第8話

 浴場から上がるとミランダとバルゥは湯着姿のまま寛いでいた。

 ミランダはほのかな湯気の上がるコップを傾け、バルゥは皿に盛られた黄緑色の果実を切ったものを食べている。

「何食べてるの?」

 空いていた椅子に座りながら可彦が訪ねる。バルゥは皿から果実を取ると可彦に突き出した。可彦はそれを受け取ると齧り付く。垂れる汁をあわててすする。少し青みがかった甘みが口の中に広がる。

「美味しい」

「ダロ?」

 そういってバルゥは果実が盛ってある皿を少し前に押し出す。可彦は手にした一つを平らげるとさらに一切れ手に取った。

「ミランダはなに飲んでるの?」

「薄荷のお茶。すっきりするわ」

「わたしもそれを」

 通りかかった給仕に注文をしながらネフリティスも可彦の向かいの席に着く。

「あっと、そうだ。はいこれ」

「あら?」

「バルゥも」

「……イラナイト言ッタノニ」

 そう言いながらもバルゥは櫛を受け取る。くすんでいたバルゥの金髪は潤った艶を取り戻していた。

「折角だから背中も梳いてもらおうかしら」

「あー。そんなこと言ってたね。いいよ」

 隣に座っていたミランダが背を向ける。それに向かって座りなおす可彦。ミランダから櫛を渡されるとそれをゆっくりと背中の毛に差し入れ、歯を立てないように気をつけながら梳いていく。

 ミランダの背中は痩せて見えるが触れてみると筋肉で覆われているのがよくわかる。毛のせいで目立たないが引き締まっている分、ネフリティスよりも堅い。

「じょうずね」

「い……そうかな」

 犬を飼っていたことがある。そう口を滑らせそうになるのを可彦は寸でのところで思いとどまる。矛先を変えるように振り返ってバルゥに目をやる。

「バルゥも髪梳かしておきなよ」

「言ワレナクテモワカッテル」

「で、何て名前?」

「ペロって言って……あ」

「かわいい名前ね」

 ミランダの笑いが背中越しに伝わってくる。可彦は黙々と梳くことに専念することにした。

「……これでよろしいでしょうか?」

「うふ。ありがと」

 可彦はテーブルに向き直ると脇ではバルゥが櫛で髪を梳かそうと悪戦苦闘しているのが見えた。

「そんな力任せに梳いたら髪が傷んじゃうよ」

「ソウハイッテモ……」

「貸してごらん」

 バルゥは渋々と手に持った櫛を可彦に渡し、促されて可彦に背を向けて座る。

 可彦はバルゥの少し波打った髪を手でほぐしながら浅くいれた櫛でゆっくりと梳いていく。

「ベクヒコはバルゥには優しいですよね」

「えーそうかな?」

 バルゥの髪を梳かしながら可彦が答える。

「ただ僕ひとりっこで、妹が欲しいと思ったことはあったなぁ」

「……ウラハ妹カ」

 呟くバルゥの耳が少し下がった。

「ソモソモオ前イクツダ? ソンナニウラト違ワナイダロ?」

「僕? 十四歳だけど」

「ウラノ方ガ二ツモ年上ジャナイカ!」

「以前見た目より年上とか言ってた気もしたけど……意外と見たままなのね」

「そうですね」

「別に見たままの年齢でいいじゃないか! そういうネフリティスはいくつなのさ」

「わたしですか? 十八です」

「意外と若いのね」

「ミランダは?」

「私は二十一よ」

「……」

「犬年齢とかじゃないわよ? 二十一年生きてきたから二十一歳」

「……意外とこだわるよね?」

「そう?」

「そんなことよりもどうします?」

 他愛もない会話に終止符を打つようにネフリティスが可彦に尋ねる。

「どうしますって?」

「タラールの依頼です。おそらく晩餐の時に聞かれますよ」

「あれって考える余地なんかあるの?」

「ないわね」

「ナイナ」

 ふたりの返事にネフリティスは肩をすくませてから薄荷茶に口をつける。

「一応ベクヒコ隊長の意思を確認したかっただけです」

「どうするの? 隊長?」

「ドウスル? 隊長?」

「隊長って……」

 可彦を見る顔はいずれも笑っていた。言うまでもなく可彦をからかっている。

しかしその笑いは明るく軽く、笑いながらも背中を押してくるような、押した背中についてきてくれるような、そんな笑いだった。

 だから可彦も笑い返す。

そして可彦は可彦を見つめる面々を見つめ直す。

ネフリティス。

バルゥ。

ミランダ。

みんな女の子だ。絵に描いたようなハレムパーティー。

しかし……

ネフリティスはオーク。

バルゥはゴブリン。

ミランダはコボルト。

可彦の良く知る物語の世界ならどう見たって敵側のパーティー。

しかも自分は勇者として迎えられたにもかかわらず、勇者として殺された身だ。ここで王国を恨んで復讐に目覚めれば……

『勇者と言うより魔王だよね』

 声にはならず、小さな息のようにこぼす可彦。

「ベクヒコ……」

 バルゥが可彦の顔を覗き込むようにして呟く。

「モノスゴク悪イ顔ヲシテイルゾ」

「そ、そう?」

「何を考えてます?」

「いや別に」

「怪しいわ……」

「どうするか考えていただけだよ」

 否定する可彦。三人は可彦を凝視するが、それ以上の追及は無かった。

 ネフリティスは薄荷茶を手に取り、ゆっくりと飲んでから小さく息を吐いた。

「で、考えはまとまりましたか?」

「そりゃぁもちろん……」



「……お受けします」

 可彦は再び問うたタラールにそう答えた。

 その問いは、晩餐も終わり最後の果実や水菓子、飲み物などが並べられ、皆が寛いだ雰囲気の時に不意を衝くように、短く『して、どうする』とだけとだけ発せられた。

 席に居並ぶ人物の中には何を問うたのかわからなかったものもいただろう。しかし可彦はその突然の問いにも何とか、しかし澱みなく答えた。

「そうか」

タラールは両脇の女官に果実を手渡されながら、さして興味もなさそうにそう短く答える。ただその髭が小さく動いていた。

「必要なものがあればそのものに言うがよい」

 その言葉にタラールの脇で晩餐の席についていた髭の長い痩せた初老の男が、可彦に会釈をしながら微笑む。その笑みにつられるように可彦も会釈を返す。

「では、仔細は任せる」

 そう告げるとタラールは女官に連れられて晩餐の部屋を去って行った。

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