第2話
冷たい。
明るい。
柔らかい。
薄く目を開ける。
目の先に何かが見える。
天幕?
それが強い日差しを遮り、心地よい日陰を作っている。
身体が軽く、冷たい。
どうやら水の中にいるようだった。
背中に柔らかいもの。以前にも感じたことのある感触。
「目が覚めましたか?」
ネフリティスの声。
可彦はネフリティスに抱かれてオアシスの水の中に浸っていた。
「大丈夫?」
目の前に立つのはミランダ。
水にぬれた灰色の毛皮、白い腹部。
毛皮というフィルターで緩和されているが、全裸だというのはわかった。ミランダはそれを隠そうともせず近づいてくる。
「少しは元気になった?」
「はは……どうかな?」
「元気にしてあげる?」
ミランダが口を広げて笑う。大きく開いた口に鋭い牙が並んでいるのが良く見える。
「……言っている意味が分からないけど……遠慮しとく」
恐怖しか感じないから、とは言わなかった。
「そう? べつに咬みつかないわよ?」
ミランダはそういって笑うとそのまま可彦の……ネフリティスのわきに身を沈めた。
「そういえば……尻尾無いんだね」
「尻尾?」
ミランダは首を傾げ、それから頷いた。
「そうね。犬じゃないもの」
「あ……」
そう言われて可彦は自分が凄く失礼なことを言っているのに気が付いた。
「ごめんなさい」
「別にいいわ」
ミランダはいつも通り、抑揚の少ない声で答える。しかし可彦にはどこか堅く感じた。
「人間から見ればコボルトの顔が犬っぽく見えるのは知っているわ。コボルトから見れば人間の顔は猿っぽく見えるもの」
「本当にごめんなさい」
「あなたも尻尾生えてないみたいだけど?」
「もう許してください」
ネフリティスが小さく震えているのが可彦に伝わる。
ミランダは肩をすくめて追及を止めた。
「……そういえば? バルゥは?」
「ココダ」
ミランダの反対側から声が聞こえた。
可彦が目を向けると、いつもと変わらない格好のバルゥが見える。
兜に鎧。背中に背負った突剣。
「バルゥは入らないの?」
「何言ッテルンダ!」
声を荒げるバルゥ。少し上ずっている。
「ダイタイ男ノ前デ、ソウポンポント裸ニナルノガドウカシテイルダロ!」
バルゥは耳を立ち上げて怒鳴る。
「そうはいっても服を着たまま入るわけにもいきませんし」
「戦場ではそうも言っていられないから……慣れたわ」
平然と答えるふたり。
「兜だけでも脱いだら?」
「イヤダ」
可彦の提案も頑なに拒むバルゥ。
「あなたは剣の腕は立つけど、戦場では生き残れないタイプね」
「ナンダト?」
ミランダの言葉にバルゥがいきり立つ。
「人の目を気にしすぎるから身体を休められない。体臭は敵に自分の存在を知らせ、着たままの鎧は修繕もままならないからいざという時に役に立たない」
「グ……」
「何が恥ずかしいの?」
「ベ、別ニ恥ズカシガッテナンカ……」
「気持ちいいよ?」
可彦は水をすくうとバルゥに向けて浴びせかける。鎧にかかった水は流れ落ちるが、滴り落ちる前に蒸発した。
「暑くない?」
「……クソ」
バルゥは観念したように吐き捨てると兜に手をかける。
兜を脱ぎ、背負った突剣を置き、腰の装備を外すと鎧を脱ぎ、それから手を止めて、さらにおずおずと服を脱ぎ始めた。
暗い灰色の肌。
小さな顔に丸い大きな目。瞳の色は赤で白目の部分はほとんどない。
鼻は小さく、口は逆に大きく、ただ唇は薄い。
大きな長い耳が突き出た髪の毛はくすんだ金色で、緩やかな波をうち、伸び放題で広い額にもかかっている。ただ洗えば綺麗な金髪になるような気が可彦にはした。
「かわいいね」
可彦の口から言葉が漏れた。
なんというか、確かに人間のそれとは大きく違うが、可彦がかわいいと感じたのは確かだった。語弊を恐れずに言えば小動物的なかわいさ、と言えるかもしれない。
「……熱デ目ガオカシクナッタカ? ソレトモ頭ノ方カ?」
言いながらもバルゥはそのまま水に中に入るとおとなしく可彦のわきに身を沈めた。
「……気持ちいい?」
「……キモチイイ」
可彦の問いかけに、先ほどまでとは打って変わって素直に答えるバルゥ。
「デレた」
「デレた」
「ウルサイ!」
ネフリティスとミランダに反論するバルゥ。そのやり取りをネフリティスの身体の上で心地よく聞く可彦。
「でもいいわね」
ミランダがため息をつく。
「身体は小さいのに出るところは出てて」
「何ヲ見テイル?」
「胸」
そういってミランダは自分の胸を下からつかんで見せる。正直なところつかめてはいない。
「弓を射るには良いんだけど……やっぱり大きい方が好み?」
「……え? 僕?」
ただ茫然と、無意識に少しにやけながら聞いていた可彦は、急に話を振られて言葉を詰まらせる。
「ええと……」
視線が集中しているのが分かる。
「……みんな違くて、みんな良い」
「逃げましたね」
「逃げたわ」
「逃ゲタ」
「逃げるのだって重要な作戦だよ」
「……それは一理あるわ」
うそぶく可彦にミランダは大きくうなずいた。
「あなたなら……良い死に場所を返してくれるかもしれないわ」
「え?」
「あなたは私から死に場所を奪ったの。覚えてる?」
ソタニロで死ぬつもりだったミランダを半ば強引に救ったのは可彦だ。そのことを言っているのだろう。
「だから私はあなたが死に場所を返してくれるまでついていく。いい?」
「ええと……」
「だめって言ってもついていくけど」
そういってミランダは笑った。
「ツイテイクト言エバ」
バルゥが可彦に顔を向ける。
「ソノ首、ヨクツイタナ」
「そうですね、一時はどうなるかと思いましたけど、綺麗に洗ったらよくなってきました」
可彦は首に触れる。少し筋があるが痛みや痒みは確かになくなっていた。
「逆につけたらどうなってたのかしら」
「ミランダ怖いこと言わないでよ」
「少しぐらいはずれてしまったかもしれませんけど、問題なさそうですね」
「え!」
「冗談ですよ」
ネフリティスは笑う。
「ベクヒコのここにはかわった痣があるので。これをつなげる様に合わせたので大丈夫です」
「痣?」
ネフリティスは首の後ろ側を撫でた。そんなところに痣なんかあっただろうかと可彦は考えるがどうにも思い出せない。ひょっとしたらこの世界に来た時に付いた勇者の紋章みたいなものかもしれない。
「それって紋章みたいなの?」
「紋章? どちらかと言えば文字の羅列に見えますが」
「え? 666とかじゃないよね?」
「666? 数字に見えなくもないですが、数字だとしても、同じ数字が並んでるわけではないですね」
「そうなんだ」
「タダノ痣ダロ」
バルゥの言う通りかもしれない。
なんにせよその痣のお蔭で首がずれずについたのならよかった。
可彦はそう考えることにした。
「とにかくしばらくはあまり急に動かさないでくださいね。ぽろっと取れたら……」
「怖いこと言わないでよ!」
可彦の絶叫に、他の三人は笑い声を上げた。
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