第9話

 屋敷を出て街中を抜ける。

 整備された通りから次第に細く入り組んだ街並みへと変わっていく。

 その古い街並みを抜けるとそのオアシスはあった。

 丁度タラールの屋敷とは反対側に位置する場所だ。

 人の姿はほとんどない。来る途中もほとんどなかった。

 酔っ払いなのか物乞いなのか、何人かの人が道端で寝ているのを見た程度だ。

 それはそうだ。一行を照らし出すのは月明かりのみ。時はすでに深夜を過ぎて、街は静まり返っていた。

『夜に行っていただきたい』

 準備を手伝ってくれた初老の男にそう告げられたのである。ゆえに一行は夜、人が寝静まった頃に遺跡へと向かった。

「なんでだろ?」

「盗掘は人目を忍んでするからでしょ?」

「ああ……そっか」

 ミランダの答えに可彦は頷く。

「成功しても盗掘者として処罰されたりして」

「それ、冗談になってないわ」

 可彦は軽く答えたつもりだったが、ミランダをはじめネフリティスやバルゥまでもがうなり声を上げる。

「よもやとは思いますが……」

「今ノウチニ逃ゲルカ?」

「いやいや、大丈夫だよ……たぶん」

「まぁとにかく今は行くしかありませんね」

「そうだね」

 ネフリティスの言葉を受けて、可彦は目の前の遺跡を見上げる。

 月明かりに映し出される巨大な立像。向かって右側が男性を、左側が女性を模しているように見える。

 その立像に守られるように大きな門が建つ。

 門といっても扉はなく、大きく開いた入口から、下へと伸びる階段が見える。

 どこまで続いているのか、淡い月明かりはその階段の途中で闇と混ざり合い、消えていた。

 ミランダはランプを取り出すと手早く明かりを灯す。ランプの前面に丸いレンズが取り付けられており、そこから延びる光が闇の奥を照らす。

 ミランダは左手にランプを持つと右手に短剣を構え、周囲を照らしながら先頭に立つ。その後ろに可彦とネフリティスが、一番最後にバルゥが付く。

 階段は広く、明るい茶褐色をした石は、多少の崩れは見えるもののしっかりとしていた。

 その階段をミランダはゆっくりとした歩調で一段一段丁寧に降りていく。

「どうです?」

「この手の階段に攻撃的な罠はないと思うわ」

 ネフリティスの問いにミランダはランプで階段を照らしつつもそう答えた。

「なんで?」

「なんとなく」

 ミランダを見返す可彦を気にする風もなく、階段を照らし先に進んでいく。

 そうしてしばらく進んでいくと、階段を照らし出していたランプの光が深い闇に吸い込まれ行くのが見えた。

「広間ね」

 ミランダは立ち止まると階段の終わり、広間の入り口であろうその縁をランプで照らす。一通り照らし出して、さらに入り口の床に指を這わせると立ち上がり、広間の中へと踏み入れた。

 周囲をランプで照らす。光は広間の奥にかすかに届く。そのかすがな光に浮き上がるのは入り口にもあったような巨大な石像。光の届く範囲で見る限り、部屋の周辺に中央を向くように石像が並んでいる。

 そして石像の視線が集まる部屋の中央に照らし出されたのは長方形をした石碑だった。

 ミランダは腰のカバンから何かを取り出すと足元に落ちていた小石を拾い上げ、その小石にカバンから出したものを括り付けている。それは白いリボンだった。

 リボンを括り付けた小石をミランダは広間の中に軽く投げ入れる。

 光に照らし出された白いリボンが緩やかな放物線を描いて闇の中に消え、小さな乾いた音が響く。

「大丈夫そうね」

 三つ目を投げて、乾いた音が響き、再び静まり返った頃にミランダはそうつぶやくと広間に足を踏み入れる。後に続く三人。

「つけても大丈夫ですか?」

「そうね。いいわ」

 ネフリティスに答えるミランダ。ネフリティスはそれを受けて手に持った杖の水晶に手をかざす。水晶がランプの光よりも強く白い輝きを発し、広間を照らし出す。

 見た限りでは正方形の天井の高い広間。周囲の石像。中央の石碑。しかし入り口以外に他につながる通路は見当たらない。

「この石碑はなんて書いてあるの?」

「……古代クトール語ですね……」

 ネフリティスは杖を掲げ石碑に目を向ける。

「『昇りくる日を崇めよ。空を流れる雲を愛でよ。訪れる闇を畏れよ。そして大地の温もりに抱かれ眠れ』と書かれているようです」

「やっぱりこの文章が秘密の入り口を示していたりするのかな?」

 石碑を見上げながら可彦はすこし上ずった声で話す。

「それとも周りの石像の方に秘密があるのかな?」

「そうね、それが狙いね」

「狙い?」

 ミランダは石碑の台座をランプで照らしながらゆっくりと回り、ところどころを短剣の柄で叩いて回っていた。そして一周まわって可彦たちのところに戻る。

「この石碑、動きそうね」

「やっぱり何か秘密が!」

「意味のありそうなものに、必ず意味があるとは限らないわ」

 そういってミランダはもう一度台座を叩きながら周り始める。

「秘密の扉があるとして、その鍵をわざわざ目立つところに書き記す必要って、ある?」

「……それは……」

 言葉に窮する可彦。

「それらしいことを書いたり、それらしいものを置いたりすれば、あなたみたいに目を取られて、もっと些細で単純なものに目がいかなくなるものよ」

 ミランダは台座を叩きながら再び可彦たちの元に戻ってきた。

「台座の後ろ側に隠された操作棒があるわ。たぶんそれを引けば台座を動かせると思う」

「本当? すごいね」

 可彦は早速後ろに回り込む。ミランダたちもそれに続く。

「どこ? 全然わからないや」

 ミランダは台座の一部を軽く圧す。そこが四角く小さくへこむ。ミランダが手を横に動かすと、蓋が横に動き四角い穴が現れる。ネフリティスがその穴を照らすと確かに奥にレバーのようなものが見えた。

「引いてみようよ」

「いいけど……問題があるわ」

「え? 周りの石像が襲ってくるとか?」

「……」

 ミランダは可彦を見つめてから周りを見渡す。ネフリティスとバルィも周りを見る。周りに立ち並ぶ石像は剣や槍、斧など、手に手に武器を持っている。

「……面白いけど、それはないわ」

「……ないの?」

「ないわ」

 聞き返す可彦にミランダは断言する。

「それは、ないわ」

「そんな念を押さなくても……それじゃ何?」

「ここを開けばたぶん、開いたことが相手に伝わるわ」

「あー……」

 確かにそれはありそうだった。

「ここを開けないで中に入る方法は?」

「床を掘るしかないわ」

 床も一面に石が敷き詰められている。ここを掘ろうとすればもっと大がかりな話になって気づかれてしまうのは間違いない。本末転倒だ。

「他の侵入口を探してもいいけれど、おそらくこの広間にはないわ。外に別の入り口がある可能性は否定しないけど……それを探すのはたいへんね」

「行クシカナイダロ」

「まぁそうですよね」

 バルゥの言葉にネフリティスも頷く。

「それじゃ……引いてもらえる?」

「え? ああ、いいよ」

 ミランダの言葉に可彦は穴の中に手を差し入れる。中のレバーをつかむと思い切り引っ張る。何か重々しい手ごたえがレバー越しに可彦の手に伝わる。

「引いたよ……って、なに? なに?」

 穴から引き抜いた腕をミランダは掴むとランプを近づけ眺め回す。

「何ともなさそうね」

「それどういう意味!」

「冗談よ」

 悲鳴を上げる可彦に対し軽く答えるミランダ。ネフリティスとバルゥは顔をそむけ肩を揺らしている。

「ほんともう、やめてよね!」

「悪かったわ」

 謝るミランダ。ただし肩は小さく震えている。

「もう……で、どうすればいいの?」

「これで台座が動かせると思うのだけど」

「押せばいいですか?」

 ネフリティスはそういうと杖を可彦に渡す。それから左肩を軽く回すと台座の右側に左肩を押し付ける。

「ぬん!」

 ネフリティスの肩の筋肉が盛り上がる。重くこすれる音が低く床を伝わる。踏みしめたネフリティスの足が一歩ずつ進んでいく。台座の下にさらに暗い闇が口を開き始める。その口にミランダがランプの光を当てる。闇へと続く階段が浮き上がる。

 少し大きな振動が床を伝わるとネフリティスは台座から肩を外した。それと同時に台座の下に開いた闇が消える。代わりに現れたのは揺れる灯に照らされた階段。階段の両側に自動で火が灯され、続く階段を照らしていた。

「思ったより軽かったですね」

 再び肩を回しながらネフリティスは可彦のもとに戻る。可彦は労ってから杖を渡し、照らし出された階段を覗き込む。

「……何の臭いだろう」

「砂油ですね。砂油を燃やして明かりにしているようです」

 可彦の脇から覗き込んだネフリティスがそう答えた。

「砂油?」

「砂漠に染み出る黒い油です。臭いですが安いのでよく明りに使います。この辺にも湧いていて、自然に継ぎ足すようになっているのかもしれません」

 可彦はもう一度階段を覗き込む。煤けた澱んだ空気と鼻につく臭い。

「行くしかないよね?」

「今更ね」

 ミランダは動かした台座に向かうとカバンから何かを取り出し台座の下にしゃがむ。堅い音が細やかに小さく響く。

「何してるの?」

「くさびを打っておくの。こんな所に閉じ込められたくないわ」

 さらに反対側にもくさびを打ち込むミランダ。

「行くわ」

 ミランダはランプを腰に下げると左手に短剣を持つ。再び白いリボンをつけた小石を階段の中に投げ入れる。火の光を受けたリボンがなびき、小さな音を立てて落ちた。それを確認してからミランダは階段を降り始める。次に可彦が、そしてネフリティス、バルゥと続く。

「罠があるかな」

「どうかしら」

 短剣の柄で壁を慎重に探りながら、それでもミランダはどちらかといえば罠の存在を否定的に答えた。

「手順を踏んで開けたから、あったとしても解除されているとおもうのだけど」

 確かに言う通りかもしれない。罠は侵入者に対して作動するべきで、正当な者にまで作動しては意味がない。

「でもミランダ手馴れてるよね。こういう仕事をしてたの?」

「盗掘? そうね、傭兵だったから。傭兵団の団長の命令なら何でもしたわ。もっともこんな遺跡に侵入するよりも、城塞に侵入する仕事の方が多かったけど」

「城塞?」

「内部を調査したり、門を開けたり、火を放ったり、食糧庫に毒を混ぜたり……場合によっては指揮官を殺したり……ね」

 作業をしながら淡々と語るミランダ。いつもの抑揚のない、素っ気ない口調だが、作業に集中している為なのか、いつも以上に抑揚がない。

「傭兵団は辞めたの?」

「無くなったの。全滅して。私はその唯一の生き残り」

 さらに抑揚のなくなる声。ネフリティスが可彦の肩を叩く。首を横に振るネフリティス。いわれるまでもなくそれ以上追及することは可彦にはできなかった。

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