腹に僕のことは一切気にしていないのか、それとも話したいことを自由に話して満足してしまったのか、彼は「ま、いいけど」と言葉を濁した。

「んじゃ、海獣の世話をよろしくな」

「カイジュウ?」

「入間のことだよ。あいつ、怒ると超怖いから」

 全身に洒落た雰囲気をまとった青年は手を振ると、にこやかな笑みを浮かべた。何処かへと歩き去って行く彼をぼんやり眺めていたら、あぁ、あの人は金髪だったんだなと特にどうでもいい情報を得ることが出来た。

 ふぅ。

「知らない人との会話って疲れるものだよね」

 隣に座る百々に話しかけて、僕は空を見上げる。

 ここ、私立済世病院に来てから十日ほどが経っていた。

 本日も快晴なり、私室に籠って布団で日がな一日眠っていたいという欲望もあったのだけれど、百々――勿論、入間百々のことだ――がしつこく誘うものだから、僕も外に出ていた。彼の隣でスケッチしているところを眺めていたら、校舎の方から出てきた男性に話しかけられて今に至る、というわけだ。

 どうにも僕は、見ず知らずの相手に話しかけられることが多い。

 話好きな人ばかりが入院しているならともかく、僕と同じか、それ以上に人を避けて行動している人だって見受けられるというのに、どうしたものだろう。ひょっとすると、隙が多いのか? ぼんやりしているところが「とっぽく」見えて、それが彼らの好奇心を誘っているのだろうか。

 うーむ。

 謎だ。

 そうそう、これは昨日のことなんだけど。

 寮の談話室にいた男性から、ここへ来た経緯を聞く機会に恵まれた。それはつまり、自殺するに至った経緯であり、失敗と恥と苦痛、屈辱と涙と拒絶の物語だった。第三者に語るには忍びない過去を平然と話す彼の対面で、ボロボロと泣いて、吐きそうになって、語っていた人から心配されるほどに神経が衰弱してしまった。

 首輪が送信したバイタルサインはよほど不安定なものだったようだけど、心は自分よりも他人のことを心配してしまっていた。サングラスを掛けたあのスーツ姿の男性が何処からともなく走って来たのには、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまったほどに。

「どうにも君は共感覚が強いようだね」

 周囲にいた他の寮生やサングラスを掛けた男性から生暖かい視線を送られて、なんだか恥ずかしくなってしまったのも記憶に新しい。

 以上が、この私立済世病院へ入院して十日が経った今になっても他の患者と積極的に親しくできない理由なのであった。親しくなるほどに相手が辿ってきた人生を自分にトレースして、痛みも悲しみも全部背負ってしまうのだからタチが悪い。

 これより他には、理由という理由もないだろう。

 嘘だけど。

 様々な原因があると言えば格好いいけれど、そうやって浮かべる原因をひとつにまとめるとするならば、僕は致命的に人付き合いが下手糞なのだ。事務的なやり取り、例えば明日の予定やテストの範囲を聞くことなら、相手がまったく親しくない相手でも出来る。だけどそれが、ゲームの話をしようとか、好きな漫画のことについて喋ろうということになったとき、僕は心がくたくたになって死にそうになる。

 死にたくなるんじゃないぞ。

 死にそうになるんだ。

 だから、あまり親しくない人とか、親しくなれないだろうという推測が成立する相手とは仲良くなれないのだった。これは多分、特別なことじゃないんだろう。今も済世病院の外で普通に生きている人達は、嫌いな人のことを素直に遠ざけて、好きな人に嫌われることを恐れながらも近づいて行って、そうすることで他人との適切な距離感を測りながら暮らしている。

 普通の人が、普通にできること。

 僕はそれが、どうにも下手糞なようだった。

 所々が欠けた過去の記憶に友人の姿がないのも、この性格が影響しているに違いないね。

 それはさておき。

 ここに来てから十日、その間ずっと僕に親しく話しかけ続けてくれていた百々には感謝するより他はない。喉元にボールペンを向けてきたり、暴言寸前の言葉を吐くことがあったり、何やら機嫌が悪い瞬間というものがあって怖い人だけど、自分から積極的に他人と関わることが出来ない僕にとっては神様みたいな人だ。

 だって。

 特別な理由もなしに、僕と仲良くしてくれるのだから。

 どこに切っ掛けがあったかは分からないけれど、ともかく、彼の心に触れる何かを僕が持っていたのかもしれない。それに怒りっぽいところを含めても、彼が僕にとって付き合いやすい性格をしていたことが幸いしている。

 生まれて初めて、親友になれそうな相手だった。

「百々、今日もいい天気だね」

「…………」

「何もすることがないのに正体不明の焦燥感に襲われるけど、それでも世界は穏便に回っている。平和なうちに、空から隕石が落ちて来て人類が滅亡したりはしないのかなぁ」

「…………」

「もー、集中するのはいいけど、だったら僕を連れて来る意味はなかったんじゃないか?」

 何度話しかけてみても反応がないものだから、僕は盛大に溜め息を吐いた。

 私立済世病院は、社会復帰を目的とする施設だ。

 仕事をしたい人のために就職先の紹介や職業訓練を準備したり、学校に通えなかった人のために通常の高校と同じような授業を行っていたり。サッカーや野球、テニスなどの運動部や吹奏楽、美術、文芸などの文化部など充実したクラブ活動も存在していて、活発に活動をしている。運動部などには、社会人チームと対戦するところもあるようだった。

 で、この病院で、一番の目玉にしている治療方法。

 それが、これ。

 青春を味わうこと、なのだと言う。

 冷静になって考え直してみても意味が分からない。学校を模した病院で、一体どうやって青春を味わえというのだろう。そもそも、こんな施設にした理由が分からない。青春ってなんですかと街行く高校生たちに尋ねたら恋愛や部活と帰って来たのでこの施設を建設しました、などと言われても信じてしまう。

 ただまぁ、校舎の図書館にあった辞書で青春という言葉の意味を調べてみたら、院長が掲げる理念もナシと断ずるわけにはいかないと思った。その辞書には『青春とは、思春期の男女が希望や理想を抱く様子を指す』と書かれてあったのだ。まぁ、その次の行には『思春期の男女が異性を求め始めること、また恋愛感情を持つこと』などと書いてあったものだから、そういう青春もあるのか……と吃驚してしまったけれど。

 僕、彼女がいた記憶がないからね。

 あー、彼女がいたという記憶だけが都合よく消えていて、明日にでも付き合っていた美少女が僕の元を訪れてくれないかなー、などと妄想したりもしているのだけれど、そんな奇跡は起こらない。

 っていうか、不埒すぎる。

 自分に都合がいいだけの妄想は、ほとんど自慰行為みたいなものだしね。

 清く健全な社会を保全していくためにも、こういった妄想は鍵のついた箱の中へ放り込んでしまおうじゃないか。誰かが知らずに覗き見て、悲鳴を上げてしまう前に。

 さて。

 青春を送るためにありとあらゆる設備が整えられ、施設の見た目まで学校に近しくしたこの施設で、僕はある女性を探している。海住イルカという、紅い髪をした女性だ。ここに来た初日と、それから三日前に学校の食堂を利用した時。この二回しか見たことがないけれど、それでも彼女のことが忘れられない。

 涼やかに、鈴を鳴らすような声だった。

 春風が吹くように晴れやかな雰囲気をしていた。

 雨が降る前日の夜みたいに、しっとり濡れた瞳をしていた。

 一目惚れをした?

 いや、そんなことはないだろう。

 ただ、どうしてもお喋りしてみたいのだ。

 あの人は何が好きで、どんな趣味をしていて、誰と仲がいいのか。

 そういうことが知りたくて、不思議と、彼女のことばかりを考えてしまう。

「……あぁ、気持ち悪いなぁ。僕って奴は」

 溜め息を吐いて、ふと横を見る。

 僕が一人で悶々としているのに、彼は気にも留めていないようだった。

 一日中、部屋に籠っていても心が腐るわけじゃない。それでも外の世界の様子もたまには目にしておかないと、社会復帰することは敵わないだろうからと百々に連れ出されて、僕も部屋を出ることにした。

 なのになぁ。

「君も、僕と仲良くしてくれないのかい」

 見当違いな文句を呟いて、空を見上げる。

 雲一つない空は無垢を装って僕らを押しつぶす悪童みたいなものに見えて、僕は肩をかすかにふるわせた。

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